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「…プリシラ…」とバクルー王の声が掠れたように、プリシラの耳に入ってきた。
「ど、どうして…」と言葉を言い切る前に、エミリオが…プリシラの腕に縋り
「プリシラ。ごめんね。バクルー国の王様は、ぼくのちちうえなんだ。言えなくてごめんね。言ってしまうと、プリシラがみんなみたいに、ぼくのことを王子様っていうようになるのが、いやだったんだ。ぼく、ぼく……まだプリシアとひみつきちでいっぱい遊びたくて…プリシアに名前を呼んでもらいたくて…ぼく…」
ここまで一気話したエミリオだったが、呆然としてバクルー王を見つめるプリシラに…、エミリオはとうとう声を詰まらせ泣きだしてしまった。
【寂しい】の一言も言ったことがなかったエミリオが…
今日あったばかりの女に…あんな女に縋って泣いている…
そんなエミリオを見て、バクルー王は顔を歪ませ、もうこれ以上、エミリオのそんな姿を見ていられなくなって顔を背け、小さく舌打ちをした。
(エミリオの生母のルイザは、ここ数年は寝たっきりだった。そして俺のここ数年は…マールバラ国とサザーランド国のことで画策し、国を留守にすることが多かった。だが……どうして気づいてやれなかったんだ。こんなにもエミリオは、寂しかったことに…。まさか、この女…そこにつけ込んでエミリオに近づいたのか?くそっ!どう、動けばいいんだ?…考えろ、考えるんだ!)
バクルー王はプリシラに視線を向けた。
プリシラも気がついたのだろう、 その視線を受け止めるかのように、バクルー王を見た。
(偶然とはいえ、エミリオがこの男の子供だったとは…私がエミリオに何かすると思っているのだろうか?あの心配そうな顔…自分の子供はこんなに大事にしているんだ。 私は……3歳で捨てられたと言うのに… この男のせいで、私は捨てられたのに…)
ふたりの視線が、絡み合った。
それは憎悪と思慕の念が複雑に絡みあい、そして……視線同様に、運命の糸も悲しいほど複雑に…
絡んでしまった。
プリシラの視線はきつくバクルー王を捉え、そしてバクルー王の視線も同様に、きつくプリシラを捉えていた。だが突然、バクルー王は目元を和らげると、口元も緩め、
「プリシラ、やっぱり君だったのか。」と言って、笑みを深くした。
プリシラは、その優しげな笑みに、思わず視線をバクルー王から逸らすと下を向いた。
(はらわたが煮えくり返っているだろうに…エミリオが、私の腕に縋る姿を見たから、簡単に私を切れなくなったんだ。エミリオを愛しているから…偽りとはいえ…あんなに優しい笑みを浮かべることができるこの男は…そんなに愛情深い男なの?なら…なぜ?母を…私の母を…私を捨てさせるほど夢中にさせ、切り捨てたの?
…知りたい。
自殺するほど母の心を奪った男の…
……知りたい。
息子のエミリオを心から愛する男の…、この男の、素顔を私は知りたい。)
プリシアは、そう思いながら、バクルー王の琥珀色の瞳をただ見つめた。
バクルー王は、なにも言わず…ただ自分を見つめるプリシラに、気がつきながらも…琥珀色の瞳を同じ瞳を持つエミリオに向け…
「どうやら、プリシラ嬢はおまえがバクルー国の王太子と知って、ちょっと驚いているようだ。 父が話そう。おまえの側近としてここで働く気がないかと…。」
エミリオは、口を開いたが…うまく言葉が見つからなくて、黙り込み父を呆然と見ているプリシラを、少し寂しそうに見つめると、バクルー王に向かって頷いたが、諦めきれずにエミリオは…プリシラに近づき
、爪を短くした小さなプリシラの手を握ろうとした。
だが…握りたかったプリシアの手が震えていることに気がつき……無理矢理、笑みを作ると
「プリシラ、ぼく、まってるからね。」
と声をかけたが、まだ呆然として、口を開く事ができないプリシラに…唇を噛んだ。
そんなエミリオの頭をバクルー王は撫でると、後ろに控えていたルイスに…バクルー王はひとこと命じた。
「エミリオを部屋へ…」
エミリオは何度もプリシラを振り返りながら、ルイスに手を引かれ戻っていった。
エミリオの姿が向かいの建物の中に、入って行ったのを確認すると、バクルー王はプリシラへと視線を動かしプリシラの名を呼んだが、だが…プリシラの耳は、名前を呼ばれたのに…まだ理解できずにいた。
呆然とバクルー王の顔を見つめるプリシアに…
「どういうつもりだ。」と言って、プリシラの肩をつかんだ。
「・・・!」
肩をつかまれた痛みで、ようやくプリシラはバクルー王の顔から、優しい笑みが消えていることに、気がつき……息を飲んだ。だが、体はまだバクルー王に囚われているかのように動けずにいた。
「部屋に、入っても良いか。」
一応断りを入れたバクルー王だったが、彼の手はもうプリシラの肩を押し、部屋に入ってきていた。肩を押され、ふらついたプリシアは、ここを出るために纏めていた自分の大きな鞄に躓き、ベットに飛び込むような格好で倒れてしまったが、プリシラは、ゆっくりベットから、起き上がると
(この男は…やっぱり…最低だ。)と ……強い眼差しをバクルー王へ向けたが、バクルー王はその視線を鼻で笑うと
「俺に近づけなかったから、エミリオに近づいたのか…?」
「違うわ!偶然知り合ったのよ!」
バクルー王は、ベットに倒れこんだプリシアに近づき、プリシアの顎を指先であげ、にやりと笑うと
「嘘をつくなら、もっとマシな嘘をつけ。」
バクルー王の冷たい笑みは、プリシアの強い眼差しをも凍らせ、言葉も凍ってしまったかように出なくなり、ただ…違うと頭を振ることしかできなくて、そんなプリシラに、バクルー王は…
「近づきたかったら、女として来いよ。 片時だって離さないで、抱いてやる。そうしたら、俺を狙えるだろ。」
そう言って、プリシラの唇を食い尽くすかのように…奪っていった。
温もりを感じない口付けに…プリシラは…
(母もこうやって、この男から唇を奪われ…そして…心までこの男に……やっぱりこの男は最低だ。)
…その時だった…。
「おまえ…ちっちぇなぁ、ちゃんと食ってんのか?」と言って私の頭をクシャクシャにする大きな手が…
「チビ……いいか、どんなことがあっても死ぬなよ。」と微かな笑みを浮かべた傷のある頬が…
プリシラの耳に聞こえ…そして眼に浮かんだ。
(あぁ…あれも嘘だったの?)
大人しく、口付けを受けるプリシラに、バクルー王の心は、次第に冷めていった。(give&take…のつもりなのか…)と思いながら、プリシラの唇からゆっくり離れた時だった。
「・・・」プリシラが、何かを呟いた。
「なんだ。もっと欲しいのか…」と嘲笑ったバクルー王だったが……
黒い瞳からポロポロと涙が、繋がって零れ落ちるプリシラの顔を見て…バクルー王は苦虫を潰したような顔で
「…なんなんだ…その涙は…」
プリシラは言葉を詰まらせながら
「…こうやって…母も…」
バクルー王は訝しげに、眉だけを動かし、プリシラを見たが…次の言葉に…息を飲んだ。
「母も……抱いたの…?」
「……おまえは……誰なんだ…?」
プリシラは、淡い笑みを浮かべ
「…私はナタリー・ノルマンの娘。」
「ナタリー……の…おまえは…まさかチビか…?」
バクルー王の右手が…恐る恐るプリシラへと伸び、21年前と同じように、プリシラの頭をクシャクシャ…と撫で掠れた声で
「生きて……いたんだ。」と言って、バクルー王はプリシアを見つめた。
琥珀色の瞳は…揺れ動き、震える唇はまた…
「生きて……いたんだ。」と繰り返し言っていた。