第五話 嵐轟く祭日・1
空気を血臭が侵しその原因を作った剣の先から血が滴り落ちてゆく。その剣を握った男の前には首や胴を無惨にも切り裂かれた死体が五つ並んでいた。全員がバラバラで統一されていない服装でその死体がイリアを襲った盗賊だということが分かる。
しばらくして、がさがさという音を立てながら二人の若者が姿を現す。鎧や鎖帷子などの装備には共通点が存在しないが、皆一様に血に濡れているということが最大の共通点だった。
「こっちは五人いた」
「向こうには八人。合計で十三……依頼達成だな」
彼らは冒険者。最近近隣で活動する盗賊の駆除を頼まれていた。かくして合計で十三人いた盗賊は全滅する結果となった。
「さて帰ってギルドに報告を――ん?」
「いや、こんな物が……」
そう言って拾い上げたのは漆黒の鞘に包まれた反りの深い刀。その外観を見ただけで、その場にいた全員が売れば高値がつくとすぐに判断した。
しばしの沈黙が流れ、やがて一人がニヤリと笑って口を開いた。
「……落ちてたんだ」
本来、盗賊が奪った金品や食料などは依頼に則り全てギルドに渡すことを義務づけられている。だが、依頼遂行の途中もしくは終了後に拾ったとなれば話は別だ。そう、どうせ見ている者など当人以外にはいないのだから。
「あぁ、そうだな。そこの茂みに落ちてた」
「うむ。俺も同意だ」
「くく……そう言ってくれると思ったぜ。今夜は飲みだ!」
三人の冒険者達は陽気に笑いながらジィネアへの帰途についた。
行商街ジィネア。ユスティア国内で最も商業の盛んな街であり、自国の名物から他国の貿易品などまで幅広く取り扱われている。それに加えて現在はクリュクス祭の真っ只中であり、ジィネアは例年と同様の盛り上がりを見せていた。
「クリュクス祭?」
「そう。商業の神クリュクスに感謝をする目的で設けられた祭りよ。今のジィネアには世界中の品物が流れ込んでいると言っても過言じゃないわ」
太陽が真上に上る頃、喧騒に包まれ露店で埋め尽くされた通りを朧とイリアの二人は肩を並べて歩く。とても賑やかな雰囲気に自然とテンションが上がってくるのを二人は感じていた。
「……コミケってこんな感じなのかな」
「こみけ?」
「や、なんでもない。……この中から目的の物を探すのは骨が折れるなと思ってさ」
「……確かにそうね。あ、ちょっと待ってオボロ」
そう言ってイリアが立ち止まったところは色とりどりのアクセサリーを取り扱っている露店だった。何か気に入った物でも見つけたのだろうかと朧も覗き込む。
「そういえば通貨の話をしてなかったわね。通貨は世界共通で何処の国でも同じように使えるわ。単位はエーレ。通貨の種類には金・銀・銅の三種類あって、金貨が一万エーレ、銀貨が百エーレ、銅貨が一エーレの価値があるの」
「へぇ……飯を三食で宿を取るってなると一日いくらくらいかかるんだ?」
「百エーレあれば美味しい物食べて良い宿も取れるわ」
(単純に考えて一人で一月に三千エーレか。金を稼ぐ方法も知っておかないとな)
朧が考えごとをしている間にイリアは銀貨を十枚渡し、緑色の宝石のついたネックレスを受け取る。千エーレ、随分高い買い物をしたなと朧が思っていると、イリアは目を閉じネックレスを祈るように握り締めて何事かをつぶやく。それはあまりにも小さいつぶやきだったため朧には何を言っているのかわからなかった。すぐにそれを終えたイリアはその手に握っていたネックレスを朧に差し出した。
「はい、オボロ。これを肌身離さず着けておいて」
「自分のために買ったんじゃなかったのか……というかなぜ突然?」
「私があげたかったからって言ってもいいんだけどね、れっきとした理由はあるわよ。オボロ、今の貴方は勇者ですよーって宣言しながら歩いてるのと同じなの。この世界で生きるほとんどの人が魔力を感じ取ることが出来るわ。普段なら『あれ?』って違和感を持つくらいだけど集中して探られたら魔力が無いことなんて簡単に分かっちゃうのよ」
「マジですか」
「と、いうわけでこのネックレス。緑の宝石は風の象徴。これに私の風属性の魔力を込めたからこれを身につけていれば大分誤魔化せるはずよ」
「へぇ、そんなことも出来るのか。……ていうか誤魔化す必要ってある?」
朧は疑問に思い質問をぶつける。別に悪いことなんてしているわけではないのでコソコソする必要は無いはずだ。
「あら、対魔王用決戦兵器になりたいの?」
「そう聞かれると誤魔化したほうがいい気がしてくるな……」
そうでしょう? とつぶやきながらイリアは一度は朧の手に渡ったネックレスを極自然に取って朧の首につけようとする。――何故か正面から。
「ちょ、ちょっとイリア……さん?」
「こら、動かないでオボロ。着けにくいわ」
首に手を回して密着するその様は抱き合っているようにしか見えない。女性特有の甘い匂いと柔らかさに攻め立てられながらも朧は必死に耐える。
(う、うぅ……なんで女の子ってこんな良い匂いを……ってイリアさーん! 胸、胸当たってますよ!? 当ててる? もしかして当ててるのか!? いやいや勘違いするな俺。耐えろ、ここで手を出したら唯一の協力者が……うわああああああん!!)
それからイリアが完全にネックレスを取り付けるまでの間。朧は天国と地獄の狭間で揺らめくこととなった。
「これで、よしっと。……どうしてそんな疲れた顔してるの?」
「き、気のせいですよ気のせい」
バクバクと鼓動を刻む心臓を落ち着けるように朧は胸に手を当てて深呼吸する。その様子をイリアが小悪魔のようなしたり顔で見つめていたことにはついぞ気付くことはなかった。
どちらともなく再び二人は歩き出す。朧はとりあえず場を持たせるために適当な話題を振ることにした。
「そ、そういえばイリアって風属性だったんだな。印象的には火だと思ったんだが」
「へぇ? どうしてそう思――」
その言葉を聞き終わる間もなく、朧の世界は暗転した。
「……え?」
呆然と声を上げたのはイリア。一瞬前まで隣にいた朧が消えたという現実に理解が追いついていない。
その朧は十数メートルは離れた場所でひしゃげた屋台に頭から突っ込んでいた。
一拍遅れて悲鳴や怒号が響き渡る。道行く人々や商人達は敏感に異常を察して離れていく。
そんな中、全ての元凶である襲撃者は訝しげな声を上げた。
「はて、間違いだったか?」
襲撃者は真っ黒なローブで頭からつま先まで覆っている。見ているだけで暑苦しくなってきそうな格好の襲撃者は何かを確認するように朧を見ていたが、やがて興味を無くしたかのように言葉を零して踵を返した。
「間違いであったか……つまらん」
襲撃者は野次馬のように周囲に集まる群衆をものともせずに立ち去ろうとする。だが――
「おい、待てよ」
吼え猛るような怒りに燃えた声がその背に追い縋った。
前触れも無く突然に突風が渦を巻き、折れた建材を巻き込みながら襲撃者へと殺到する。
「――はぁっ!!」
襲撃者はそれを一瞥すると右手を差し出すように突き出し裂帛の気合を発した。即座に右手の前方に魔力が展開、地面へと叩きつけるような風の障壁が発生する。突風は障壁に難なく阻まれるが、既に十分その役割を終えていた。
その役割とは目眩まし。襲撃者の注意が突風に行った瞬間、朧は地を駆けて襲撃者との間にあった距離を詰めていた。左手を手刀の形に変えローブが作る死角から首元へと叩き込む。
「ほう……!」
襲撃者は感嘆するような声をあげて身を捻って躱す。朧はそれを追ってすかさず右腕でアッパーを繰り出した。だが、それは罠だ。
襲撃者がローブの中で笑みを浮かべると同時に朧の後方に魔力が風を形創る。三本の剣の形を取った風は朧を斬り刻まんという勢いで放たれる。
後方から迫る風を感じ取った朧は牙を剥き出しにする獰猛な笑みを浮かべて叫んだ。
「温いんだよテメェの風は!!」
朧の周囲で暴風が爆発的に嵐を形成する。剣の風はその嵐に有無を言わさず飲み込まれた。
襲撃者が驚愕するよりも、朧の右手がそのローブを掴むのが速かった。
「一発で我慢してやる――せいぜい腹に力入れて耐えろ」
「…………!」
嵐が朧の右足に収束していく。完全に収束した瞬間、轟音を上げ、空気を捻り潰し、まるで大砲のような威力を持った右足が放たれた。
襲撃者は体をくの字に折り曲げながら吹き飛ぶ。嵐の余波で周囲の風が死に辺りが静寂に包まれる。その場にいた全員が息を飲む中、誰かがその恐怖に満ちた声を上げた。
「ま……魔族だ! 逃げろ……殺されるぞ!!」
直後、パニックに陥ったその通りは阿鼻叫喚の地獄絵図へと変貌した。