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君に会える場所  作者: 芝川 千曲


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3/3

02. 撃沈

 はじめこそ控えめな印象の海堂だったが、お酒の影響もあってか、次第に少し饒舌になってきた。

 自分の不器用さや失敗談を自虐ネタにして、面白おかしく話すものだから、ほのかは思わず笑ってしまう。


 そこへ、ガラガラと引き戸を開けて、作業着姿の中年男性が店に入ってきた。彼は常連仲間のいるテーブルに向かいながら、ほのかに声をかけた。


「よっ、ほのかちゃん! 今日も元気だな!」

「あ、大宮(おおみや)さん、こんばんは! んふふ、おかげさまで!」


 笑いの余韻を残しながら、ほのかも挨拶を返す。

 隣の海堂が大宮の目に留まった。


「おっと、今日は彼氏と一緒かい。邪魔しちゃ悪ぃな」

「あはは! 違いますよ、大宮さん。初対面です! 最近、この近くに引っ越してきたんですって」

「なぁんだよ。そりゃ失敬」


 大宮は肩をすくめて苦笑した。


「えっと、はじめまして。海堂といいます」


 急に自分を話題にされて、海堂は少々面食らいながら挨拶した。


「おう! よろしくな! 俺はこの店の常連で、大宮ってモンだ。ここの大将とは長い付き合いでよ」


 そう言う大宮の言葉に、店主の荒井が口を挟む。


「うちに来てくれるようになって、どれくらいかね。20年は経ってるか」

「もうそんなになるのかよ。ここの飯が美味すぎて、気がついたらもうずっと通ってるよなぁ」


 別の常連客も横から割り込んできて、次々に店への愛着を語る。


「そうそう、ここだけの話、大将の筑前煮食っちゃうと、家のかあちゃんの筑前煮じゃ物足んなくなっちゃってさ」

「俺はまだ15年くらいだけど、しょっちゅう通ってるよ」

「でも、結局酒ばっか飲んで、味なんか忘れちまってるんじゃないのか?」

「そりゃないぜ、大将! ちゃんと美味いと思ってるって!」


 軽口と笑いが飛び交い、店中に輪が広がっていく。気づけばその輪の中に、自然と海堂も溶け込んでいた。


「よし、海堂くん! 歓迎の印だ! 飲んでくれ!」


 海堂の目の前に、大宮が瓶ビールを持ってきた。


「えっ。いいんですか? ありがとうございます!」


 海堂は恐縮しながらも、素直にグラスを差し出す。


「いただきます!」


 そして、なみなみと注がれたビールを、勢いよく煽った。


「おっ、いい飲みっぷりだ!」

「じゃあ、俺からも1杯!」

「ありがとうございます!」

「兄ちゃん、いけるねえ」

「よし、もう1杯飲め!」

「あざっす!」


 気の良い彼らに応えたかったのか、あるいは雰囲気に乗せられたか、海堂は勧められるままに次々と飲み干していった。

 ほのかは、そんなペースで飲み続ける彼が、だんだん心配になってきた。


「あ、あの、無理に全部飲む必要はないですからね……!?」


 思わず声をかけたが、海堂の耳には届いていないようだ。すでに顔は、だいぶ赤い。


 そして数分後。

 突然電池が切れたように、彼はガクッとカウンターに突っ伏した。耳まで真っ赤になったまま、微動だにしない。


「あ、あらら……」

「兄ちゃん、大丈夫か?」

「おーい、生きてるか?」


 返事がない。完全に酔い潰れたようだ。


「もう。大宮さんたちが、あんなに飲ませるから……!」

「だーってよ、勧めたらあんな気持ちよく飲んでくれるからさ! 嬉しくなって、つい!」

「な! ガハハハ」

「だからって、限度があるだろうよ」


 荒井が呆れ顔で言ったが、酒の入った一同は、ゲラゲラと笑い合うばかり。


「まったく」

「どうしましょう。どこに住んでるかもわからないし……」


 困り顔でほのかが海堂を見つめると、彼は突然、ムクリと体を起こした。


「あ、起きた」


 だが、ボーっとしている。そのうちに、顔色がみるみる悪くなり始めた。


「……気持ち悪い……」

「えっ、大丈夫ですか!?」


 ほのかが声をかけると、海堂は青ざめた顔を、ゆっくりとこちらに向けた。そして。


「ゔゔぇ……っ」


 その場にいた全員に、戦慄が走った。


「ちょちょちょちょちょ!! ストップストップ!! トイレ行きましょう、トイレ!!」


 ほのかは慌てて海堂の腕を掴み、彼を引き起こすと、そのまま引きずるように店の奥へと連れて行った。

 ノックする余裕すらなく、トイレのドアを開ける。男女兼用、個室1つだけのトイレだが、幸い先客はいなかった。

 蓋と便座を上げて間一髪。

 海堂は、便器に向かって胃の中のものを勢いよく吐き出し始めた。


「大丈夫……じゃ、ないですね……」


 ほのかは彼の背中をさすってやった。

 海堂は返事もできず、ただ苦しそうに吐き続けている。


「よしよし、ゆっくり吐いて……出るだけ出しちゃいましょ」


 優しく声をかけながら、ほのかは背中をさすり続ける。

 彼はしばらくえずいていたが、やがて吐き気も治まったようで、大きく息をついた。


「すみません……もうだいじょうぶ……」

「おさまりました? 良かったです。しんどかったですね」


 ほのかは穏やかな声で言うと、洗面台の棚からティッシュペーパーを何枚か取って、口元を拭うよう、彼に手渡した。

 心配そうな荒井の声が、トイレの外から聞こえてきた。


「おーい、大丈夫か?」

「あ、はい! 今、ちょっと落ち着いたところです。海堂さん、出られますか?」

「はい……」


 海堂が水道水で口を濯ぐのを待ってから、彼をトイレから連れ出し、カウンターに座らせた。


「荒井さん、お水ください。あと、おしぼりも」

「あいよ。待ってな」


 荒井はすぐに、冷たい水の入ったグラスと、おしぼりを出してくれた。

 海堂はそれを受け取り、おしぼりで顔を拭うと、ゆっくりと水を飲みはじめた。


「少し、楽になりましたか?」

「はい、だいぶ……」


 ほのかの問いにそれだけ答えると、海堂はまた、カウンターに突っ伏した。


「……すみません……初対面なのに……」


 朦朧とした声で言っていたが、やがてそのまま寝息を立て始めた。


「あ、また寝ちゃった……」

「吐くだけ吐いたし、もうしばらく寝かせてあげれば大丈夫だよ。面倒見てやってくれて、ありがとうな」


 酔客の対応に慣れた荒井がそう言うので、ほのかは素直に頷いた。

 確かに、先程より顔色は良くなっているし、寝息も穏やかだ。急性アルコール中毒などの心配もないだろう。

 ふと時計を見て、ほのかは慌てた。


「あの、すみません。私、明日朝早く友達と待ち合わせがあるので、そろそろ……。あと、お願いしていいですか?」

「ああ、もちろん。あとは任せな。今日はありがとね」


 ほのかは身支度を整えると、お会計をして店をあとにした。

 帰り際、なんとなく振り返ると、店の戸口から漏れる明かりが見えた。

 円居屋の夜は、まだまだ続く。きっと、海堂もしばらくすれば目覚めるだろう。

 挨拶もできずに帰るのを少し心残りに感じながら、ほのかは自宅マンションへの道を急いだ。

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