00. プロローグ
よく研がれた包丁の刃が、鶏もも肉の黄色みを帯びた脂身の下に滑り込む。手際よく脂を取り除くと、今度は肉を一口大よりやや大きめに切り分けていく。
無骨な厚みのある手が、醤油、酒、生姜、そしてニンニクをたっぷりと混ぜたタレに、切った肉を漬け込む。指先でよく揉み込んでやると、肉がタレをしっかり吸い込んでくれる。
次は野菜の仕込みだ。
カウンター奥の厨房で、作務衣姿の店主が、大量のキャベツをリズミカルに刻んでいく。
背後では、大きな鍋で筑前煮がコトコトと、ささやくような音を立てて煮えている。開店前の静かな店のなかを、根菜の土の香りと、食欲をそそる甘辛い出汁の香りが満たしていた。
ひと通り野菜を切り終えた店主は顔を上げ、時計をちらりと見やった。
「おっと。もう時間だな」
清潔な布巾でテーブルやカウンターを拭きつつ、メニュー立てを整え直すと、店の外に出て、戸口にのれんを掛けた。
今日もきっといつもの顔ぶれが、憩いを求めてやってくるだろう。その光景を思い浮かべて口角を少し上げると、彼は再び店内へ戻っていった。
しばらくして、通りかかった一人の青年が、店の前でふと足を止めた。風に揺れるのれんを見つめ、彼は何やら思いを巡らせているようだった。
色褪せたのれんに染め抜かれた文字――『酒と定食の店 円居屋』。
それが、店の名前であった。




