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連続放火

放火を失火で処理したミスが後日明らかに。以前そういうミスを重ねていたのにまたもや。

 年が改まった。重大事件が発生せず平穏な年末年始だった。当直勤務を外して2泊3日で帰省したのだが、母が和子さんとの間がどうなっているのかばかりを聞くので、

「振られた。」

と簡潔に言うと、一瞬驚いたような顔をしたがその後それ以上は聞かなかった。それを小耳に挟んだ祖父が飲ませて話を聞こうとしたのか、しきりに自分が飲んでいた焼酎を勧めてきたが適当に話を逸らせてやり過ごした。


 今年も鮎の焼き干と乾燥椎茸を持たされたが、課長や係長に持って行くと胡麻を擂っている様に思われても嫌だから、以前放火を検挙した時仲良くなった、僕の住むアパート近くの従兄弟同士を訪ねて持参した。捜査員は協力者を確保し維持することを

『畑を耕す』

と言うが、その肥料の足しにでも。最初掛け軸好きの方を尋ね、上がる様に言われたが、

「もう一方にも行かなければいけないから。」

と断ると一緒に付いてきた。奥さんに行くことを電話して貰ったらしく、到着すると刀好きの方が待ち構えていた。


 上がる様に言われ

「三が日だから奥さんや家族の人に申し訳ない。」

と断ったのだが、

「三が日やからこそ上がって貰わないかん。」

断り切れず上がってしまった。手土産を渡すと今回もすごく喜んでくれた。年末には石原部長も日本酒を下げて挨拶に来たらしい。それより前に仲間内で日本刀の鑑賞会をするので目の保養になるものを一振り貸して欲しいと頼んだら、重要刀剣とやらに指定されている鎌倉時代の太刀を貸してくれたらしい。僕には良く分からないが、佐藤何某とかいう有名な鑑定士が無名ながら大和の当麻とかいう一派の極めを付けた逸品らしく

『これ程のものを用意できるのか』

と刀好きおじさん仲間内での評価が大幅に上がったそうだ。二人は部長が警察を辞めたことを知らなかった。年末に課長から聞いた話を教えたら二人とも驚いていると共に、仕事を辞めたにも拘らず部長の自分達への律義さに感心していた。


 その日本酒を一緒に飲もうと言われ、断るのも失礼な雰囲気になったのでお言葉に甘えることにした。もし呼び出しがあってもアパートの近くだしポケットベルがあるから良いかと思い。そういえばこのポケットベル石原部長が借りてくれたもので料金もそのまま払って貰っている。ちゃんとしとかないと僕の人格が疑われるな。もう既に評価は十分低いのに。


 まだ良いだろうと言われつい長居をしてしまっていたら、午後10時頃パトカーのサイレンが聞こえ、それに続いて消防車のサイレンが聞こえた。電話を借りて当直に確認すると僕のアパートから1キロ余り南西方向のタオル工場が燃えているとのことだったので、

「呼び出しがあればこの番号若しくはポケットベルに。」

とお邪魔している家の電話番号を告げた。家の主は、

「近所の火をつける奴は当分留守やから大丈夫。」

と笑っている。以前この辺りで放火を繰り返し、この従兄弟同士の家も燃やした奴は懲役6年6ヶ月を言い渡され服役中だ。石原部長は不満そうだったが、妥当な判決というのが衆目の一致するところだ。


 そういえば今日は僕の主任が当直だ。主任は捜査経験が全く無しで捜査主任になったので、赴任直後の当直は初動捜査班では無く一般当直だったのだが、昨年初冬に強行係が1名入院したのでその代わりに今は初捜員として当直をしている。課長は嫌そうだったが、本人が強く希望したので

『やらしてみるか』

ということで。


 本人は張り切っている。

『自分は優秀だから自分に出来ない事は無い』

みたいなことを言っていた。昨年4月から現場で追い回されて仕事が分かったような気になっている。僕にもそういう感じの時があったからあまり言えないけれど。一緒に仕事をした事が無い石原部長の話を周りから聞いても

『同じ捜査主任なのだから自分が劣る訳が無い』

としか思ってないみたいだ。


 最初の宿直で扱ったのは、素人の単純な喧嘩口論で大した騒ぎにならなかったので自信を付けたみたいだ。何でそのくらいで自信がつくのかは謎だけど。次の泊りでは変死が有ったらしいけど、年寄りの急性心不全で警察的な問題は全くなかったそうだが、自分の名前で4条報告を書いて一仕事した気になっていた。殆どは班長以下他の初捜員が処理したメモを書き写しただけみたいだけど。土居刑事は巡査だから自分の名前で報告書を書けないけど、自分は書けるんだと胸を張っていた。


 今晩は火事か。明らかな失火なら問題ないが、見損じるなよ。間違ったところで僕は奴の失敗の責任を負う立場に無いからまあ良いけど。でも三係長と課長が割を食うのは嫌だな。


 呼び出しの電話もポケットベルも鳴らない。午後10時半頃これ以上はと、帰らせて貰うことにした。次の来訪の約束をさせられてしまったが、親戚でも無い人達にこの様にして貰えるのは有難い。


 翌朝は仕事始めだった。いつも通りに出勤して掃除をし石原部長提供のコーヒーを皆のために淹れた。石原部長が多人数用のサーバーを2個用意してくれているので、大きな湯沸かしのお湯を交互に注ぎ一度に沢山淹れられる。いつも最後に出勤する課長の分は別の小さめのサーバーで出勤時に淹れ立てを。

「兄貴のコーヒーには劣るが大分上手に淹れられだした。」

と少し前に褒められた。

「コーヒー一つでも、昨日より今日、今日よりも明日と少しでも上達する様努力するのが信用に繋がる。」

とも言われた。


 主任の分は淹れない。赴任して来てすぐの頃、

「僕はコーヒーが好きではないので要りません。僕の分だけは紅茶にしてください。」

とぬかしやがったので無視していたら、

「上司の飲み物を淹れるのは部下の務めでしょう。」

と言うので呆れてしまい、ものも言わずにいたら三係長が、

「勝手な事ぬかすな。飲みたかったら自分が入れんかい。土居刑事のするべき仕事にお茶汲みは無い。親切でコーヒー淹れてくれとるだけじゃ。飲みたかったら自分で用意せい!」

と怒鳴りつけた。それ以来無視。その後一度コーヒーを飲もうとしたことがあったので、

「嫌いな物飲まんでください。コーヒー只じゃないです。これ結構高級な豆ですよ。」

きっぱり拒絶して相手にしていない。豆代とミネラルウオーター代払っているのは僕じゃないけど。


 昨夜の火事は主任が失火と判定し

『強行主任の責任でそう言うのなら』

と初捜班長以下他の初捜員はその言に従ったらしい。特に不審な点も皆感じなかったらしいし、変にややこしいことを言って手間を掛ける奴よりその方が皆は有難いし都合が良い。今朝課長に説明したのは

『出火場所は鉄骨スレート葺タオル工場の奥まった場所』

『放火をするためには道路に面している施錠されたシャッターを開け侵入しなければならない』

『施錠状態に異常は無かった』

『そこを出火場所と判定したのは、屋根を支える鉄骨が熱で曲がり床に着く程垂れ下がっていた』

『鉄骨が垂れ下がっているのは、そこが出火場所で一番長く強い炎で熱せられたせいだと思慮する』

『タオル工場は燃え易い細かい糸くずが床に沢山落ちており僅かな火種で出火する』

『織機の咬合部分から出た火花が埋火になって夜間に出火したと思慮する』

といったものだった。一応理にかなっている。多分初捜班員の中で似た様な火災現場に以前臨場した経験がある人が面倒を避けてそう言ったんだろうけど。


 午前10時から見分を行うことになった。朝礼が終わって臨場する三係が作業服に着替えていると、一人だけ作業服から私服に着替えている奴がいる。

「主任、何で着替えてるんですか?」

「僕、宿明けです。」

「はぁ。」

「主任、お前も行くんじゃが。」

三係長が言うと、

「僕は夕べ宿直で疲れているんで宿明けをします。」

聞いていた一係長が

「何勝手なことをぬかしとるんじゃ!夕べ臨場しとる者が現場で説明せんで誰がするんじゃ!それが嫌なら仕事辞めい!。」

一係長怒り狂ってる。三係長が、

「主任、さっさともう一遍作業服着い。どうしても休みたかったら辞表書いてずーっと休め。一係長済みません。儂の指導が悪うて。」

「三係長のせいじゃないです。こいつの根性が悪いんです。」

課長が、

「主任、お前部下は上司に従うもんじゃて前に言いよったな。儂がお前に現場臨場を指示する。これは

『職務に専念せい』

いう真っ当な命令じゃ。逆らうなら処分があるぞ。」

「いや僕には宿明けをして休む権利が。」

「阿保かおのれは!

『宿明け』

の規定なんか県法令集のどこにもない。

『宿明け』

の権利じゃのいうものは存在せん。

『宿明け』

いうんは暗黙の了解でさぼりを黙認しとるだけじゃ。」

「………。」

「もう一遍言う。さっさと着替えて現場に行け。」

主任諦めてまた作業服に着替えた。


 現場に行くと、主任が出火場所と断定した箇所辺りの、屋根を支えていた鉄骨が飴細工のように曲がり垂れ下がっている。能書きを垂れている主任が説明した通りの状態で、誰かの受け売りだろうけどそこが出火場所というのが合理的かもしれない。でも僕には何か違和感がある。石原部長だったらどう見るのだろう。でもそう感じるだけで、合理的な理由は浮かばない。


 消防も到着し合同で出火原因の調査が始まった。消防の調査担当者と三係長も主任の言う出火場所で納得している。主任は誰かからの受け売りを語ってしたり顔だ。燃え残った工場の端々には主任が言っていた様に、タオルを製造する過程で出る埃の様な細かい糸くずが床に積もっている。乾いている部分を少し摘まんでライターの炎を当てると直ぐに燃え上がった。ビニール等で包まれている状態ならいざ知らず、酸素の供給がそこそこある床の上でそんなに長時間埋火のままだったというのは?


 工場の中央部からやや奥まった所の鉄骨が一番垂れ下がっている。シャッターを上げた工場内を外から見ると、工場の4隅の内3箇所は燃え方が浅いように見えるが道路に面した1隅だけがよく燃えている。僕にはその隅の側から焦げ跡が狭い放射状に中央部に至っているようにも見えるのだが

『建物中央付近から道路側の片隅だけに細長く延焼』

分からん?そういえば石原部長から

『タオル工場の火事は怖い、床に溜まった綿埃が燃え易く一気に燃え広がるらしい、タオル工場で火事にあった人は、[火が走る]と表現していた』

と聞いたことがある。石原部長は知り合いのタオル工場で出た綿埃を貰い、それを圧縮して焚火の着火材にしていた。


 係長と消防の責任者は出火場所を主任が言った場所と決めて掛かっている様子だ。僕の違和感は消えないのだが、そこじゃ無いと言う根拠は全く浮かばない。単なる勘だけだ。出火場所と推定している箇所には織機があり、駆動部分の歯車がむき出しになっている。でも正月の間工場は休みだったはずだ。年末からの埋火は無いだろう。僕の主任は疑問を持たなかったのだろうか。


 工場の責任者は、

「今日から操業する予定だったので、昨日の午後機械の点検をしました。その時動力も入れて短時間ですがこの織機も動かしました。ここから火花が出ているところはこれまで見たことがありません。しかしこの辺りに綿埃が普段溜まっているのは事実です。それにここらにはタオルの材料になる撚糸を積み上げていました。この鉄骨の状態を見てもここらが一番よく燃えているのは間違いないと思うし、また他人が火を着けるのならこんな奥まった所より他に適当な場所があるだろうし。昔からタオル工場は綿埃が燃えて大事になる事があるのを聞いて知ってはいましたが一寸油断していました。」

と率直に認めたので、織機の金属部分から出た火花と断定はできないが工場内に有った何らかの火が、積もった綿埃を介して燃え広がった火災ということで結論付けた。都合良く、離れた所ではあるが燃え残った箇所から煙草の吸殻も見つかったことだし。


 原因調査と実況見分は昼を過ぎたが、昼食を挟む程では無かったので一気にやってしまうということになり午後1時頃終わった。署に帰り昼食を摂ろうとしていたら主任がもう着替えて外に行こうとしている。

「午前中できなかった宿明けをします。」

「どっち向いてぬかしとるんじゃ-!!!」

三係長がこれまで聞いたことも無いくらいの大声で主任を怒鳴りつけた。

「課長が今朝言うたことを聞いとるんか!

『宿明け』

いうんは特に急ぐ仕事が無い時、朝飯ついでに若干の休憩を取るのを黙認しとるだけのことじゃ。忙しい時に昼間から仕事を放ったらかして取るもんじゃない!」

「いや、僕は朝も食べてないんで。」

「そしたら朝昼兼用で飯食うて来い。今から1時間丁度じゃ。戻って来んかったら職場放棄と見做す。」

主任渋々出て行った。


 皆呆れ果てている。課長が、

「あれは来年度もここにおるからな。他所に異動さしてくれ言うたんやけど本部の人事が

『管区機動隊満期除隊の功労』

に対する見返りと

『昇任試験と巡査部長任用科の成績優秀者』

で能力有りと認めて本人の希望を受け入れとる。本人がキャリアアップのためには刑事警察部門に籍を置いたことがあるという実績が必要やと思うとるらしい。土居刑事、そういう事であれがおるから来年度も新任刑事を採る余裕は無い。頑張ってくれ。」

皆笑っているが僕のことはどうでも良いの?


 その週の土曜日課長が、

「特に事案も無いけんさっさと帰れよ。」

と言うので午後0時半になったらすぐに皆揃って課を後にした。遊ぶ相手も居ないし競輪をやっていたので久し振りに行ってみるかと思い立ちバイクで競輪場に行った。入場料を払い場内に入り予想紙を見ながら車券を買った後、スタンドのほうに歩いていたら初捜班長と一係長がいた。

『ヤバ』

と思い反対方向に歩こうとしたら、

「土居!何で逃げるんじゃ!」

班長に見つかり呼び止められてしまった。来るんじゃなかった。


 班長も一係長も笑っている。

「石原部長競輪好きやったもんのう。時々は連れてきて貰いよったんか?」

「はい二度程。」

「勝ったか?」

「2回とも少しだけ。」

「そうか。で、今日の目当てのレースは?」

「いや、急に思いついただけだしノープランです。」

「何じゃ、石原部長の弟子やからそっちも鍛えて貰うたんかと期待したのに。」

「班長、こいつ仕事まともに学んで無いのに競輪無理ですよ。」

「それはそうよの。」

「係長は石原部長に競輪教わったんですか?」

「兄貴高校生の頃から競輪好きやったらしいけど、儂が兄貴と知りおうたんはこの県の一番南の端の警察署で、当時この街に車で来るのに6時間くらい掛かっとった。一番近い国鉄の駅まで車で行ってから列車使うても4時間余り。気軽に競輪行ける所じゃ無かった。儂が1年先にその署を出てここの強行主任で来た後兄貴も転勤になった。兄貴が次行った署も田舎やったけどこの街まで車で1時間余りの所やったんで来ようと思うたら来られたんやけど、奥さんと分かれたり色々あったんで兄貴競輪どころや無かって儂が勝手に競輪覚えた。その頃初捜班が一緒やったこの人の悪影響で。」

初捜班長笑ってる。


 石原部長が離婚しているとは聞いていたがその頃だったのか。僕が黙っていると、

「兄貴から離婚のこと聞いてないんか?」

「はい、離婚したことは本人から聞きましたが詳しいことまでは。子供さんがいることも他の人から聞いてはいましたが、街で舞の前のママと3人でいる所と旅館の庭で遠目に見たくらいです。」

「別に隠しとる訳じゃない。兄貴は聞かれた事には答えるけど、聞かれんことまで自分から話すことはまず無い。かと言うて聞きにくいもんな。」

「気にはなったんですけど、とても聞けませんでした。」

「兄貴は前に捜査主任でここに居った時結婚した。前の奥さんとは高校生の頃から付き合うとったらしい。兄貴とは高校は違うとったが大学は同じところに進学した。一流企業に就職しとったんじゃが兄貴と一緒になるために退職してこの街に戻り結婚した。その後兄貴が南の果てに異動して一緒に行ったんやけど田舎暮らしが合わなんだみたいや。子供が出来て少し落ち着いとったんやけど、同じくらい田舎の次の署に転勤した時我慢が出来んなったらしい。」

「そうだったんですか。でも石原部長今は幸せそうやから。」

「まあそういう事やな。その時警察辞めて美佳ちゃんの面倒見ようと思うたんやけど自分の意地でよう辞めんかったらしい。親権は奥さんの方から手放したらしゅうて、実家のお手伝いさんで病弱やったお母さんの代わりに兄貴の面倒を見たおばさんが一緒に住んで美佳ちゃんの面倒見とったらしいがその人が病気になって、それからは別れた奥さんの実家が面倒見とったらしい。奥さんの御両親とはうまくやってて兄貴再々泊りに行ったり、学校休みの時にはご両親と美佳ちゃんが兄貴が借りとる広い家に暫く同居したり。」


 最終レースまでいて僕は少しだけ浮いた。ほんの少し。班長と係長は少し沈んだらしい。どの位が少しなのかは分からないけど。競輪場を後にして年末行った定元部長の親戚の店に行くことになった。二人は最初からそこに行くことに決めていたみたいだ。係長奥さんが明日の夕方まで実家に行ってるらしい。まだ子供が冬休みだから。初捜班長は奥さんと二人暮らしで、奥さんは班長を放し飼いにしているらしい。でもこの二人が一緒に飲みに行く仲だとは知らなかった。

「僕も一人なんで。」

と言うと、

「うん知っとる。」

「言わんでも誰でも知っとる。」

あの人どれだけお喋りなんだ。


 店に着いた。開店時刻から間が無くまだ誰も客はいなかった。カウンターに案内され

『取敢えず生』

というところから。

「土居、何でも好きな物を注文せい。兄貴のとこに課長と年賀の挨拶に行った時小遣いようけ貰うとるから。年末、グランプリ取ったらしい。枠単九州の3車ボックス6点で、脚力上位の1-5折り返しを厚めにいったら1→5がきて1700円ついたらしい。貰うた小遣い半分は嫁さんに上納したけど、今日の飲み代は十分じゃ。」

「前に帯抜きした言うて、祝儀貰ったことあります。」

「今回帯は複数やったみたいやぞ。」


 特に注文は出さなかったが、お任せで色々出てきた。お酒も年末の宴会の残りが大分あるらしい。班長好みの手に入りにくい日本酒が1本封を切らずに残っているらしくご機嫌だ。でも笑顔のブルドッグは不気味かも。


 飲んでいる内に先日の火災の話が出た。今度こそ不用意な発言を慎まなければ。

「お前のバカ主任の判断、現場を見てどうやった。」

「合理的と言えば合理的なんですが、何故か嫌な感じがするんです。どこがどうだと言われると説明できないんですが、何かしら違う様な。只の勘ですけど。」

「勘は大切な事ぞ。勘が働かん人間は捜査員としてはもう一つじゃ。只勘だけで動く人間は危険やけどな。」

「石原部長は勘がええ。仕事も競輪も。けど元が博奕好きやから勘が

『止めとけ』

言うとるのについつい手慰みで張ってしもうて火傷しとったが、捜査に関しては外さんかった。」

「誰から聞いたんかは忘れたけど、兄貴が

『このレース落車がある』

言い出して、一緒に居ったもんは

『何言うとるんじゃ』

思うて相手せんかったら本当に落車があって、兄貴マン券1万円分持っとったことがあるらしい。」

「僕が祝儀貰ったレースも落車があって大穴でした。」


 先日の火災、理由は分からないが何か違和感を感じると僕が言ったので一係長少し考え込んでいた。否定的なことを言われるかと思ったのだが言わない。

「お前以前兄貴と一緒に張り込みしとった時

『容疑者の行動に違和感覚えて』

わざわざ兄貴に言いに行ったことがあるらしいの。兄貴がお前を見捨てきれんのはあれが有るからじゃ。

『あれを感じるのに他人の不快感を感じん珍しい奴。』

言うとった。」

「………。」

「ハハハハハ。」

初捜班長大笑いしている。ニッコリすると不気味だけど、破顔すると一寸かわいいかな。


 そこからは仕事のことを離れ、出てくる料理とお酒を楽しんだ。僕の大好きな河豚の唐揚げも出た。ここのは小さめな河豚の中落だが結構いける。本当はドライな白ワインが欲しいところだが、この辛口の日本酒もよく合う。虎河豚の頭程味が強くないのでこちらの方が良いかも。

「大きな虎河豚の頭の唐揚げは美味い。けど高い。儂らが自前で頼めるのはこの位や。もっとも実際のところ今日も兄貴の懐やけどな。」

「あの、僕、

『虎河豚の頭の方が良いのに』

みたいな顔してました?舞の前ママ、新ママにいつも心を読まれてたんですよ。」

「うん、お前分かり易い。顔に出るだけならまだしも口に出すからな。」

「えっ。」

「今日はまだ顔だけじゃ。」

そしたら班長の笑顔のことも気付かれているのだろうか?マズ!


 料理は結構美味しかった。食材を凝らない分、代金は若竹よりかなり安いらしい。今日がいくらの料理か分からないけどお得なのかな。今度来てみよう。一人で。


 十分飲んで食べてから舞に行った。カウンターが一杯だったので3人でボックスにいたら石原部長の同級生の専務さんが来た。すぐに僕達の方に来て係長達と挨拶を交わし始めた。二人は石原部長との付き合いが古いから当然か。自然に専務さんとその連おれさんも一緒に飲むことになった。


 専務さん達は若竹にいたらしい。

「ひろはこの頃飲みに出て無いみたいですね。」

「美佳ちゃんの勉強見てる方が良いみたいですよ。」

「元々毎日は飲みませんからね。」

「以前から

『毎日飲んだら馬鹿になる』

って言ってます。」

「土居、気いつけいよ。」


 今日は定元部長がいないので店が静かだ。話を聞いていると、初捜班長が専務さんの会社に出入りするので暴力団が専務さんの会社を避けて通るらしい。パチンコ屋にはヤクザ、泥棒、詐欺師、シャブ患、出来の悪い連中が大勢出入りするので、そいつらの情報収集には専務さんの配下が班長に協力する等の持ちつ持たれつの関係らしい。

「兄貴最近大阪辺りで事業に噛んどるらしいですけど専務さんも一緒なんです?」

「いや、それは別です。こっちはこっちで老人福祉・介護の事業を一緒にすることになってもう取り掛かっています。ひろの説明でうちの親父すっかり納得してやる気十分です。パチンコよりも世間体が良いのもあるけど、多分金の臭いがしたんでしょう。僕は今一だけど親父そういう所敏感ですから。」

「儂等そっち方面はさっぱりやから。」

「皆さん始め、ひろのお仲間衆の親御さん達の介護・福祉は手厚くさせて貰うように計画していますし、ひろが基金を作って費用面の計画も立てています。今の景気がもう数年続くとひろは見ていますので、その間に稼げるだけ稼ぐ積りみたいです。我が社も投資面でひろに乗せて貰って、利益が上がれば一部をひろが考えている基金に寄付する予定です。もうかなり確定させた利益があります。今のままでも損は出ませんが、後は引き時さえ誤らなければかなりいけそうです。」


 僕達が良く分からない現在の一寸異常な経済について専務さんのお連れさんがレクチャーしてくれた。よく分からないが

『いつかは終わるこの好景気』

が

『いつまで続くのか、どう終わるのか』

そこが問題だが自分もはっきり分からない。いつまでも続くと考える能天気な人間が結構いるがそれは有り得ない。今現在終わりの兆候は感じないが、しかしいつかは終わるからそれに備えなければならない。といった話だったが、投資するお金が無い僕には関係ない話だ。

「ひろはここ数年で終わると踏んでいます。終わりを感じたらすぐ言うけど

『信じて止めるも、信じず進むもそれは自由だ』

と言っています。でも我々はひろのサイン通りに動くと親父と確認しています。これまでうちの事業にも的確なアドバイスをいくつもくれて、外したことが無いので親父の信頼は絶大です。僕がそこそこの大学を卒業できたのもひろのお陰だし、ひろの言う通りにしておけば間違いないと親子で信じています。」

「金儲けは儂には無理じゃ。兄貴に全面的に寄生して生きていく。」

「その潔さが良いんですよ。ひろは預けられた下駄、よう投げ捨てん人間ですから。それに係長さんは最初の頃の仲間でマンツーマンの時期が長かったんでしょう。日頃から気に掛けて、僕達にも

『係長さんのことを頼む』

ってよく言いますよ。」

「そうですね。普通だったら新任で行った警察官が刑事に採用されることなんか有り得ない小さな署で刑事にしてくれて、殆ど全部の現場に連れて言ってくれて一から仕事の手ほどきしてくれて。工業高校でレスリングばっかりしとった自分に、英会話教えてくれて、絵画、和歌、宇宙なんかの話もしてくれた。一緒に釣った魚を料理してくれて酒の呑み方も教えてくれました。ジャージが普段着やった自分に洒落た服を買うてくれて身嗜みも教えてくれました。昇任試験のサポートまで。自分も大変そうだったのに。」


 新ママが席に来た。僕の顔を見て何か意味ありげな表情をしている様な。

「土居さん元気?去年の暮れ以来やね。もっと度々顔見せてよ。」

「いや自力で来るにはこの店敷居が高くて。」

「土居さんは最大限の割引有るよ。石原さんから預かったウイスキーのキープも一杯あるし。課長と係長始め親しい人達の分。土居さんも一応その中に入ってるから。ぼやぼやしとって海や山がよう見える遠くに行かされたら今ある高級品飲まずに終わるよ。まあ追加も有りはするやろうけど。」

「お前何か?この店に来にくい事でもあるんか?」

「滅相も無い。」

新ママは勿論だけど係長も絶対知ってて言ってる。

「兄貴は顔色読まさんだけじゃのうて、違う事読まして相手騙しよったのにのぅ。」

あれ、専務さんも微妙な顔してる。そうか、専務さんもこの店の常連だし僕と二人で来たこともあるし。そういえば和子さんのことも可愛がってた。


 今年も1月は行ってしまい、2月も逃げ切り寸前だ。大きな事案は無いが相も変わらず、喧嘩口論・火事・変死の処理に追われている。皆で平等に分担するのだがすぐに仕事が溜まる。主任は自分の分担を僕にやらせようとばかりする。僕は遂に切れてしまい、

「自分の分は自分でやれやー!」

大声を出してしまった。いつもの如く

『上司の指示に従え』

の一点張りだったが、三係長が主任を呼び調べ室で

『お前の能力が問われる』

『するべき仕事を放置すれば処分がある』

『能力が無いと見られた上処分を受ければ昇任も出世もできない』

等言い聞かせたらしく渋々仕事をしているが、根本的に処理能力を欠くから仕事が捗どらない。隙を見せると僕に押し付け様とするから僕も押し戻す。僕の分は二係の先輩が定時を過ぎた後手伝ってくれるのだが、片付けてしまうと主任の仕事が回ってきそうだから程々で止めている。主任は刑事を希望して手伝いに来ている派出所や留置の若手警察官に手伝わせて仕事を片付けようとするのだが、捜査を分かっていない者が捜査を知らない者に指示するのだからうまくいくはずがない。誰かが、

『お荷物の主任が居るから刑事一課は新任刑事の採用が出来ない』

と言ってしまったらしく、手伝いは皆三課に行ってしまった。


 2月が逃げて3月に入ると幹部の異動内示があった。課長は代わっていなかった。その後そろそろ下々の内示もあるはずだがという頃の当直中に火事があった。今回も主任の当直中だった。燃えたのは廃棄物で前回燃えたタオル工場から南に数百メートルの資材置き場に積んであったらしい。道路に面した場所だったので、主任は煙草のポイ捨てで片付けたみたいだ。

「大して燃えていないので現場処理です。」

と当直明けに報告したら課長が、

「土居刑事、二係の刑事と鑑識1名と一緒に再確認して来い。」

「分かりました。」

二係の先輩と、以前泥棒を一緒に捕まえに行ってそれ以来仲良くしている鑑識の若手と3人で臨場することになった。自分が処理した現場を再度確認しに行かれるのは屈辱のはずなのだが、主任は宿明けが取れるのでそのことはどうでも良いみたいだ。


 現場処理を告げているからさっさと片付けられても困るので、現場に電話し片づけを待って貰い急いで臨場した。到着したらいつでも片づけを始められる状態だったが少し待ってもらうことにして現場鑑識を実施した。白黒とカラーと両方で写真を撮って貰ったのだが、課長への説明用に白黒を多く撮って貰い出来るだけ早く手焼きして貰うようにお願いした。


 現場を見たとたん3人顔を見合わせた。たばこのポイ捨てで火が付く状況では無い。燃えたのは使えなくなった建築現場の足場に使う丸太で、建設業者の資材置き場の一角に積んであった。短く切って竈にくべても簡単に火が付くものでは無い。丸太の下に丸めた古新聞、良く枯れた小枝を小から大、下から上に積み着火して煽いだり吹いたりしてやっと燃える代物だ。置いてあった場所はコンクリートが敷かれていて燃えそうな枯れ草なども無い。燃え残った丸太を移動させると新聞広告の燃えカスがあった。被害場所の関係者に聞くと見覚えは無いらしい。その近くにはおが屑を固めて作ったボード様のものの破片が。これも焦げている。それが燃えた灰と思慮される残滓も。水がかかっているから消防の放水で火が消えた名残だろう。そのボードの破片も関係者には覚えが無いそうだ。

『これはまずいぞ』

と3人顔を見合わせていたら、近くの人が、

「それうちの玄関横に置いとった壊れた収納ボックスの棚じゃ。」

「アウト!」


 事務所の電話を借りて署に連絡した。現場の人には聞かれない様に気を付けて課長に直接。

『積んである廃材の下に紙屑と、おが屑を固めたボードが割れたものを突っ込んで着火したと思慮される』

と現場の状況を告げると、

「そこまで分かったなら3人で実況見分せい。お前のこれまでの経験の活かし処じゃ。」

石原部長の実況見分は何度も見てきた。それをなぞるだけでは芸が無いが、要らん事して失敗するよりは基本に忠実にだ。後片付けが捗らないので被害者には迷惑がられた。

『何ぞ不審点でも?』

と聞かれたが、

「いや、暗いとこでは見えんかった物があるけん念には念を。」

と適当にごまかして。燃え方の程度としては主任の言う通り小火程度の燃え方だったから見分自体はすぐに終わった。その後現場付近を検索するとガスが無くなった緑色の百円ライターが1個。念のため立会人を立てて写真撮影して領置した。指紋は検出できなかった。


 昼休みが半ば過ぎた頃帰署したら、宿明けの主任はまだ帰っていなかった。課長に状況を説明したら、

「写真出来たら実況見分調書作っとけ。バカ主任には一応臨場報告書出さしとく。再臨場の結果はバカ主任が聞いたら言え、聞かんかったら放っとけ。」

昼過ぎに帰って来た主任は案の定僕達の再臨場のことは頭から消え去っていた。


 その翌週の金曜日午前中、下々の異動内示があった。僕も一係長も二係の先輩も異動していなかった。ほんの僅かに期待していた僕の主任の異動も無かった。全体に異動が少ない。去年が早めに大幅異動したからかな。


 その晩の当直は二係の先輩だった。この班には強行が2名いる。初捜班は9班あるのだが一課員はそれ以上いるので必然的に1班に2名の強行犯係の班ができる。送致は一般当直で、歳がいった係長は当直司令になり、うちの三係長は司令だ。一係長は若いので当直1班の初捜班長をしている。昔から1班長は強行係長、2班が知能、3班が盗犯、4班が暴力、以下適当らしい。僕の5班は最初盗犯一係長が班長だったが適当だったんだ。


 その晩放火があった。燃えたのはゴミ集積場の紙ゴミ。ゴミ出しは収集日の午前6時以降と決まっているのに前日から出す奴は後を絶たない。僕が派出所で勤務をしていた頃、市の指導に従わず前日からゴミを出しておきながら、

『夜中や明け方に猫や烏が生ゴミを漁る』

『資源ゴミを廃品回収業者が持ち去る』

『それを防止するために警察がゴミ置き場を見張れ』

などと勝手なことを言ってくる馬鹿がいた。それも1人や2人では無く。


 僕の主任だったら煙草のポイ捨てで終わりにしたのだろうけど、先輩は先日のこともあったので綿密に現場を見分し、そうでは無いと判断したらしい。強行三係のもう一人の主任がその班の班員で、その人は臨場当初辺りを見渡しただけで煙草を主張したみたいだが

『判断は見分後に』

と先輩が受けつけなかったらしい。放火の疑い濃厚と判断した理由は

『出火は1箇所からでは無く集積場の2箇所から』

『同時に2箇所、ポイ捨てされた煙草が原因で出火は考えにくい』

『そのゴミ集積場は、先日の廃材が燃やされた場所が近い』

という事だったらしい。もう一人の主任も現場を見るうち納得したみたいだ。 ゴミの小火だからそのまま当直中に見分を済ませたらしい。翌朝報告したら課長からは

『それで良し』

との回答だった。


 異動時期で出せる人員が限られるが警戒活動をすることにした。不審火があることは幹部会で報告をしたものの署全体には発表していない。一課内では共有事項だが警戒を大々的にやると署員全体に分かるので、課長了解の上で警戒は僕と二係の先輩が自発的にということで始めることにしたのだが、それを聞いた鑑識の若手も2名手伝ってくれることになった。以前石原部長と二人だけで張り込みをしたときは、石原部長の分析で曜日と時間帯を絞ったが今回はまだ件数が少ないので絞れない。定点での張り込みはできないので、自転車を使っての遊動警戒を。


 今のところ2件とも発生は水曜日、発生時間帯は午後10時前後。場所はこの市の南部に位置し、一帯は農地が住宅地に変わりつつある地区。対象は道路沿いの廃棄物。

 警戒を始めてからは警戒対象区域内での火災は発生していない。課長の手前口には出さないが

『無駄なことを』

と思っている人がいるのも分かっている。でも僕達4人のやる気は旺盛だ。


 4月に入って2週間目の水曜日、午後10時頃火事があった。燃えたのは農家の作業小屋。住宅地として開発されることになっている農地の片隅にある壊れかかった小屋だった。所在地は僕達が警戒している範囲の北側に隣接する場所で、間もなく宅地化が始まるので小屋は放置されていて火の気は全く無かった。小屋の軒下に積んであった稲藁から出火と思慮される。


 僕の主任なら馬鹿の一つ覚えで即座に煙草に責任を押し付けるのだろうけど、当夜宿直だった一係の主任は誰かが火を着けた可能性が極めて高いと判断し現場保存をした後明るくなってからの実況見分を進言した。消防は半信半疑ながらも原因調査に付き合ってくれた。


 その現場には課長自ら臨場し、本来放火の担当である二係と僕が行くことになった。燃えたのは小さな小屋なので、いくら綿密にやってもそう時間は掛からなかった。その後付近の聞き込みをしたが、小屋の横の狭い農道は昼間農作業のために限られた人が通るだけで、夜間の人通りは皆無と言ってよいとの話だった。臨場した全員が着けられたと思ったが、消防の手前口には出さない。でも消防も失火では無いと思っている様子だ。少し経って、

「やられたみたいじゃな。」

と課長が言うと、

「そうみたいやな。」

と消防の責任者が応えた。その責任者と課長は顔馴染みみたいだ。僕がそう思っていたら、

「儂ら若い頃よう火事現場で会いよったんじゃ。」

「課長が捜査係で隣の署におった頃から。この街、警察は二つの警察署で分割して受け持っとるが、消防は一つやから。」

うん、心読まれてる。

「こいつな、兄貴の最後の弟子や。」

「ほお、それは頼もしい。」

「残念ながら半人前じゃ。2年も一緒にやったのに。」

「………。」

消防の責任者黙ってる。


 その翌週も水曜日の午後10時頃不審火災があった。今度は僕達が遊動警戒の範囲として設定した場所の西側に隣接する場所だった。今度は酒屋の倉庫近くに積んであった段ボールから出火して倉庫が全焼。勿体ない。もうこうなったら署全体でやらざるを得なくなる。この火事では近くの盗難現場に臨場していた本部の機動鑑識班が現場を通り掛かり、火事見物をしていた野次馬の写真を撮影してくれていた。別に頼んだ訳では無いのだけど自主的に。撮影者は定元部長で、写真係で焼き付けして貰った後、非番で帰宅する途中に持参してくれた。課長が、

「先輩これ放火じゃと知っとったんですか?」

「いや知らん。そんでも火事現場で野次馬念のため撮っとくのは鑑識の仕事じゃろう。」

「うちの若い奴等にも言うてやってください。この現場燃えよる最中に到着しとるのに1枚も野次馬の写真が無いんで怒ったとこです。」


 その週末急遽若竹の2階に呼ばれた。課長からの招集で、強行一係から三係の係長と一係主任と強行二係全員、三係からは僕、遊動警戒に付き合ってくれていた鑑識の若手2名。若竹に行くと石原部長が来ていた。来週水曜日から本格的な遊動警戒を課全体ですることになったので、経験豊富な先輩の意見を聞くということで。


 何処で集まろうかと課長が持ち掛けたら石原部長が心当たりに声を掛けることにして、たまたま最初に声を掛けた若竹の2階が空いていたので。今回は内密の話なので当日2階を貸し切りで。遊んでいると思われない様に土曜日一旦帰宅して静かに午後5時30分に個別に集合。


 時間通りに若竹に行くと一係長が既に来ていて

『2階に上がる様に』

との指示だった。座敷には既に石原部長と課長がいたが料理等の用意はまだされていなかった。


 僕が石原部長に挨拶をしていると、皆が集まり始め時間前に全員集合したので案内をしていた一係長も上がって来て、すぐに挨拶抜きで課長の話が始まった。

 「これから話す事は一課員であれば全て承知の事ではあるが、先輩である石原さんに聞いてもらうための説明で、皆も再度確認して欲しい。

『今年に入って4件の不審火災があり、すべて放火と思慮される』

『発生場所はこの市の南部一帯』

『発生時刻は午後10時前後』

『4件とも水曜日に発生』

『現場調達した燃え易いものに着火』

『対象は、廃材、ゴミ、農作業用の小屋、倉庫と一定しない』

やられっ放しで放置はできないので次の水曜日から遊動警戒に人を出して検挙に当たる。」

と説明した後、

「今日集まって貰ったのは皆も知っている通り長期間に渡り続いていた放火を検挙解決した先輩の石原さんからアドバイスを貰おうという事と、自主的に警戒を始めた若手の慰労、並びに石原先輩から今後の捜査への激励を受けることです。今日集まって貰った人は今後事件解決の中心となって貰います。」

と話をし、乾杯は無しで会は始まった。


 でもいつも通り最初にはシャンパーニュが出て、一寸したフランス料理のオードブルの様な和食の様な一品目が出た。女将さん料理を運んだあと、

「ごゆっくり。」

と言っただけで去っていった。


 石原部長が、

「土居刑事、どうやって捕まえる?以前の経験は参考にはなるが、犯行形態は実行する者の意思・周辺環境で変わり同じものは無い。」

「以前教えて貰った通り最初の犯行が重要だと思います。最初の廃材の小火を掘り下げて何か被疑者に結び付くものは無いかと探ってみます。」

「それは大事やな。今回はそんなに前からの犯行には思えん。今課長から聞いた範囲の火事は、あの阿保たれの放火の時20年以上前の分から分析したが、その中には今回に繋がるものは無いと断定できる。」

部長の自信を持った断言、何故か安心できる。

「今回は最初がはっきりしとると言うが、それは間違いないか?」

課長が、

「今回の犯行があった範囲内ではこの1年間でもう1件火災があり、それは今年正月3日の事ですが、実況見分の結果失火と思慮されます。」

「それはどんな火事や?」


 課長が、

「清掃が行き届かないタオル工場で何らかの埋火が夜間炎になったと思慮される火災で、出火場所が工場の奥まった場所で今回の道端から火を着けるのとは違うと思います。」

「現場見たのは?」

「三係長が責任者で、土居も臨場しています。」

三係長何も言わない。一係長が、

「土居、お前現場で

『違和感感じた』

言うとったがそこ説明せい。」

ええ、振らないでください。自分自身が何なのか分かっていないんだから。でも黙っていると

『使えん奴』

になるので、

「臨場時、屋根を支える鉄骨が熱で飴のように曲がって床に着きそうになっていて、一番燃焼が激しい場所が出火場所というセオリーでそこを出火場所に認定しました。でも道路に面したシャッターを開け道路側から内部を見ると、屋内の4隅の内3箇所の隅が燃え残っていました。それなのにシャッターの東側の隅は角までよく燃えていたので何故かなと思って。それが僕の感じた違和感です。只それがどうしたと言われたら説明できません。

『嫌な感じがした』

というだけの違和感です。」

「鉄骨造りの建物は燃えて屋根の鉄骨が垂れ下がるのはよくあることや。でもそこが出火場所では無いこともある。鉄骨は支えたり引っ張ったりして建物のバランスを取って自立しとる訳やが、各方向に均等に力がかかっとる訳じゃあない。周りが燃えて熱で金属が軟化した時、引っ張る力が強く掛かっとる方に曲がるのはある事じゃ。以前南の方の城下町で勤務しとった頃木工場が燃えた。よう乾燥した木工材料を天井まで積み上げとったもんやからよう燃えた。現場臨場したら天井支えとった鉄骨が飴のように曲がって垂れ下がっとった。儂も最初そこらかなと思うたらそうじゃ無かった。その火災は石油ストーブを倒したことが原因で、倒した本人がそれを申告したんじゃ。その場所は鉄骨が垂れ下がっとるとこからは大分離れたとこやった。失火者が居って目撃者がそう言うんやから間違い無い。その火事がどうなのかは分からんが垂れとるイコール火元では無い。」

皆黙ってしまった。

「そんなに黙り込む程のことじゃない。まだ3ヶ月余りしかたってないからその火事も一連かも知れんと視野に入れて今後の捜査をしたらええことじゃ。」


 その後今のところ理由は分らないが水曜日に発生しているのでをそこを重点に遊動警戒と決めたが、石原部長のアドバイスで遊動警戒をしない範囲を設定しそこには固定張り込みを置くことになった。部長の考えでは

『警察だとは思わないまでも、まばらでも近所うろついている人間がいたら着けにくい』

だから人通りが無い場所を作ってそこを秘匿張り込みするという事らしい。でも部長

『燃えやすく、着けたくなるような物を用意しろ』

とは言わなかったな。その後課長が、

「そういうたら、1月3日も水曜日やったな。」

とボソッと言ったが、仕事の話はそこで終わった。


 部長の、

「今日は大筋だけであとはただの飲み会や。」

との有難い言葉が有った後、次から次に美味しそうな料理と高そうなお酒が出た。鰆、眼張、桜鯛、蛍烏賊、青柳、アスパラガス、ウド、クレソン等の、今が旬の海産物・野菜・野草が勢揃い。若い者が多いので牛肉も。夫々最高級の品質のものが。刺身、煮付、焼物、天婦羅、酢物、鉄板で焼いた牛肉等の料理毎に女将の考えたお酒が勧められ

『苦手な人は何でもお好きな物を』

とも言われたが、言われた通りのワインを飲んだら以前飲ませてもっらた時よりずっとマッチングが良くなっていた。特に抹茶塩で食べる揚げたての天婦羅に合わせた白ワイン。これって確か

『マリアージュ』

っていうんだったな。でも和子さんと一緒にワインを飲ませて貰った時のことを思い出し一寸暗くなった。いつの間にか女将さんが座敷に来ていて意味ありげに笑っている。また心を読まれた?


 定元部長の親戚のお店も悪くはないがやっぱり若竹は一味違う。お酒も食材も他では飲めない食べられない。器もグラスも田舎者の僕にも良い物だと判る。でも嬉しがっているだけではいけない、さっき途中だった石原部長への挨拶をしないと。丁度誰も席に行っていない。正座して

「2年間色々お世話になりました。今になって有難さを痛感しています。」

といって平伏したら、

「そうかあの頃は有難迷惑やったんか。やっぱりな。そうじゃないんかと思うとったんや。」

「いえ、あの頃も有難かったんですが、今更ながらにという意味です。」

と慌てて言うと課長が。

「この頃取り繕うこと覚えて煮ても焼いても食えんなりつつあるんです。」

「いえ、そんなことは無いです。心から有難さを感じています。」

そこに一係長も寄って来て、

「捜査技術よりもごまかし方の方が上手になって。」

「………。」

「競輪場も一人で歩き始めたんですよ。」

石原部長苦笑いしている。


 若竹に初めて招かれた人達は料理も器も豪勢で、出てくるお酒も高級なのに驚いている。二係の先輩は、

「土居刑事は前からこんなの御馳走になってたん?」

「はい、度々。」

「仕事もあんなに丁寧に教えて貰って。」

「はい。」

責められてる。

「それなのに上等切ったん?」

「………。」


 課長から、

「早期に検挙出来たら褒美にまたここでと先輩言ってくれています。」

みなすごくやる気が出ている。中締め代わりのこの言葉の後、いつもの様に舞へ行った。そこでも楽しく飲んで最後に、

「現実に引き戻して悪いが、週明けからは頑張ってください。」

と課長が締めてお開きになった。


 次の水曜日またやられた。今度は市の中心部に寄った場所でゴミが。連続で2箇所。発生時間は何時もより少し早かった。遊動警戒と張り込みは完全に空振りだった。6人が遊動警戒をして2人が張り込んだのだが全く違う場所でやられてしまった。


 その次の週も。前回の東方で。発生が午後9時30分頃。発生場所を示す地図が市の南部から県庁の南側一帯に張り替えられた。ここまで来ては一課だけの対応では済まなくなった。幹部会に諮り挙署一体での対応ということになり次の水曜日からは広い範囲での遊動警戒をすることになった。月曜日にその話が決まったのだが水曜日、地元紙の朝刊に

『水曜日の放火魔』

という見出しが出てしまった。

『今年3月中頃から水曜日の午後10時頃連続で放火が発生していて未だ犯人を検挙できていない。警察は張り込みと遊動警戒をしているのだが場所選定のミスで連続して空振り。今日からは全署挙げての対応開始』

と言った内容の記事だった。発生だけならまだしも

『場所設定ミスの空振りと今日から全署体制で捜査』

は捜査情報が漏れていなければ出ない内容だ。課長言葉態度には出さないが怒り狂ってるはずだ。誰じゃ!


 新聞には出たが予定通り遊動警戒と秘匿張り込みを実施した。事案は発生しなかった。その翌週も。文字が読める奴ならやらないだろうな。その翌週も実施したが未発生。他課の応援捜査員達は

『無駄なことを』

と言わんばかりの態度だ。


 しかしその翌週一部を除き嫌気がさしていた捜査員達を後目に、午後10時前頃警戒していた範囲内で火の手が上がった。空家が1件全焼。なんと以前石原部長が借り受けて僕と二人で張り込み場所にした空家だ。


 張り込みをしていた時にも

『ここに着けてくれたらいいのに』

みたいなことを部長が言っていた。今回火をつけられたのはその時軒下に積んだ紙類みたいだ。張り込みを終えた後片付けた覚えが無い。本来僕が張り込みをするべき日だったのにさぼって近くの民家に火を着けられたが、石原部長が誰にも言わずにいてくれて、表彰まで貰ってくれたお陰で僕は今刑事を続けられている。今日の張り込みでの見張り対象場所はその空家のすぐ近くに在るゴミ集積所だった。そのため遊動はその近辺を避ける様に言われていて、僕が刀好きおじさんに口をきいて貰い、集積所近辺が良く見える民家の納屋から捜査員が見張ることになっていた。消火器も用意していて、不審者が近づけば即無線で近辺の遊動警戒員を招集し、着けたら即検挙と消火の手筈だったのだが、そこに捜査員はいなかった。そこからは集積所と空家の燃え易そうな物は同じ方向に見えていたのに。捜査員達が現場到着した時にはもう手が付けられない炎になっていて、捜査員達よりも先に野次馬が到着していたらしい。


 その日そこで張り込みをするのは僕の主任だったのだが、火災が発生した後初捜が臨場し、野次馬の写真を撮っていた際には主任の姿は見えなかったそうだ。遊動警戒を控え、被疑者を誘き寄せるまでは良かったのだが張り込み員の選定を間違った。これまでの遊動警戒で僕の主任は

『見せる警戒』

をしてしまうらしく、犯罪予防ならここに警察官がいるぞと見せるのが有効だが、犯罪を検挙するのなら犯罪者に警察官の行動を察知されては困る。でも主任にはそれが解らないらしい。職場内で

『僕やってます』

みたいなアピールが身に付いているので、どんな場合でも仕事してますよと見せたいらしい。だから一カ所に目立たないように固定して、被疑者から見えない様な仕事を与えたのだが。僕は以前、見通しの甘さで仕事に穴をあけてしまったのだが、勘のいい石原部長のお陰で何とか取り繕って貰う事が出来た。でも僕の主任には取り繕ってくれる上司はいない。


 僕の主任は

『あんな新聞記事が出たのだからもう火をつける奴なんか出ないだろう』

と勝手に考えて職務放棄をしたと思われるのだが、当人は直属の上司である強行三係長に、

「僕は張り込みを実施していました。」

と頑強に言い張っている。

「張り込みしとったんならどうして被疑者を検挙せんかった。」

「丁度その時尿意を催し排尿に行った隙に火を付けられました。」

「そしたら初捜が到着した時どうして現場に居なかった。」

「容疑者を追いかけて現場を離れました。」

「何処まで追いかけた。」

「かなり先まで。」

「どの位置までと聞いとるんじゃ。」

「あの辺りの地理不案内なもので正確には分かりませんし、地名も分かりません。」

「容疑者どんな奴じゃった?」

「暗くて良く分かりませんでした………。」


 埒が開かないので、主任は一係長の取り調べを受けた。割と簡単に落ちたみたいだ。流石、石原部長直伝の取り調べ。主任は女性に誘われたので

『新聞で報道されたのでもう発生は無いだろう』

と思い誘いに応じたと言っているらしい。その女性は、

『水曜日の放火魔』

の見出しで記事を書いた新聞記者らしい。捜査情報を漏洩したのも僕の主任だった。当然のことながら主任は監察の取り調べを受けることになった。


 主任は翌日から監察の取り調べを受けたが、一係長に話した

『自分が誘われた』

と繰り返しているらしい。共犯事件は一方の主張だけでは無くもう一方の供述を得るのが重要だが、相手については事情聴取ができていない。相手が報道機関なので本部の腰が引けているみたいだ。でも数日後、課長が石原部長を通じて知り合った記者から、絶対公にしないという条件で聞いた話では

『1月3日の火事現場で取材をした後主任からの誘いを受けた。何かネタでもと思い誘いに応じたが、話をしてあまり面白くない相手だったのでその後は現場等で出会っても適当に相手をして誘いを断っていたが、いいネタがあると言われつい誘いに応じたのが、

[水曜日の放火魔]

の記事に繋がった。空家火災の日は、誘いを断るために水曜日なら空いていると言ったら、ではその日でとの返事だったので断れなくなって、二人だけでは嫌だったので自分の学生時代の友人も交えて食事に行った。場所は火災発生場所から遠くない所で、時間は仕事を終えて午後8時30分過ぎ頃から。サイレンの音が聞こえたら主任は大慌てでお金も払わず出て行ったので自分が払ってから自分も現場に行った。』

というものらしい。


 供述が食い違う。以前一緒に勤務したコーヒー好きの先輩なら、自分が調べた方を痛い目に遭わせて供述を揃えるのだろうけど、この件では無理。感覚的には女性の供述に分があるかな。僕の主任にはその内懲戒処分が下るだろう。記者にも何らかの措置があるだろうけどそこは別の組織のことだから。課長は

『特ダネ取ったんやから処分されんし、怒られもせんやろう』

と言っていた。


 最初僕は、自分が

『水曜日の放火魔』

の見出しを付けたのだから水曜日に会わなくてもいいのに。せっかく都合の良い情報提供者を入手したのだから。社会の公器が大々的な見出しを打って犯罪を世間に知らしめて、自分のペンで犯罪を抑止したとでも思ったのだろうか。等と思っていたのだがそうでは無さそうだ。


 最終的な主任の供述では、どちらが誘ったかについては曖昧な言葉を繰り返しているが

『新聞に大々的に出たからもう発生しないだろう』

と考えた。でも念のため配置箇所の近くを選んだ。装備品は署を出た後バッグに入れていた。サイレンを聞いて慌てて店を出て現場に行ったが、もう警察官がいたので配置箇所には行けず

『犯人を追ってそこを離れた』

ことにしようと思った等と話しているらしい。

 

 その空家の火事ではいち早く臨場した初捜が野次馬の写真を撮りまくっていた。出来上がった写真を一通り課員皆で見たが、定元部長が撮影してくれた写真と重複する人物は見当たらなかった。


 報道機関はこの件を放火と断定し(間違ってはいないけど)警察の捜査ミスだと責め立てた。

『水曜日の放火魔』

の見出しを掲げた地方紙だけはトーンが柔らかい。職務放棄した捜査員がその時間帯自社の記者と一緒に居たからだろうか?


 その翌週放火は無かった。廃屋に近い空家ながら1軒丸々燃やしたので満足したのだろうか。その次の週も人員を配置したのだが何事も起こらなかった。


 その次の週放火があった。今度は市の中央部、県庁・市役所などが集まっている一角。時間は午後9時30分頃。燃えたのは故紙だったが、市が収集するものでは無く企業が集めて回収業者に引き渡すために保管中の物だった。発見が早く延焼は免れたが遅れれば大事に至る可能性が高い建造物密集地だった。


 その現場では容疑者と思われる人物の目撃情報が上がった。

『シルバー色の自転車に乗った若い男性』

『灰色っぽいシャツとジーンズ姿』

『出火直後、出火場所から立ち去り』

とのことだったが、後ろ姿だけで人相は出ていない。


 その次の週は犯行が無かった。捜査員は皆嫌気がさしている。僕も例外ではない。でも二係の先輩だけは違う。発生直後の現場に集まった野次馬の写真を繰り返し繰り返し1枚1枚丁寧に確認している。今日も通常勤務終了後皆が帰った後も自分で整理した現場毎のアルバムを熱心に見ていた。僕は日頃三係の仕事を手伝って貰っているので付き合いで残っているが、何度見ても同一人物と思われる写真は僕には見付からないので2人分のコーヒーを淹れてぼんやりしていた。


 突然先輩が僕を呼び、

「この写真とこの写真同じ自転車じゃないかな?」

白黒写真ではあるが、シルバー系と思われるママチャリで似てるといえば似ている。でもそう珍しいタイプの自転車ではないし。

「ここ、この前籠のゆがみ方。この部分の色の剥げたとこ。」

そう言われれば前籠に同じ部位のゆがみと色落ちがある。片一方の写真、酒屋の倉庫の現場では自転車に跨って火事見物をする若い男性の顔がはっきり写っている。もう一方の写真、以前張り込みに使っていた空家の現場でも先輩が同一だと言う自転車に跨った男性らしき姿が写っているが、顔は他の野次馬の陰ではっきりしない。体型はよく似ている。どちらもジーンズとメーカーのラインが入った同一品種と思われるスニーカー。

『最後の現場で目撃されたジーンズ姿でシルバーの自転車を使う若い男性』

繋がったのかも。

「先輩お手柄ですよ。」

気分が良くなった僕達はその後定元部長の親戚のお店でビールを飲んでから帰宅した。


 翌朝先輩の上司である二係主任と係長に自転車のことを先輩が報告した。律儀な先輩は

『僕と一緒に突き合わせをしていて』

と報告してくれた。

係長と主任も同意して、一係長、三係長にも写真を見せ僕達を伴って課長に報告した。


 課長もじっくりと写真を見比べた後先輩の意見に同意して、

「自転車か、人間ばっかり注目して同一人物は居らんと決めつけとった。」

課長ルーペを出して自転車の特徴を詳細に見ている。

「うん、これはええ。当たりじゃ。二人ともようやった。」

「いえ、これ先輩が見つけたんです。僕は一緒に居って時間潰しただけなんで。」

「それでええんじゃ。一緒にやったいう事が値打ちじゃ。」

「でもこれ同一人物らしいというだけで、何処の誰かは分からんです。」

「儂に考えがある。この顔がはっきりしとる方の写真、全体、顔だけ、上半身、自転車も全部、色々なサイズで取敢えず1枚ずつ焼いてもろうて儂のところに持って来てくれ。ネガ有るよな?」

「はい、定元部長ネガも一緒にくれてます。」


 言われた通りいくつかのパターンで焼き付けをして貰った。課長はその中の3つのパターンをそれぞれ50枚ずつ焼いてもらうよう指示したので、再度鑑識に頼みに行った。


 課長はその3パターンを1セットとして各警察署の刑事課と防犯課、本部の捜一、捜二、機捜、交機などに配布するとともに、自署の各課にも回覧し過去に検挙・取締り・相談受付などで見知った顔であれば、速やかに刑事一課強行二係に報告する様に依頼した。


 1週間もしない内に川を挟んでこの署の南側にある警察署の防犯課から連絡があった。写真の人物の身上に関する回答だった。これではないかという人物は、

『回答をくれた署管内の、この署管内に近い位置にある公園の公衆トイレで不審な行動』

をしていたらしい。その行動とは

『男性用のトイレで男性が排尿するところを覗く』

という行動らしい。

『小学生くらいから20代前半位の男性の下半身』

をのぞき込む気持ちが悪い奴ということで、近くの小学校から防犯課に連絡があり臨場し、近くにいた男性に職務質問をしたら行為を認めたので任意同行し軽犯罪法違反ということで鑑識資料を採取したらしい。処分としては不送致で終わっている。


 当時の身上調査照会に対する回答で戸籍謄本とその附票に記載されていた事項が報告され、その時撮影された被疑者写真が添えられていた。酒屋の現場写真の人物と同一人物だ。これだけで被疑者とは断定できないが、酒屋・空家他の被害場所は市の中心部から、報告された容疑者の住所との中間に位置する。直線状に位置する訳では無いが、放火場所を探しながらと考えれば辻褄が合う程度の誤差だ。また氏名から逆引きした自転車の防犯登録照会では同人名義のシルバーのママチャリがあることも判明。一歩前進した。


 翌日からは容疑者の行動確認をすることになった。容疑者は隣の署に検挙された時と同じ所に現在も住んでいる。近くの公民館から容疑者宅のドアが見えるのでそこの軒先を借り受け捜査員を配置し同人が外出すれば尾行する。また進行方向を連絡し行く先々に捜査員を先回りさせ行動を監視する。移動手段は徒歩と自転車らしいので捜査員も自転車で。その結果同人は夜間工事の警備員をしていて、基本水曜日が休みなのも分かった。


 一気に皆のやる気が出た。でも捜査対象者は動かない。同人は古いアパートに一人暮らしで、新聞は取っていない。でも小なりといえども警備保障会社に勤務しているのだから勤め先に新聞位あるだろうから

『水曜日の放火魔』

の記事について知っていても不思議ではない。


 強行三係長に、

「動きが無いですね。」

と言ってみたら、

「うん。新聞記事になったからもうやらんかも知れんの。」

同じことを強行一係長に言ってみたら、

「放火は始めたら止められん犯罪らしいぞ。ほとぼり冷めたら必ず動く。焦れて諦めたらいかん。兄貴見てみい。」

その通りだ。僕は石原部長の被疑者検挙への執念、便乗犯の犯行を除外した冷静さを目の当たりにしてきたのだから。


 二係の先輩に

『石原部長の執念と冷静さ』

の話をした。一係長と三係長の回答の違いも。

「二係長はその中間位かな。でも僕はこれを絶対検挙したい。動かんかったら最後は

『叩き割り』

ででも。そやけど今は我慢のしどころやと思う。僕もあいつは必ず動くと思う。」

あ、僕は先輩に意識で負けてる。心が揺らいだり、疑念を持ったりしてはいけない事は以前の経験で分かっていたはずじゃないか。


 課長も同じ思いだったのだろう。捜査対象者宅の警戒を解こうとはしない。毎週捜査対象者が休みの水曜日には刑事一課員が交代でアパートを監視しに行っている。捜査対象者が外出すれば無線で一報し、本部の機動捜査隊、自署の機動警邏、初動捜査班、待機命令が出ている一課員が警戒態勢に入る。張り込みは課員が交代で毎週水曜日朝、仕事を終えた容疑者を勤務先から後を付け、帰宅後から午後10時30分まで概ね4時間交代で配置に着くが、時間外の課での待機は最初遊動警戒を買って出た先輩と僕、鑑識2名と非番の派出所・留置勤務員の有志が、週1回のことなので先任者である先輩を班長、僕を副班長として本署待機を引き受けている。僕達が先行臨場している間に一課員を中心に自宅待機中の署員を呼び出す。捜査係希望者もここで手柄を立てれば刑事登用が見えてくると思い頑張っている。豪勢な宴会に招かれるかもしれないし。待機中は捜査希望の後輩達が、石原部長の話を聞きたがるのだがどう話をしてよいものか。当たり障りなく部長の凄さを話すのだが必ず、

「僕はその有難さに気付けなかった馬鹿なんで。」

と付け加えている。先輩や鑑識係に突っ込まれる前に。


 途中1回課長が待機班を飲みに連れて行ってくれた。定元部長の親戚のお店だったのだが、行く前に

「事件解決が出来たら

『若竹』

を石原先輩に強請ってやる。」

という言葉を添えて。

「店でこれを言う訳にはいかんからな。お前らも

『次は若竹じゃ』

じゃの言うて店で聞こえるようにはしゃぐんじゃ無いぞ。」

とも言われた。先輩と鑑識の二人が若竹の料理が豪勢で美味しかったと後輩たちに言触らしているので後輩達テンション上がりまくり。


 その日は虎魚が出た。最初シャンパーニュと虎魚の唐揚げが。結構高級なお酒と食材なのに課長良いのかな。課長も驚いている。請求書がちらついたのかも。一係長は笑っているけど。女将さんが、

「石原さんからの差し入れです。課長さんから宴会の御予約が有れば必ず報せる様にと言われていました。お電話差し上げたら御本人は御不在でしたが、奥様が

『必ず伝えます』

とおっしゃってくださって、御予約の日時に合わせて夏が旬の食材とお酒を沢山送って頂き持ち込み料を含めた過分な代金も既に頂いています。」

雄の渡蟹も届いていた。虎魚の薄造り、鱸の奉書焼き、使っている奉書は石原部長の生まれ故郷の楮でできた物らしい。真鯵の刺身、蛸の酢物、穴子・鱚と夏野菜の天婦羅、蛸飯、その他諸々。待機班全員大満足。口には出さないけど、ここでこれなら若竹ならどうなるのだろうと期待している。課長と一係長以外は独身の若い者ばかりだから量も多めに出してくれていた。


 その後は舞に行った。派出所や留置の者達は初めてなのでキョロキョロしている。此処も石原部長からの連絡が来ていた。前ママが新ママに伝えたのは

『近くで宴会が有るから多分その日は皆で行く』

との事だったらしい。新ママは石原グループの宴会のために前もって纏まったお金を預かっているらしい。課長が、

「儂が支払う分が無い。」

と言っていた。定元部長がいないので節度を保って楽しく飲んでお開きになった。


 捜査対象者は動かない。夕方会社に出勤しその日指示されているらしい夜間工事の現場に行き、朝仕事を終えたら一旦帰社してから帰宅する。水曜日を休むだけで後の6日はきっちり仕事に出ている。警備業は警察の関連する許認可業種なので警察のOBが結構いる。課長が同じような規模の同業者にいる知り合いのOBに尋ねたら、今は好景気で建設現場が多いので人手が足りないらしい。もっとも元の賃金が安いから休まず働いて皆勤手当てを貰っても大したものにはならないらしいが。


 梅雨が明けて暑くなった。待機班の主たる活動時間の夜間は大分ましだけど。待機班は捜査対象者が動いたと張り込み員から連絡があれば、追尾する張り込み員と連絡を取りながら進行方向を遊動警戒する手はずになっているのだが。でも最後の犯行から2ヶ月近くになるのに動きは無い。今日も水曜日だから一課で待機しているのだが何も起こらない。課長と一係長が午後9時頃課に現れた。

「お疲れ様です。」

何故かこれが昼夜を分かたず警察官の挨拶だ。この県全体そうみたいだけど他所の県はどうなんだろう。

「皆に苦労掛けとるからたまには儂も出て来んとの。」

「お二人揃っていうのは何か閃きでも?」

「いや、そうじゃない。二人揃うとるのは偶然じゃ。玄関で出会うた。示し合わせたわけじゃ無い。」

「儂等兄貴程の冴えた勘は無い。」

うっ、僕のことかな。でもあの時この二人はいなかったし。石原部長は他人の悪口を言わない人で、失敗をあげつらったりもしないし。僕は和子さんの前で石原部長を疑うようなことを言って階段を踏み外してしまったけど。

「でも何となく今日は皆の顔見とこうかと思うたんじゃ。」

急いで僕が人数分のコーヒーを入れて配った。後輩達一課長と話ができるので喜んでいる。僕もそうだった。でも僕は前の一課長に、

『これでは続かんぞ』

と言われても意味が解らなかった。僕はその上に

『それも分からんか』

と言われたんだった。でも今日は何かが起こりそうな気がしてきた。只の勘だけど。


 壁に掛けられた時計の針が午後9時30分を少し回った頃、

『中央署管内火災発生、現場臨場せよ』

本部通信指令室から無線が飛んだ。えっ、今日は外出して無いはずなのに。通信指令室が発生日時・場所を移動局に報せ現場臨場を指示した。場所は県庁の南1キロメートル余りの場所。燃えているのはゴミ集積所の廃棄物。課長は即座に立ち上がり一課に備え付けの県内波1系無線を掴み、

「中央一課から管内警ら中の各移動局、先程指令室指示の火災現場に全車急行せよ。現場付近で職務質問を徹底。特に自転車に乗った若い男性職質時は中央当直に即報せよ。」

所轄系の無線機では一係長が同じ指示をした。

「こら、お前等、ボーっとしとらんと出動せんか。誰ぞに手柄取られても知らんぞ。若竹が無うなる。」

全員我に返り出動しようとしたら、

「急ぐけんバイクが有るものは自転車やめてバイクで行け。」


 全員県内波1系の受令機と所轄系無線機を付けて慌てて飛び出した。でも捜査対象者が外出したとは聞いて無いのに。張り込み員が持っている本件放火捜査用の県内3系周波数無線機に一課から呼び掛けるのだが応答が無い。県内3系だけでは無く県内1系、所轄系でも呼ぶのだが応答が無い。あっ、今日の見張り勤務は僕の主任だ。これはやらかしているかも。すぐ傍にいた先輩に、

「今日の見張り僕の主任ですよ。外出見逃しとる可能性あります。帰り道の待ち伏せに賭けませんか。」

「こんだけ警察官出てしもうたらその方がええな。」

即決で現場と被害者方の間、それもアパートに極近い方にバイクで移動した。以前街に出るには必ず通るであろう地点を確認していたので、帰りも必ずそこを通ると踏んで物陰で待ち伏せた。走っていた時所轄系はオープンで聞いていたのだが、そちらもイヤーフォンにして両耳で二つの無線系統を聞いている。まだ捜査対象者を職質した者はいない。


 僕の主任は今回の張り込み用の周波数として使っている県内3系の無線機を所持していて、一般業務に使う県内1系の無線は受信専用の受令機で聞いてるはずで、相勤者が県内1系の無線機を所持しているはずなのだが何度呼んでも応答が無い。暫くしてやっと県内3系に応答が有ったらしい。その内容を中継した県内1系の無線に依れば、

『市内でゴミ集積所の火災が発生している』

旨を伝え捜査対象者の外出の有無を確認したところ、3系無線での回答は

『捜査対象者の外出は確認していない』

の一点張りらしい。

少し心配になったので先輩に確認したが

『続行』

との明確な意思。


 対象者のアパートと今晩の現場は直線距離で約5キロメートル。まっ直ぐ帰って来るとすればそろそろだ。対象者が外出していたとすると、如何処置するのか確認しといたほうが良いので所轄系無線で、

「中央131から中央一課。」

「中央一課です。どうぞ。」

一係長が出た。

「捜査対象者外出中であれば職質時の措置に付き指示を願う。どうぞ。」

「同人であることが判明すれば職質場所から任意同行を願います。どうぞ。」

「了解。以上中央131。」


 無線を終えて数分後、自転車に乗った若そうな男がこちらに向かって来ている。心臓がドキドキしている。反対側にいる先輩がつばを飲み込んだように見えた。


 来た。捜査対象者だ。進行方向に立ち塞がって自転車を止めた。先輩は素早く後方に回った。

「今晩は。警察です。」

警察手帳を示した。捜査対象者戸惑っている。

「話聞きたいことがあるんよ。街中のさっき火事があった所から来ましたよね。」

捜査対象者黙っている。此処で畳みかけなければ。

「あなたをあそこで見掛けたから、僕ら此処に先回りしたんよ。聞きたい事が有るんで一緒に署まで来て貰える?」

黙って目を逸らせている。視線の先に移動して

「一緒に来て貰える!」

睨みつけながら強めに言ったら小さな声で、

「はい。」

と答えた。所轄系の無線機で、

「中央131から中央一課、捜査対象者発見し職質中。任意同行応じていますので至急捜査用車の手配願う。どうぞ。」

「了解、場所送れ。どうぞ。」

「張り込み対象箇所の北方100メートル、一灯式信号機の交差点。どうぞ。」

「了解。向かう。そこで待機せよ。どうぞ。」

「なお自転車の搬送方も考慮願います。どうぞ。」

「了解。どうぞ。」

「以上中央131。」


 捜査用車が着く前に、

「何であんなことしたの?」

「いや、僕何も。」

「さっきの火事現場からずっと見てるよ。言い逃れできる?」

「………。」

「僕らあなたの名前も住所も全部知っとるよ。帰る時此処通るんも分かっとった。前からずっと見張ってて家出たの見て大勢が遠巻きにしてたの気付かんかった?」

「………。」

「黙ってたらごまかせる思うたら大間違いよ。」

「………済みません。」

蚊の鳴くような声で謝った。

「何が済まんの?」

「いや、あの、ゴミに火をつけて燃やしたのが。」


 機動捜査隊の捜査用車が到着した。バイクは明日取りに来ることにして、先輩と機捜隊の人が対象者を挟んで後部座席に座り任意同行を開始した。結構強めに押し込んだけど、これでも任意かな?うん、一応任意ということで。僕は自転車があるので現場に残り搬送車が来るのを待った。


 署に帰ると一課長が、

「土居刑事、今日の分はさっさとうたわしたらしいの。上出来じゃ。対象者出て無いと聞いて皆現場付近に集まったが、お前ら二人はええ着眼点やった。よっぽど自分の主任が信用できんかったんじゃのう。」

「えっ、あっ、あははは。」

課長も笑ってる。

「好判断じゃ。それに平気でハッタリかませるように成っとるらしいし。」

「あはは。」

「それも調べのうちよ。」

「主任どうしてるんですか?」

「放っとる。時間過ぎたら勝手に帰って来るじゃろう。一係長に絞めさす。」


 今日の放火は着火物のゴミが燃えただけで、周りに燃え移って公共の危険を生じさせる恐れが無いので器物損壊。それも燃えたのは無価値物なので、空家の放火をうたわして通常逮捕するらしい。今二係がやっているそうだ。あれはよく燃えた。着火し易い場所に燃え易い物を積んだのが石原部長だということは黙っている。

「本当は容疑者割った奴に調べさしてやりたいんじゃけど、辞めたバカ係長らのせいで一寸経験不足やからな。二係長が調べて係は補助じゃ。土居刑事が兄貴に付いて調べ学んだように。」


 課長が言った通り終了時間が来たらさっさと切り上げて主任帰って来た。まだ自分が外出見落とした事に気付いていない。課内がざわついているので一応怪訝な顔はしている。主任受令機のイヤーフォンしていない。やっぱりそうか主任県内3系の無線しか聞いて無いんだ。飛び交っていたのは県内1系と僕が報告に使った所轄系だったからか。帰ってきたらすぐに一係長が顎をしゃくって取調室を示し主任に入るように指示した。


 入ったらすぐに、

「喧しい!おのれがええ加減な勤務したことは判っとるんじゃ!」

大声で怒鳴られている。主任図太く無神経だから効かないけど、近くの調べ室にいる今日の被疑者には効果があるかも。僕が見たところ気が弱そうなタイプだったから。一係長、主任には効果が無いけど二係にはアシストになりますよ。


 暫くしたら一係長出て来て、

「無線絞って昇任試験の勉強しとったそうです。」

「何、昇任試験?軒下で?追尾のために自転車で行っとるんじゃろう。」

「私物車両で行ったそうです。」

「公民館の駐車場に停めた車からじゃあ捜査対象者宅見えんじゃろう?」

「公民館横に公園があるんですが、そこからなら見えん事も無いんで、進入禁止のチェーン外して無理やり車突っ込んだそうです。見えにくい場所から一応見る積りやったらしいんですけど見んかったみたいです。」

「1系の無線機・受令機は?」

「着装していなかったそうです。」

「何でや?」

「本来今日は2人で配置に着くはずで、相勤者が1系の無線機を所持するはずでした。相勤者が急に臨場できなくなり本来その装備を受け継ぐ必要があったのに、どうせ対象者は外出せんだろうから連絡手段は3系だけで良いだろうと思ったそうです。」

「馬鹿に付ける薬は無いのう。」

課長、相手するだけ無駄なのが分ったみたいだ。


 僕の主任って僕がこれまで取り調べをした犯罪者達と考え方が似ている様な気がする。奴等は、

『自分にとって必要だから他人に迷惑が掛かろうが他人にどう思われようが法に触れることを実行する』

『自分が面倒なことはしない』

『自分が楽をするために規則を破るのが気になら無い』

『自分が犯罪者になって身内が恥ずかしい思いをするのは知った事じゃ無い』

『その時やりたい事をやりたい様にする』

『同じことをしても、他人は捕まっても自分は捕まらない』

と考える。主任もよく似ている。

『サイコパス』

という言葉を聞いたことがあるので、課に在った

『現代用語辞典』

で調べてみると

『良心の呵責、罪悪感の欠如』

『利己的で自分の利益を優先』

『他人を思いやらない』

『誇大な自己価値観』

『無責任で人間関係が構築できない』

『衝動的行動』

『虚言を弄する』

といった事が特徴らしい。僕の主任全部当てはまる。


 呼び出しに応じた人達は順次帰宅し、課長と一係長、二係全員と僕と送致主任が最後まで残った。逮捕状請求は僕と送致主任が行き、発付を得た逮捕状は先輩が執行した。


被疑者は

『お前の姿が出火直後の現場写真に写っている。ジーンズとお前が今履いている某スポーツ用品メーカーのスニーカー姿で前籠がゆがみ色が剥げているシルバーの自転車に跨ったお前の姿が』

と言われてあっさり犯行を認めたらしい。そこでは顔が写っていないことは言わなかったらしい。被疑者は自分のやったことの重大さを理解していないみたいだと先輩は言っていた。


 その後もう朝が近かったので帰宅して、少し寝ただけでいつも通り出勤した。一番最後まで残っていた人の内、課長、一係長、先輩はいつも通り出勤して来た。課長は帰る時昨夜の捜査に出ていた人夫々に、段取りに合わせ出勤時刻を告げ僕には

「11時出勤で良いぞ。」

と言ってくれたのだが、普段通りに出て来てて良かった。課長も一係長も何も言わなかったが感触は悪くない。先輩は少し興奮が残っている。一昨年までの一係長・二係長だったらこんな充実した勤務はできていない。


 僕の主任は普段通りギリギリの時間に出勤して来た。朝礼の後三係長に調べ室に呼ばれて何事か言われていたが内容は分からない。聞くところでは三係長、

「主任には一人での勤務はさせるな。」

と課長から言われていたのに、急遽休んだ人がいたのでまあ良いだろうと一人で張り込ませたらしい。もう発生せんだろうという気持ちがあったんだろうな。こういうもんです。僕もたまたま遅れた日に火を着けられました。世の中手を抜くと、その時に限って悪い事が起こるんです。僕はもう二度とあの時の

『背筋が凍るやってしまった感』

は味わいたくないので細心の注意を払って刑事としても人としても生きていきます。


 勾留は問題なく認められた。何日か経って引き当たり捜査に出た。こちらからは

『犯行の順番毎に火を着けた場所に案内しろ』

とだけ言って捜査用車に乗せ本人に道案内させたら、最初に行ったのは1月3日に火事になったタオル工場だった。工場の道路側にある大きなシャッターの東側に火を着けたそうだ。そこには綿埃みたいな物の塊が置いて有ったらしい。本人は、

『むしゃくしゃするのでゴミでも燃やしてやろうと思い火を着けたが、シャッターと床の隙間から一気に屋内まで燃え広がってしまい驚き、一寸慌てたが何故か気分がすっきりした。暫く少し離れた神社の境内から火事を見てアパートに帰った。』

と言っていた。


 その日案内させた場所の中には最初の所以外にもう1箇所未把握の件があったが、翌日近所で聞き込むと

『そういえば、少し焦げたゴミがあったような覚えがあるが』

と言った程度だった。それ以外は全部、放火または放火未遂または器物損壊として把握済みの所だった。


 僕達が3人で再臨場した建設業者の使えなくなった足場材が燃えた現場で僕が領置したライターのことを思い出したので、

「此処では何を使って火を着けた?」

と聞いてみた。

「百円ライターです。」

「どんな?」

「ごくありふれた。」

「色は?」

「確か緑でした。」

【おー。】

「それは如何した?」

「最初使ったのはガスが切れたのでその辺に投げ捨てました。用意していた新しいのを出してそれで着けました。」

【おー。】

捨てた場所を被疑者に示させて写真を撮った。」


 帰署して調べ室で、

「このライター見覚えある?」

と建設業者被害の現場近くで領置したライターを見せたら、

「あそこで捨てたライターによく似ています。翌朝同じ所に有ったのなら僕が捨てたものだと思います。」

素直なええ奴じゃ。この件については先輩が調書にした。先輩、

「ゴミ拾いは単なる善行じゃ無いんやなー。」


 それより前、逮捕の翌日には被疑者宅にガサに行った。僕のアパートも古くてボロだが、僕は被疑者よりは

『健康で文化的な生活』

が営めている。被疑者は労働をしてそれへの対価を受け生活をしているのだが、かなりシンプルな生活だ。只最新のゲーム機とゲームは置いてあった。それと不思議な雑誌が。若い短髪の男性同士が見つめあう写真や、褌姿のおっちゃんがカメラに流し目をくれる写真とかが載っている。軽犯罪法違反はこの延長か。そういえば石原部長には色々な知り合いがいたな。その中にはこの手の人達も居た。その人達

『洋美ちゃんノンケやけど、私らを嫌がらんし差別せんし』

って言ってたな。

『ノンケ』

ってどういう意味なんだろう。そういう人達

『私らを馬鹿にしたり嫌な目で見る他の刑事達とは口ききとうないけど、洋美ちゃんなら』

って言ってた。部長も、

「儂はヘテロやけど、ホモの人を差別も区別もせん。他人に迷惑を掛けず法令に違反せん限り人間の行動は自由じゃ。」

って言ってた。その時はよく分からなかったけど。………今もかな。


 先輩が聞いた被疑者の話では県庁に比較的近い南西方向の一角に、日が暮れる頃から夜中にかけて男性が男性を誘う、そういう志向の人達が

『発展場』

と呼ぶ場所があるそうで、休みの日には時々そこに行き遊び相手を探していたらしい。声を掛けた相手に断られたりして、うまく遊び相手が見つからなかった日にむしゃくしゃして帰り道で物を燃やしたみたいだ。


 新聞の

『水曜日の放火魔』

の記事は会社に有った地元紙を読んで知っていたらしい。自分の事だとは思ったが、自分に警察の手が迫っているとは全く思わなかったし、何故か他人事で自分が当事者の様な気はしていなかったそうだ。一寸浮世離れした感覚の持ち主なのかな。犯行の間が空いたのは1月2月は寒かったので

『外出が億劫』

だったのと、暖かくなってからは

『新しいゲームに熱中』

していただけで捜査を気にしていた訳では無いらしい。


 取り調べには素直に応じているらしい。器物損壊程度が多いが、最初のタオル工場と、途中の酒屋の倉庫と、石原部長が準備した空家は全焼だ。件の空家は長年空家で誰が見ても人が住める状態ではなかった。周りが農地だった頃の名残で隣の家屋とは距離があり現実に周りは全く被害を受けていない。酒屋の倉庫は酒屋から道を隔てた空き地に建っていて当時夜間で無人だった。

『隣接し人が居住する建造物にすぐ燃え移る可能性』

を問われるとこの2カ所は現住建造物等放火とは言い難いが、最初のタオル工場は、工場と経営者宅が同一敷地内で軒を重ねる様に臨接して建っている。おまけに着火場所は住居側だ。現に住居は一部焼燬しているので現住建造物等放火ということで。非現住だけなら安かったのに。被疑者は放火は放火で、高い安いがあるとは思っていない。


 捜査は順調に進展している。本件である空家の火事が起訴された後酒屋の倉庫で再逮捕した。此処には野次馬の一人として消火活動を見ている所が写っているので

『知りません』

とは言えないし、言う気も無いみたいだ。只起訴後入った国選弁護人が若くて無駄にやる気がある奴なので一寸鬱陶しいらしい。現場に居たことは間違いないので、立会させての実況見分で

『被疑者しか知り得ない秘密の暴露』

を掘り起こして慎重に立件した。


 その件も起訴されたので、最後の再逮捕ということで一番最初のタオル工場の件で逮捕した。これについては当初失火と判定した警察のミスを素直に認め、

『被疑者しか知り得ない秘密の暴露』

によってはじめて放火であったことを知ったと明らかにし、誘導での自供では無く被疑者の素直な供述が立件に繋がったという内容の捜査報告書を作成した。被疑者も弁護士の誘導に対して

『自分の意志で案内した』

と言い切ったので、弁護士の功名心による攪乱も全て徒労に終わった。結構何度も現場や検察官の所に足を運びあちこち聞き回っていたし、手土産も持参していたが骨折り損になっただろう。


 発生時に臨場した僕の主任と、実況見分の責任者だった三係長は恥をかくことになったが仕方がない。主任は元より、三係長も見通しが甘かったというのは衆目の一致するところだ。その前に情報漏洩と職務放棄の処分が出ていて、主任は減給、係長は本部長注意、課長にも本部長注意の処分が下っていた。その後のこれだから三係長気に病んでも仕方ないか。監察沙汰にはなっていないが

『一人では使うな』

と言われていた主任を使って下手打たれている訳だし。


 主任は応えている様子は無い。処分発表前に

『自主退職』

を勧奨されたらしいが、首を縦に振らなかったらしい。昇任試験の勉強を一所懸命して合格さえしてしまえば、こんなことは問題では無いと思っているみたいだ。課長に依れば

『公務員法による懲戒処分』

は間違いなく、昇任、異動に影響を及ぼすらしい。


 三係長は公務員法では無く警察内部の規定による処分ではあるが大分気にしている。もう歳なのに単身赴任をさせられたり、慣れない制服勤務で交通反則切符を切らされるのが苦になるみたいだ。課長は全く気にしていない。

「部下が多いと当然使えんのも出てくる。そいつ等がやらかしたら巻き込まれることもある。それが嫌なら昇任せんかったらええ。」

平然としてる。

「誰が見ても巻き込まれの処分なんか管理職になったらある事じゃ。やることやった上で巻き込まれた警察内部規定での処分は人事には影響せん。自分の都合や大きな落ち度で受けたら少しは響くがな。」

そう思わない人が此処に居ますが。でも落ち度があるな。使えない主任を一人で使ったという。


 お盆前に人事異動があった。夏の異動は小規模だ。本人や家族の病気等止むを得ない事情がある人だけが動く異動だから。中央署に該当者は無かった。でもそれに合わせて署内異動があり、僕の主任が留置場勤務になり遊動警戒を手伝いに来てくれていた看守係が主任の後に来た。

「土居刑事、お前が教育係じゃ。ちゃんと躾をせいよ。」

「はい、分かりました。」

「嬉しそうじゃけど、喜んでばっかりは居られんぞ。責任を負うたんじゃからの。そこを忘れるな。お前、兄貴にして貰うたことを忘れるな。兄貴の様に物的な面倒まで見る事ができる人間はおらん。でも後輩を育てる心構えは一緒じゃ。」

「はい。一所懸命頑張ります。」


 僕の主任は不満をはっきりと口に出した。

「僕は本部の警務課から

『捜査主任』

で中央署に行かすと約束して貰っています。だからこの異動は受け入れません。」

「それ文書にして貰ううとるか?」

「いやそれは。」

「そしたらお前にそれ約束した奴連れて来い。」

「………。」

「お前が優秀な奴いう勘違いで紐が付いたんじゃ。お前が優秀じゃ無いのはバレてしもうた。もう誰も味方せん。懲戒処分を受けた今のお前には

『閑職に就かすべき奴』

というタグが付いとる。儂が着けた。

『使えん奴』

いう太鼓判も儂がついた。嫌なら辞めんかい。」


 諦めて留置勤務をすることになったみたいだ。それでも

『昇任試験の勉強を一所懸命して見返してやる』

って息巻いているらしい。その元気・やる気を仕事に活かせば良いのに。前途は多難ですよ。

『自分勝手』

『無能』

『協調性を欠く』

『無神経』

その他諸々のタグが付いているのだから。良い評判は皆無です。同期生がこの署に何人かいるのだけど、全員が

『嫌い』

『嫌な奴』

『付き合いたくない』

等々の返事を即答でした。


 着火マン2号の移監が済んだので、課長が約束通り自主的に遊動警戒を買って出た者達と事件処理をした強行二係を若竹に連れて行ってくれた。強行一係長は当り前の様に石原部長持の飲み会には常にいる。自他ともに認める弟分だから当然か。知らぬ間に秋が来ていた。今晩特に秋を感じたのはてんこ盛りの松茸と、山盛りの綺麗に脂がのった松坂牛が用意されて、すき焼きの準備がされていた事でだ。見たことも無いくらい身が厚い太刀魚の刺身、この辺りでは珍しい大振りで脂がのった生秋刀魚の刺身もある。旬の魚介や野菜の天婦羅も。立派な座敷には秋の花々が活けてあり、素人目にも良い物だと判る掛け軸や壺。日頃自炊や独身寮のご飯を食べている僕達は目がつぶれそうだ。若い衆全員テンションマックス。


 課長の簡単な挨拶があり、最初は何時もの通りシャンパーニュで乾杯。オードブル代わりの松茸と松坂牛のしぐれ煮。美味しい!初めて若竹に来た後輩たちは言葉が出ない。次はビール、甘辛各種の日本酒を各人の好みで太刀魚と秋刀魚の刺身。塩で食べる天婦羅は辛口の白ワイン。すき焼きはお世話をしてくれるお店の人の指導で、最初は肉だけを焼き始めた。肉には僕達では表現不可能な美味しい赤ワイン。その後野菜や豆腐には白にしては色が濃いワイン。白の内なのだろうけど肉と割り下の味が移った豆腐や野菜にこれが合う。


 女将さんが座敷に来て、

「当店女将の恵美と申します。石原洋美は現在県外に在住しておりまして本日は所要のため来る事が出来ませんでした。しかしながら食材・お酒は石原が慎重に吟味したものを十分な量手配してくれております。乾杯のシャンパーニュはしぐれ煮に合わせてブラン・ド・ノワールの一品でございます。ワインも色々試して料理に合うものを選びました。締めには松茸ご飯と松茸のお吸い物を用意します。どうぞ今宵は私共のおもてなしをお楽しみください。」


 慣れない高級店で最初緊張していた皆も、お店の人達の気遣いで徐々にリラックスしてきている。課長が、

「今日は壊れ易い儂の財布じゃないから気にするな。石原先輩の財布はこの位では壊れん。

『皆の頑張りで儂が一課長できとる』

言うたら

『そしたら張り込まないけんのう』

言うてくれた。松茸は京都の専門業者が丹波産を沢山工面してくれたそうじゃ。肉は伊賀上野の有名な老舗の最高の物を送ってくれた。此処の次は舞もある。節度を無くして酔い潰れん程度に目一杯楽しんでくれ。」

女将に、

「松茸此処に出てるだけじゃ無いんでしょう?」

と聞くと、にっこり笑って、

「当たり前でしょう。可愛い妹が十分儲かる様に気配りするのが兄というものよ。肉も魚もワインもね。」


 若竹での宴会が終わる頃、課長が立ち上がって何か小さな紙包みを出した。二係の先輩を呼んで、皆の注目を促してから、

「これは石原先輩からの褒美じゃ。」

と言って先輩に手渡した。

「開けてみろ。」

先輩丁寧にリボンと包装を外して中を改めると、漆塗りの万年筆が出てきた。蒔絵というのかな、綺麗な装飾が施してあり先輩の名前も入っている。

「これを僕にですか。」

「石原先輩はな

『捜査係はまだ判って無い被疑者を割るのが仕事じゃ。今回粘り強く写真を見比べて容疑者を割ったのは価値がある。自分で割った被疑者からこの万年筆で突っ込みどころのない調書を取ってくれたら嬉しい事じゃ。』

言うとった。今回は取調官にせんかったがお前にはまだなんぼでも機会はある。これからはワープロの時代になるが、捜査書類作成者の記名はいつまでも自筆じゃ。自分の名前くらいは練習してこのペン使うて綺麗な字で記名してくれ。」


 先輩感激している。他の若い衆は皆羨ましそうにしている。

「お前らも一人前の事が出来だしたら石原先輩に頼んでやる。一人前のこと言うのは、書類が上手に書ける様になるという意味じゃあ無い。判明して無い被疑者を割る事が出来るいう意味じゃ。」

自分も胸の内ポケットから柄違いの同じような万年筆を取り出し皆に見せた。一係長も脱いでいた上着の内ポケットから同種のものを取り出して皆に見せた。

「兄貴は自分が鍛えた者が一人前になったと認めたら万年筆をくれる。免許皆伝とは言わんが修行の成果を認める

『切紙』

代わりかな。この上には

『目録』

に当たるものがあって、捜査技術+警部補昇任じゃ。その上は免許皆伝じゃがまだ誰も貰うた者はおらん。課長は左手の袖をまくって腕時計を見せ

『目録』

の副賞は腕時計じゃ。名前入りで貰える。儂等二人は最初の頃からの子飼いじゃから巡査部長昇任でも貰うた。二人とも今身に着けとるのが巡査部長の時の物じゃ。警部補で貰うたのは二人とも盛装した時に着装しとる。お前らも励め。直接兄貴に師事せんでも儂らが認めたら孫弟子じゃ。」

皆やる気満々だ。


 派出所の後輩が、

「土居さんの万年筆見せてください。」

「え、…僕はまだ貰うとらん。」

悪いことを聞いたかなという顔と、どうしてという顔をされた。笑ってごまかした。


 その後は定番通り舞に行った。此処も石原部長からの電話が入っていた。予約席には高そうなスコッチの新品ボトルが何本も用意されていて

『事件解決おめでとう』

のメッセージと人数分の車代が用意されていた。流石だ。最初にもう一度解決祝いの乾杯をシャンパーニュでして、今回の事件解決には僕も少しは寄与できたかなと考えながら、一寸嬉しい宴席を楽しんだ。


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