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【 西へ西へと、君と征く 】  作者: 八尾 十一
一章〈名もなき目覚め〉
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一章《一節 波間より》1


 男が感じたのは、濃い潮の香りだ。

 それと共に意識が浮き上がり――、彼は頭……特に額に強い痛みを感じた。それだけではない。体中にひどい痛みがあり、同時に骨が鉛にでもなったかのように、重く感じる。


 ざらりとした感触のものの上で横になったまま、彼は目を開き……しかし、焦点が合わず一度強く瞬きをした。

「やあ」

 その身動きに感づいた様子で、傍らの一人が振り返る。そして猫の鳴くような声であいさつをした。


 その声は低くもなく、高くもない。そして、幼いと呼ぶにはやや年かさで、性別をつかみかねる容姿をしている。

 白く長い髪に、白い肌、黒い外套を身にまとっており、瞳ばかりが薄赤い。


 ――死人が迎えに来たか……。男の脳裏にはそんな幻想が湧いた。


「気が付いたのだね、無事かい? 手当はしたけれど、どうかな」

 痛いところはないかい? そう尋ねられ、男は早急に認識を改めた。

 まぎれなく生者で、死神とは真逆の行為をしてくれたのだと。


 その気遣いの言葉に、男は感謝と返答を返そうとし……

「生きてる! 怪我はしちゃいるがまあいい。好都合だ。なあ、その男はこの金の腕輪でどうだ」

 しかし、下品な声で遮られた。

 そう興奮気味に話すのは、頭に布を巻いた小太りの男だ。似た風の男が他にも二人後ろにいる。

「この村の人たちは、領主に届けると言っている。邪魔だから、退いてくれないかな」

 白髪の人物が少し低い声で言った。

 他にも彼らが、二言三言と言い合う。


 今しがた目覚めた男には、状況がまるでわからない。

 彼は痛みをこらえ、少し体を起こした。

 それでわかるのは、波を白く砕けさせる海が、少し先にあること。その波間に、砕けた木や樽や箱、他にも様々なものが漂っていることだ。浜辺も同じようなありさまだった。海水を吸い色を濃くした、さまざまなものが転がっている。


 男の視界には、懸命に動いている人々も映った。質素な服をまとった人々だ。彼らは波間へ漂っているものや、浜に打ち上げられたものを、助け上げている。

 そうして助けられたものや運ばれたものが、男の周りにもある草織物の上に寝かされていく。

 せわしなく働く者達が、白髪の人物が村の人と呼んだ者だと、男は察した。

 一方では、主に女性達が、草織物の上で呻く者たちの手当てをしている。彼女たちは作業の合間に心配げな視線を、こちら……主に白髪の人物へと向けていた。


 だが、小太りの男は、そんな視線など構わぬ様子だ。彼が、口をゆがめて言う。

「領主がこいつらを助けると思うか? 支援をしてくれるとでも? なにもしちゃくれなかったらどうなる。何人助かるか知らねえが、ここには無駄飯食らいを抱え込めるような余裕はねえだろ」


 傍で聞く男も、その通りだと思った。周囲の景色は木々の芽吹きが著しい時分だが、その時分の村とは貯えがつきかけている頃なのだ。

 救助に船を出しているあたり、半農半漁の村であるようだが、とても潤っているようには見えない。

 どうもこの人買いらしい男たちは、そういった村々を訪ね、買付けをしているらしかった。

 自分たちに渡す方がお得ですよと、いった具合に小太りの人買いが話している。何も彼らも無料で、などとは言っていない。彼が指し示す金製だという腕輪は、混じり物が少なければ高価なはずだ。


「そんなこと、君たちには関係がないよね。村長が人買いには渡さないと言っているんだから、君たちはお呼びではないのだよ」

 白髪の人物が返す。

 村の女性たちも同意見のようだ。村長が決めたからというのもあるだろうが、彼らも海と共に暮らすものであるがための心情があるのだ。


「今はそう思おうが、おれはそうやって無駄飯食らい抱えて、つぶれた村をごまんと見てきた。なあ、目に見えた苦労をする必要なんかねえ、どうせ赤の他人だろが」

 引き渡せ、と人買いが言う。彼らとしては、とっとと買い付け、商品になりそうなものへ手枷なりなんなりをし、立場を固めたいのだ。


「しつこいなぁ……」

 引き下がらない彼らへ、白い人物は苛立ちを覚えているようだった。男が目を覚ますしばらく前から、このようなやり取りが続いているのだろう。

 それは小太りの男たちも同じらしかった。ずいと一歩足を踏み出す。

 剣呑な雰囲気が高まる。


 その中で男の視界の端には、力仕事を担っていた村の男たちが身構えるのが映った。とはいえ、村の男手であるという以外は、暴力に慣れていそうな風にはあまり見えない。精々少し腕力で身を守れる程度のことに違いない。

 それでも、彼らは白髪の人物を助けねば、と思ったようだった。

 なにせ白髪の人物はずいぶんと小柄だ。それこそ、小太りの男とは大人と子供と言うといささか言い過ぎだが、男と女程度には体格に差がある。

 対して、人買いたちの方は、暴力をふるうことに抵抗がないように見えた。


 その上――

「みんな、近づいてはいけないよ。何があっても」

 白い人物は周囲……、村の者たちに警告を発した。

 村人とはいささか毛色の違うように見える白髪の人物が、どういった人物であるのか男は知らない。

 しかし、人買いからそれ以外を守ろうとする姿勢は見てとれた。

 周囲もそれを感じ取っているようで、固唾をのむ音が聞こえるようである。


 ともあれ、白髪の人物さえどうにかできれば話は済む。そう、人買いたちが、判断するに十分な状況が出来上がった。

 人買いたちが、鼻を鳴らした。白髪の人物を暴力で退け、商品にできそうな人間を、買うのではなく力づくで奪うと決めたとみえた。


 白髪の人物は、身にまとった外套の下でわずかに動く。

 それを視界にとらえ――まずい、と男は思った。

 男の気づきとは真逆に、小太りの人買いは、白髪の人物の身動きを、おびえているとでも思ったのか。

 突き飛ばそうとした。荒事を見せれば、他の村の者たちも引き下がるはずだ、といった具合に。


 男たちの腕が、白髪の人物に延ばされ――


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