十五章《六節 末に連なりし者》2
嫌いだと、もう一度叫ぶ。
嫌いだと、姿形のまま吼える。
瞬きをしたロゼの目には、現在が映った。
いつの間にか、エーイーリィの手勢が折り重なっている。シェンナだった物が、石畳から虚空を見上げていた。
クゼリュス王の護衛が厚かったのだ。
外から続々と現れる増援もあって、抗いきれず一人、また一人と倒れゆく。
ロゼは視線を転じた。再びその男を見る。
故郷の焼失も、家族の喪失も。
エーイーリィの悲劇も、サクラスの不幸も。
現状も、全て、全て、一人の男に集束する。
季節が一巡りする間禁じられ、いつの間にか薄らいでいたものが今、ロゼの中で溢れた。
クゼリュス王ヒースヴィオラ。それが、元凶なのだ。
ロゼの目には敵が映った。
地を蹴る。
大きく顎を開く。爪を剥く。
噛み潰してしまえ、引き裂いてしまえと内心に叫ぶ。
「王よ!!」
叫んで飛び出したのは、赤い上等な服を纏った貴族だった。
それが誰であるかを知らない。
しかし、身体ごとでそれがぶつかり、ロゼの足は鈍った。
姿形が大きく変わった事で、人の間をすり抜けられない。
あまつさえ、王の盾にならんと武人然とした壮年の男が、前に立ちふさがる。
恐れなく――いや、それを越えた意識で短槍が繰られる。
身に届くより前に、ロゼは前肢でそれを受けた。
毛並みは厚い。しかし、鷲獅子のそれは、鋼の武器を弾くほど強固ではない。
血が毛並みを赤く染める。
ロゼは唸った。
その男に報いを与えさせろと。大切なものを悉く奪った男なのだから。
しかし、
「しっかりおし!!」
叩きつけるような声。怒声に撃たれ、ロゼは弾かれて退った。
エーイーリィの女将軍の、深手を負った姿。
それでも、両足でしかと土地を踏みならした、サーダリスが叫ぶ。
その目が言う。――違えるんじゃない。
ロゼの胸に、裂かれる様な感覚が占めた。
むき出しの感情は歯牙を疼かせてくる。
しかし、その一方で……
体に触れたあたたかさに、ロゼはその方を見た。
「……オルグレン」
獣の声帯を繰って呼ぶ。
青年は両腕を広げ、ロゼを背に庇うようにしていた。
「ロゼ……」
オルグレンの声は、彼のものにしては細い。それでも、低く優しい響きがある。
呼ばれ、ロゼは自分へと引き戻されるのを感じた。
酩酊から覚める。
現へと戻り、周囲の状況がようやく目に入る。ロゼは己がどれほど逆上せていたかを自覚した。
周りには、駆けつけてきたクゼリュス兵。それが弩列を形成している。その鏃が、すべてこちらを向いていた。
オルグレンが居るがために、まだ射かけてこないだけなのだ。
一度強く目を閉じ……開いた目に、ロゼは青年の姿を映す。
見上げてくる夏空色の目は、今は少し陰っていた。それでも、彼を西へ――彼自身の国へと返さなければ、という望みがロゼの心に戻る。
ロゼは顔先を彼の背中へと当てた。本当は、鋭すぎる爪のある手の代わりに、額で彼の腕へと触れようとしたのだ。だが、体の大きさが分からず上手くいかない。
ともあれ、青年に触れロゼは、オルグレンの体が一瞬強張るのを感じた。
彼の胸の臓器が、震えている。それを聴覚と触覚、獣に近い五感が拾う。彼の肌からは、薄っすらと緊張のにおいがした。
馬と親しむ民なればこそ、鋭い爪を持つ獣は恐ろしいのか。或いは自身が巨大な獣であるからか……。
化け物め、ベイセルの言葉が脳裏を過る。
それでも、
「つかまって」
ロゼは言葉をオルグレンへと繰った。
いつもは優しく何の躊躇もなく延べられる手が、今は白い毛皮を恐れるように戸惑う。
それはどうしてか、ロゼは察することができなかった。
代わりに、今は小さく感じるオルグレンの体に、さらに深く首を差し入れる。
そして、その長躯を首の上へと持ち上げようとした。
「……まだ体の動かし方がわからないんだ。だから、つかまって」
ロゼは素直に言う。
不安を告げればオルグレンが一度、強く奥歯を締めるような顔をし、それでも動いてくれた。
馬に乗るように体勢を直し、彼が首へとしかと掴まる。
確かな重みと温度を背中に感じロゼは、駆け出した。勢いが強すぎ、石段へと体が衝突する。
四肢の使い方には違和感があった。遮二無二から脱し改めて意識すれば、前肢の動作と息が合わず、後肢で跳ねそうになる。
大きく蛇行し、それでも人と観客席にぶつかりながらも駆けた。
地を蹴るたび、鋭い爪が石段に当り硬く鳴り響く。
「サーダリス!」
その横を抜ける間際にロゼは叫んだ。
敵に熊と呼ばれた女将軍が応える。
「お行き!」
彼女の脇腹には、短槍が刺さっていた。
邪魔な柄を切り落とし、彼女自身まだまだ動ける様子ではあるが、最後を感じさせる有様。
それでも、エーイーリィの将軍は吼える。
「馬司の王子!」
腹に傷を負いながら、それでもサーダリスの声は力強い。
「あたしは逝く! 約束を忘れるでないよ!」
そう叫ぶ。
オルグレンは言葉を返さなかった。
それでもロゼには背にある青年の体が、熱くなったように感じられた。
彼を逃がさなくてはならない。今までの恩に報いるためにも。
そう胸に刻み、ロゼの足はサーダリスの横を抜けた。
全身を躍動させ、駆ける。逃がすまい、そうするクゼリュスの兵を振り切る。
闘技場の石段を駆け抜けながら、ロゼは呼びかけた。
姿形が近づいたせいか、親しむべき存在がはっきりと感じられる。
そこへ、己のこころの繋がりを伸ばす。
懐かしい……それでいて痛みを感じる山――昊天の峰へと。
自身が勝手をしていることは、自覚していた。
だが、それでもどうかと願い、こころを向ける。
飛び方を教えてほしい。体の使い方を教えてほしい。
そう弟妹なる者――鷲獅子へとこころを繋いだ。




