序章一〈死神の終わり〉
死ぬまでに一作物語を書ききってみたい!という
思いで書き上げてた話を手直ししながら投稿しています
スロー展開ですが、ご趣味に合いそうであればお付き合い頂きたくお願い致します
渓谷の河原は、角ばった石ばかりが転がっている。
その硬い石に横たわったまま、狂った死神と呼ばれた剣士は静かに悟った。
それは、自身の終わりのことだ。
剣士がこの世に生まれ出て、三十と少し……それがもう間もなく終わるとわかる。
終わるのだ、死神が、と胸中に呟き、剣士は顔の引きつりにしかならない苦さを浮かべた。
……死神。 それも、狂った死神――。
その名が示す通り、剣士はいつも命の終わりを与える側だった。だからこそ、いつか奪われる覚悟はあった。
とはいえ死神自身、悲願を成し遂げてからという望みはあったが……
しかし、今、その時は訪れてしまった。
死神の簡素な鎧の下からは、命が止めどなく滴り落ちている。
この顛末を簡潔に言えば、剣士は宿敵を討つため、同志と共に挑み……無残にも敗れたのだ。
見事な返り討ちだった。
戦いの中、反撃で受けた傷も、旗色悪しとそこから逃れる間に受けた傷も、幾多も身に刻まれ、いずれも深い。
死神の繰り返す息は浅く、忙しない。そのわりに細く弱々しい。
指の一本一本、爪の先に至るまで意志が通っていたはずの四肢はもうない。重い布袋が垂れ下がっているようなものだ。
あるべき痛みさえ、とうにない。
死神には、体のすぐ脇を流れる川の流れの激しささえ、隔たりの向こう側のように思えた。
――間もなく命が尽きる。その中で、剣士は目の前にある影へ口を開いた。
「……おい。……聞け、遺言を残す」
声を掛ければ、死神の横にいた影が顔を上げる。
その影は人だ。剣士と同じ黒い装束を身にまとっているが、まだ子供だった。幼い時分は過ぎているが、大人と言うほど育ってはいない年頃。
とはいえ、決して半人前ではない。剣士がその子供を拾ったのは数年前。以来、死神とその相棒ともいうべき男、二人が磨いた硬玉――いや、剣だった。
その容姿は、朝陽に照らされた新雪のような白髪が目を惹く。次いで、薄い紅の瞳。まだ丸みの残る頬をした男のようでも、女のようでもない造作の顔。
そこに今は消耗の色が濃かった。小柄な体躯は、荒れた息で上下している。
それは無理もない話だった。剣士も戦った戦場で、その子供もまた戦っていた。目的を遂げることもできず引き下がる間も、よく戦い、よく守った。
そして敵の追撃を振り切るために、崖から渓谷を流れる川へと飛び込んだ。その凍らんばかりに冷たい濁流から、今しがた上がってきたばかりなのだ。
すべて深手を負った死神を連れたうえで――。
その子供へ、死神は一言一言、言葉を刻む。
「小僧、……狂った死神、サクラスの道はこれで終いだ」
子供の面に、感情が表情となって浮かんだ。それを目に収め、サクラスは笑おうとして力なく息を吐いた。
「最後に願う。季節が一巡りするまでの間だけでいい」
息が続かず、一度言葉を切る。
そして喘ぐように肺に空気を入れ、死神は続けた。
「……お前自身を、この死神に預けろ」
言いながら、このまますべてを伝え切れるか、剣士は一瞬疑問に思った。だが、血の滲む唇はまだどうにか滑るように動く。
それに……それほど長い言葉でもないのだ。
強制の言葉とは裏腹に、死神は苦悶の中で表情をわずかに緩めた。
穏やかに、願う。最後に伝えたかったことは――
「お前は友を作れ」
そう伝えつつ、剣士は思った。
……血に狂った死神が、さらに気が狂ったような話だ、と。
最後に言い残すべきと決めたものは、果たせられなかった望みへの渇望でもなく、悲しみや恨みでもなく、呪いの言葉でもない。
無念であるという思いがないわけではなかった。剣士サクラスから家族を奪い去り、大きな屈辱を味わわせた、その人物への返礼は済んでいない。
だがその怒りよりも、生き残るだろう子供に何かしてやろうという気持ちの方が、少しばかり大きかったのだ。
「それまで、お前の悲願の一切は、なしだ。……いいな」
弱々しい息を吐く最中、サクラスは考えた。
子供を、剣として育てるべきではなかったのかもしれない、と。
しかし、それでもその数年は、剣士にとって実に胸に残る充実を感じた日々だった。
欠きがたい時であったことは、間違いない。
この子供と、死神の相棒ということになっている男……、それらの姿が剣士の閉じかかった瞼に暖かく映った。
「ああ……、あいつ……」
……怒るかな、ゼオン。その言葉は、音のない最後の息となった。
わずかに微笑むような形。その形で、サクラスの血の気の失せた唇が止まった。
それが、剣士サクラスの最後――
血濡れた道を歩いた狂った死神の、意外なほど穏やかな終着点だった。
それから月の形が一巡する頃……




