着せ替え人形と裏腹ロボット⑥
思わず閉じてしまった目をゆっくり開けると、俺の左手首に高級感のあるスマートウォッチが装着されていた。
《わたくし、かなえ様のライフログを二四時間管理し、常に最適なサポートおよび、日々の営みを一番近くで監視……いえ、記録させていただきます。どうぞお好きに、手荒に扱ってくださいましね。代わりはいくらでもございますので》
カチリ。ベルトがややきつめに固定され、生温かい排熱が直接肌に伝わってくる。
ライフログ? 俺の手首に巻き付いたって、心拍も体温もゼロのデスログしか録れないと思うのだが。
「気遣いはありがたいけど、監視なんかしなくても約束ならちゃんと果たすよ。そこまでしてくれなくても……あれ、取れない。これどうやって外すの?」
《うふふ、およし下さいかなえ様ったら。腕時計に腕時計の外し方をお尋ねになるなんて、愉しいお方》
「いや、ほんとに……」
《動画も再生可能ですよ?》
「マジで!? ネットは?」
《もちろん、衛星通信を介して地球のどこにいようとも快適な閲覧が可能です》
「でもお高いんじゃないかい? こちとら文無しだよ?」
《このお家の光熱費等と同様に、町会とお嬢様の後見人の方がお支払いくださいます》
至れり尽くせり、懇切丁寧、カモがネギ。
なんてこった。俺のやりたいことリストの上位にある「タブレットの修理」が消滅してしまう。
しかしそのありがたい申し出をすんなりと受けるわけにはいかない。
ロッテさんはあの白く大きな四角い少女が孤独にならないように心を砕いていたはずだ。
俺がこの超高性能ハイテク腕時計を独占してしまっては、本末転倒だろう。
「二四時間ってのはちょっとな。ユキがひとりになっちゃうじゃん」
《ご心配には及びません。このお家にも端末がございますから、お嬢様のお世話をする時間にはそちらがアクティブになり、その間はバックグラウンドでかなえ様のログを記録いたします。先ほど申し上げた〈人造人間法〉で、家庭用機が同時に二か所で稼働することは禁じられています。要するに、一日の大半はただの腕時計にすぎないのです》
「うーん、まあ、あなたたちがそれでいいなら……」
正直なところ、常に見られて問題ないほどお行儀よくしていられる自信がないというのも辞退したい理由の半分だったのだが、それで気が済むのなら努めて受け入れよう。こうして話ができているとはいえ、壊してしまった負い目はやはり拭い去れない。
それにしても、ロッテさんが不測の事態に備えてくれていてよかった。
単身でこの屋敷の管理を賄うには、たしかに用途によって複数の端末があって然るべきだろう。
ん、複数の端末?
「ほかにも端末があるんだ」
《ええ、わたくしの本体に異常があった際にいつでも予備として即時起動できるものが複数ございますから、万一の事態でも安心です》
「ってことは、俺がユキに脅迫されてたとき、もっと早く助けに入れたのでは?」
《……スミマセン、ヨクワカリマセン》
「AIがとぼけるときのやつじゃん」
《いえ……いいえ、違うのです。わたくしがお二人の様子を目にしたとき、表情や声色から、愉しんでらっしゃる可能性を検知し、経過を観察する選択をしたのです》
「……」
着替え、着飾るという未知の行為がだんだん愉しくなってしまっていたのは事実だ。
事実、いまもユキから貸し出された『オネション』とかいうゲームのコスチュームを着たまま、俺は和室に立っている。
帰るからにはこれを脱ぎ、また元の着衣状態に戻らねばならない。
あの週刊誌のグラビアを改めて凝視することで、すんなり戻れればいいのだが。
《お召し物でしたら、ご用意がございます》
「そうなの? でも、この家にある服ってたぶん私にはきついサイズなんだよね……」
《いえ。きっと、問題ないはずです》
やけに確信めいて言うロッテさんに道順をナビゲートされ、一室のふすまを開く。
ダンボールが壁際に積みあがっており生活感はないが、埃っぽくもない。掃除は行き届いているようだった。
奥にあるタンスを開けると、草木にも似たにおいが鼻を突いた。
丁寧に正方形でたたまれた衣服を上から数枚取って身体に合わせると、ロッテさんの言う通り下着からボトムスまですべてぴったりサイズだった。
初めての快適な着心地というものについつい興が乗ってしまった俺は、タンスの端から端まですべての服を取り出し、スカートだのワンピースだの浴衣だのを試着しまくり、最終的に動きやすそうなタンクトップにデニム、薄手のシアーシャツというコーデに落ち着いた。
途中ロッテさんが気を利かせて着替えやすいよう髪を後ろで結んでくれたのだが、存外気に入って頭はポニーテールのままだ。
胸の中に謎の満足感を感じているが、同時になんだか所在がないような、気恥ずかしさも感じる。
それはこの姿が本来の俺ではなく借り物であり、服までもまた借り物だということに起因しているだろうか。
このむずかゆさの中で、俺はいったいどんな表情をしているのだろう。
「あ、そうだ」
先刻のドタバタと一人ファッションショーですっかり忘れていたが、ようやく再会できたかわいい義妹であるところの千代子が、鏡を探せと言っていたのを今更ながらに思い出す。
たしか、“上ノ下”という名の誰かのことも言っていて、そちらが本命のようだったが、ここへは少年以外めったに訪ねてこないだろうし、人探しは他をあたるとして、鏡について訊いてみようか。
イメージからすれば、千代子が言っていたのは神社に祀られるタイプの銅鏡とかだろうが、そもそも俺は通常の鏡の実物すら見たことがない。
たとえなんの変哲もない姿見が出てこようとも、俺はいまの自分がどんな姿をしているのか確かめたくてしかたがなくなっていた。
新しく旅の仲間となったスマートウォッチに、早速最初のサポートをお願いするとしよう。
「この家に鏡ってある? 一度、いまの格好を見ておきたくてさ。いや、決して愉しんでいるわけではなくってえ……」
《……》
「ロッテ……さん?」
《いいえ、あいにく──》
それは初対面のときのような硬質な声色だった。
なにか訊いてはいけないことでも訊いてしまったような気まずさが、急激な波紋のように部屋を埋め尽くす。
腕時計に瞳はないのに、文字盤から俺の目を真っ向から貫かれているような気がして、俺は無意識に息をのんでいた。
《この家に、鏡は一切ございません。無用のものですので》




