着せ替え人形と裏腹ロボット①
千代子がいた空間から落下して投げ出された俺がまず目にしたのは、太い竹で格子状に区切られている、焦茶色の高い天井だった。
のちに判明するのだが、一般的な家屋より天井が高い。おそらくはユキの機体が室内で稼働しても問題がないだろう。ただ、それを想定して建てられたにしては木の色の深みに年季が入っているので、単なる偶然なのかもしれない。
天井は俺の真上あたりで別の部屋かのように高さが変わっていた。斜めに勾配がついているこちら側に対し、反対側の平坦な面は草を編んだような細かい模様で彩られ、材質の違いを感じさせる。
実際のところ、家屋の天井というものをまじまじと見たのはそれは初めてだった。
パッと思いつく数少ない知識はアニメにおける描写だ。しかしこれまで観たアニメの中で一般家庭の天井が詳細に描かれていたとしても、天井そのものに強い興味を惹かれる演出など皆無だった。
少なくとも野比家や野原家の天井は平坦なものだったような気がする。だとすれば、ずいぶん変わった作りだ。
奇妙な天井の下で、俺は布団に寝かされていた。
そこが鼎家の一室だとわかったのは、壁を隔ててその家の住人の話し声が聞こえてきていたからだった。
《──ボクは別にいいと思うよ、そのままでも。ドラムがなくてもリンクはできるんだし》
《なりません。わたくしがこんな姿では、いったい誰がこの家をお掃除するのです? お給仕は? お客様の応対は?》
《どーせリンちゃんしか来ないんだからさー。ボクも掃除くらいできるし、あの子もお願いすればちょっと掃き掃除くらいしてくれるってえ》
《ご自分のお部屋を片付けてからおっしゃってください! それに、凛二郎殿を過労に追い込むおつもりですか?! 彼はお嬢様のお願いとなると一切の躊躇がなくなってしまうのですから》
《えへへ……》
《喜ぶところではありません! 彼のそれはサービス精神ではなくもはや強迫観念なのです! 疲れ果てようとも、ご本人にも止められません。隙を見せてはならないのです。今までだって、わたくしが説得に説得を重ね、ロボットの仕事を奪う不人情を訴えて泣き落とし、家事はお任せいただくようお願いしていたのですよ?》
《ちぇー、わかったよう。じゃメーカーの人に来てもらうってことで。……ボクあの人苦手なんだよねえ。なあんか、気持ち悪くってさあ》
《お嬢様……間違ってもご本人の前で口を滑らせませんように。“個性的”とおっしゃいなさいませ》
まだ覚醒しきっていないせいか、話し声は音として認識されるだけで、内容が頭に入ってこない。
変にくぐもって聞こえて、もしかしたら巫女か仮面女か義妹の暴力による後遺症が聴覚に異常をもたらしているせいかもしれなかった。……短期間に暴力を受けすぎだ。その可能性は十分にあり得る。
話し声の一方はおそらくユキだろう。いくら世間知らずといえど、ボクっ娘がそう何人も現実にいないことぐらいはわかる。
そしてもう一方の声の主を想像し、俺は安堵よりも緊張を感じていた。
できたばかりの機械の友達。俺に初めておもてなしの心を見せてくれた礼儀正しきご近所さん。そして出会ったその日に粗相をしでかし破壊してしまったはずの彼あるいは彼女の声だった。
なぜ彼/彼女の声がする? あれは夢だったとでもいうのか?
《かなえさーん、起きたー?》
《お嬢様! いきなり開けては失礼です》
薄墨で富士山らしき山が描かれたふすまが開かれると……えーと、〈板〉が入ってきた。
二メートルくらいの白い角柱の両脇にスタンドが付いた謎の物体が、畳の上をモニュモニュと奇怪な音を立てながらスライドしてきた。
動転していた俺は、それが夕方に少年とともに箱状に分離して屋内へ入っていったユキだと理解するのに数秒かかった。
見回してみてもロッテさんの愛くるしい炊飯器のような姿は見えない。
やはり夢ではないのだろう。まだ手にあの不思議な感触が残っているし、これ見よがしに煙とスパークを上げ、あからさまに壊れていたんだ。
だから声が聞こえたのは幻聴かもしれない。そうでなければ幽霊だ。
俺は布団から身を起こし、どんな言葉で謝罪すればいいのか、あるいはどのように賠償金を工面すればいいのかまったくわからず、砂漠の遭難者よりも喉をカラカラにしながら訊いた。
「ろ、ロッテさんは……? 無事なのか……?」
《かなえ様! わたくしは──》
一瞬ロッテさんの声が聞こえたような気がしたが、その中性的なさわやかボイスは聞き取ろうとした瞬間に不自然に小さくなり、かき消えてしまった。
俺は再度周囲に目をやり、ユキの反応をうかがったが、なんのリアクションもない。
やはり幻聴なのか。少年と出会ってからの怒涛の出来事のストレスが、のほほんと暮らしてきた幽霊の精神を強く圧迫し、死んだロボットの幻影を見せるのだろうか。
《あー……かなえさん、辛いけどしっかり聞いてね》
ユキは肩をすくめるかのように本体部分をガッションと上下させ、神妙なトーンで続けた。
《ロッテさんは……かわいそうに、何者かの手によって完全にぶっ壊されちゃってさあ。もう完全に。絶対確実再起不能で、家電リサイクル法のもとにこの家を去るさだめなんだ》
「……そ、そんな」
《こんな静かな町に、とんでもない犯罪者がいたもんだよねえ? 育ての親ともいうべき家族を失ったボクは悲しくて悲しくて、食事も喉を通らないし勉強も手につかないんだ。……かなえさん、誰か目撃しなかった? 煙を上げるロッテさんの真横で倒れてたんだけど……》
「う……」
言われてみれば、俺は器物破損的な罪に問われるだろう。確かに立派な犯罪者だ。
謝罪や賠償に解決の糸口を見出していた俺は、背中に冷たいものを感じていた。
《ンッン〜? 何か知っているのかな?》
ユキが俺の顔を覗き込むように機体を傾けたので、俺は反射的に目を伏せてしまった。
“犯罪者”という響きは、義妹によって小学五年生レベルの道徳教育を叩きこまれている俺に重くのしかかった。
〈自称幽霊の無職の女、器物損壊で逮捕。警察は少年へのわいせつ行為の余罪もあるとみて捜査を続ける〉という短いネットニュースが脳内を駆けめぐり、なにかを言おうにも適した言葉が思い浮かばず、口をパクパクさせるほかなかった。
重大事件をゆっくり解説する動画からしか法律の知識を得ていない俺だ。未成年への性犯罪に手を染めた者がいかなる刑に処されるのかなど、わかろうはずもない。
イメージ的には極刑でもおかしくない。ギロチン? 銃殺? シベリア送り……?
《んもー、しょーがないなああ》
どこかうわずったようなトーンでユキが言うと、彼女の側面から二本のアームが伸びる。
そして左のアームがパカッと開き、中から細かい突起がいくつもついている尖った棒が突き出した。
「え?」
《身体に聞くしかない、か……!》
シャイーンという耳障りな甲高い音が、洒落た和室に響き渡る。
禍々しいドリル状の先端が高速回転を始めていた。




