9話:子供の大学受験と投資
長男の肇君が、東工大か東大、早稲田大学理工学部をめざすと言い、俺も留学したいなと話していた。その後、家族会議をして、塚田守が、もし両親が海外に移住を希望して、日本を出たいと考えているとした、どう思うか、子供に聞いて見た。
すると和美さん、肇君と二郎君は、もし離ればなれになっても教育費は出してくれるんですねと聞くので教育費は責任持って出すと言うと、それなら構わないと言った。その後、二郎が、せめて、俺が学に合格する2008年夏まで待って欲しいと言った。
それに対して、塚田守が、わかったと答えた。2006年夏、肇君は、予備校の模擬試験で早稲田の合格確率80%、東大、東工大が70%。その後も問題集を徹底的に勉強し、10月の最終も模擬試験で早稲田85%、東大、東工大75%となった。
そして2006年12月になり早稲田大学理工学部電子工学の出願〆切が1月25日、受験日2月26日、合格発表日、3月5日と決定。東工大は出願〆切2月6日,受験日2月16日、合格発表日、2月26日と発表された。
そこで、塚田肇は、東工大と早稲田大学理工学部を受験することに決めた。その後、早稲田大学理工学部に合格、東工大は、不合格となり2007年4月、早稲田大学理工学部電子工学科に通うことになった。
一方、塚田二郎も兄の肇君と同様にソフトウェア技術者をめざした。二郎の方は、2年生の段階で、既に、学年トップの成績になり、予備校の模擬試験でで早稲田理工学部95%、東大、東工大80%となっていた。
彼も、最後は、問題集を何回も、解いて、どれだけ、早く問題をとけるかの練習を続けていた。2007年11月になって、最終的に早稲田大学理工学部電子工学科と東大工学部情報工学科をめざすと宣言した。
早稲田大学理工学部電子工学の出願〆切1月26日、受験日2月27日、合格発表日3月6日と決定。東大は出願〆切2月8日、受験日2月17日、合格発表日、2月27日と発表された。まず、早稲田に合格したことを、両親が見に言って確認した。
その後、東大も見事合格した。そして2008年4月から東大に通うことになった。この結果に、彼らの祖父の塚田一郎が、驚いて、良くやったと誉めてくれ、合格祝いに、それぞれの卒業時に、奨学金400万円ずつ渡してくれた。
2008月12月1日 1米ドル88円で2千万円を23万米ドルにして長女、和美の新生銀行の米ドル口座に送金し、兄弟の米国留学の時に使う様に伝えた。2006年10月の塚田守の資産が3.8億円から2008月12月1日に2千万円を使って、2009年に塚田守の資産が3.6億円となった。
2008年9月、塚田和美は、カリフォルニア大学サンディエゴ、UCSDに留学して、ベンチャーの起業の勉強をしていて、友人達4人でソフトウェア会社を学生のうちに起業して、投資してくれるように、企業訪問するようになった。そして、2009年に大学を卒業して、ドリームという会社の4人の役員の1人になった。肇君は、早稲田大学理工学部で勉強を続け、2010年3月に卒業して、富士通に入社し、次男の二郎君は、2009年、大学2年の時に、カリフォルニア工科大学に留学し、2011年に、グーグルに合格して入社した。
その後の2011年3月11日の東日本大震災で、塚田守は、完全に、茫然自失となり、地震大国、日本を離れる決意をした。その後、ドル円で,円が急上昇して、2011年3月17日の朝、21億円で1ドル74円で買い、2800万米ドルと5.4億円と1750万豪ドルとなった。その頃、ヨーロッパのポルトガル・ゴールデンビザを知り、50万ユーロ、7千万円の家をポルトガルに買えば手に入り、海外での収益に税金がかからない事を知ると、奥さんと、三男・辰男、次女・美恵子、三女・貴子3人の子供達に、日本を離れる話をして、納得してもらった。
そして、父に、投資の仕方教えてというので、あー、わかったと、了解した。 その後、2011年7月29日、成田空港からローマ空港を経て、リスボンに入った。リスボンのアパートメントホテルの一番大きい部屋を借りて、チェックインして、休んで、翌日、家族8人で,移民局に出かけ、ゴールデンビザの説明を受け、書類を全て書き込み、後は、家の購入の証明だけあれば,ゴールデンビザがもらえることになった。
翌日、リスボンの不動産のを回り、空港から近い、寝室2つ、部屋が5つ、浴室1つの80坪、敷地面積250平米ので、50万ユーロの大きな家を買う事に決めた。ただし、値引きを要求しない代わりに、庭の雑草を刈ってくれと不動産屋に要求すると、わかりましたと言った。雑草を刈ったら連絡すると言われた。
その後、三菱UFJ銀行のリスボン支店がある事がわかり、口座を開設に行き、その後、8月1日に日本の三菱UFJ銀行に電話して7.8億円を送金する手続きをし2億円を1ユーロ、103円で両替して194万ユーロになった。同じ日に、ナショナルオーストラリア銀行から5250万豪ドルを三菱UFJ行リスボン支店へ送金してもらう様にお願いした。その後、8月5日に、残金が5.8億円と194万ユーロと5250万豪ドルとなり、すぐに、50万ユーロを不動産屋に支払い144万ユーロとなった。
その後、不動産屋に領収書と住居の売却証明書をもらい、リスボン移民局に提出した。2011年8月10日に、新しく購入した家の雑草取りと清掃が終了したと電話が入り、入居した。そして2ケ月後の9月27日に、ポルトガルのゴールデンビザが、送られてきた。2011年9月27日の塚田守の残金が5.8億円と144万ユーロと5250万豪ドルとなった。