07/最高の朝食を
僕は席に着いたクリスの前にコーヒーカップを置いた。
クリスはすぐに飲んでしまおうとするけど、僕は制して脇に置いてあるミルクポットを手する。
「いきなり空気のお腹にコーヒーじゃあ刺激が強すぎるからね」
甘いミルクをそろりと流し込む。
黒く透ける液体が白濁に色を変えていく。
「どうぞ」
カップを心持ちクリスに押す。
クリスは面倒くさそうに黙ってカップに口を付けた。
「…美味しい」
意外そうなクリスの声に、僕は小躍りしてしまいそうになる。
やった!
ただ一言その言葉が欲しくって、僕は丹念にコーヒーを入れたんだ。
ブレンドはオリジナルだし、もちろん水出しもした。
――最高の朝食をあなたに。
ただそれだけのために、頑張ったんだ。
クリスは、ゆっくり味わうようにコーヒーを飲み終えた。
「ご馳走様」
「どういたしまして」
「…これなら、また飲んでも良いわ」
「本当に!?また入れてあげるねっ」
僕は満面の笑みを浮かべる。
「じゃあ、今度こそもう行くわね」
クリスは椅子を引いて、魔法で虚空から出したホウキを手にする。
そしてまた、あの無表情になっていく。
「…もう行っちゃうんだ」
本当は行かせたくは無いけれど、所詮は名前で支配された悪魔なのだから、主が行くと言うのならば見送ることしか出来ない。
「行ってらっしゃい…。クリス気を付けてね」
心配そうに見送る僕にはお構いなしに、ホウキを手にしたクリスは窓に足を掛けた。
銀の髪を揺らした魔女は、赤い空へと飛び立って行く。
僕はただその背中を静かに見送る事しかできなかった。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
クリスが行ってからしばらくして、僕は虚空に左手をかざした。
「我が左腕たる者よ。呼び掛けに応じろ」
指先が光りだし、空中に複雑な文様の魔法陣が形成されていく。
空気が震える共鳴感。
風もないのに僕の服が激しくはためき出した。
すべき全ての手順は無く(銀板に刻まれた魔法陣や、捧げる供物、術者の清めの儀式等)、ただ名と魔法陣のみでの召喚を行った。
それが出来るのは、僕が高位の悪魔だという事と、召喚する悪魔が僕の支配下にあるがためだ。
「呼び掛けに応じろ、エミリオ!」
より一層に虚空に浮かんだ魔法陣は光を増して、不意にそこから腕が伸びた。
壁からいきなり生えてくる感じだろうか。
真横から見れば平たい魔法陣を境に、人間の姿を模した立体物が少しずつ姿を現し始める。
生まれ出たのは、幼い子供の姿と、冷めきった瞳を持つ悪魔だ。
エミリオは僕の部下にして、左腕そのもの。
分かりにくい感覚かも知れないけど、僕の一部なんだ。
「お呼びですか?ジルバール様」
子供の姿をした悪魔は僕の前でひれ伏し、額を地面に擦り合わす。
僕はさして気にもせず、小さな後頭部を見下ろした。
エミリオは言っても頭を上げない頑固者だからね。もう馴れた。
「ある魔女を気付かれずに追ってくれ」
「畏まりました」
エミリオはさらに深く頷き、すぐに行ってしまおうと背の羽根を広げる。
僕は慌て止めた。
「おいおい。特徴を聞かないで行くつもり?」
「この屋敷に住まう魔女の魂の匂いはすでに心得ておりますゆえ」
エミリオの言い回しに、あぁ。と納得する。
「以前に召喚されたか」
「はい。いつだか――ジルバール様と対峙した時に」
「ふーん?」
僕は古い記憶を引っ張り出した。
しつこいようだけど、名前の支配で従わされた悪魔は術者に逆らう事が出来ない。
それが喩え、倒せと命じられた悪魔が、自分よりも高位悪魔で勝ち目が無くとも、行けと言われれば行かねばならないのだ。
…殺されると分かっていても。
「あの時か」
僕とエミリオは対峙する二人の魔女に別々に召喚された、いわは敵同士にあった。
僕ら二人は実際、見ての通りの主従関係にあり、エミリオはけして僕には勝てない(断言)。
つまり、お互いの魔女がこのまま命令したら、エミリオは僕に殺される。
僕のこの手で、エミリオを…。
しかし幸いにも、こうしてエミリオは生きている。
なぜならば、対立していた魔女が命令を取り消し、エミリオを魔界に帰したからだ。
その魔女は自分を犠牲にしてまでエミリオを守ってくれたんだ。
僕は小さく笑った。
「そうか、彼女があの時の…」
今までは召喚した魔女達を殺してやりたいくらいに憎んでたけど、唯一その魔女にだけは感謝した。
おかげで、僕はエミリオを殺さずにすんだわけだし。
――いつか、彼女のもとに呼ばれたい。
あの時、生まれて初めて自ら召喚されたいなんて願ったよ。
まさかクリスだったなんて思いもしなかったけど。
「ジルバール様。わたくしはあの魔女を追います」
「ああ。クリスを頼んだ」
エミリオは翼をはためかせて風を起こし、煙が虚空に掻き消えていくように去っていった。
クリスの召喚した悪魔じゃないから、クリスの世界(疑似世界)に縛られる事なく、あっさり抜け出せたようだ。
いくら魔力が強くても、クリスの支配下にある僕がこの世界を抜け出すのは骨だろうけどさ。
で、エミリオがいなくなって直ぐに、僕はその場で飛び跳ねて歓喜した。
「クリスがあの魔女だったなんて! あぁ、僕はなんて運が良いんだっ」
是非とも契約を交わしたいものだけど、きっとクリスは嫌がるんだろうな。
時間を掛けてゆっくり口説こう。
あぁ、早く帰っておいで。
今すぐにでも追いかけて抱きしめたいくらいだ!