48_エピローグ
『まったく。うっとおしいヤツだな、あいつは』
再び閉鎖空間に閉じこ竜王が、愚痴めいた思念を漏らす。
あらゆる外界の影響から遮られた静謐の中に、その身を漂わせていた。
竜王にとって、魔王は実に煩わしい存在である。
いつも細かいことあげつらっては、噛みついてくるのだ。
配下の竜族が人族の国を焼き払おうとした時など、特にひどかった。
竜族の大半が半死半生の目に遭い、竜王自ら出張る羽目になったのである。
その妙に人族に肩入れする魔王の姿勢が、竜王には理解できないでいた。
しかし、まさかひよっこどもが暴走し、魔王領にカチコミするとは。
竜王も万全の状態ならばともかく、現状では魔王を相手にしたくない。
余裕ぶって見せたが、内心ではひどく焦っていたのである。
それもこれも、全てあいつのせいだ。
竜王は現在の状況に陥る元凶となった、とある人族のことを思い出す。
あの日、気ままに飛翔していた時、眼下の山脈に人族を見付けた。
竜族の縄張りに人族が入り込んでいるのを、苛立たしくは思った。
他の竜族ならば、問答無用で殺そうとしただろう。
だが竜王にしてみれば、人族はあまりにも矮小な存在だった。
軍勢規模の侵入ならともかく、相手はたかが一体。
縄張りに二度と侵入する気が起きないよう、頭上を飛んで脅そう。
風圧で吹き飛ばされて死んだら、そこは運が悪かったということで。
そんな軽い気持ちで、その人族目掛けて急降下したのである。
――いったい、あの時、何が起きたのか、
いまだに竜王自身にも、それが判然としない。
人族の上を通り過ぎようとした時、激しい衝撃に見舞われた。
そのせいで平衡感覚を失い、錐もみ状態で地上に激突したのである。
あとはもう、一方的だった。
激しく焼ける様な痛みが全身を襲い続け、訳も分からず転げまわる。
ついには尻尾が半ばから断ち切られた感覚に、絶叫を上げてしまった。
恥も外聞もなく、恐怖に駆られて逃げ出したのである。
上空に退避し、日が暮れるのを待って闇に紛れて巣穴に逃げ込んだ。
そして閉鎖空間を創って身を潜めて、傷を癒していたのである。
竜王は初めの頃、ただひたすら混乱していた。
自分の身に何が起こったのか理解できずに荒れ狂った。
やがて徐々に、自分をこんな目に遭わせた相手に怒りを覚えた。
その復讐心は人族全体に及び、尾が再生したら滅ぼしてやると誓う。
さらに時間が経過すると激情は薄れ、一つの疑念を抱くようになった。
強さとはなんなのか。
そんなことを竜王は自問自答するようになっていたのである。
竜族というのは、学習も努力も必要ない。
魔法の知識は、生存時間が長くなるに従って自然と覚える。
身体は鍛える必要もなく強化され、爪と牙はより鋭く、鱗は硬度が増してゆく。
ただ生きているだけで強くなってしまう種族。
それが竜族であり、完全生物とされる由縁である。
歴史上、寿命で死んだ竜族はいない。
竜族という種の限界がどこまでなのか、ほとんど知られていない。
これだけの能力に恵まれた竜族が、傲慢にならないはずがない。
他種族を見下すのは、むしろ当然とさえいえるだろう。
その竜族の頂点に立つ竜王が、人族に反撃もできず打ちのめされた。
完膚なきまで敗北を喫した竜王は、こんなことを考えたのである。
結局は強いから勝ち、弱いから負けた。ただ、それだけのこと。
ならば勝敗など、地面に転がる石の大小を比べるようなものではないか。
たかが石ころの大きさを誇ることに意味があるのだろうか、と。
不意に竜王は、あの時の人族がどうなったのか気になった。
人族は短命らしいが、まだ生きているのだろうかと首を傾げる。
『…………探してみようか』
魔王と話したせいなのか、久方ぶりに世情への関心を取り戻す。
竜の谷を出て、あの人族を探してみるの一興かもしれない。
復讐とか再戦とか、そんなつもりは毛頭ない。
なんとなく、疑問の答えが得られるかもしれないという期待がある。
そうと決めた竜王は、完全休眠の状態に入ることにした。
全てのリソースを注ぎ、再生速度を加速させるためだ。
ぐずぐずしていると、あの人族が死んでしまうかもしれない。
意識が途切れる寸前、なぜか彼女の脳裏に、魔王の笑顔が浮かんで消えた。




