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カルマ


 『カルマ』


 そう少女が告げた瞬間に部屋の中の温度が下がったような錯覚さえ覚えた。

 実際に下がったのは罪人達のテンションなのだが……この見るからに荒くれ者な奴らを尻込みさせる『カルマ』とは一体なんなんだ?

 少女はその様子を感情の無い能面のような顔で見渡して一つ頷く。


「皆さんご理解いただけているようですし、カルマの説明は不要ですね。順番はこちらで決めさせていただきます。――ハイドン・ノーヴ、貴方からどうぞ」


 どうやら説明は無いようだ。この世界で『カルマ』とは誰もが知っている常識のような物らしい。

 ――もしくは、罪人にだけ通じる物か。


 男が一人、あからさまに躊躇しながら立ち上がり前に進む。

 男が移動したことで俺の視界から天秤が消えてしまう。


 今から何が起こるのか、見極めなければならない。


 俺は天秤の様子が観察出来るような位置に移動した。


「さぁ、どうぞ」


 そう言って少女は男に金色に装飾されたナイフを差し出す。

 複雑に歪んだ形状の刃はとてもではないが実用的に見えない。

 儀礼用の短剣というやつだろうか。


「……チッ」


 男はそれを受け取ると左手に持ち、右手の人差し指を刃で傷つける。

 たちまち血が滲み出し、やがて雫となって滴り落ちる。

 男は水の張られた方の皿へ指を差し出し、血を一滴だけ落とした。

 ゆっくりとわずかに傾く天秤。やがて動きを止めたそれを見て、少女は口を開く。


「カルマ値-9。貴方には10日毎に9万ギル分の功績がノルマとして設定されます」


 どうやら『カルマ』とは数値で表すことが出来るようだった。

 そして、その値によって10日で稼がなければいけない金額が決まると云ったところか。

 金の単位が同じ事に少しだけ安堵するが、さすがに価値は違うだろうと気を引き締める。


 そこで俺はふと気づき、念のため他人には見えないような位置取りでコンソールを開いた。

 現れた4つのアイコンの一つ『インベントリ』を開く。


 ――あった。


 思わず高笑いしそうになるほど高揚していく心を感じ、すぐさまポーカーフェイスを作る。

 表情は一つの情報。手の読み合いが一つの鍵になるPVPを有利に進めるため習得した技術は、俺の感情を覆い隠す完全な無表情を可能にする。


 気を取りなおしてインベントリに視線を落とす。

 そこには鉱石系を中心とした様々な素材アイテムが延々と並び、100種のアイテム欄の内半分以上を占めていた。

 見覚えのあるそれは俺のインベントリそのものだった。


 だが、俺の心を高揚させているのはそこではない。


 アイテム欄を越えて更に下、所持金額が表示されている場所に並ぶ数字は――3,000,000ギル。

 そう、300万ギル。先月までの俺の資産と比べたら微々たる物だが、それでもかなり心強い。

 たとえノルマを要求されたとしてもかなりの余裕が出るはずだ。


 あとは取り出せるかだが――問題無かったようだ。

 試しに1ギルを取り出してみると俺の手の中には見覚えのある1枚の銅貨が握られていた。

 次いで100ギルを取り出すと銀貨が1枚握られている。ゲーム内と同じだ。

 1ギルが銅貨1枚、100ギルで銀貨になり、10,000ギルで金貨に、1,000,000ギルで白金貨になる。

 わざわざインベントリを開かなくても所持品なら意思一つで出し入れ出来るのもゲームと何ら変わらないようだ。

 これなら他のスキルやステータスも引き継がれているかもしれない……そう考えるとそれほど絶望的状況でも無い気がしてきた。


 だが、『カルマ』によっては結構な成果を求められるな。

 -9で10日毎に9万。-1に付き1万ギルってとこなんだろうが……。

 そうしている間にも次々と測定が終わっていく。

 その多くは-10台、稀に-20台と云ったところだ。


 『カルマ』――確か、日本語で『業』とかいう単語だったはずだ。

 良い行いをすれば良い結果が生じ、悪い行いをすれば悪い結果が生じる――的な感じだったはず。正直に言って、自信は無いが。

 だとすれば罪を犯す事によってカルマ値は下がり、それがあの天秤によって分かるということか?


 それなら――俺はマイナスってことは無いはずだ。


 そりゃ給料の大部分を課金に回していたサーバートップの廃人で一般的にあまり自慢出来るような状況では無かったが、今まで犯罪行為など縁の無い人生を送ってきた。

 まぁ、ゲーム内では善良というものとは真逆の行為ばかりしてきたが……それが影響するわけがない。

 となると俺はノルマだとか罪人だとかそういった物とは縁が無くなるはずだ。


 さて、無実が証明できたらどうしてやろうか。

 まずは土下座だ、責任者直々に額を地べたに擦りつけさせてやる。

 その頭を思い切り踏み潰す、腕輪によって傷めつけられた俺の精神が癒えるほどに。

 あとは……ハゲて無かったらハゲさせてやろう。刈取るとかではなく、ストレスでハゲさせてやる。


「次、レキア・ノーネーム」


 ようやく俺の名が呼ばれる。

 一番最後だったのは先ほどやった無実の主張のおかげか、ただの偶然か。


 少女が差し出した短剣を受け取る。

 俺はそれを受け取り――思わず顔をしかめてしまった。


 その原因は刃に付着していた血痕のせいだ。


 別に、見るのが初めてとかそういう訳ではない。

 こちらはVRゲーム内で幾度となく殺し殺されてきたのだ。リアルな血や臓物といったグロ耐性は格段についている。


 ただ単に不衛生だと思ったのだ。


 感染症だとかそういった病気持ちがいたらどうする気だ? というかいる可能性のほうが高いだろう。

 しかも何か理由があるのかどいつもこいつも切っ先ばかり使用していたようだ。感染り放題じゃないか。


 俺は切っ先からできるだけ離れた柄に近い部分に人差し指を持っていく。

 少し触れただけでチクリと痛みが走り指先に真紅の線が刻まれた。結構切れ味は良いようだ。


 皿に張られた水は何人もの血が混ざり汚れていると思っていたのだが、予想に反して綺麗に透き通ったままだ。

 これで、俺の如何が決まる。

 少しだけ胸の鼓動を早くなりつつも、俺は血を一滴だけ、落とした。


 ――天秤は微動だにしない。


 ――天秤は微動だにしない。


 ――天秤は微動だにしない。


 0……ニュートラルのままだ。

 善行も無いが、悪行も無い。きっと、そういう判定がなされたのだ。

 心の中で喜び、小躍りを始めた俺の精神を現実に引き戻したのは少女の冷たい声だった。


「カルマには二つの種類が存在するのです」


 ……? なんだ、今更講義でもしてくれるのか?


「一つは『美徳』。様々な善行を成して積み重ねることで魂は天を目指す―それが+。もう一つは『悪徳』。様々な悪行を成して積み重ねることで魂はその重さを背負い、やがて破滅に向かう――それが-」


 俺の予想は大体あっていたようだ。

 安堵していた俺は少女の次の言葉を聞き逃しそうになった。


「値で表せる上限は+-共に50までのようです」


 俺はそれを聞き、ゲーム内のあるステータスを思い出した。

 『善悪値』主にPVPによって変動するそれも+-共に上限が50までだった。


 そして、俺の『善悪値』は-50だった。


 PVPエリア外でPKを行うと-方向へとペナルティを食らう。

 死亡時における装備ドロップ率の上昇など下方修正を受けるが、時間沸きなどの出現条件を持つユニークモンスターを狩るにはまず同じプレイヤー達との争奪に打ち勝たなければならないのだ。

 ある時はソロで、ある時はPT同士で戦い、勝ったほうがモンスターを狩る事が出来る。

 そんなことを繰り返していたら善悪値-50がデフォルト状態のような感じになってしまったのだ。

 だが、それはあくまでゲームでの話――――――はずだった。


 ――ミシリ。


 軋むような音を俺の耳が捉える。

 それはだんだん大きくなり、やがて目に見えた変化を生ずる。


 皿がひしゃげた。


 俺が、少女が、罪人達が、見ているその前で俺が血を垂らした皿がくしゃりと歪む。

 皿だった物は天秤から落ち床に転がってもなお変化を続ける。

 まるで中心に吸い込まれるように、あたかもそこに極小のブラックホールがあるかのように、ひしゃげ続けようやく収まった所には――俺が垂らした血の雫だけが残っていた。


「――この世界にはその上限値に収まらない者が多数存在しています」


 ……何だと?


「積み重ねたカルマが上限値よりも大きい場合、天秤は魂の重さを表すという正常な判定をできなくなり――代わりに様々な現象を生み出すのです」


「それが……これだと言いたいのか?」


「はい――とは言っても、この天秤が壊れるほどの重いカルマは初めて見ました。貴方――見た目に似合わず、途轍もないカルマをお持ちのようですね」


 ここが現実――いわゆる異世界だとして、ゲーム内からインベントリは引き継がれていた。

 もしも『ステータス』――善悪値が引き継がれているなら、そしてそこにあるべき上限が存在せず今まで行ったプレイヤーキルという名の『人殺し』がカルマとして表れているなら?


 ――――俺は、途方も無いカルマを背負っていることになる。


「レキア・ノーネーム。貴方に設定されるノルマは――」


 頼む。

 容赦してくれ。

 本当じゃない。

 虚構だったんだ。

 現実なんかじゃ、なかったんだ。


「――10日毎に1000万ギル分の功績となります」


 呆然とする俺を尻目に少女は役目は終えたと言わんばかりに去っていく。

 が、扉の前でそうでした、と呟いて振り返る。


「ちなみにノルマを達成出来なかった場合はギルド保有の奴隷となっていただきます。まぁ、せいぜい頑張ってください。それではまた――」


 ……絶望していいか?

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