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第97話 最高の男

 ヒカリー公が剣を振り上げた、その瞬間だった。


「――父上!」


 鋭い声が廊下に響く。


 全員の視線が向く。


 そこに立っていたのは――レイスだった。


 息を切らせながら、それでも背筋は真っ直ぐ伸びている。


 ヒカリー公が目を見開く。


「レイス……!」


 レイスは迷わず歩み寄る。


 そして、父の腕を掴んだ。


「もう、おやめください」


 低いが、はっきりした声だった。


「しかし――」


「タキ殿の言う通りです」


 ヒカリー公が固まる。


 レイスは真っ直ぐ父を見る。


「これ以上、私に恥をかかせないでいただきたい」


 廊下を重苦しい沈黙が包む。


 ヒカリー公は何か言い返そうとする。


 だが、レイスが続けた。


「本当に、私のことを思ってくださるのであれば」


「どうか……もう」


 その目には怒りではなく、悲しみがあった。


 ヒカリー公はしばらく動かなかった。


 やがて――。


 力が抜けたように腕を下ろす。


 剣先が床へ向き、静かに鞘へ収まった。


 重い金属音が響く。


「……何故ここにいる」


 ヒカリー公が低く問う。


 レイスは小さく息を吐いた。


「陛下に呼ばれました」


 その時だった。


 騒ぎを聞きつけた近衛兵たちが駆け込んでくる。


「何事ですか!」


 緊迫した空気。


 だが、その前に滝が口を開いた。


「いや、大したことじゃない」


 全員の視線が滝へ向く。


 滝は平然と続けた。


「ヒカリー公から捜査への激励をいただいてな」


「家宝の剣も拝見させていただいたところだ」


 一瞬。


 誰もが呆気に取られる。


 だが、最初に話を合わせたのはミヤーノだった。


「そ、そうです」


「ヒカリー公は帝国の軍務を預かるお方ですから」


 コグシーも咳払いする。


「いやはや、見事な名剣でした」


 ハギーまで真面目な顔で頷いた。


「わたくしも驚きました」


 近衛兵たちは顔を見合わせる。


 ヒカリー公は苦々しい顔をした。


 だが、何も言わない。


「……ふん」


 それだけ吐き捨てる。


 そして近衛兵たちを押し退けるように、その場を立ち去った。


 重い足音だけが廊下に残る。


 空気が少し緩んだ。


 その中で、レイスが深々と頭を下げる。


「申し訳ありませんでした」


「父が、大変な無礼を」


 滝は思わず苦笑した。


「いや、レイス様が謝ることじゃ――」


「いいえ」


 レイスは静かに首を振る。


「止められなかったのは、息子である私の責任です」


 その姿を見て、誰もが思う。


 やはり、この青年は立派だと。


 公爵家の跡継ぎだからではない。


 人として、真っ直ぐだからだ。


 レイスはふと笑みを浮かべた。


 そして。


 滝とミネー、それぞれの手を取る。


「れ、レイス様?」


 ミネーが目を丸くする。


 そのまま、二人の手を重ね合わせた。


「お二人の気持ちは、よく分かりました」


 柔らかな笑み。


「後は、素直になるだけです」


 滝もミネーも言葉が出ない。


 レイスは少し悪戯っぽく笑った。


「私は応援していますよ」


 そう言って踵を返す。


「では、私は陛下の元へ参ります」


 爽やかな背中だった。


 誰も引き止められない。


 そして、数歩進んだところで。


 レイスは振り返らないまま言った。


「タキ殿」


 滝が顔を上げる。


「あなたも、最高の男です」


 そのまま、レイスは去っていった。


 しばらく、誰も言葉を発しない。


 滝とミネーは見つめ合っていた。


 言葉はない。


 それでも、互いの気持ちは十分過ぎるほど伝わっている。


 コグシーはそんな二人を、穏やかな目で見守っていた。


 ハギーも、どこか嬉しそうに微笑んでいる。


 その時。


 ミネーがそっと動いた。


 ミヤーノが預かっていた滝の階級章を手に取る。


 そして。


 滝の胸元へ、丁寧に付け直した。


「……待ってます」


 優しい声だった。


 滝は小さく笑う。


「ああ」


 短い返事。


 だが、その目にはもう迷いはなかった。


 守るべきもの。


 帰るべき場所。


 その全てが、はっきりしていた。


 滝は胸の階級章に触れる。


 そして、改めて決意する。


 必ず、この事件を終わらせると。

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