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3憂鬱、帰宅、お約束


 用事を終えた僕は玄関のドアを開けて、静寂に支配された我が家に足を踏み入れた。

 ドアにカギはかかっていない。鞄を置きに戻ったときに外出するのはせいぜい三十分と思い、カギをかけなかったのだ。その油断が命取りと言うことにはならなかったようで、一安心である。

 家族は全員、母方の実家に帰省しているので、今日から一週間ほど僕はこの家に一人きりになる。ホームアローンな状況のわけは、帰省しようにも僕一人夏期講習強制参加という不名誉を与えられてしまったからだ。一学期ろくに授業に参加せず、遊び歩いたツケがココで回ってきたのだ。自業自得だけど、夏休みは夏休みで長期休暇を満喫したかったので残念である。


 タタキで靴をぬいで、家にあがる。シンと静まりかえった空気は僕が一人だと言うのを浮き彫りにしているようで妙に生々しかった。さて、これから何をしようか。

 昼食は夏休みに入ってもクラブや補修の学生のためオープンしている学食で済ませてきたのでお腹はすいていないし、今からテキストをやるのも気分がでない。

 ふむ、そうなると本当にやることがない。時計はまだ三時にも達していないし、居間でボーとするのも時間がもったいない。

 外に出て汗をかいたので、お風呂にでも入ろうか。

 チラリとそんな事を思った。うちのお風呂は基本夕方なのでいつもはこんな時間には入らないのだが、そんな家庭習慣を崩せるのが一人暮らしのいいところである。よし、そうしよう。

 決定。僕は早速浴槽に湯をはるため、風呂場にむかうことにした。日の光がはいらない家の廊下は薄暗く、夏でもどこかジメジメとしている。さっぱりした気分にする意味もこめて、お風呂という選択は利口な判断だろう。

 それにしても、さっきの…花見川むくげだっけ?

 一体何だったのだろうか。助けを求めてきたはいいが、小屋の惨状をみて、逃げ出した少女。それきり、彼女には会っていない。

 下手に厄介事を背負わなくてすんだはいいが、喉につかえた小骨のように妙に気になる。 まぁ、もう会うこともないから気にするだけ脳細胞の無駄というものだ。

 そう判断し、脱衣場の先の風呂場のドアをスライドさせた。


 場が、凍りついた。

「……っ」

 居るはずのない、僕の妹が湯船にアヒルを浮かべくつろいでいた。一瞬目が合う

「……ただいま、モモちゃん」

「出ていってっーー!!!」

 飛んできたアヒルがおでこにクリティカルヒットを食らわせる。倒れこむように僕は脱衣場に追いやられた。だけど追撃はやまない。続いてタライ、石鹸、タオル、果てには浴槽に敷くマットまで飛んできた。謝罪の声を上げながら、スライド式のドアを閉めの方向に引っ張る。

 チラリと目にしたモモちゃんは顔を真っ赤にして右手で胸元を抑えていた。もし片手だけで風呂釜マットを投げたのだとしたら結構の怪力である。僕が知らぬ間にたくましく成長したようだ。

「そこからも早くでてってください!!」

 まだ脱衣場に僕がいることを見抜いたモモちゃんが風呂場に声を響かせた。


 白江桃里しらえとうり、ことモモちゃんは思春期真っ盛りの中学生で、二つ年下の僕の可愛い妹である。

 兄妹仲はそこそこ良い方、だった。

 なぜ過去系なのかというと一年ほど前から家族内における彼女の態度が僕にだけやけによそよそしくなったからである。

 それまでは下の名前に「くん」付けだったのに、去年から急に「兄さん」と呼び始め、僕に対してはなぜか敬語で話すようになってきたのだ。いくらなんでもこれでは他人行儀過ぎるので止めるように言ってもきいてくれないし、理由を尋ねても「なんでもありません」とお茶を濁されるだけだった。

 その頃はまだ返事をしてくれるだけ良かった。最近じゃ、家で僕と会ってもろくに口をきいてくれないし、僕がリビングに行くと、すぐに自室に籠もるようになってしまったのだ。

 と、今は僕と妹についての関係はどうでもいい。問題は一つだ。

 本来ならば両親とともに親戚の集まりに行っているはずの、モモちゃんがなぜ家にいるのか?ということである。

 一週間ほど前、もうすぐおばあちゃん家だ、と母さんと楽しそうに笑っていた彼女に「兄さんは行けないよ」と自虐を言うと、「そうですか」と冷たくあしらわれたのだから、今日から帰省するという予定は確かなはずなのに……。中止にでもなったのだろうか?

 どちらにせよ、モモちゃんが居て、専業主婦の母さんが家に居ないのはおかしなことである。

 家族を心配する気持ちが不安という影になって僕の胸を締め付ける。そんな気持ちを誤魔化すように僕はキッチンに立っていた。どうやら今の騒ぎにカロリーをだいぶ消費したみたいだ。


「なにしてるんですか?」

 リビングに妹が入ってきた。

 髪の毛がまだ完全に乾ききっていない。風呂上がりというのを物語るようにシャンプーの香りがほのかにただよう。

 女の子の風呂は長いというが、彼女も例外ではないようだ。風呂を待っている間に料理が完成していた。

「グッドタイミングだね。丁度今できたとこ」

 なんだか妹と久しぶりにまともに会話をした気がする。いつもは何も言わないか、僕が話かけても素っ気ない返事をするだけだからな。

 出来たてホヤホヤの手作りチャーハン二人前を食卓に運ぶ。お昼は確かに食べたけど、なんだか小腹がすいたのだ。それにお風呂があく時間を待つのも退屈だったし。

「チャーハン、ですか」

「そ。モモちゃん、ウィンナー食べられたっけ?一応入れといたんだけど、無理なようなら除けといて」

「お昼なら自分でどうにかするんで、いりません。お、お腹もまだすいていませんし」

 モモちゃんはそう言って、水槽のグッピーやらゴリドラスやらにエサをやり始めた。

 ……コレどうしよう。チャーハンに視線を落とす。一人で食べきれる量ではない。

「お昼済ませるってカップラーメンでしょ」

「インスタントラーメンです」

 水槽から目を放さずに応えられた。料理が出来ない彼女が作れるものはたかがしれている。

「同じようなもんだよ、そんなのばっかりじゃ栄養偏っちゃうでしょ。チャーハン食べるだけで大分マシになるんだから」

「具に千切ったキャベツを入れるんで食物繊維は取れます」

「だから、そうじゃなくて――」

 僕が必死に説得を続けようとした時だった。

 きゅるるる

 と猫が喉を鳴らしたような小さな音がした。発信源はモモちゃんのお腹からだ。ベタなことに、腹の虫が神懸かり的タイミングで鳴いたのだ。

「……」

 二人とも無言になる。

 モモちゃんはピクリとも動かない。

 僕も何も言えずにただ突っ立ているだけである。

 今、室内に動きがあるのは、時計の針と、チャーハンからあがる湯気だけだった。

「し、」

 そんな空気を気にしてか、モモちゃんはどことなく恥ずかしそうにこちらを振り向き、食卓のチャーハンを指差していった。

「仕方ないですね、ここで残して捨ててしまうのも勿体ないですし、いただくことにします」

「召し上がれ」

 僕としては彼女に満足してもらえればそれでいいのだ。これは裸を見てしまったお詫びみたいな物だし。

 二人向かい合うように席につき、小さく手を合わせて食事を開始した。レンゲなんて本格的なものウチにはないのでスプーンでチャーハンを掬って口に運ぶ。

 会話は、ない。ただ時計の針が進む音だけが響く。二人黙々とチャーハンを食べるだけというのもシュールなので、モモちゃんに話かけることにした。

「母さんはどうしたの?父さんは?」

「……」

「あんなに楽しみにしてたのに何があったの?」

「……」

「モモちゃんだけなんで家に残ってるのさ?」

「…兄さんのせいです」

 全て無言で済まされるかと思ったら最後の質問だけには応えてくれた。だけど、目は合わせてくれない。スプーンを口と皿とで往復させているだけだ。


「パパもママも、今頃は島根です」

 母方の実家があるのが島根県なのだ。年に一度この時期に母の実家で親戚を一堂に会した集まりがあるのだが、件の通り、僕だけ用事があり置いてけ堀りを食らう予定だったのだ。仕事の都合などしょうがない場合は出なくてもいい。それは当たり前のことだけど、母さんの実家はなかなかのブルジョアで、父さんの会社もお世話になっているとのことで、父はどうしてもでなくてはならない。娘の母さんもまたしかり。

 そんなこんなで飛行機でビュン、今頃は島根の無駄にでかい屋敷で一休みしている頃であろう。


 それはともかく、モモちゃんの答えは僕の質問には対応していない。その旨を尋ねてみたら、小さく息をはかれた。

「やっぱり知らなかったんですね」

「え?なにが」

「いいです。続けます。パパの古い知人に不幸があったらしいんです。なんでも住んでたアパートが火災に見舞われたとか」

それはご愁傷様としかいいようがない。正直、その方と面識がない僕には無関係な話だ。

 もぐもぐとチャーハンを咀嚼し嚥下してからモモちゃんは続けた。

「幸い怪我もなく助かったらしいんですが、家を無くしてしまったみたいでして、しばらくウチで預かることになったんですよ」

「……その人を?」

 語り口からして猫や犬などのペットでは無さそうだ。なんだか嫌な予感がしてきた。

「いえ、家を見つけるまでの間、彼の娘さんを、です」

「娘ね……、なんだってまたウチなんだか」

 心の中でため息をつく。非常に面倒くさいことになった。

「彼女の父親、つまりパパの親友は、会社の寮で条件にあった物件を探してるようですが、なかなか上手くいかないようです。寮は娘さんまでは引き受けてくれないみたいで、仕方なくウチでしばらくの間、彼女を預かることになったんですよ。親戚が全員遠いところに住んでるそうなので」

「母親はなにしてんの?」

「いないそうです。結構前に亡くなったとか。大体兄さんも兄さんです。この話、三日間には決まってたのに、いつもどこかに出かけていないんですもん」

 僕は放浪癖があるらしく、昨日の終業式はさすがに出たけどその2日前は、電車に乗ってぶらぶらしていた。

「でも昨日はいたじゃん」

「夜に兄さんに言付けしようと思ったら部屋にいなかったじゃないですか。昨日はどこに行ってたんですか?」

「うーん、なんだろ。多分散歩かな」

「そんなんだから補修をうけるはめになるんです」

「補修じゃなくて夏期講習!補修は期末が赤点だった人が受けさせられるやつだけど、夏期講習は有志を募って行うやつなんだよ。いっとくけど兄さん、期末は平均点以上とれてるからね」

「それでも出席日数でアウトです。強制参加だったら補修みたいなものですし。しっかりして下さい、兄さん」

「あ、心配してくれてんの?モモちゃん、やっさしー」

「白江家の面汚しになることだけは止めて、と言っているんです」

「それでも僕を思って注意してくれたのなら、それは素直な優しさだよね」

「……」

 シカトされた。ガン無視でチャーハンを食べている。頬を赤らめてもいない、悲しい。


「そ、それはそうとさっきの話で疑問があるんだけど、」

「……」

 三点リーダーばかりは寂しいので無理やりしゃべらせてみる。

「父さんと母さんが集まりで家に残れないのはわかるよ。家でその子を預かるのにね」

 それほど大事な集まりなのだ。

「それでも、モモちゃんがウチに残る理由はないんじゃないかな。だって家には僕が残ってるんだし。なんだったらその子も一緒に島根に行ったらいい」

「そんなこともわからないんですか?」

 心底呆れるようにモモちゃんはため息をついた。なんだか心外だ。

「連れて行ったりしたら、めまぐるし過ぎて落ち着けないですし、私が家に残った理由ですけど、簡単です」

 フンと鼻をならし

「間違いがないようにです」

「は」

 頭が一瞬空っぽになる。

「兄さんがムラムラしないようお目付役が私なんです」

 なにそれ。僕ってそんなに信用ないのか。

 自分に対する家族の評価が垣間見れた午後だった。





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