2欲望、衝動、蝉時雨
当初の目的地である掘っ建て小屋の軋んだドアをあけ、二年前と変わらぬその様子にホッと息をつく。僕の視線、というか足元はいかがわしい雑誌や本に溢れていた。
人を待たせているので長居は出来ない、この紙袋を適当なところに置いたらそうそうに去らなくては。
そう思いながらも、小屋の中は吹きさらしだからだろうか、心地よい風が僕の脳をそよそよ冷やしてくれる。申し訳程度についている屋根が太陽光をシャットアウトしてくれているので、四阿のように中は妙に過ごしやすいのだ。足元に広がるエロ本に目をつむれば、だが。
「ふう」
こんなところで休憩を取る気は微塵もないけど、一息ついて先程の出来事をまとめることにした。
数分前。
少女に助けを求められた僕は、襲いくる熱気にめまいを覚えつつ、どうしたものかと考えていた。手でひさしをつくり直射日光が視神経が狂わないようにしてから反射を繰り返す夏の日差しが幻を作り上げているかと疑ってみたのだが、少女は確かに目の前に存在していた。
「それで、助けてくれ、ってどういう意味?」
蝉時雨が耳に響く。初夏の蝉たちは来たるべくサマーシーズンに向けて元気の前借りをしているように活発だ。そんな鳴き声の中でも僕の言葉はきちんと少女に届いたらしく、嬉しそうに胸の前で一回パンと手を叩くと、笑みを浮かべた。
「話を訊いてくれるんだね!ありがとう!」
「まあ、聞くだけならいくらでもするけどさ」
「よかった。そうだね、うん。それじゃまず最初に自己紹介をしようよ。お互いの事を話合おう!」
機嫌が良さそうでなによりだが、お喋りに花を咲かせるには相応しくない場所に僕らは立っている。場所変えを要求したいところだが、彼女は笑顔のまま、勝手に話を進めていた。
「私の名前は、花見川むくげ。よく変わった名前って言われるんだけど、覚えやすくっていいかなって自分では思ってる。趣味は映画鑑賞。没個性的な趣味と批判されがちだけど、実際にそうなんだから仕方ないよね。好きな食べ物はイモ天。嫌いな食べ物はトマト。これだけはどうしてもなれないんだ。特技は、まあ後で言うとして私の自己紹介は、とりあえずこんなところかな」
胸に手をあて滑らかで淀みなく一気にまくし立てた。
はなみがわ、むくげ、ね。
言う通り変わった名字に名前である。
むくげは多分花の名前だろう。園芸部員ではないので詳しくは知らないが、ただなんとなくそう思った。
「それであなたはなんて名前?別に絶対必要ってわけじゃないけど便宜的に呼び名は必要だと思うんだ。いつまでもキミやアナタじゃ不便だから」
「白江藤吾。趣味は、…特にない。それから、えっと……好き嫌いもあまりないかな」
言うことがあまりない僕の方こそ没個性的な人間なんだろうが、初対面の怪しげな少女に警戒心を抱くなという方が無理な話である。
はっきり地元の高校一年生で民族学部の幽霊部員、趣味は散歩と小旅行、家族構成は父、母、妹、とでも言えば彼女が満足するとは思えないのでこれでいいのだ。
短い自己紹介にフンフン頷いてから、彼女は口を開いた。
「しらえとーご。うん!響きはけっこう好き。リズムがあなたにピッタリだもん」
「それはどうも。誉め言葉として受け取っておくよ」
響きとか言われたのも初めてだ。
「それで、あだ名みたいなのはないの?こう小学校からずっとこう呼ばれてるとかニックネームってやつ」
「あだ名ね。そうだなぁ……」
いきなり聞かれてもパッと思い浮かべるものがない。というか知ってどうする?まさか、そのあだ名で僕の事を呼ぼうというのであれば、滅多なことは言えなくなるぞ。
「これと言って、特徴的なのはないかな。人から呼ばれる時は全部名字か名前。藤吾か白江でしか呼ばれたことないや」
「じゃ、私がつけてあげる」
まっぴらごめんだ。
ただ口に出すのも忍びないので露骨に嫌な顔をしてみたのだが、彼女はちっとも気がついてくれなかったみたいだ。
「藤吾、だから。トウちゃん、ってのはどうかな?」
「どうもこうも嫌すぎるよ。なんだか悪意を感じるんだけど」
ネーミングセンスの欠片もない。父親の呼称になっている。わざととしか思えないあだ名を天然で思いついたのだとしたら逆に驚きだ。
「えー、ダメかなぁ。私は凄い好きなのに、親しみやすくなるし愛嬌三割増しだよー。ピッタリだと思うんだけどなー」
不思議な呪文のように語尾を伸ばして無理やり認めさせようとしてきた。
「…好きなように呼べばいいさ」
ここで拒否しても、彼女は呼んできそうだったので、渋々そのあだ名で妥協することにした。
「やったー。大丈夫!あだ名は最初違和感感じるかもだけど、いつか気にいる時がくるからさ」
「だといいね」
何世紀後の出来事だろうか。
「んょし、それでは!」
わけのわからない話でけっこう時間が潰れていたのを見越してか、花見川は大きくそう区切りをつけてから続けた。
「本題に入るね」
本題、彼女が僕に助けを求める理由だ。正直あまり気が進まないが、彼女がどんな悩みをもっているのかは興味はある。一見明るくハキハキした様子から悩みはなさそうなのに。
と、期待値が僕の使命を越しそうになったところで肝心なことがまだ僕の足元に転がっていることを思い出した。
「その前にちょっといいかな?数分で済むからさ」
「いい感じに出鼻を挫くね。なにかあるの?」
恨めしそうに僕を睨みつける花見川。彼女の語りに本来の目的を忘れそうになったがあくまで僕の目的は人助けではなく、18禁紙袋の不法投棄なのだ。
「コレを置きに行きたいんだけど」
僕の用事にはそう時間はかからない。せいぜい5分くらいだ。それなら用事を済ませてから彼女を話を聞いたほうが、心残りがなくていい。なにより彼女の語り口は長くなりそうなのだ。
「か、紙袋……」
花見川は夏だというのに、白い陶器のような頬を上気させ、もうその話は止めてくれ、と口元を手のひらで覆った。少女らしく初々しい反応だが、一つだけ言わせてもらえるならば、この紙袋の中身の本来の持ち主は橘だ、ということくらいだ。
「ど、どうぞ。出来ればもう私の目につかない遠くにやってほしいな」
「悪いね。戻ってきたらちゃんと話聞くから、ここで待ってて」
「ラジャー。できるだけ早くしてね」
短い返答を背中で受けて不法投棄場を奧に進んだ。
目指すはエロ本小屋こと古い木造建築。あそこなら、コイツも目立たなくなるし、なにより中学生に夢を与えることができる。熟女趣味の中学生なんているのかわからないけど新たな世界に目覚めるきっかけとして、紙媒体から動画になるのだから大きな進歩だろう。
いや、それはただ自分にするだけの言い訳だった。正直に言うならば、そんなのどうでもいいから、コレとお別れしたかったのだ。
断固として不法投棄許すまじの姿勢を取っていた花見川を、無理やり納得させた腕利きのネゴシエーター。彼に会うことはもうないだろう。
「よし、っと」
頭を切り替えるように軽く背筋を伸ばす。
紙袋はエロ本に囲まれて、真の仲間を得たようだ。
果たすべき目的を完遂したので、もうこんなところに用はない。さっさと、出よう。
なんだかんだで目の毒だし、そこはかとなく空気は悪いんだもん。
最後にもう一度息を吐いてその場を辞しようと回れ右で体を傾きかけた時だった。
「こんなとこに小屋なんてあったんだねー」
僕の安息を切り崩すかのように場にそぐわない間延びした声が響いた。ほとばしる嫌な予感を抑え、後ろに何者かが来た気配を感じる。
「花見川…」
思わず彼女の名前を呟いた。待っていろと言ったのに着いてきてしまったのか。振り向いて、ダッシュでその場から駆け出そうかと思案したけど、彼女はすでに目の前に来ていたので断念した。
「私の事は下の名前のむくげってよんでよ。それよりこんなところに小屋があるなんて秘密基地みたいでワクワクしちゃうなー」
そう言いながら中に足を踏み入れようと前進して来た。それを妨害するように、彼女の体の前に移動する。
「?トウちゃん、なんで邪魔するの?」
「いや、ねぇ……」
あからさま進路妨害に彼女は疑問符を浮かべた。
秘密基地ではないけど、この先に広がるのは秘密の花園だ。僕が持ってきたアダルトDVDなんて可愛く思えるくらい大量のピンク。得体の知れない恐怖とまだ見ぬコレクターの不気味さに本来起こるべく性欲もわかなくなるだろう。
常人が見たら引くくらいのこんもりとした山。思春期真っ盛りの中学生だった僕たちでさえ、不気味に思って引いたくらいだ。尋常じゃない異空間に、花見川は絶対に耐えられないだろう。本当に誰だよ、こんなに収集したの。
「この中に紙袋を置いたんでしょ?」
「う、うん」
「隠れ家っぽくていい感じなのになんでそんな残念なことやっちゃうか、…な、ッ」
止められず、ひょこりと顔を動かした彼女が絶句した。
どうやら僕の肩越しから見てしまったらしい。惨状を。
獲物を追うカメレオンのように眼球を動かし、口をあんぐりと彼女は戦慄いた。それも数秒で、やがて彼女はさっきの反応とは比べものにならないくらい顔を真っ赤にし、歯をカチカチと鳴らして、視線はどこに合わせればいいのかと宙をさまよい初めたところで、紅色に染まった彼女の顔はほどなくして青くなった。
さぞ恐怖だろう。コレだけ大量のエロ本なんてそうそうお目にかかれるモノじゃ――
「ふっ、ふ、」
「え?」
「不潔ゥッー!」
最後に見たのはドングリのように大きく見開いた目に微かに涙を溜める花見川と、青く澄わたった、空だった。
僕の世界がくるり回る。
ブランコにいきなり乗せられた後、空中ジャンプを強制されたかのようだ。
着地失敗したお尻、背中、頭と緩やかな痛みにつつまれた。
たったった、と逃げて行く足音をソナーのように耳が捉えた。音はだんだん、遠く、小さくなっていく。
花見川がこの光景にびびって逃げ出したのだ。何故か、僕に攻撃を加えて
「はあ……」
ため息をつく。押されて後ろに倒れたのだが、幸か不幸か、エロ本の山がクッションになってくれたからだろう、ダメージはない。
なんで、今日はこんなについていないんだろうか……。
夏期講習は強制参加だし、
登山をする羽目になるし、
アダルトDVDを女の子に見られるし、
オマケにこんなところに立ちすくんでるとこまで、
今日ほど不幸な日はそうそうない。ため息をつくと幸福は逃げるというけれど僕に残された幸福ゲージは限り無く0だ。
そう思いながら、頭にかかった『魅惑のDカップ』のピンナップを叩き落とした。




