第3章 未来へ
一人の少女は空を見ていた。
一人の神は少女を見ていた。
「ねぇシエル様。もう世界は複製されてると思いますか?」
少女はどこか少女はどこか寂しそうに笑った。その声には、諦めにも似た響きがあった。
「どうかしらね。例え複製されたとしても、その世界に私は居ないもの。分からないわ」
「じゃあここに新しいシエル様がやってきたら、複製されたって思えばいいんですか?」
「そうね。この城が埋まるくらい私が増えたら、それはそれで大変だけれど……せめて過去の世界の私と新しい私で留めて欲しいところね」
二人は窓際に腰を下ろした。
今日も今日とて空は青く、鳥が羽ばたいていく。時計のない天空で、少女は幾度、日が昇り、沈むのを見てきただろうか。
「私、最初はシエル様のこと利用してたんです。神様の好意を利用するなんて許されることではありません。でも、今は胸を張って愛してますと言えます」
「フフッ、あはは! 貴女、本当に可愛らしい子ね。あの時、私が貴女の気持ちに気づいていないと思っていたの?」
「……、……へ?」
少女が腰に手を当てふんぞり返れば、神は面白おかしそうに肩を震わせた。少女は先の言葉を意を決して言ったのだろう。目の前でくすくすと笑う神に、その顔はみるみる真っ赤に染まっていった。
「あーおかし。貴女、私のこと受け入れはしたけど心までは許してなかったじゃない。なのに私のご機嫌を取るために懸命に甘えて、強請って……本当に可愛らしかったわ」
「な、なっ……!」
「顔真っ赤にしちゃって、一体どこまで私を魅了すれば気が済むのかしら」
あまりの恥ずかしさに少女は涙を浮かべた。神は少女の涙を美味しそうに舐め取った。そのまま、少女の身体を飲み込むように抱きしめる。
少女が神を受け入れた日、二人の作戦が始まった。
神は言った。世界が複製された時、向こうの自分がこの世界へ来るようになると。それは少女との約束のためだ。少女はあの日を境に、全ての神の求愛を受け入れる生贄となった。
「複製された世界のシエル様がここに来たとき、その世界から神は一時的に居なくなる。その間にもう一人の私が、クランを倒すことができれば……」
「そうね。ただ、貴女が悪魔ネオと遭遇してしまえばおしまいよ。今度は赤子の頃から聖花晶の指輪をそばに置くつもりでしょう?」
「はい。そうすれば、今までの私たちの記憶も少しずつ思い出せるはずです。あの頃は魂が不完全だったから、花飾りが現れるタイミングが不完全だった。でも今なら……」
「ええ。だけど、必要な記憶がネオと出会うまでに蘇るとは限らないわ。それに、幾つもの世界を生きた貴女たちの記憶よ。あまりに膨大な記憶を受け入れれば、貴女の心が壊れてしまう可能性だってある」
神は指に少女の髪を絡ませくるくると遊ぶ。
神がいる限り邪神は生まれ、神がいる限り邪神は消えない。神と邪神は、互いを存在理由とするだけでなく、世界の均衡を保つ対の存在でもある。たとえ邪神クランを倒したとしても、神シエルが存在する限り、クランは何度でも蘇る。対となる存在は、互いが互いの存在理由となるからだ。
けれど、もし神がその世界からいなくなったなら。
クランを抹消するための条件が、初めて成立する。
「シエル様が世界を留守にしている間にクランを倒せば、世界を統べる者が消える。その時、世界のバランスが崩れる……」
「貴女の言うソレイユは、どの世界にも存在しない。私たちのいる世界から隔離された所にいるはずよ。バランスを崩した時に生じる歪みから、彼に会うしか手はないわね」
神の言葉に少女は祈るように瞼を閉じた。
そして、そっと自分の左手に視線を移す。少女の薬指で聖花晶が淡い光を放っていた。少女の眼もあの頃と違い、シエルと同じ桃色に変わっている。
緩やかに雲は流れ、穏やかな風が吹きこんだ。
「でも貴女、ソレイユを助けられたとして……その後どうするつもりなの。複製された世界にはもう一人のソレイユがいるでしょう?」
「そ、れは……」
「そもそも、貴女が夢で見た人が、本物のソレイユかどうかも分からないのに……。まぁ別に私は、貴女さえそばに居てくれればどうでも良いけど」
少女には一つだけ、考えがあった。
けれど神の言う通り、夢の中で見た人が本当にソレイユなのかという確証はない。仮に本人だったとして、助けられる保証もどこにもなかった。
それでもと、少女は思う。ただの夢と捉えるには、あまりにも悲痛な叫びだった。耳にこびりついて離れないほどに、心が酷く揺さぶられるような声。仮に本当にただの夢ならば、それはそれでいいと思う。歪みが起きても邪神も神もいない、ただ平和な世界が訪れるだけなのだから。
少女は神の胸板に身体を預け、もう一度空を見た。
「……ふふっ、いいこと考えちゃいました」
「あら、なぁに。教えて」
「きっと天才の発想すぎて、シエル様びっくりしちゃいますよ」
くすりと笑って少女は身体を起こした。そのまま神の耳にそっと囁く。誰もいない神室だというのに、内緒話をするようにひそひそと話した。
少女の案に、神は目を丸くする。「どうでしょう?」と少女が首を傾げると、神は瞼を閉じ思考を巡らせた。
「もしそれが出来たら、すごく素敵な世界になりそうね。……前の世界と違って、今度は貴女の名を変えないまま正式に私たちは結ばれたわ。だから、えぇ……きっと」
「私ならやり遂げられると思います。だって私には、今よりも強いシエル様の加護がついてますから」
数多に綴られた少女の世界。
本来であればたった一つの世界だったそれは、いつしか複製され増え続けていた。まるでその結末をやり直すように。
少女の聖花晶指輪は全てを引き継いだ。全てを記憶した。
空の床は青から橙へと移り変わる。
温かな景色。夕陽は少女と神の輪郭を縁取る。神と同じ髪色と眼の色をした少女は、窓ガラスに映る自分の姿を見て視線をそっと落とした。
「そうだシエル様。神様として暮らすってどんな感じですか。ずっとおひとりでここで暮らすのって、やっぱり苦痛……?」
「暇ね。娯楽として、貴女に嫌われちゃいそうなことを普通にしてたわ」
「た、例えば?」
恐る恐る問いかける少女に、神は小さく首を横に振った。「いくら貴女相手でも、教えられないわ」と返し、自分とお揃いになった少女の髪に触れる。恥ずかしそうに頬を赤らめる少女を愛おしそうに神は見つめた。そのまま後頭部に手を回し、何の不意に唇を重ねる。驚いて声をくぐもらせる少女を無視して、何度も角度を変えながら、幾度も口づけた。
夕日が沈むまで、二人の影は繋がっていた。
そして満月が部屋を照らす時。もうひとつの影が揺らりと現れ、二人の影にくっついた。
「——私も、混ぜてくださる?」
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次回が最終短編となります。少し気は早いですが、ここまで読んでくださりありがとうございました。最後まで楽しんで頂けるよう、頑張ります。




