フルスロットル恋心
楽しんでいただけると嬉しいです。
遊園地デートから一夜明けた月曜日。
俺はいつものように、駅で陽奈を待っていた。
頂点を目指して昇り続ける太陽が屋根の外の地面に陽炎を作り、そろそろあくびの一つでも噛み殺す頃だが……今朝は違う。
やけに意識はスッキリしていて、朝特有の気だるさもない。不思議なほど目が冴えていた。
「いつ寝たんだろ、俺」
昨日の記憶が、観覧車の後からどっか吹っ飛んでる。
いつの間にか家に帰り、我に帰った時にはもう翌朝で、学校に行く準備をしてる最中だった。
どうやら昨夜は夢も見ないほど熟睡したらしい。
そんな状態のまま、美玲に「幸せオーラ出過ぎててキモい」などと追い出されるように家を出てきたわけだが。
「……遅いな」
着いてからしばらく経つけど、なかなか来ない。
もう二、三回くらいは電車が駅から出発してる。このままじゃ遅刻するかもしれん。
少し不安になり、ポケットからスマホを出すと画面を開いて、表示された時刻にギョッとした。
「嘘だろ、まだこれしか進んでない……!?」
てっきり30分は経過してると思ったのに、到着してから10分くらいしか変わってなかった。
実際の時間と体感が違いすぎる。スマホがイカれてるんじゃなければ、陽奈が普段乗ってくる時間まで軽く二本分は猶予があるぞ。
「うわ。これ、恥っず……」
これじゃ単に浮かれてるだけじゃん、俺。
なんだろう。頭の一部にかかってたモヤが一気に吹っ飛んだ気分だ。
ていうか今更だけど、陽奈が来たらどんな顔をすりゃいい?
最初の一言目は何を言えばいい? 一応本気交際初日だし、何か準備しとくべきだった? やっぱり距離感がすごく変わったり……。
「やべ。なんもわっかんねえ」
考えれば考えるほど、疑問ばかりが湧いてくる。
足りない。圧倒的に心構えが、経験が、余裕が足りない。
これまではずっと、恋が成就することこそが俺にとってのゴールだった。そこから先のことについては完璧に無知だ!
「と、とりあえず身だしなみを……!」
第一印象でやっぱ無いわとか思われたら、それだけで死ねる。
手に持ったままだったスマホのカメラで急いで確認を始めた。
寝癖や服装を見直してる間に、さっきまでが嘘のようにあっさりと時間が過ぎた。
掲示板から、件の電車の時刻表示が消える。
「っ……!」
乗り場へ繋がる階段へ視線を移せば、大勢の足音が徐々に上がってくるのが聞こえた。
いよいよだ。カバンの肩掛けを握り締め、ぐっと目をこらす。
俺のために変えてくれたその姿を、決して見逃さないよう。誰よりも最初に気付けるように注視した。
そうして、足音が階段の頂点に近づいた瞬間。
たんっ、と、音を鳴らして。一人の女の子が現れた。
「あ……」
いた。
目を凝らす必要なんてないほどあっさりと、鮮明に。目の前にやってきた。
ローファーの底が床を打つ音を聞いた瞬間、あらゆる音が周りから消え去って。自分の呼吸の音さえもどこかに遠ざかった。
まるでこの瞬間だけ、世界の方が遠慮しているみたいな光景。
そんな中で、女の子がふと顔を上げる。
何かを探すように視線が彷徨おうとした時、偶然か、必然か。改札を越えて一直線に目が合った。
「──!」
途端に、満開の笑顔を咲かせて走り出す。
誰にも邪魔されることなく軽やかな足取りで改札を抜け、勢いを緩めることなく真っ直ぐこちらへと。
………ん? 真っ直ぐ、こっちに?
「いやちょっ、そのスピードだと──!?」
「おっはよー!」
「おぅっ!?」
衝撃を全身で受け止める。
まるでタックルでも決めるみたいな勢いで、女の子が──陽奈が抱きついてきた。
や、柔らかっ、いやめっちゃ良い匂い、じゃなくて細っ、というかこれ、抱き返せばいいのか!?
ひ、ひとまず返事から……
「お、おはよう陽奈」
「んふふっ、昨日ぶりー♪」
「んぐっ!?」
挨拶しただけでハグが強くなったんだが……!?
また無数の疑問が頭の中に溢れそうになるのを堪え、問いかける。
「えっと、これは一体どういう?」
「んー、嫌?」
「嫌、ではないが。流石に度肝を抜かれた」
「あたしらさー。付き合ったじゃん?」
「そう、だな」
「ぶっちゃけね、あんま実感なかったの。ふわふわしてて、どっか夢みたいで。でも今日、目が覚めて思ったんだ。ああ、本当なんだなって」
「あぁ……正直、その気持ちはわかる」
さらに言えば、ホッとしている。
心のどこかで、あれは都合の良い幻か何かだったんじゃないかと疑う自分がずっといて。
けどこうして気持ちを共有したことで、ようやく俺も事実として受け止めることができた。
「今日も、明日も、あんたと恋人でいられる。あんたがあたしの、あたしがあんたの一番大事な場所にいる。そう考えたら、気持ちが溢れてきちゃってさ」
「それでこうなった、ってことか」
「せーかい。もうね、ヤバいの。起きてからずっとあんたのことで頭いっぱい。こんな幸せなんだね、付き合うって」
「……確かにな」
本当に、陽奈の言う通りだ。
声色の甘さも、自身の熱で蕩けたような眼差しも、感じる体温の近さも。
何もかもが今までと比べて、ずっと段違いで。
これが、本物の恋人というものなのか。だとしたらなんて心地よくて、危ういんだろう。
「そんなわけで、今のあたしブレーキ外れちゃってるから。困らせたらごめんね」
「ああ、わかっ………ん?」
「どしたの?」
「ちなみになんだが、これは溢れたうちのどれくらいだ?」
「んー、二割ってとこ?」
「に……ッ」
こ、これでたったの二割だって言うのか? だとしたら、総量はいったいどれくらいの……?
い、いや、やめよう。これ以上は精神衛生的によくない気がする。
「できるだけ、ほどほどで頼む」
「ん、頑張る。こんなの初めてだから、あんまし約束できないけど」
「おい、不安になる返事だな」
けどまあ、なんとか受け止めよう。それが恋人の特権で、責務だ。
実際問題、できるかはともかくとして。
「とりま学校行こっか」
「そうするか」
「あ、そだ。最後に一個」
「ん、なんだ?」
「あんたからも、抱きしめて?」
……この距離で上目遣いは、反則じゃないですかね。
観念して、すっかり行き場を失っていた両手を動かす。
おっかなびっくりにも程がある手つきで触れた背中は、クラスマッチの時も思ったがとても華奢で、けど女の子特有の柔らかさもあって。
どうにか少しだけ力を込めて抱き返せば、胸の中で再び満面の笑みが生まれた。
ひとまずそれで満足したのか、宣言通り俺達は学校に向かい始めた。
通過する車の音、電柱に留まる雀の鳴き声。すれ違う人の話し声。周りの全てが同じ中、いっそ不自然なほど欠けている音が一つ。
隣にいる陽奈を見ると、駅から何を言うでもなく、俺の腕を占領して機嫌良さげに歩いている。
普段なら雑談の五つや六つは振ってくるが、ずっとこんな調子だ。
「……なあ」
「ん? なぁに?」
「いや。その髪、制服でも似合うなと思って」
その違和感がなんだか奇妙で、ふと頭に浮かんだことを口にする。
陽奈はこてんと首を傾げ、拍子に毛先が水が流れ落ちるように揺らめいた。
「気に入った?」
「あー、うん。すげぇ可愛い」
「へへっ、可愛いもらいましたー♪」
実際、昨日とはまた違う意味で魅力的だ。
前は華やかさの中に一種のオーラがあったが、爽やかな印象が表に出たことでより親しみを感じられる。
「そのまま、全部のあたしを気に入ってよね」
「っ。分かっ、た」
「よし。ふふっ、クラス行ったらどんなリアクションされるかなー」
なんだ、今の。
駅で抱きついてきた時とも違う、くらりと意識が傾きそうな声。
色気があるとすら言えるほど色濃く言葉の裏に滲んだ感情に、胸の中を鷲掴みにされたような感覚がした。
まだ見たことのなかった一面にドギマギして、俺の方も元から多くはない口数が減る。
必然的に沈黙が深くなるが、不思議と今度は居心地が悪くなかった。
結局、それ以降はこれといった会話もなく。
いつもなら道すがらすれ違う顔見知りに挨拶する陽奈が脇目も振らず歩むのにつられ、学校の玄関先までたどり着く。
「履き替えるから、一旦離れよう」
「んー。ワンチャンこのままいけない?」
「それは、ちょっと難しいんじゃないか?」
「いけるいける。息を合わせて片っぽずつやればさ」
「そんな二人三脚みたいな……」
「よ、お二人さん。今日も朝からやってんな」
この声はヒロか。
ちょうどいいタイミングだ。第三者の目があればこの甘え攻撃も落ち着くかもしれない。
そう思って振り返り、ギョッとする。
「つーか、それっていつも通り? それともなんかあったのかって突っ込んだ方がいい?」
「ヒロ、お前……それ」
「ん? おー。まあ、ちょいとドジってよ」
どこかきまりが悪そうに形を変える親友の頬には、白いガーゼが付いていた。
陽奈と同じように、先週まではああじゃなかったはず。週末の間に一体何があったっていうんだ?
「言うなればー、次のステップに進んだ的な?」
「祝福していいやつってことね。おめっとさん」
「ありがと。てか、それ大丈夫なん?」
「まあな。とりあえず教室行こうぜ。な、アキ」
「っ、あ、ああ」
……ひとまず、今は踏み込まない方が良さそうだ。
あとで頃合いを見て聞いてみよう。デートの結果も報告したいからな。
「意外にいけたわ……」
「ね、やってみるもんっしょ」
「お前ら、今から体育祭の練習でもしてんの?」
「いや、別にそういうわけじゃないんだが」
まさか本当にこの状態で履き替えるとは。陽奈の方はそんなに苦じゃなかったけど、俺は体重的に向こうに寄りかかれないので難しかった。
為になるのかわからない感想を言い合いながらクラスの前に到着し、扉を開ける。
「おはよー」
「おは……え!? どしたん!?」
「何々、すごいイメチェンしてんじゃん!」
中に入った途端、案の定騒がしくなった。
近くにいたクラスメイトから波及していって、あっという間に輪ができあがる。
「意外ー。失恋……じゃ、ないか。そんな感じだし」
「モチ。むしろ仲深まってるし♪」
「え、じゃあじゃあー、ズバリ高峯の趣味とか?」
「うっ」
「え、図星の反応じゃん。マジ?」
「んー? ふふっ、そうみたい」
ぐ、ぬぅ。
この人数の前で自分の趣味を公にされるの、恥ずかしいなんてもんじゃないぞ。
「高峯め、また羨まけしからんことに……」
「確か体育って、今日から水泳だったよな」
「うし。沈めるか」
「おお、名案だ。プールの藻屑にしちまおう」
「おい。着々と殺害計画を立てるな」
「なはは、幸せ税が毎日重いねぇ」
「え。城島、顔どうした。修羅場?」
「ふっ、人生には山あり谷あり修羅場あり、ってな」
「なんじゃそら」
「も、もういいだろ。行こう」
「はーい」
生暖かい視線と怨嗟の眼差しのダブルパンチに耐えかねて、輪の中から脱出する。
十分に距離をとってから、絶好調な恋人にじとりと目を向けた。
「勘弁してくれよ陽奈、流石に今のは堪えるぞ」
「えー、でも事実じゃん?」
「いや、まあそうなんだけどさ」
「相変わらずくっ付いてんの好きだね、あんたら。日課?」
自然と会話に混ざった声に、二人して振り向く。
そこには、一緒に週末を過ごしたもう一人のクラスメイトが楽しそうな顔で頬杖をついていた。
「おは、真里。昨日はありがと」
「はよす。ま、私も直也と楽しんでただけだし。見た感じ、また距離縮まってるみたいで良かったじゃん?」
「直也? ああ、もしかしてしん……」
「いやクラスで名前出すなし。あんたと違って、私はイジられて喜ぶ趣味ないから」
「そんな趣味俺もねえよ」
まったく、変態の烙印なんて押されてたまるか。
それはそれとして、どうやら谷川は谷川で名前呼びに変わるくらいには進展したらしい。
帰り道の記憶も吹っ飛んでて、どう着地したのか分からなかったけど……度重なる絶叫マシンの苦行に耐えた甲斐はあったみたいだな、あいつ。
「てか、俺はいいわけ? フツーに聞いちまってるけど」
「あんたは身内で揶揄うことはあっても、言いふらしたりはしないっしょ。まあ万が一漏らしたらシメるけど」
「アイアイ、お口にチャックしますマム」
「誰がマムじゃ」
ヒロも一応許可?されたみたいだ。
仲間意識の強い谷川のことだし、いずれ小澤や斎木にも伝わるかもな。
そのまま駄弁りが始まりそうな雰囲気だったので、自分の机にカバンを下ろす。
流石に座った状態じゃこのままでいられないと陽奈も分かってるようで、今度はあっさり離れて自分のを置きにいった。
心の中でほっする。いや、嬉しくはあるんだけど。
「っしょ、っと」
「ん、お邪魔しまーす」
「は?」
そうして、椅子に座った瞬間だった。
ごく自然と、まるでそうすることが当たり前かのように、右足に一人分の体重が乗った。
「えっ……と。陽奈、さん?」
「えへへ。コレ、一回やってみたくて」
「…………はぁ」
「あ、結構バランス取るのむずいから支えてくんない? こう、後ろに手を当てとく感じでさ」
「………………おう」
ひとまず。言われた通りに、右手を背中に添えた。
すぐに体重が少し預けられる。
今までは二回とも勢いがついてたから分からなかったが、自分の体と比べてかなり軽い。
そして陽奈は、あろうことか足の上で位置を微調整しだした。
「んっ、と。んー、こんくらい?」
「ッ…………、っ!」
耐えた。ひたすらに、耐えた。
ほどなくして上手くいったのか、柔らかいものが動かなくなった瞬間、ものすごく解放された気分だった。
「おっけ。ん? あれ、どしたん聡人?」
「………気にするな」
「え、じゃあなんで顔隠してんの。見してよ」
「無理だ」
えー、と不満げな声が手の向こうから聞こえるけど、絶対見せられるわけない。
ついでに言えば、それ以上足の付け根の側には移動しないでほしかった。
「あー、うん。なんつーか、ドンマイアキ」
「陽奈さー、あんまいじめてやんな?」
「ちょ、イミフなんですけど」
いつもなら揶揄ってくる二人も、流石に同情的な言葉をかけてくれる。
ああ、くそ、ちきしょう。何から何まで、心臓に悪すぎるだろ。
こんなんじゃ、放課後には一体どうなってるんだ?
読んでいただき、ありがとうございます。
次回に続く。




