6話
小生の誕生日から数ヵ月で母上は無事離縁を済ませ、親父殿は犯罪者の仲間入りだそうです。
その後直ぐに実家に戻る手配も済んだのですが、小生も母上もあれから数年経った今も教会に住まわせて貰っています。勿論、掃除などの雑務をちゃんとこなしていますよ。
神官長が母娘を引き裂くのは可哀想だと言ってくれた事もあり、更には小生を教育するのに教会は適した場所なんだとか。それで今も住まわせて貰っているのですが、姉上の指導が恐ろしいです…。
母上は優しくゆっくりと小生の知らない話をしてくれましたし、小生が限界になれば睡眠を優先してくれました。姉上は小生を寝かせてくれませんっ。
「ヒロト、買い出しに行くんだけど付き合ってくれる?」
「拒否権があるなら行使したいところですが。」
「冬に備えて毛布と薪でしょ、あとは教会で炊き出しがあるからその食材。」
「……聞く耳は持たない、と。」
ふわりと笑う姉上は可愛らしいのですが、小生には無言の圧力しか感じられません…。
母上に加えて、姉上や神官たちに教えて貰ってこの国の事が幾らか分かりました。
この世界に日本は無いという事、小生が生きてきた国が違うのではなく世界そのものが別なのだという事。
御伽噺の上を行く化け物が存在している事、それを倒す職業があるくらいには周知の事であるという話。
テレビもこの世界には無いのだそうです…。小生の楽しみの一つでしたのにっ。
手で回すテレビは流石に無理でしたが、リモコンなるものが普及してくれた事で留守番の際は見放題でした。チャンネルを変えるのもお手の物だったんですよ。相撲や時代劇という番組が特に好きだったんですがね、まさか見れなくなるなんて…。
世界に比べて日本は平和なのだとニュースを見て思っていましたが、この世界は死がもっと身近なのだそうです。
医者という者はおらず、治癒魔法を使う者が居るそうなのですが数が少ないのだとか。小生、医者は嫌いなので良い事のようにも聞こえるのですが日本よりもずっと怪我や病気が多いこの世界では生き難い事でしょう。
魔法、というものについては未だに理解出来ていませんが、その存在は理解しました。
兎に角、奇跡の力です。えぇ、そう理解しました。お経のようなものを唱えると大体その人の周囲だとか手だとかが光って、こう…不思議な事が起こるんです。
小生にも素質はあると言われるんですが、原理が分からないのにどうやって使えと…?
姉上はその魔法の才能が秀でているらしく、神官たちの中でも一目置かれている様子。…身内が褒められるのは何だか誇らしいので良い事なのです。
姉上が優秀だからなのか、最近ではよく男性に声を掛けられています。18歳になったからだと姉上は仰っていましたが、母上は笑っていました。
両親の承諾があれば10歳で婚姻は可能らしいのですが、教会に属する神官などは18歳から可能になるのだそうです。でも、母上曰く…姉上はなかなかの美人なのだとか。…猫の小生には人間の美醜がいまいち理解出来ませんが…、姉上がぎゅっとしてくれた際に当たる柔らかな胸は心地良いです。時々窒息するかと思う程に顔が埋まりますが。
「にゃー。」
姉上の買い出しの荷物持ちをしていると、塀の上から声を掛けられました。
この辺りを縄張りにしているボスの彼に挨拶を怠るとは…なんたる不覚。
『すみません、此方も縄張りでしたか。姉上の買い出しに付き合っているのですが、少し通らせて頂いても?』
『人間の女は買い物が好きだと聞くからな、まぁ揉め事を起こさないなら好きに通れ』
『助かります。また教会で炊き出しを行うそうなので、良かったら。』
『あぁ、仲間と行くよ。俺には鳥の肉を取っておいてくれ。』
『小生も鳥が一番好きです。お任せあれ。』
「ヒロト、またにゃーにゃー言って…猫と会話してるつもりなの?10歳になったんだし、そろそろ止めたら?お嫁さん来なくなっちゃうよ?」
「あぁ、すみません、つい。」
この身体は人間で、猫の時に出来なかった事が出来るようになりました。しかし、猫の時に出来ていた事は殆ど失われていないのです。人間になるとは猫であった事から離れるのだと思った事もありましたが、猫の時と同じように夜目は利きますし動くものを追う際も猫の時と同じかそれ以上です。嗅覚も聴覚も以前より冴えている感じすらしています。
そして、他の猫と会話出来るのも変わりありません。それどころか餌である鳥の会話も理解出来ますし、小生の言葉が鳥に通じたんです。あれには自分でも驚きました。
「ヒロト、どうしたの?空なんて見て。…はぐれないように手、繋ごうか。」
「小生はこの町で迷子になる程間抜けではありません。」
「やだ、思春期。恥ずかしがらなくて大丈夫、大丈夫。」
「姉上っ。」
鳥を見上げていたら姉上に手を取られてしまいました。…小生の身体…、否、佐藤大翔が生きる筈だった身体は成長が著しく姉と大きな体格差がありません。…姉が小さいのかも知れませんが。
こうして手を繋いで歩くと人の視線が痛くて苦手なんです。手を繋ぐ事は嫌いではないのですが…、敵意のようなものを感じる時もある程に視線が痛いのです。
「サーシャ、今日はうちで買っていかないか?サービスするぜ?」
「サーシャなら半額にしてやるよ、うちに寄りな。」
若い男から年配の男まで、店からの誘いはあちこちから。それだけではなく女性の店員からも声が掛かる姉上はこの町で人気者のようです。
少し誇らしい気持ちになります。…が、逃げないので強く手を握るのはやめて頂きたい…。
「サーシャ!そろそろ俺たちと出掛けてくれても良いんじゃないか?」
「…またアンタたち…。行きません。ヒロトの世話があるし、私は冒険者になるつもりはないの。」
「弟は勇者様なんだろ?じゃあ実地訓練って事で一緒に行こうぜ?神官のサーシャが必要なんだよ。」
「神官なら沢山居るし、冒険者登録してる人もいっぱい居るでしょ。それにヒロトに外はまだ早いわ。買い出しがあるから、もう行くね。」
姉上は小生の手を引いて彼等の横を通り過ぎていきました。背中に視線が刺さります…。
冒険者、という職業の方たちは件の化け物退治がお仕事なのです。小生は町から出た事がありませんので、図鑑でしか見た事はありませんが。その冒険者に、姉上は勧誘されている様子。小生を口実に断るのはやめて頂きたいところではありますが…。