51話
小生が目覚めたのはふかふかのベッドでした。窓から差し込む光の加減から昼過ぎだろう事が予測出来ます。随分と長い時間、深く眠っていたようです。
小生を含む猫は浅い眠りが長く、深く眠るのはほんの少しだけです。浅い眠りだからこそ小さな音でも起きる事が出来て敵に備えられるという本能らしいですが。
こんなに長く深く眠っていたのは初めてな気がします。
折角ベッドが広くてふかふかしているのでもう少し眠る事にしましょうか。そう思ってもぞもぞと体勢を整えていると、毛布が引っ張られる感覚に気付きました。引っ張られる、というよりは毛布が押さえられていて満足に動く事が出来ない感じです。
身体を起こして毛布を引っ張ろうとすると姉上が寝ていました。
「……どうしてそんな端で寝ているんですか…、全く。」
心配してくれたのだと感じるとどうしても頬が緩む心地です。
普段なら遠慮なんて全く無いまま小生と同じベッドで寝るでしょうに。ベッドの端で小さく丸くなって眠る姉上の髪に触れてみます。これではどちらが猫か分かりませんね。
「……ん…、…ヒロト…?」
「小生よりも遅く起きる姉上なんて、初めて見ました。」
「ヒロトっ!良かった!」
「ぐえ…っ!」
「もう、心配したんだからっ。いきなり倒れるんだもんっ。」
「姉上…、苦し…っ。」
起きた姉上に声を掛けてみたところ姉上はしっかりと覚醒して小生を押し倒してきました。だから、姉上のその胸は凶器だと毎度言っているじゃないですか。…息が出来なくてまた気絶しそうです…。
「あ、ごめん。…もう何ともない?」
「はい。でもまだ眠いので…、一緒に寝ませんか?」
「あ、こら…ヒロト、もう大丈夫なら起きるよっ。ほら離してって、良い子だから。」
「良い子じゃなくて良いです。」
「もう…。」
またその豊満な胸で押さえ込まれては窒息してしまいそうなので姉上の身体を抱き返して小生の横に転がしました。これなら押し潰される事もないでしょう。
目は覚めましたがこんなベッドに居たらまだまだ眠る事が出来そうです。というよりも寝たいです。
起こそうとする姉上も道連れにすべく擦り寄って甘えてみると撫でて下さいました。姉上が甘えられると弱い事を小生は知っているのです。
不得意ではありますが睡眠の為ならなんて事はありません。体温を分けてふかふかしたベッドに包まれれば姉上とて一溜りもない…筈。
「クロガネ、何時まで眠っているつもりだ!もう昼食だぞ!」
「……五月蠅い羊が来やがりましたね…。」
「ほらヒロト、ディーもお迎えに来たから。ご飯食べよ?」
「嫌です。まだ寝たい。」
「さっさと起きんかっ。もう随分長く寝ておって!私は寂しかったんだぞ!」
ベッドの脇で騒ぎ立てるディーを無視して背を向けたまま眠ろうとすると、何かが落ちる音がしたので顔だけを扉の方へと向けて確認しました。
入り口に立っているフレッド殿が固まっていました。足元にはフレッド殿が持っていたであろう水差しとお盆が転がっています。意外とドジなんですね。
「サ、サーシャ…、あの、お邪魔…だった、かな…?」
「はい、邪魔です。邪魔な羊も連れて出て行って下さい。」
「邪魔とは何だ!それと羊と呼ぶでない!無礼者めっ。」
「騒がしいのは嫌いです。」
「こらヒロト。…もうご飯にしよ?ね?」
「……嫌です。」
「…じゃああと少しね。フレッド、ディーを連れて先に行ってて?」
「…あ…え……、あ、はい…。」
姉上が小生の頭を撫でて下さり、様子の可笑しいフレッド殿がディーを抱え上げて部屋を出て行きました。ディーはまだ叫んでいましたが段々と声が遠ざかっていくので安心して眠れます。
「…お疲れ様、ヒロト。寂しかった?」
「……少し。」
「素直で宜しい。…ごめんね、ちょっとディーに構い過ぎたよね。一年近くも会えなくて、やっと会えたら…なんかちょっと男の子になってて驚いた。」
「小生は生まれた時から男の子です。」
「そうじゃなくてっ。成長したなぁって感じて、なんか距離感掴むの難しかったの。」
「…姉上は姉上のままでしたが?」
「これでも何時も通りって頑張ったんだからねっ。」
姉上の身体を抱き締める腕に力を込めます。
リゼンたちに会えた事は幸運だったと思っています。とても良くして頂いたと感じています。でも、今の家族は母上と姉上なのです。お二人以上に大切と思える人なんて居ません。
折角また会う事が出来たのにディーばかり構う姉上が悪いのです。ディーもすっかり姉上に懐いて…。
「姉上は小生の姉上です。ディーにはあげませんよ。」
「……かわいっ!」
「か…、…まぁ良いですけど。……姉上、すみませんでした。考えなしに動いた事でこんなに長く離れることになってしまって…。」
「それはもう良いってば。私も配慮が足りなかった。…ごめんね?」
何時もの激しい抱擁があるかと覚悟したのですが、姉上の腕は優しかったです。
そっと小生の身体を抱き返して下さいました。そのまま髪を梳かすように頭を撫でて下さいます。
姉上の手は柔らかくて優しくて心地良い。このまま眠ってしまえたら幸せなのですが。
「はい、起きてご飯にしよう。」
「もう少しこのまま。」
「ヒロトはそう言って寝ちゃうからダメです。朝食は豪華だったなー、お昼もきっと美味しいだろうなー。」
「う…、…姉上は狡い。…分かりました、起きますよ。」
「ふふっ、宜しい。じゃあ先に行ってるから、支度して来てね。」
ベッドから降りる姉上を見送ってから小生も諦めてベッドを出ました。折角のふかふかベッド…。
寝直したら姉上に叱られそうですし、昼食を抜きにされてしまいそうなので身支度を整えて部屋を出ました。姉上が出て少ししてから部屋の前に人の気配を感じましたが、使用人の方でしたか。
小生を案内して下さる為に待っていてくれたのだとか。
昼食の席には奥方も同席していました。
食事をしながら話を聞いたところ、やはり奥方には幽霊殿たちが視えていたのだそうです。怖くて部屋に引き籠っていたとのこと。
昨夜地下にいた女性は大分落ち着いたそうで、もう少し回復したら働き口を探してあげるのだそうです。
この屋敷で雇う事も考えたそうですが、嫌な事のあった屋敷にまた仕えるのは色々思い出してしまうだろうし、奥方も生霊だった彼女を見て怯えてしまったら失礼だからと別のところの仕事を探してあげるのだとか。
彼女は以前の領主に囚われていたのだそうですが、アクランド殿と交代になった折そのまま放置されたのだそうです。よく生きていられましたね…。
以前の領主についてはアクランド殿が主立ってもう一度調査してみてくれるそうです。