38話
馬を走らせること数時間、道に停まっている馬車を見付けました。姉上とフレッド殿が馬を止めて馬車の側で立ち尽くしている男性に声を掛けます。
大きな馬車が邪魔で馬が通れないのです。特に道を塞ぐような障害物は見当たりませんし、馬車が壊れているような様子も見受けられません。
姉上とフレッド殿が聞き出したお話によると、この男性…商人の馬車だそうなのですが、賊に襲われてしまったそうです。雇っていた護衛が退けてくれたものの護衛はもう戦える状態ではないとのこと。賊も退けただけで捕えてはいない事から、また仲間を連れて襲ってきたらと思うと引き返すべきか進んで街に入るべきか悩んでいたのだそうです。
「この先の街までなら、一緒に行きますか?私たちも向かうところですし…。」
「…姉上?」
「同じ方向なら一緒に行った方が安全だろうし、困ってるみたいだから。」
「……旅は道連れ世は情けとは言いますが…、姉上はもっと警戒すべきです。」
「どういう意味か分からないけど…この人が悪い人かも知れないって?まぁもしそうだったら、締めるから。」
「サーシャ?さらっとそういう事言わないようにね…、商人さん怯えてるから。」
馬車を進ませて貰えれば小生たちも進める…という事は理解出来ますが、ほんの少し寄って頂ければ馬一頭分くらい横を通れると思うのです。何も一緒に行かなくとも…。
人当たりが良さそうで言葉遣いも丁寧、腰も低くて好印象の筈なのですが…この商人、何故か気に入りません。理由は見付けられないのですが…見ていると不愉快な心地になってきます。
小生が駄々を捏ねたところで姉上の決定は揺るがないでしょうし、馬を操るのは姉上とフレッド殿ですからどうしようもありません。
商人は御者台に座って馬車を進ませ始めました。馬車の前にはフレッド殿が、後ろには姉上が控えて本当に馬車の護衛をして差し上げるようです。
小生が振り向いたところで、フレッド殿の体格差から商人を見る事は出来ませんがフレッド殿へと話し掛けている声は聞こえます。特に騒がしい訳でもありませんし、声質が耳障りな訳でもありません。ですがやはり何だか不愉快で、出来るなら黙っていて頂きたい。
初めて会った人物でこれ程嫌悪感を感じたのは初めてです。騒がしい人や声の大きな人は苦手ではありますが、クロッドにある八百屋の親父さんも肉屋の女将さんも人柄は好ましいです。声が大きくて騒がしい人たちですが…。
「ヒロト君、大丈夫?酔ったりしていない?」
「はぁ、特には。移動速度が落ちた事は不満に思っていますけど。」
「あ、はは…、ハッキリ言うね。商人さんも困ってたみたいだし…サーシャが言う通りついでだから。早く街に入りたかった?」
「…というよりは、早くクロッドに帰りたいです。此処からどれ程掛かるのでしょう?」
「此処がガリアの街付近って事は…、まだまだ掛かるかなぁ。サーシャの知っている街まで行けたら後は移動魔法をお願い出来ると思うけど。」
「…ふわっとした回答を有難うございます。先が全く読めない事だけは分かりました。」
「うん、皮肉かな…。一応セレンクーリア国内ではあるけど、グレオノール王国に近い場所だから王都まではかなりの距離があるよ。」
「初めからそう仰って下されば良いのに。」
「はい、ごめんなさい……あれぇ…?」
姉上がフレッド殿に素っ気ない理由が少し分かったような気がします。穏やかな人柄なのでしょうが頼りない感じもあって虐め…おっと、話し易いんですね。…本当に騎士団なるものを束ねる長なのでしょうか。
『魔物が、来ます。』
『…うん?』
『上から…。』
「…フレッド殿、上から魔物の気配です。」
「…え?」
馬の視線が小生に向けられた時に声を掛けられました。透き通るような声をしていらっしゃいます。
小生よりも早く察知して下さった為にフレッド殿に伝える余裕がありました。フレッド殿と同時に上に視線を向けると鳥のような魔物がその爪を此方に向けて急降下していました。ゴートランドに居た花鳥ではありませんが、鳥なのですから美味しく頂けるでしょうか?
フレッド殿は呪文の詠唱を始めましたが、魔物の爪は迫ります。商人も魔物を視認したらしく怯えたような声が後方から聞こえました。その魔物の爪が馬車に届きそうな位置まで迫ると何かにぶつかるような音を出して、魔物は体勢を崩します。フレッド殿から謝罪の声が聞こえて不思議に思っていると手綱を手渡されました。…小生は馬に乗れませんが…?
『怖いけど、暴れたりしないから側に居て下さい。』
『…貴女が仰るなら。』
馬車に繋がれた馬たちは怖くて仕方がないと暴れています。商人の悲鳴が更に大きくなって不愉快です。
小生も逃げ出してしまいたいと思いましたが、綺麗な声で側に居てと言われては逃げ出す訳にもいきません。
フレッド殿が馬車の木材部分を足場にして跳び上がり、体勢を立て直したばかりの魔物の首を一太刀で落としました。馬車の後方からディーの悲鳴が聞こえます。…また羊になってしまっていそうですが、大丈夫でしょうか…。
魔物が体勢を崩したのはフレッド殿が張ってくれた防御壁のおかげだと後から聞きました。魔物は食べられない種らしいのですが、そのままにしておいては他の魔物や獣を呼び寄せてしまう為に姉上の収納魔法で街まで運ぶこととなりました。
「サーシャ、防御壁くらい手伝ってくれても良いのに…。」
「え、何で?」
「何でって…、サーシャの方が詠唱速いし防御壁の耐久力も高いから…。」
「フレッド一人で余裕な魔物相手に戦わないよ。いざという時に魔力が枯渇したら嫌だもの。」
「…うん、サーシャはブレないね。」
「ディー、大丈夫だった?」
「無視かぁ…。」
「あ、姉上、怖かった!魔物は怖いっ。」
小生の位置からでは見えませんがディーは案の定羊の姿になってしまったらしく、商人が驚いている様子でした。グレオノール王国に近い土地とはいえ、半獣を見慣れていないのでしょう。
馬車の横に立つフレッド殿と後方の姉上の会話が聞こえる間、怯えている馬に声を掛けて宥めてみました。
フレッド殿が戻って移動を再開する事になりましたが、その前に見えた商人の瞳。あれは、獲物を見付けた獣の瞳そっくりです。




