29話
リゼンの家で平穏な日々を送っています。
シオドア殿の特訓はありますが、リゼンもリアム殿も優しくして下さいますしお昼寝の時間も取って頂けるようになりました。
本当は食べて寝るだけが良いのですが…、野良だった時は食事も自分で何とかしなくてはいけませんでしたし、そう思えば狩りも致し方無いと思えます。
相変わらず不安定ではありますが小生の、…小生だけの爪を使う事が出来るようになった事は大きな進歩と言えましょう。
上手く使える時は狩りも楽に済ませる事が出来ます。
「何で不安定なんだよ、お前は…。今日だって危なかったんだぞ?面倒増やすんじゃねぇよ。」
「すみません。でも小生は魔力なるものは無いと…。」
「あるっつってんだろうが!あ?俺の計測が間違ってるとでも言いたいのか?こら。」
「神官のシオドア殿より神官長殿の方が信じられると思いますが。」
「あんだと、こら、猫。」
「あーもう、お兄ちゃんは口が悪いっ。そんなんだから彼女も出来ないんだよ。」
「あ?特定の、彼女が居ないだけだろうが。」
「うわ…、最低発言頂きましたー。」
特定の彼女なるものが居ないのは最低なのでしょうか?
彼女とは恋人、番などと似たような意味があるとリアム殿に教えて頂きました。
飼われている時は番として宛がわれた事もありましたが、野良の時は特定の番は作りませんでした。繁殖期毎に相手が変わる事も、複数の女性と交尾する事も当たり前の事です。
「…人間は基本的に一人の人と添い遂げるものなのっ。」
「リアム殿とリゼンのように?」
「う…っ、あ…、…そ、そうだよっ!」
「照れるくらいなら話に割り込んでくんなよ。」
「こっちに矛先が向くと思わなかったのっ。ていうか、ほら!クロガネの魔力の話でしょっ。」
恋人やらの話にしたのはリアム殿かと思うのですが、また脱線してしまいそうなのでその言葉は飲み込んでおきましょう。…ちょっとは成長したのですよ、小生も。
一先ず小生の魔力についての話題に戻ったところで、魔力が無い場合魔法は使えないと聞きました。無論リゼンに名前を与える事も出来ないとのこと。
神官長殿は小生に魔力は無いと仰っていました。正確には回復すれば相当な魔力量になるそうですが、今は全く無い…と。
魔法など全くもって知らない技術なので、考えたところで小生には仮説すら立てられませんが皆さんは違うようです。
「それって、こういうことじゃないかな?ちょっと見ててー。」
リアム殿が流し台の前に移動してから此方に声を掛けます。自然と其方に視線が集まり、リアム殿はコップを置いて水を流します。
小生の魔力量がコップに入る水量だと仮定し、水がコップから溢れてもまだ水を流しています。それが小生の魔力だと言うのです。流れ続けているが為に量れないとのこと。
リアム殿がコップを手にして一度全て流してしまいます。リゼンに名前を付けるのと同時にコップ一杯の水、つまり小生の溢れなかった魔力全てを与えた。そして空になったところで、休息を取れば回復する…というのです。
「小生の魔力は垂れ流しだと…?」
「言い方悪く無い?…まぁでもそんな感じなら計測出来ないんじゃないかなって。」
「……あ!」
「何、お兄ちゃん。急に大きな声出して。」
「あれだ、《源泉の加護》ってのがあったな、そういえば。それじゃねぇか?…温泉でも見付け易い加護かと思ってたわ。」
「源泉って…湧き水が出てくる場所…だっけ?」
「魔力が湧き水のように出てくるって事か。…益々使いたい放題じゃねぇか、これだから勇者様候補はよ。何でも持ってやがるな。」
何となくしか分からないのですが、要約すると小生の魔力は常に湧き出ていて計測出来ない…そういう事でしょうか。
そうと分かれば特訓を増やしても良いかとシオドア殿に言われて必死で否定しました。お昼寝の時間が減るのはどうあっても避けたいのです。
「あ、そ、そういえば、リゼンは魔王なる方をご存知ですか?」
「話反らしやがったな?」
「…魔王?」
「はい。小生は大翔殿と間違われただけですが、女神らしい女性に世界を混沌に陥れる魔王なる者を倒せと言われました。そんな方がいらっしゃるので?」
「……聞いた事が無いな…。」
魔族であるリゼンなら魔王を知っているかと踏んだのですが、知らないご様子。魔族の王で魔王だと思ったのは間違いだったようです。
「何だ、リゼンは知らねぇのか。冒険者や転生者連中が目標にしてるくらいだから有名かと思ってたぜ。」
「魔族の王が魔王だとでも言うつもりか?…魔族に王など居ないが…。」
「おう、俺も此処に住んでみて分かったけどよ。やっぱり居ねぇよな、魔王なんて。」
「では誰を倒そうとしているのでしょうね?」
「リゼンが話してくれた魔将軍って人の事だったりして…?」
確かに、将軍と付くからには地位があると考えられるかと。しかしリゼンに否定されてしまいました。
魔将軍という方は小さな警備隊を組織して、弱い魔族を雑食である魔物たちから守っていたそうです。その組織が段々と大きくなっていった為に将軍と呼ばれるようになったのだとか。
小さな警備隊が大きな組織になる頃には彼等を中心とした街のようなものも出来ていて、魔族も多少まとまっていたそうです。
しかし魔将軍が討たれてしまってからは表立って魔族を束ねるような人物はおらず、魔将軍の仇討ちで多くの魔族が死んでしまった為に今ではゴートランドに点在しているだけとの事。
魔族は本能で強い者に従うそうで、狩りの効率や生きていく為に数人で組む事もあるらしいですが基本的にはリゼンのように一人で居る事が多いとか。
力の弱い魔物は群れている事もあるらしいですが、魔王と称される人物は聞いた事がないとのこと。
シオドア殿やリアム殿が仰るには冒険者や転生者の中でも力のある者はゴートランドに訪れる事があり、魔物を倒して強さの証明をするらしいです。そして魔物よりも強い魔族に挑む事も少なくないのだとか。
魔将軍の仇討ちだったとしても魔族や魔物に襲われたと思っている人間が魔族を敵視するのは分かりますが、わざわざ乗り込んできてまで争う必要が何処にあるのでしょう。記憶のある転生者は特に魔族や魔物を狩る事を率先して行う傾向にあるそうです。…不思議ですね。
しかし、魔族に王が居ないというのでは、世界を混沌に陥れる魔王とは一体誰の事でしょうか?