第7話:俺についてきてくれないか
査問会での大立ち回りから数日後。
約束のひと月が満ちた黄昏時、私は王宮の時計塔下――あの屋上の見晴らし台へと足を運んでいた。
懐から取り出したのは、漆黒の薄布『隠れ蓑』。 手すりに寄りかかり、夕焼けに染まる王都の街並みを眺めていると、背後から突風が巻き起こり、バサバサと豪快な羽音が響いた。
「かっかっか! 見事であったぞ、娘ごよ! 宮廷の悪党どもを一網打尽にする様、雲の上から痛快に眺めさせてもらったわ!」
緑のフロックコートの裾を翻し、手すりの上にひらりと降り立ったのは、風の妖精王テンペストだった。
「約束のひと月よ。この『隠れ蓑』をお返しします」
私が丁寧に畳んだ薄布を差し出すと、妖精王は目を丸くし、それから感心したように深く頷いて受け取った。
「うむ! 二度までも欲に溺れず、素直に私の宝物を返してくれたな。他の人間どもときたら、千里鏡やら羽扇やらをネコババして私腹を肥やそうとする不届き者ばかりじゃった。……人間界の観察、まことに面白かったぞ。礼を言う」
「どういたしまして。私も色々勉強させてもらったわ。もうこんな危ない宝物は人間に貸し出したりせず、森の奥へお帰りなさいな」
「そうするつもりじゃ。……おお、そうじゃ、大事なことを忘れておった!」
翼を広げて飛び立とうとした妖精王が、思い出したようにくるりと振り返り、白い歯を見せてニカリと笑った。
「娘ごよ。お前さんはどうせ近いうちに、ここを辞めることになるじゃろ」
「……は? 何を言っているの? 私は定年までこの王宮にしがみついて、年金をがっぽり受け取る予定ですけれど」
「かっかっか、そうはいかん! お前さんは他人の世話ばかり焼いて自分の幸せを後回しにするお節介娘じゃからの。ここを辞めざるを得んように、ちょいと仕掛けをしておいてやったわ! 元気でな!」
「はあぁぁぁっ?! ちょっと、何をしたのよ妖精のバカッ! ここを辞めたら路頭に迷うじゃないの!!」
血相を変えて詰め寄る私に、妖精王は空へと舞い上がりながらカラカラと笑い声を響かせた。
「このボンクラ娘、よく目を開けて周りを見よ! では、さらばじゃーっ!」
「バカ! アンポンタン! 間抜け! 誰が退職なんてするかぁぁっ! 年金が出るまでしがみついてやるんだから!今度顔を見せたら羽根をむしって焼き鳥にしてやるーーっ!!」
夕焼け空に向かっていくら怒鳴り散らしても、妖精王は風に乗ってあっという間に彼方へと消え去ってしまった。
(なんなのよアイツ、恩を仇で返しやがって……! 退職ですって?! 誰が退職届にサインなんかするものですか!)
激怒しながら肩を怒らせて屋上を後にした私だったが――。
★★★
それから一週間後。
宮廷内は、ヴァルガス派閥の芋づる式の失脚と、不正蓄財の回収によって大混乱に陥っていた。
そして、その混乱がようやく一段落した日の夕暮れ。
王宮地下の職員大食堂の片隅で、私とキースは向かい合って座っていた。
テーブルの上に置かれているのは、湯気すら消え失せて伸び切った、大盛りパスタの皿が二つ。
「……で? その顔は何よ」
私がフォークで冷めたパスタをつつきながら尋ねると、キースは懐から一枚の羊皮紙を取り出し、苦笑いを浮かべながら机に滑らせてきた。
国王直々の署名が入った、特命人事発令書。
『キース・ヴァレンタイン。宮廷浄化の功績を称え、未開の辺境伯領・グラディス砦の「特命開拓総監」に任命する』
「……大出世じゃない」
私は目を丸くした。
「貧乏貴族出身の文官が、一気に地方の最高行政官よ。あんな悪党どもを叩き潰したんだもの、当然の報奨ね」
「ああ。肩書きだけは立派だがな」
キースは自嘲するように肩をすくめ、伸びたパスタを口に運んだ。
「実態は、魔獣がうろつく未開の荒野だ。インフラもなければ、ろくな役人もいない。向こうで静かに暮らせるのは最初の数年だけで、事業が軌道に乗ったら、俺の病弱な両親やクソガキの弟どもも全員呼び寄せて面倒を見なきゃならない」
キースはフォークを置き、真っ直ぐに私の瞳を見つめてきた。
その瞳には、かつて羽扇で老人に変えられた時にも、査問会で拳を振るった時にも見せなかった、真剣で、切実な光が宿っていた。
「……給料袋は全部預ける。俺の人生の全責任も、お前に預ける。だから――」
キースは私の手を、テーブル越しに力強く握りしめた。
「俺についてきてくれないか、クララ。……俺の、世界でたった一人の嫁として」
食堂のざわめきが、ふっと遠のいた。
フォークに巻きついた冷めたパスタ。周りにはエプロン姿の同僚たち。
(まったく……)
ぼんやりと、妖精王の言葉がよぎった。ここを辞めることになる……
私は呆れたようにため息をつき、けれど隠しきれない笑みを浮かべて、握られたキースの手を力いっぱいに握り返した。
「社員食堂の伸びたパスタを前にして受けるプロポーズなんて……本当に、先が思いやられるわね」
「……ってことは?」
「荷物は今日中にまとめるわ。……覚悟しなさいよ、キース。あんたの未開の砦を、王都以上の黒字領地にしてあげるんだから!」
キースの顔がぱあっと輝き、食堂中の注目も気にせず、私を席から抱き上げた。
周囲の同僚たちから湧き起こる、からかい混じりの盛大な拍手と歓声。
私は悪友の腕の中で、満面の笑みを咲かせたのだった。
『お局女官と妖精王~宮廷の不正、暴きます~』を最後まで見届けてくださり、本当に、本当にありがとうございました!
読者の皆様の応援のおかげで、無事に完結までお届けすることができました。
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