第96話 ファーストタイムとバニーガール
サンドラは、息を殺してじっと椅子に座っていた。
兵舎のサンドラの自室である。小一時間は、経っただろうか。バスティアンは黙ったまま熱心に絵筆を動かしている。バスティアンに貰ったネックレスが首元で光っていた。
絵が趣味だというバスティアンに頼まれて、絵のモデルをしているのである。
いつになく真剣な表情を浮かべてキャンバスに向かう姿を、飽きることなく見つめていた。白銀の髪が少し額にかかっている。直してあげたいが、動くと叱られるので、耐えていた。
このマティスの青年に、恋をした。彼は、いつも真摯に受け止めてくれる。とりとめのない話も、クニークルス王国復興の夢も、拙い愛の言葉も。
もちろん、こちらも、彼の話を真剣に聞く。愛想笑いも甘えた仕草もできはしないが。
それでも彼は、こんな自分を好きだと言ってくれる。笑顔が可愛いと言ってくれる。その度に、心が大空を舞い踊る。こんな気持ちになれるなんて、想像もしていなかった。
彼のことを想うだけで、心がふわふわする。ドキドキしてきて顔が熱くなる。楽しくて楽しくて踊り出したくなる。
「―よしっ。できた。サンドラ、ありがとう。肩の力を抜いていいよ」
大きく肩で息をした。
「疲れただろ? ごめんな、ずっと拘束しちゃって」
「いや、大丈夫だ。模擬戦でミラベルと対したときに比べたら、これくらい何ともない」
「ははっ。サンドラらしい例えだな」
「ご、ごめん。変だったか?」
「いや、変じゃないさ。それより、出来栄えを見てくれないか?」
「見たい!」
回り込んで覗き込んだ。息が止まった。
「―バスティ! 私、こんなに綺麗じゃない」
「はははっ。やっぱりサンドラは、面白いなあ」
「……」
「オッドアイが上手く表現できなくてね。苦労したよ」
「いや、とても上手だよ。バスティは、絵の才能があるんだな」
我ながら、つまらない感想だと思った。こういうとき、世の女性は、どうやって喜びを表すのだろう。大声で笑えばいいのか? それとも、手を叩いて飛び跳ねる? もしかして、キスをするとか…
(キ、キス…!)
思わず、バスティアンの唇に視線が吸い寄せられた。
「―ん? 俺の顔に何かついてるか?」
「……前髪が乱れてる」
白銀の髪を整えてあげた。
「……ありがとう」
「さっきから気になってたんだ。動くに動けなくて、ずっと我慢していた」
「そっか。そんなこと考えながら座ってたんだ」
「……私、また変なこと言ったか?」
「あ、違う違う。モデルって、結構キツいだろ、ずっと動かないままでいるんだものな。気を紛らわしていないと続けられないから。どんなこと考えていたのかなって、単なる好奇心」
「……」
「サンドラ。この絵、貰ってくれるか?」
「えっ!? こんな大事なもの、貰えない」
「君にあげようと思って描いたんだ。貰ってくれよ」
「……ありがとう、嬉しいよ。大切にする」
「……」
空色の瞳がじっと見つめてきた。と思ったら、いきなり肩を引き寄せられた。気がついたら唇を重ねていた。全身に雷が落ちたような感じがした。頭がしびれて一瞬、何も考えられなくなった。
ふいに、バスティアンは身体を離した。
「―ごめん。気持ちが押さえられなくなっちまった」
「……」
今度は、サンドラのほうから唇を重ねた。一瞬、バスティアンは身を引きかけたが、そのまま応えた。
しばらく熱いキスを交わした。どちらからともなく、唇を離す。
「―いいよ」
「えっ?」
「……バスティの好きにして、いいよ」
うつむき加減で小さくつぶやく。
バスティアンは、無言でそっとベッドに押し倒してきた。
(―バスティに、すべて委ねよう)
バスティアンの手が胸に伸びてきたのを感じながら、そう、思った。
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長かった冬が間もなく終わるころ。皇都では、聞き慣れない新しい店が開店した。
その名も、『カフェ猫耳〜猫耳王女のコーヒー店』。都内では、オープンの一週間前から大々的にチラシが撒かれ、派手に宣伝が行われた。
猫耳王女とうたうからには、リオネルの妻であるシルヴィア妃が関わっていることは疑いない。しかし、コーヒーとは何なのか、誰も知らない。噂で飲み物らしいということまでは伝わっていた。それは、いったいどんな飲み物なのか、開店前から巷では大いに話題となっていたのだ。
そのオープン前。関係者が店内で顔を揃えていた。
「……騙された」
サンドラは、己の衣装を見下ろしながら、唇を噛んだ。
「人聞きの悪いこと言わないでよ。あたしは、騙したりしていないわ」
と言いながら、シルヴィアの金色の瞳は笑っている。
「こんな恥ずかしい衣装で接客をするなんて、聞いていません!」
憤慨しながら立つその姿は、実に美しく、そしてちょっぴりセクシーだった。
基本は黒のメイド服なのだが、肩と胸元が大きく開いている。スカートもひざ上までしかない。膝までの黒いハイソックス、白いハーフエプロンをつけ、背中には大きな白いリボン。そして、頭には猫耳カチューシャ…なのだが、長い耳と被ってしまっているのは、ご愛嬌か。
「恥ずかしくないよ。とっても似合ってる」
「かなりイケてると俺も思うぜ、サンドラ」
アダンがシルヴィアに同調した。シルヴィア同様、青い瞳が笑ってはいるが。
「先日の打ち合わせでは、こんな衣装を着るとは全く説明がありませんでしたよね。これを騙したと言わずに何というのですか」
「だあって、誰も尋ねないんだもん。わざわざこっちから説明するほどのことじゃないしね〜」
「……」
「そう、ギリギリ歯を噛み鳴らすな、せっかくの絶世の美女が台無しだぜ」
エーヴがサンドラの肩を抱いた。そういうエーヴも同じ衣装なのだが、こちらは、元気いっぱいの明るいお姉さんというイメージになるのは、なぜなのだろう。
「そもそも、なんでスカートがこんなに短い? 胸元だって危ないし、この衣装考えた奴の悪意を感じる。私は接客中でも絶対に腰を曲げないからな」
「大丈夫だよ。スカートの下、スパッツ履いてるし、万が一見えたって構わねえだろ」
「そういう問題じゃない!」
「……バスティアンは、どう思う?」
シルヴィアに振られて、ハッと我に返った。さっきからぼうっとサンドラを見つめたきり、身動き一つしていなかったのだ。おそらく息をするのも忘れていたのに違いない。大きく肩で息を吐いた。
「き、綺麗だ、とっても」
空色の瞳がウルウルしている。
「……」
滅多に顔色を変えないサンドラが、真っ赤になってうつむいてしまった。
二人の様子を見て、エーヴがサンドラにそっとささやく。
「おい、サンドラ。てめえ、バスティのことカッコいいとか思って見惚れてたんだろ?」
バスティアンはというと、黒の執事服が実にさまになっている。スラリと背が高いから、見栄えがとてもいい。
「べ、別に…そんなこと…」
ますます真っ赤になって、顔を背けた。
「……さあ、いつまでも四の五の言ってないで、そろそろ、開店の準備をするわよ」
シルヴィアが発破をかけた。
「……くっそう。どこが温情だ。完全に私をターゲットにした重罰じゃないか」
独り言に近かったが、シルヴィアは耳聡く聞き逃さなかった。
「サンドラ。あなたがどんな罰でも受け入れると言ったのよ。覚悟を決めて刑に服しなさい」
「わかっていますよ。自分のしでかしたことには、きちんと責任を取ります」
シルヴィアに一礼して、厨房に向かおうとしたそのとき。入り口のドアが開いた。
「ごめんなさい、まだ開店時間には…って、あなたたち!?」
「お邪魔しますっ」
それは、コレットとマノンだった。マノンはコレットの後ろに隠れるようにしてついてきている。
「私たち、サクラとして来ました!」
「待て待て、コレット。堂々とサクラを名乗るヤツがあるか」
呆れたようにアダンが言った。
「別にいいじゃない。ホントのことなんだし。それより、さっそくいただきましょうよ」
コレットは、マノンを強引に席に座らせた。
「有名店から、パティシエを引き抜いてきたんですって。楽しみだなァ」
コレットのお目当ては、どうやらスイーツらしい。
「こ、怖くないの? コレット」
「何がです?」
「だって、ここ…出るのよ」
「大丈夫ですって。内装だって、こんなに可愛く変わったじゃないですか〜」
壁や調度品は、パステルカラーをふんだんに使用していた。全体的に華やかで女性にウケるように心を砕いた。特筆すべきは、あちこちに猫耳をモチーフにしたデザインを取り入れていることだ。
椅子一つとっても、背もたれは猫耳だし、壁紙のイラストは猫が踊っている。
「―マノン。ここの下見のとき、気絶したらしいな」
サンドラがスッとテーブルの脇に立った。
「うるさいわね。サンドラには関係ないでしょ……って、あなた、ずいぶん、可愛い格好してるね」
「う、うるさい。それこそ、お前は関係ないだろう」
「きゃあぁぁっー、可愛いいいっ。サンドラさま、とてもお似合いですっ」
コレットが黄色い声を上げた。
「いいなあ。私もあんな可愛い制服着たいなあ」
「喜んで代わってやるよ」
「ええっ!? いいんですか?」
「ダメに決まってるでしょ。私たちには侍女という大事な仕事があるんだから」
「ええーっ、マノンさまのケチっ」
「……賑やかねえ」
シルヴィアは、呆れながら太陽のような笑顔を弾かせた。
「それじゃあ、サクラも来たことだし、開店しましょうか。きっとお客さまが外で待ちくたびれているわ」
「……誰もいませんよ」
「にゃっ!? 今、何て言ったの、マノン?」
「ですから、お客さまは、一人もお待ちになってはいません」
「ヤメてよ、変な冗談は」
笑顔を浮かべながら外へ出た…が、一瞬で笑顔が凍り付く。マノンの言う通り、店の前には人っ子一人いなかった。
「……ウソでしょーっ!?」
未だ冬真っ盛りの冷たい風が頰を撫でていった。
【裏ショートストーリー】
シルヴィア「三人には、接客を頼むわね」
サンドラ「承知しました」
シルヴィア「どうしても評判を取りたいの。リオネル軍のためだと思って頑張ってね」
エーヴ「まだ誰もツバをつけてねえコーヒーとかいう新しい飲み物を大々的に売り出して、リオネル軍の懐を温かくしようっていうことか。なるほどなあ、考えたな、セリーヌ」
バスティアン「試飲させてもらいましたが、すごく美味しいですね。俺は好きだなあ」
エーヴ「サンドラの次に、だろ?」
バスティアン「ったりめえだろ。サンドラ以上がこの世にあるかよ」
サンドラ「……」
エーヴ「けっ。冬だってのに、暑い暑い」
サンドラ「シルヴィアさま。メニューはコーヒーのみなのですか」
シルヴィア「そうよ。コーヒー専門店ですもの。もちろん、スイーツは出すけど」
エーヴ「スイーツだって、ありきたりじゃ、ほかの店と差別化できねえぜ」
シルヴィア「へっへー。そこは手を打ってあるのよ。有名店のパティシエをヘッドハンティングしたの」
エーヴ「へえ。そいつはすげぇ」
シルヴィア「でも、あくまでも主力はコーヒーよ。ちゃんとお客さまに説明してね。最初が肝心なんだから」
バスティアン「コーヒー豆を煎って、粉状に砕いて、ペーパーで抽出する…でしたよね」
シルヴィア「そうよ。豆の種類や挽き方、抽出時間で味も香りも変わるの。お客さまお好みの味を見つけてあげて」
サンドラ「責任重大ですね」
シルヴィア「ほかに事前に聞いておきたいことはある?」
エーヴ「特にはねえな」
シルヴィア「あら、そう。……それじゃ、開店日、よろしくね」




