第80話 朝賀の儀
新年が明けた。
皇宮では、恒例の祝賀行事が行われようとしていた。皇帝に対し、皇族・重臣が勢揃いして拝賀する重要な儀式、『朝賀の儀』である。
「―どう? マノン。おかしいところはない?」
シルヴィアは、少しポーズをとってみる。
今回は、地味な紺色のドレスに、胡桃色の髪をアップにしてティアラを載せている。文武百官が揃う席だというので、派手な色はあえて避けたのである。それでも、太陽のような輝く美しさは、隠しようもない。
そして何より、左手の薬指には、プラチナの結婚指輪が光っている。思えば結婚披露パーティーには、指輪なしで臨んでいた。ようやく、本当の意味でリオネルの妻として公の場に出ることができる。そう思うと、自然とニヤけてしまう。
「素敵ですぅ。シルヴィアさまの美しさの前では、どの姫君も霞んでしまいますわぁ」
「……マノン。あなた、いつから追従を言うようになったの? あたしが嫌いなの、知っているでしょ?」
「追従じゃ、ありません。リオネルさまは、なんでこんな綺麗な妻を前にして手を出さないのか、未だに納得していないだけですぅ」
「またその話? いいじゃない。旦那さまは、あたしを大事にしてくださっているのだわ」
「そうでしょうか? 私にはただの鈍臭い意気地なしにしかみえませんわぁ」
「口が悪いわよ」
「だってぇ、フレイモスの夜、せっかく場をセッティングしたのに、最大のチャンスをものにしないなんて、だらしなさ過ぎますぅ」
「チャンス、って…。あれは旦那さまのせいじゃないわ。火事という不慮の事故が起きたのだから、仕方ないでしょ」
シルヴィアたちが現場に駆けつけたときには、天馬隊が出動して既に本格的な消火活動が行われていた。偶然、現場近くのレストランにいたエーヴたちが隊を緊急招集して、陣頭指揮を執っていたのだ。
中でもサンドラとバスティアンは、出火元家屋に取り残された少女を救うという大殊勲を上げていた。
後に、リオネルばりのベランダ伝いで脱出した武勇伝を聞いて、リオネルと苦笑いしたものだ。二人には、リオネルから感状と金一封が、天馬隊には感状が全員に贈られた。
結局、消火後の現場検証で、火事の原因は竈門の火の不始末と判明した。全焼一棟、延焼二棟の被害の中で死傷者ゼロというのは、不幸中の幸いというべきだろう。
「そういう障害を乗り越えて、リオネルさまは強引にでも押し倒すべきでしたぁ」
「ちょっと! あなた最近、過激な発言が多いわよ」
「私がうるさく言わなきゃ、お二人は、ちっとも進展しないじゃありませんかぁ」
「こういうことは、自然の流れに任せたほうがいいのよ」
「―いいか。入るぞ」
そのとき、ドアがノックされた。
「どうぞ!」
シルヴィアの合図でコレットがドアを開けた。現れたのは、無論、リオネルである。ギーがお付きとして従っている。
「支度はできたか」
「はい、旦那さま」
二人は、しばらく無言で見つめ合った。頬を染めてお互いそわそわしている。
「―いつまでもお二人は、初々しいですよね」
コレットがマノンにささやいた。
「いつまでもやることをやらないからよ」
マノン一人がやきもきしている。冬が終われば一年になる。健全な男女関係として正しい姿と言えるのだろうか。
マノンは、この二人のことを稀に見る英傑だと思っているが、こと恋愛に関しては、どこかズレている。肝心なネジが一本、抜けているとしか思えない。
マノンから異常だと断罪された当の二人はと言えば、相変わらずぎこちない称賛の応酬を繰り広げていた。
「……綺麗だよ、シルヴィア」
「旦那さまこそ、カッコいいです。今日は、軍服なのですね」
リオネルは、黒で統一された軍服姿だった。マントも漆黒である。リオネルの軍装は初めて見る。なにしろこの男は、先年のルメール戦役ですら、普段の農民のような格好を変えなかったのだ。
「父上の指示なんだ。皇子は全員軍装で出席するように、って。例年は正装指定なんだけど、俺は『朝賀の儀』だろうと、いつものラフな格好で出席してるからな」
「あら。陛下のご配慮かしら。重臣の方々を前に旦那さまが恥をおかきにならないように」
「いや、それは今更だ。きっと、挨拶の中で親征についての表明があるのに違いない。その意気込みを表そうというのだろう」
「……いよいよ、なのですね」
シルヴィアにとっても、特別な戦になる。姉グロリアの手紙ではギーが戦死する戦だ。何としても食い止めねばならない。
「……それじゃ、そろそろ行くか」
シルヴィアは、リオネルのエスコートで、会場の大広間へ向かった。
大広間は、既に大勢の人で賑わっていた。あちらこちらで人の輪ができている。その中へ一歩踏み込むと、しんと静まり返った。リオネルは、構わず堂々と人の間を進んでいく。シルヴィアも、できるだけ背筋を伸ばしてついて歩いた。
皇族は、一段高い壇上が指定席である。シルヴィアも、リオネルと並んで重臣たちと相対する位置に落ち着いた。皇族ではリオネルが一番乗りだった。壇上には誰もいない。
すると、誰かの合図でもあったかのように、談笑が再開した。シルヴィアは、密かにため息をついた。
(皇族の一員として、こういう儀式にも慣れなくちゃ)
歓迎されていないのは、雰囲気でわかる。猫耳族に対する差別感情は、そう簡単に改善されることはなさそうだ。セシルのように友好的なのは、未だほんの一部である。
『皇子の妻たる覚悟はできておるのか』
今更ながら、輿入れした日の当日、皇妃アレクシアから言われた言葉が思い出される。傍らに立つリオネルの横顔をちらっと盗み見た。
(リオネルは、ブランシャール帝国の皇子さま。その皇子さまに相応しい妻にならなきゃ)
決意を胸に、改めて大広間を見回すと、シルヴィアに向かって手を振る小さな姿が目に映った。
(セシルさま!)
セシル・ユゴーだった。思わず手を振り返した。
「―コホンっ」
後ろから、マノンの咳払いが聞こえた。女学生のようなことをするなと言いたいのだろう。小さく舌を出すと、代わりに輝く笑顔をセシルに向けた。セシルの顔にパアッと花が開いた。
ほっこりしていると、歓声が上がった。ラファエルが現れたのだ。この自分たちへの対応との違いは、何なのだろう。あまりにも露骨過ぎる。内心、舌打ちした。
ラファエルは、真っ赤な軍装だった。深紅のマントを翻し、鷹揚に手を振って歓声に応えている。
考えてみれば、先年のルメール戦役の際には、バラバラに出陣したため、先乗りしていたジルベールは無論のこと、ラファエルやガブリエルの軍服姿を見ていない。
大柄で体格の良いラファエルは、いかにも勇壮な戦士然としている。実際、武功は数知れない。国民はともかく、皇宮内での人気は一番といっていいだろう。
(あたしの旦那さまだって、国民の人気なら一番なんだから。見た目だって脳筋男の100倍はイイ男よ!)
一人シルヴィアは、憤慨していた。リオネルは、何も感じないかのように無表情である。
少し間をおいて、アニェスが登場した。ソフィが従っている。アニェスが大広間に入ってきた途端、空気が変わった。
感嘆とも緊張とも言える、何か張り詰めた感じになったのだ。シルヴィアの知る限り、病魔から快復して以来、初めての公の場だ。シルヴィアは、興味津々で場を見つめた。
アニェスは、ピンクのドレスをまとっていた。それは全体的にバラの花を連想させるデザインで、おそらくオートクチュールであろう。自身が唯一無二のアニェスに相応しいドレスだった。
凛とした美しさは、何者にも侵しがたい神聖さを漂わせ、誰もが見惚れた。男性も女性も、まるで憧れの存在を見るような視線を送っていた。
同じリオネル家の人間であるのに、リオネルに対するのとは、明らかに違う。これまでいかにアニェスが宮廷内で異彩を放っていたかがよくわかる。
アニェスは、気負いもせず自然体で人々の間を抜けて壇上に上がった。軽くシルヴィアと会釈を交わす。
続けて、ガブリエルが入ってきた。彼は、純白の軍装だった。真白のマントを翻して堂々と入場してくる。お付は無論、リュカである。
(あれ? ガブリエルさまの軍服姿、どこかで見たことがあるような…)
壇上に近づくガブリエルを目で追う。突然、目の前に映像が浮かんだ。フラッシュバックのように鮮明なその映像には、悪魔のような形相の黒マントのリオネルと、白マントの男が映っていた。白マントの男の顔は、今まで記憶に残っていなかった。しかし今は、はっきりとわかる。それは…
(……ガブリエル!)
『―陛下。此奴は国王の第七王女、シルヴィア将軍です』
ガブリエルに促されるようにして、悪魔リオネルは、シルヴィアを斬り捨てたのだ。
(そんな…悪魔に付き従っていたのがガブリエルさまだったなんて…)
それは、何を意味するのか。少なくともガブリエルは、悪魔リオネルに恭順していた。
(悪魔に…魂を売ったのか、ガブリエル―)
胸が苦しい。心臓がドキドキする。息ができない。
「―皇帝陛下、並びに皇妃陛下、ご出座!」
皇帝夫婦の来場を告げる侍従の声が遠い。
「……旦那―さま」
「ん…? どうした?」
手を伸ばそうとしたが、リオネルの顔がぐるぐる回りだした。
「ダメ…悪魔にならないで、リオネルさ…ま―」
そこで意識が飛んだ。
【裏ショートストーリー】
ソフィ「姫さま。ご準備が整いました」
アニェス「ありがとう、ソフィ。このドレス、オートクチュールね」
ソフィ「この日のために新調しておきました」
アニェス「相変わらず、気が利くわね」
ソフィ「恐れ入ります」
アニェス「公の場は、いつ以来かしら」
ソフィ「先年のルメール戦役を除けば、ご病気になられる前ですから、一年以上前かと」
アニェス「もうそんなに経つのね。久しぶり過ぎて、どういう顔で宮廷に出たらいいのか、忘れてしまったわ」
ソフィ「自然体でおよろしいと思いますよ」
アニェス「……以前は、お兄さまの分も威厳を保つのだと思って、殊更肩肘を張っていたような気がする。でも、今は不思議と肩の力が抜けているの。きっと、お義姉さまのおかげね」
ソフィ「……」
アニェス「お兄さまのことは、お義姉さまがきっとうまく導いてくださる」
ソフィ「姫さまは、シルヴィアさまにご遠慮し過ぎです」
アニェス「ソフィ。家族の仲を裂くようなことを口にしてはいけないわ。それを世では、讒言、というのよ」
ソフィ「これは、大変申し訳ございません」
アニェス「いいのよ。私のことを思って言ってくれたのでしょ。でも、まだ私たちは何も成し遂げていない。敵はたくさんいるの。どこに彼らの目や耳があるかわからないわ。隙を見せてはダメよ」
ソフィ「肝に銘じます」
アニェス「では、行きましょうか。久々の戦場へ」




