第79話 ファーストキスとファーストミッション
「改めて言わせてくれ。―俺と結婚してください」
「旦那さま…」
ひざまずいて、小さな箱を捧げるリオネルを、しばらく呆然と見つめた。金色の瞳から、涙が一筋流れた。
「……あれ?」
涙を拭ったが、後から後からあふれてくる。
(なんで…? どうして止まらないの?)
「―シルヴィア…?」
「ご、ごめんなさい。なんか、止まらなくて―」
「嫌…だったか?」
「ち、違うのっ!」
慌てて頭を振った。
「嬉しいです、とっても。ただ、びっくりしちゃって。まさか、プロポーズされるとは、思ってもいなかったので」
「……返事を、聞かせてほしい」
「……イエスよ。もちろん、イエスに決まっているじゃない!」
シルヴィアは、リオネルの首に抱きついた。
「―指輪を受け取ってくれ」
「……」
シルヴィアは、身体を起こし黙って左手を差し出した。リオネルは、箱から指輪を取り出した。
「にゃっ!? それ、婚約指輪じゃない!」
デュラン商会で悩みに悩んで選んだ結婚指輪ではなく、エメラルドの婚約指輪だった。
「プロポーズには、婚約指輪だろ?」
リオネルは、片目を瞑ってみせた。
「それも、デュラン商会でしょ? いつの間に頼んでいらしたの」
「それは、秘密さ」
「……それ、さっきの私のセリフの丸パクリ」
「お姫さま。どうぞ、お受け取りください」
改めて、リオネルは、薬指に指輪をはめた。
「……しかもこれ、キャッツアイだわ」
部屋から漏れる灯りにかざすと、一筋の光が現れた。
「私の誕生石を調べてくださったのですね、旦那さま」
「そういうお前もな」
リオネルは、先ほど貰ったばかりのネックレスを掲げてみせた。
「―それから、こっちが、本番」
リオネルは、更に箱を取り出した。今度こそ、シルヴィアが選んだ結婚指輪だった。
リオネルは、そっと薬指に嵌めた。二つの指輪が並んで光った。
「旦那さまにも」
シルヴィアは、リオネルの薬指にペアリングの結婚指輪を嵌めた。
「これで、俺たちは、名実ともに夫婦になったな」
「……実のほうは、まだですわ」
シルヴィアは、頬を赤らめてうつむいた。
「シルヴィア…」
リオネルは、シルヴィアの両肩を抱いた。上げた目が一瞬合う。
(リオネル…)
シルヴィアは、目を閉じた。二人は、唇を重ねた。
(ああ―! これが、ファーストキス…)
リオネルの唇は思いがけず柔らかかった。よくファーストキスは蜜の味というが、何の味もしなかった。
(でも…嬉しい)
リオネルは静かに唇を離した。シルヴィアは、頬を染めたまま、はにかんだ。
リオネルがじっと金色の瞳を見つめてきた。
「旦那さま…?」
「―お前がほしい」
ドキッとした。一瞬息が止まった。心臓が早鐘を打つ。
(そ、そ、それって、え、え、えっちがしたい、ということよね?)
潤んだ黒い瞳が迫ってくる。
(つ、つ、ついに…キターっ! リオネルとの初夜っ!)
いつか、この日が来るとは漠然と思っていた。今日とは思っていなかったが。動揺する心を押さえて、覚悟を決めた。
「……ダメか?」
「……」
シルヴィアは、小さく首を横に振った。リオネルは、シルヴィアの手を取って部屋へ入ろうとした。
「待って! 旦那さま」
猫耳まで真っ赤に染め上げ、恥ずかしそうに言った。
「マノンたちを…退がらせたいの」
「……マノンたちなら、もういないぜ」
「にゃっ…!?」
部屋の中を覗くと、確かに二人とも影も形もない。ご丁寧にフランベルジュまで姿を消している。マノンたちが連れ出したのに違いない。
「―あの子たちったら」
「マノンは気が利く。―こっちへおいで」
「はい…」
リオネルの手を取ろうとして、目の端に光るものを捉えた。 ふと振り返ると、闇の中に炎が立ち上るのが見えた。
「にゃっ!? あれは…火事!?」
「なんだって!?」
リオネルも並んで目を向けた。
「あっちは、住宅地区だ。どこかで火事が起きたんだ」
「たいへんっ! せっかくのお祭りの日に火事だなんて。―私、様子を見てきます」
「えっ、これからか?」
既にシルヴィアは小走りになっている。
「―ふーっ…」
リオネルは、額を一度押さえると、頭を一つ振った。そして、気を取り直すようにシルヴィアの後を追った。
「待てよ、シルヴィア。俺も一緒に行く!」
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サンドラが火事現場に辿り着くと、既に建物の一階は紅蓮の炎に包まれていた。二階の窓からは、黒い煙が吹き上がっている。
住宅地区の一角、比較的中流階級が多く住む街区の二階建てだった。人々がバケツで必死に火消しをしていたが、功を奏しておらず、火の勢いは止まらない。
「―俺たちも手伝うぞ」
「バスティアン!?」
後ろについてきていたバスティアンが、すぐさま動き出そうとした、そのとき。
「―サンドラぁーっ!」
サンドラの名を呼ぶ声に、ぎょっとして振り返る。若い女性が泣き叫んでいた。
「中にサンドラが…娘がいるんですっ!」
「危ないっ、やめろ!」
今にも飛び出しそうな女性を、周りの男たちが必死に押さえていた。
「娘が―娘が!」
「火の回りが早い。あの中へ飛び込めば、あんたも死んじまうぞ」
「嫌ぁーっ、サンドラーっ!」
「……家に娘さんが取り残されているのか?」
泣き崩れる女性にバスティアンが駆け寄った。
「は、はいっ。サンドラが一人で留守番をしていたんですっ。まだ二階にいるはずです。お願い、サンドラを助けてっ!」
バスティアンは、キッと炎を睨みつけた。
「―今なら、まだ間に合う」
「えっ!? バスティアン、何をするつもりだ?」
驚くサンドラを尻目に、バスティアンは火消しをしていた男からバケツを奪って頭から水をかぶった。
「助けてくるっ」
「待て、バスティアン!」
構わず火の中へ飛び込んでいった。慌ててサンドラも水をかぶり後を追った。
中は、猛烈な熱気に包まれていた。あちらこちらが炎に舐め尽くされている。
「―バスティアンっ」
「サンドラ!? なんでついてきた?」
火を払い除けていたバスティアンは、驚いて足を止めた。
「中隊長の私が、部下のお前を一人で危険な任務に赴かせるわけないだろう」
「へっ。直属の上司じゃねえだろが」
バスティアンは、ニヤッと笑った。
「―急ぐぞ」
「ああ。サンドラは二階にいるはずだ」
幸い、まだ階段は焼け落ちていなかった。火を避けながら駆け上がる。
「……サンドラーっ。どこにいる?」
「返事をしてーっ、サンドラーっ!」
火の勢いが激しい。かぶった水はあっという間に蒸発してしまった。
「―わーんっ」
かすかに泣き声が聞こえた。
「サンドラ!? そこにいるの?」
聞こえてきたとおぼしき部屋のドアを開けようとするも、なぜか開かない。
「サンドラ、どけっ!」
バスティアンが思い切りドアを蹴破った。激しい音とともにドアが吹き飛ぶ。中へ飛び込むと、幼い少女がうずくまって泣いていた。
「あなたがサンドラね?」
2〜3歳だろうか、サンドラは少女を抱きしめた。
「わーんっ」
「よしよし、良い子ね。よく頑張った。もう大丈夫よ」
「サンドラ! 急ごう、火の回りが早い」
少女を胸に抱え階段へ向かう。しかし、無情にも階段は既に焼け落ちていた。
「―ちっ。部屋へ戻ろう」
元来た部屋へ戻り、ベランダへ出た。下を見ると、大勢の野次馬が集まっていた。みな、サンドラたちを指差して大騒ぎしている。
「子どもを抱えてこの高さを飛び降りるのは無理だ!」
「じゃあ、どうしたら―!?」
苛だたしげに周りを見回して、ふと目に入った。
「隣の家のベランダに飛び移る!」
「何だって!?」
隣家には、まだそれほど炎は及んでいない。だがこの勢いであれば、早晩飛び火するだろう。
「リオネルさまは、いつもシルヴィアさまの部屋へは、ベランダを伝ってくるんだ。私たちにもできる!」
「おい! ちょっと待て―」
戸惑うバスティアンを無視して少女を預けると、手すりを越え、跳躍した。兎脚族の跳躍力はもともと驚異的だ。難なく飛び移った。
「バスティ! 子どもを投げろっ」
サンドラは、目一杯両腕を伸ばした。
「無茶苦茶だなっ」
しかし逡巡している暇はない。炎は、すぐそこまで迫っている。
「―ええいっ、うまく受け止めろよっ」
バスティアンは、少女を勢いよく投げた。空中を飛んだ少女は、見事、サンドラの腕の中に収まった。
「よおしっ、やった!」
バスティアンは、思わずガッツポーズをした。
「急げ、バスティ!」
バスティアンの背後から火が噴き出した。炎が部屋を舐め尽くし、ベランダに迫ってきている。
「よし、跳ぶから、どいていてくれ!」
バスティアンは、思い切り宙を跳んだ。僅かに届かず手すりに掴まった。よじ登ろうとした瞬間、手すりが外れた。野次馬から悲鳴が上がった。
「あっ―!」
バスティアンの腕は、サンドラの手にしっかりと掴まれていた。手すりは地上へと落ちていった。
サンドラは、力任せにバスティアンを引き上げた。バスティアンも、ベランダの床の端を掴んで己の身体を持ち上げた。
二人は、しばらくベランダに寝転がった。息が弾んで言葉が出てこない。
「―助かった…」
二人は、同時に身体を起こした。自然と目が合う。
「―あっはははっ」
バスティアンが大笑いし始めた。サンドラは、怪訝そうな視線を向ける。
「サンドラ! 顔が真っ黒だぜ」
「えっ―」
頬に触ると、黒いすすが手についた。
「せっかくの美人が台無しだ」
「笑うなっ。そういうお前だって、真っ黒な顔してるぞ」
「ドレスもボロボロだなっ。あっはっは!」
バスティアンは、まだ笑い転げている。次第にサンドラも可笑しくなってきた。
「ふふっ…ふふふっ、確かにボロボロだ。これ、姉からの借り物なのに」
二人でひとしきりお腹を抱えて笑い合った。
「―わ〜んっ!」
少女サンドラの泣き声で、我に返った。
「あっ、ごめんごめん」
サンドラは、少女を抱きしめた。そして、飛び切りの笑顔を向けた。
「さあ、お母さんのところへ帰ろう!」
【裏ショートストーリー】
マノン「コレット! 今のうちよ」
コレット「ええ〜!? いいところなのに〜」
マノン「だからよ。きっと、この後、お二人は結ばれるわ。私たちはお邪魔なんだから、気づかれないうちに部屋を出るのよ!」
コレット「ずっと見ていたい〜」
マノン「いやらしいわね。そういう趣味があるの?」
コレット「将来のために、参考にしたいです」
マノン「バカ言ってないで、早くしなさい」
コレット「ぶぅーっ。……そう言えば、マノンさま。いつものぶりっ子はどうしたんです?」
マノン「細かいことは気にしないの。……そういう訳だからフランベルジュさま。どうか私たちと同行をお願いします」
フランベルジュ「えー、ボクは関係ないじゃん。人のまぐわい見たって、ボクには何の意味もないし〜」
マノン「聞こえなくたって、何を言ってるかくらい、わかりますよ。聖獣には、デリカシーってものがないんですか?」
フランベルジュ「ないよ。ボクたち聖獣には、性交とか繁殖とかいう概念がそもそもないんだから、発情とかもないわけ。だから、配慮する意味がないの」
マノン「四の五の言っているようですけど、今回ばかりは力付くでも連れていきますからね」
フランベルジュ「力こぶなんか見せないでよ。……仕方がない。初夜とかいう、記念の儀式なんでしょ。今回は特別に言うこときくよ」
マノン「ありがとうございます!」
フランベルジュ「だからって、どさくさ紛れに触るなっ」
マノン「あっ、逃げられた! ちっ。結構長い付き合いなのに、まだ触らせてくれないのね。ケチっ」




