第75話 おとぎ話とメイク
「義姉上、長らくご挨拶もせず申し訳ありません」
ガブリエルは、相変わらずの天使のような微笑みを浮かべた。サンドラに言わせればヘラヘラした笑みとなるが。
「本当はルメールから戻った折にすぐご挨拶するつもりだったのですが、何かと戦後処理に追われてしまい、無沙汰をしてしまいました」
「いいえ、ガブリエルさま。私のほうこそ、あちこちに出掛けていて留守がちにしておりましたから」
「―失礼いたします」
マノンがお茶を持ってきた。
「―リュカさまも、どうぞこちらでお茶を召し上がってくださいな」
従者のリュカに笑顔を向けた。
「畏れ多いことにございます。私のような者が皇族方と同席するなど慮外のことにて、どうかお許しを」
「真面目なのねえ」
シルヴィアは、意味深の視線をマノンに向けた。マノンは真っ赤になって睨むと、すぐさま壁際に控えた。その様子を見て、小さく笑声を漏らした。
「―聞くところによると、常備軍増員のため、マティスに赴かれていたとか」
ティーカップにすぐ口をつけると、ガブリエルはおもむろに話し出した。
「リオネル兄上は、相変わらず常人には及びもつかないことをなさる。もっとも、優秀なブレーンが数多いらっしゃるので、いずれかのアイデアかもしれませんが」
「いえいえ。常備軍に関しては旦那さまのお考えですよ。常に先を見据えていらっしゃるので」
「なるほど。同盟者として僕もうかうかしていられないな」
「……」
やはり、今回の目的は、先日申し出のあったリオネルとの共闘の確認なのだろうか。対ラファエル、ジルベールのための。
「ところで、義姉上。侍女の方の顔ぶれが変わられたようですが」
しかしガブリエルは、そのことには深く触れようとはしないまま、話題を変えた。
「サンドラどの、と仰ったか、あの方はどうなさったのです?」
「侍女の名前まで覚えてくださっているなんて、嬉しいですわ」
「義姉上こそ、リュカの名前を覚えてくださいましたし、先日はお土産までいただき恐縮です」
「いえいえ。リュカさまはいつも丁寧な応対をしてくださるので、私の侍女の間でも評判が良いのですよ」
マノンが表情を動かした。また笑いそうになるのを必死に堪えた。
「―サンドラは、軍属になりました。軍人としての才能を高く評価しておりますの。侍女より力を発揮できると思いますわ」
「そうでしたか。それで新しい方に変わられたのですね。お美しい花がまた一輪増えて、華やかさが増したようです」
コレットが嬉しそうに頬を染めるのがなんとも愛らしい。
「兄上は軍の組織を再編なさっておられるようで。義姉上も大隊長になられて、直属の天馬隊が5百になったそうですね。サンドラどのの軍属も軍増強の一環というわけですか」
「それ以前から、サンドラには軍で力を尽くしてもらっていますわ」
「第三軍は、人材、規模共に充実しつつあるのですね」
「おかげさまで。ブランシャール軍最強と、自負しております」
「……義姉上は、おとぎ話について、どう思われます?」
一瞬、黒い瞳が光ったが、すぐに天使の微笑みの中に埋もれた。
「……おとぎ話ですか」
小首を傾げると、天使の微笑みが返ってきた。
「唐突にすみません。先日、僕は伝承や歴史が好きだというお話をさせていただきましたが、覚えていらっしゃいますか」
「ええ。勉強好きな方なのだなあと、感心した覚えがあります」
「それは、恐縮。伝承やおとぎ話は、歴史と違って、荒唐無稽なものと思われがちですが、僕は真実が含まれているのではないかと考えています」
「それは、どういうことですの?」
「ベースには実際の出来事があって、脚色したり長い間に話の筋が変わっていったりしたのではないか、ということです」
「……まあ。そんなこと、考えたこともありませんわ」
「で、しょうね。特に、天空の女神フレイの三種の神器については興味深く研究しています」
「それこそ、おとぎ話ですわ。誰も見たことがないのですから」
女神フレイの三種の神器とは…
ガゼルの聖剣。
セヴィルの魔石。
アベニールの神鏡。
この三つをいう。
天界を治めていた女神フレイが、それまで混沌とした世界であった地上を治めるために産みだし、秩序をもたらしたと伝承は伝える。
しかし、あるとき、セヴィルが母フレイに反乱を起こし、天界からの地上界独立を図った。ガゼルとアベニールはフレイにつき、両者の間で激しい戦いが繰り広げられた。結果はセヴィルの敗北。セヴィルは天界・地上界から永久に追放され、魔石も共に失われた…
「魔石はともかく、聖剣も神鏡も失われてしまったというのが、納得できないわ。勝者なのに失われる理由がないでしょう? おとぎ話たる所以ではないかしら」
「義姉上の仰るとおり。でも、意図的に隠されたのだとしたら?」
「……誰が? 何のために?」
「三種の神器が揃えば、地上世界に秩序がもたらされる。これは、強力な王権の象徴だと考えています。三つを手にした者が帝王となれるのです。それを恐れたフレイが隠したのだとすれば、辻褄が合う」
「本当に、そんなものがあれば、の話ですわね」
「常識に囚われない義姉上にして、やはり既成概念からは抜け出られないか。―猫耳族には、独特の挨拶があるとお聞きしました。『ガゼルのご加護をお祈りする』というような」
「ええ。昔からお別れする際によく使われている言葉ですわ」
「その挨拶にまつわる伝承か何かを聞いたことがありませんか」
「さあ…。言葉の意味を教えられる程度で、特に何もなかったと思いますけど」
「そうですか。ガゼルとは、聖剣を人格化したものと考えています。つまり、猫耳族にもしや聖剣の在り処についての言い伝えのようなものがないか、と思ったのですが…残念です」
「すると、セヴィルもアベニールも、人格化したものだと?」
「そうです。古のセヴィルの反乱、その実像は、魔石を奉じた種族の反乱だったのではないか。それを聖剣と神鏡を奉じた種族に征圧されたのではないか。戦乱後、今度は聖剣と神鏡の間で争いが起こり、共倒れになったのではないか。―止めどもなく空想が広がっていくのです。古い時代にも、僕たちと同じように日々、野心に燃えたり挫折したりした人々がいた。そう考えると、わくわくしてきませんか」
瞳を輝かせ、熱に浮かされたように話すガブリエルを見て、内心、苦笑いを浮かべた。ここにも『物語好き』がいた。さぞセシルと話が合うことだろう。
「―お好きなのですね、昔話が」
「……失礼しました。僕としたことが、つい話に夢中になってしまって」
シルヴィアの言葉で我に返ったガブリエルは、いつもの天使の微笑みを浮かべた。
「もし、ガゼルにまつわる伝承を思い出したら、是非ご連絡ください。すぐに駆けつけますから」
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「―ちょっといいか?」
サンドラは、遠慮がちに声をかけた。
「あら、珍しい。私を訪ねてきてくれるなんて」
エマは、にっこり微笑み、自室に招き入れた。兵舎の士官用の部屋である。大隊長は皆、個室を与えられていた。ちなみにシルヴィアにも用意されている。あまり使用したことはないが。
「くつろいでいるところを押し掛けてすまない」
「気にしないで。大歓迎よ。すぐお茶を入れるから、適当に座っていて」
ソファやテーブル、ベッドやタンス、ドレッサーなど最低限の調度品しかない。カーテンや壁紙などは落ち着いた色合いで統一されており、大人の女性の部屋という雰囲気である。
整理整頓がなされ、部屋中どこも清潔に保たれている。姉の部屋は、昔からそうだった。綺麗好きでマメな性格そのものを現している。
「―初めて、よね? 訪ねてきてくれたのは」
「……」
どこか落ち着かなげな妹の様子に、自然と笑みがこぼれる。
「天馬隊はどう? 急に兵が増えて、大変なんじゃない?」
お茶とお茶菓子をテーブルに置くと、エマはサンドラと向かい合った。
「まあね。私の隊は徴集兵経験者も多いから、助かってるけど、エーヴは苦労しているみたい」
「ふ〜ん。そうなんだ」
世間話をしに来たわけではないことは、すぐにわかった。何か言い出しにくい相談事があるのに違いない。
「……私に何か聞きたいことがあるのじゃない?」
「……やっぱり、わかる?」
「そりゃ、そうよ。妹ですもの。何年の付き合いだと思ってるの」
「……その…を教えてほしい…」
「えっ? 聞こえないわ。もっとはっきり言って」
「……メイクの仕方を教えてほしい」
「えっ!?」
まじまじとサンドラの顔を見つめた。照れたように頬を染めてうつむき加減でぼそぼそと話すその様子は、とても初々しくて可愛らしい。思わず抱きしめたくなる。
「私…ろくに化粧したことないから、よくわからなくて。エマなら、昔からよく化粧していただろ。だから…」
「もちろん、いいわよ」
「……! ありがとう、助かるよ。こんなこと、エーヴとかに相談できないし」
「―気になる男性でも、いるの?」
「えっ!? い、いや、別にそんなんじゃ…」
「子どものときから、ドレスより槍に夢中だったあなたが、メイクに興味を示すのだもの。―男性でしょ?」
「ほんとに違うって。フレイモスに天馬隊の仲間とのパーティーがあるから、たまにはドレスを着てもいいかな、と思っただけだ」
「ふふっ。まあ、いいわ。あなたは美人だし、私に似て。とても映えると思うわよ」
「……」
「こっちにおいで。一から教えてあげる」
サンドラは、大人しくエマの隣に座った。エマは妹の白藍の髪を撫でながらはしゃいだ声を上げた。
「せっかく来てくれたのだもの。メイクの勉強が終わったら、ご飯食べていって。ゆっくりお話ししましょうよ。―何だか、とっても楽しくなってきたわ」
【裏ショートストーリー】
マノン「きゃあぁぁ〜! 今回のお土産はお菓子の詰め合わせよっ」
コレット「前は何だったんですか」
マノン「ケーキセットよぉ。ガブリエルさまって、ほんとに女子のこと、わかってらっしゃる〜」
コレット「このフィナンシェ、美味しいですっ」
マノン「こっちのマカロンだって、ほっぺた落ちちゃうぅ」
コレット「リュカさま、今日もカッコ良かったですね」
マノン「……だったら何だっていうの」
コレット「目の保養になるなあ、と思って」
マノン「……」
コレット「誰かさんの想い人だし、ちょくちょくお見えになればいいのに」
マノン「誰が想い人よ!?」
コレット「あれ〜? 私、一言もマノンさまなんて言ってませんけど〜?」
マノン「私のこと、センパイだと思ってないでしょ?」
コレット「思ってますって。尊敬していますよ、恋のセンパイとして」
マノン「やっぱり思ってないじゃないの、人のことからかって」
コレット「いいんじゃないですか? 侍女が恋愛しちゃいけないなんて定めはないんだし」
マノン「あなたね、決めつけないでよ。リュカさまのことは何とも思っていないんだから」
コレット「わかってますよ、本命はギーさまですものね」
マノン「……だから、それは絶対ありえないんだって、言ってるでしょ」
コレット「照れない、照れない。お似合いだと思いますよ」
マノン「(いっそのこと、本当のことをバラそうかしら)」




