第301話 胸騒ぎ
シュペルヴィエルのジュスティーヌ・カルダンが反乱。
その驚愕の報せが届いたのは、まさにガブリエルの謀反に対処すべく御前会議で話し合いが行われている最中であった。
「……ったく、あのオバサンは、また性懲りもなく兵を挙げやがって」
リオネルは呆れてみせた。最近では立ち上げたばかりのクニークルスを攻めて、手痛い敗北を喫したばかりだ。
「―陛下っ! 大変申し訳ございませんっ!」
セルジュがひざまずいて頭を垂れた。
「我が姉の不始末、なんとお詫びしてよいか、まったくもって申し開きのしようもございません!」
「セルジュ。お前が詫びる必要なんかない」
「されど我が一族は、父を始め幾度となく陛下に対し奉り抗い背き刃を向けてまいりました。この所行、万死に値します。かくなる上は、私の命をもって贖うほかありませぬ。―されば、ごめん!」
セルジュは、いきなり剣を抜いて己の首に当てた。しかし、剣はすぐに弾かれ床をしゅるしゅると転がっていった。
「バカなことをしてはなりません!」
それは、シルヴィアだった。彼女は金色の瞳を瞋らせ叱りつけた。
「セルジュさまのお命で贖う程の価値などありません。ジュスティーヌは、時勢の見えぬただの愚か者です。そんな者のために、尊いお命を無駄になさるなど、この皇后たる私が許しませんよ」
「皇后陛下…」
「セルジュさまは、旦那さまにとってかけがえのない方なのです」
一転、シルヴィアは限りなく優しく声をかけた。
「死ぬのではなく、生きて、旦那さまを支えてください。どうか、お願いいたします」
「皇后陛下!? お顔を…お顔をお上げください! ―わかりました。非才なれどこのセルジュ、死んだつもりになって誠心誠意、お仕えいたします」
こうしてセルジュの愚挙は抑えられたが、問題は、ガブリエルとジュスティーヌのどちらに兵を向けるかである。
「喫緊は、ガブリエルでしょう」
トリュフォーが言った。
「言っちゃあなんだが、不満貴族をいくら集めたところで、大した脅威にもなりません。主戦力はガブリエルに当てるべきです」
「私もトリュフォーさまに同意します。それも、一刻も早く」
「さっき言ってた嫌な予感、というやつか? シルヴィア」
「そうです。遅くなればなるほど、良くないことが起こる気がします」
「―よしっ。トリュフォー。1万を率いてエルヴィールへ向かえ」
「はっ。承りました」
「貴族連合とやらには、一連隊を送れば充分だ」
一連隊とは、5千人である。
ちなみに、帝国軍は今や全軍で2万にまで膨れ上がっている。ベルジェールの野で『彗星』マクシムと戦ったときと比べれば倍増だ。
更に、禁軍や天馬隊、華鷹隊まで合わせれば2万4千と、堂々たる戦力である。それがすべて常備兵なのだ。
かつて第二次ルメール戦役において、帝国軍は10万を動員した。しかし内情は大半が徴集兵だった。数は四分の一であっても、リオネルの帝国軍は戦闘力が桁違いであった。
「頼んだぞ、トリュフォー。必ずガブリエルの首を取ってこい」
「はっ。お任せを」
勇躍、猛将トリュフォーは席を立った。帝国軍の精鋭一万である。何の心配もいらないはずだった。
それなのに、シルヴィアの心は晴れない。焦燥感だけが募っていくばかりであった。
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「シルヴィア。どうした? 浮かない顔だぞ」
五公(事実上、四公であるが)の御前会議が解散となった後である。三頭はサロンに居残っていた。
「……なんだか、ずっと胸騒ぎがして仕方ないの」
「例の嫌な予感か? 考え過ぎだよ。その証拠に勘のいいアニェスが何も言わねえだろ。なあ、アニェス?」
「……」
問われても、アニェスは難しい顔をしたまま返事をしない。
「えっ!? アニェス…?」
「実は私も…」
「ええ〜っ。ウソだろ〜?」
「私まで不吉なことを言ったら雰囲気が暗くなってしまうと思って、あの場では控えていたのです」
「……どういう予感なんだよ?」
「具体的にどうこうというのではなくて…胸騒ぎがするというか…あら、お義姉さまと同じだわ」
「なんだかな〜。でも、うちの女どもの勘は当たるからな〜。俺まで気分が重くなっちまったよ」
「ごめんなさい、旦那さま。決して旦那さまを困らせるつもりはなかったの」
「……トリュは大丈夫かしら」
アニェスがぽつりと言った。リオネルは、ぎょっとしたようにアニェスを見た。
「あ…ごめんなさい、お兄さま。決してお兄さまを驚かせるつもりはなかったの」
「おいおい、お前ら。謝ってるフリして、少しも謝ってねえぞ」
「ふふっ…」
「ふふふっ!」
シルヴィアとアニェスは、顔を見合わせると、ころころと笑い合った。
「―まあ、どんな難局でも、明るい心を失わないのはいいことだけどよ」
そんな二人を、リオネルはジロジロと眺めた。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい、旦那さま」
シルヴィアは殊勝に頭を下げた。
「私たちは、真面目に心配しているの。人相手ならこれほど心配したりしない。でも、今回は魔獣だわ。しかも、言葉を話したり、女神さまの影が見えたり…。想像の外の要素が多過ぎる」
「……」
アニェスは、言葉にはしなかったが、心配そうな表情は変わらなかった。その視線は、なぜかシルヴィアに向けられていたが。
その視線に気づいているのかどうか、シルヴィアは、アニェスと同じようにぽつりとつぶやいた。
「……トリュフォーさまは、大丈夫かしら」
義姉妹の憂悶は、容易に晴れそうになかった。
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帝国軍1万5千が出陣した。行き先は二つ。しかし、公式には、反乱を起こしたジュスティーヌを盟主とする貴族連合討伐のため、としか発表されなかった。
もう一つの目的であり、むしろそちらのほうがより深刻度が高いエルヴィールは、あまりにも現実離れしていたため、公にするのを控えたからである。
だが、疑惑を抱いた者は、少なからずいた。
「……どうもおかしい」
「エーヴさまの頭が?」
「なんだと!? 頭かち割るぞ! アイラ!」
「きゃあ〜、お兄さま、エーヴさまが私をいじめるぅ〜」
アイラは、どさくさまぎれにサイノスの腕を取った。
「ざけんなっ、誰がいじめとるか!」
「いや〜っ! 怖いぃ〜! お兄さま、助けてぇ」
アイラは、これ見よがしに豊かな胸をサイノスに押しつけた。エーヴがそれを見てブチ切れた。
「なに、くっついてんだよっ。離れろっ、クソガキがっ!」
「ちょっと! 人のお尻、触らないでよっ」
「引っ張ってるだけだろが! 誰がてめえのケツなんか触るか、ボケッ」
「まあまあ、お二人さん。そうカッカしなさんな」
ジュスタンがいかにも楽しそうにお腹を抱えて笑い転げた。
「ジュスタン! 笑い過ぎだ。てめえも、しばかれてえか!?」
「そう、吠えるな、エーヴ」
サイノスは、アイラの腕をほどきながら言った。アイラは、不満そうに頬を膨らませた。
「俺もおかしいと思っていたところだ」
「そ、そうだろ?」
エーヴは、頬を赤らめながら前のめりになった。
「ぜえったい、おかしい! たかが貴族どもの反乱に、1万5千も兵を差し向けるなんざ、無駄遣いもいいとこだ」
「皇宮で騒ぎがあったという噂もある。それと関係があるかもしれん」
「騒ぎ、って何だよ」
「わからん」
「それ、僕も聞いたよ、噂」
ジュスタンが口を挟んだ。
「知り合いの侍女が言ってた。ほら、風の強い日があったじゃない。その日、とんでもなく大きい鳥が空を飛んでいくのを見たんだって」
「大きい鳥? どうせおヒレがついてんだろ」
「えっ!? と、鳥さんにヒレがついてるの?」
ミラベルがエーヴに飛びついてきた。
「……違う。そのヒレじゃねえ」
「―でさ、鳥が飛んで行く前に、庭園で喧嘩しているような声を聞いたって。風音が大きくて内容までは聞き取れなかったらしいんだけど」
「ふ〜ん。でも、それが軍の派遣とどう関係あんだよ?」
「そこまでは、僕もわからないよ」
「……目的は一つじゃないのかもしれませんね」
クナリが突然口を開いたので、皆驚いて注視した。ご本人は、相変わらずぼうっとした表情だったが。
「おい、クナリ。それ、どういう意味だよ?」
エーヴが問いかける。
「1万5千の派兵は、誰がどう見ても過剰です。慎重を期すといっても限度というものがありますからね。だとすれば、二手に分かれるのを前提に数を決めたと考えれば合理的です」
「するとクナリさまは、軍は二か所に派兵されるはずだったけど、公にしたくない理由があって、それをごまかすためにまとめて派兵した、と仰るのね」
アイラが顔を近づけた。桔梗紫色の瞳がキラキラと輝いている。クナリは、アイラに目を向けようともせず、まるで歌を歌うかのように答えた。
「もしくは、偶然二つの事象が同時に発生したか、ですね」
「ふ〜ん。なるほどぉ。そういう考え方もあるのね」
「おい! アイラ。余計な口を挟むんじゃねえよ」
「どうしてよ? 至宝天会議は自由に発言していいはずでしょう?」
「てめえは至宝天じゃねえ! そもそもなんでここにいるんだ。部外者は出てけっ」
「クナリさまだって至宝天ではないのに、出席を許されているわ」
「クナリは軍師だから資格があんだよ!」
結局、二人はまたいがみ合いを始めた。
「いい加減にしないか!」
サイノスが業を煮やして怒鳴りつけた。
「これ以上角を突き合わせるなら、二人ともつまみ出すぞ!」
「「ふんっ!」」
二人は、束の間睨み合っていたが、同時にそっぽを向いた。
「―まったく。毎度毎度、よくもまあ飽きもせず繰り返せるな」
サイノスは、深いため息をついた。ジュスタンは笑い転げている。
「―サンドラさまかな」
至宝天の小笑劇に関心がないかのように、クナリは独りつぶやいた。ぼうっとした表情は変わらないままだった。
「シルヴィア姉さまの側近なら、何か事情を知っているに違いない…彼女に確かめてみるか」
【裏ショートストーリー】
帝国軍兵A「貴族連合とやらの反乱軍は、兵数が増えているらしい」
帝国軍兵B「ほとんどが徴集兵だろ? いくら数が増えようが、大したことねえぜ」
帝国軍兵A「でもよう、俺たちだって1万5千も動員してるんだぜ。上の連中は貴族連合が手強いと判断してるってことだろ?」
帝国軍兵C「それなんだよなー。どう考えてもおかしいんだよなー」
帝国軍兵A「おかしいことなんか、あるかよ。万全を期しているだけだろ」
帝国軍兵C「そうかなー? なんか隠してねえかな、上の連中?」
帝国軍兵B「考え過ぎだよ」
帝国軍兵C「そうかなー?」
隊長「全軍止まれーっ!」
帝国軍兵A「なんだなんだ? こんな道の途中で、なんで急に行軍を止めるんだ?」
隊長「そこ! 無駄口を叩くな。今からトリュフォー将軍が訓示なさる」
帝国軍兵B「えっ!? トリュフォーさまが?」
トリュフォー「……諸君。前置きなしで端的に伝える。我々の真の敵は、貴族連合ではない」
帝国軍兵C「何だって!?」
トリュフォー「真の敵は、皇弟ガブリエルである!」
帝国軍兵A・B・C「ええーっ!?」
トリュフォー「ガブリエルは、身の程知らずにも皇帝陛下に対し謀反を起こした。これを看過するわけにはいかない。これより1万は、エルヴィールに向かう。残り5千は貴族連合に当たれ」
帝国軍兵A・B・C「……」
トリュフォー「いいか、諸君。裏切り者どもを許すな。必ず奴らに鉄槌を下し、大恩ある陛下に刃を向けたことを後悔させてやるんだ!」
帝国軍全軍「おおーっ!」




