第26話 会見と奪還
「獣人など、すぐに殺してやる」
ジルベールは、冷たい視線を投げた。ヘビのような表情のない目つきである。
「それはあまりに乱暴ではありませんか、ジルベールさま」
「貴様はブランシャール帝国軍に無断で侵入し、情報を盗もうとした。スパイ行為は明らかだ。スパイは即死刑と決まってる」
「誤解なさっています。私は、新兵の入隊試験を受けただけですわ」
「皇子妃という立ち場にありながら、偽名まで使ってな。やましい目的があったからに違いない」
「皇子妃という立ち場だから、偽名を使用したのです。そうでなければ、皆、私に忖度してしまうでしょう?」
「忖度して情報を聞き出せなくなるからな」
「曲解です。ジルベールさまは、そんなに私が嫌いなのですか?」
「獣人など人間のふりをした、ただの獣だ」
ヘビのような視線が絡みつく。嫌悪感で溢れている。
「私は貴様のことを全く評価していない。世間ではアニェスの命の恩人などと持ち上げているが、私からすれば余計なことをした、ただの厄介者だ」
「それは、あなたがアニェスさまに毒を盛ったと白状した…と、取ってよろしいかしら?」
シルヴィアは、ニッコリ微笑んだ。ジルベールの目に初めて表情が浮かんだ。
「……なるほど。ただの獣ではない、ということか。無論、私は毒を盛ってはいない。もともと証拠などないのだ。私が否定すれば、貴様には打つ手は何もないぞ」
「そうでしょうね。宮中で私の話を信じてくださる方は数少ないですし」
「言っておくが、本当に私はアニェスを毒殺しようとはしていない。死んでくれればいい、とは思っているがな」
「母が違うとはいえ、実の妹でしょう? なんでそんな酷いことを仰るの?」
「本気で言っているのか? 頭が切れると思えば、世間知らずなことを言い出す。掴みどころのない奴だ」
「評価していただいて、ありがとうございます」
「―評価していないと言っているだろう。だが、私にとって貴様は邪魔者だと判断した。だから、ここで殺す」
「そんなことをしたら、リオネルさまが黙ってはいませんよ。第三軍団と全面戦争しようというのですか」
「それこそ、反乱罪でリオネルを抹殺してやる」
「リオネルさまが大人しく冤罪に服すると思っているのですか。あなたも無傷ではいられませんよ。結局、二人が大きく傷つき、喜ぶのはラファエルさまです」
「……実によく頭の回ることだ」
ジルベールは、片手を上げた。壁の兵がシルヴィアに殺到する。たちまち両腕を背中に捻られ、ひざまずかされた。
「やはり、貴様は危険だ。私は慎重な性格でね。危険な芽は早めに摘んでおくに限る」
「……」
「仮にリオネルと戦うことになっても、私が傷つくとは限らない。勝ち残るのは、私なのだからな」
ジルベールは、口元だけで笑った。ヘビの目は全く無表情のままだったが。
「もっとも、そのときには貴様はこの世にいないのだ。心配することはないぞ。安心して死ね」
(問答無用か。少しジルベールを甘く見ていた)
ジルベールにとって罪状などどうでも良いのだ。いくらでもでっち上げて、邪魔者は確実に排除するつもりなのだ。
(仕方がない。力付くで脱出―)
突如、爆音が轟いた。部屋の壁が崩落した。埃と粉塵が舞い上がる。その中から、人影が現れた。
「―旦那さまっ!?」
シルヴィアは、身体を捻って拘束している兵をなぎ倒した。驚異的な身体の柔らかさである。
「旦那さま、どうしてここが?」
(リオネルが、自ら助けに来てくれた…?)
胸の奥が熱くなった。今まで感じたことのない歓喜が全身を駆け巡った。
「―シルヴィア、無事か?」
リオネルの背後にマノンとサンドラの姿も見えた。二人ともドレスから戦闘服に着替えている。
「……はい。私は大丈夫です」
「遅くなってすまん。居所を掴むのに少々手間取った」
リオネルは、一人の兵を床に投げ捨てた。シルヴィアを連行した皇宮警備隊の指揮官だった。気絶しているらしく、ピクリとも動かない。
「旦那さま…」
リオネルは、シルヴィアに大きく頷いてみせると、ジルベールに向き直った。
「妻を返してもらうぞ」
「痴れ者が。皇子といえど、皇宮警備隊の兵に危害を加えて、ただで済むと思っているのか」
「罪状の捏造。皇子妃の理不尽な監禁。お前の非は明らかだ。そっちこそ、ただでは済まさんぞ」
「ふん。正しい者が勝つんじゃない。勝った者が正しいんだ。―キサラギっ」
隅にうずくまっていた男がユラリ、と立ち上がった。手には見慣れない剣を握っている。
キサラギと呼ばれた男の顔には、大きな傷跡があった。額から右頬にかけて走っている。長い黒髪を細い糸で束ね頭の後ろで立たせた独特の髪型だった。黒い両目には、狂気の光を宿していた。
「―シルヴィアさまっ」
マノンが投げて寄越した長剣を受け取り、抜き放った。キサラギも剣を抜いた。細身で反り返った見たこともない剣だった。
「シルヴィアさま、お気をつけください!」
マノンが叫んだ。
「その剣は、極東の国の『刀』というものです。岩をも両断すると聞いたことがありますっ」
「……へえ。面白そうじゃないの。岩を斬る前に剣をへし折ってやるわ」
シルヴィアは、長剣をキサラギに向けた。
「シルヴィア!」
リオネルが駆け寄ろうとすると、皇宮警備隊が前を塞いだ。すると。一人は吹き飛び、一人は突き倒された。マノンとサンドラだった。
「ここは私たちが食い止めますっ。リオネルさまは早くシルヴィアさまの元へ!」
「頼んだぞ!」
リオネルはシルヴィアへ向かって駆ける。その間、二人は既に刃を交えていた。
シルヴィアの剛剣をキサラギは難なく受け止めていた。細身の刀は一見折れやすそうだが、見た目よりかなり強靭のようだ。
シルヴィアは跳躍した。得意の背後回りである。剛剣が唸りを上げる。……が。キサラギは刀を背後に回し斬撃を受け止めた。すかさずシルヴィアは身体を捻り横殴りに長剣を叩きつける。キサラギも刀を捻り弾き返す。
間髪入れず刀がシルヴィアを襲う。それをバック宙でかわした。
「……!」
ドレスの胸元が斬られていた。あらわになった白い肌から少し血が滲む。
(完全には、かわし切れなかった)
シルヴィアは、キッとキサラギを睨みつけた。
(こいつ、強い…!)
「俺の女に何しやがるっ!」
リオネルが乱入した。長剣をキサラギの頭に振り下ろす。無造作に刀で受け止める。胴ががら空きになった。
「―もらった!」
シルヴィアは、床を蹴った。長剣をキサラギの胴に叩き込む。必殺の斬撃…のはずだった。しかし、それも刀で防がれていた。キサラギは、腰に差した刀身の短いもう一本の刀を抜いたのだ。
「双刀…!?」
キサラギは二人の剣を弾き返した。キサラギの猛攻が始まった。双刀を巧みに操り、二人に間断なく襲いかかる。防戦一方となった。斬撃がかすっただけで服がスパッと斬り裂かれる。まともに喰らったら、腕の一本くらい簡単に骨ごと切断されるだろう。
(ヤバいっ。……こいつ、マジでヤバい!)
焦燥感が募り始めたそのとき。再び壁が轟音とともに崩れた。
「―シルヴィア! 乗りな!」
フランベルジュだった。とっさにリオネルの手を握り駆け出す。二人で紅い背に飛び乗った。
「マノンたちが…!」
慌てて振り返った。
「大丈夫! お先にお逃げくださいっ。後から追いかけます!」
マノンが警備隊の兵を殴り倒しながら叫んだ。
「マノンっ、サンドラっ。無茶しないでよ!」
フランベルジュが大空へ駆け出した。思ったより高い部屋にいたらしい。風をきって空を翔ぶ。
「―シルヴィアが無事で、ほんとに良かった」
「にゃっ!? 何か言いましたか?」
風が強く、言葉がよく聞き取れない。
「今回のことは、俺が悪かった! もっと注意しておくべきだった!」
「そんなこと、ありませんよっ ジルベールが狡猾なだけです!」
「ほんとに、シルヴィアに何もなくて良かった」
「……」
ふと気づく。シルヴィアは、リオネルの胸に包まれていた。密着度がとてつもなく高い。背中に温もりが伝わる。頬が真っ赤に染まった。
(リ、リオネルに抱かれてる…!)
変則的ではあるが、これも立派に抱かれていると言っていいだろう。
(心臓が、バクバクいってる。息が、できない。頭が、ぼうっとする。あたし、どうしちゃったんだろ)
自分のために、リオネルが助けに来てくれた。今は、大きな温もりで守ってくれている。いい知れぬ感動に満たされた。
(……少なくとも、あたしのこと、心配してくれた…んだよね?)
「―苦しい…」
「どうした? 気分でも悪いのか?」
思わず胸を押さえたシルヴィアの様子に気づいて、リオネルが肩越しに覗き込んできた。かおが…リオネルの整った顔が、すぐ横にある!
「きゃあぁぁぁぁぁっっっ!」
ビュービュー吹きすさぶ風にも負けない、金切り声を上げた。
「……すまん!」
リオネルは、反射的に身体を離した。
「―イヤ。離れないで」
「……なんだ? 聞こえないぞ!」
「あたしからっ! 離れないでっ!」
「……!」
リオネルは、肩越しに強く抱きしめてきた。
(……なんで? なんで、こんなに幸せな気分なの…?)
シルヴィアは、心の中で叫んでいた。
(どうしてなのーっ!?)
【裏ショートストーリー】
シルヴィア「マノンたちが戻ってきた!」
マノン「シルヴィアさまっ、ご無事でしたか!」
シルヴィア「……良かった。二人に何事もなくて」
サンドラ「あんなザコ兵なんか、相手にもなりませんよ」
シルヴィア「……」
マノン「どうしたんですぅ? シルヴィアさま。珍しいですね、私に抱きついてくるなんて」
シルヴィア「みんな、無事で良かった…」
マノン「ご心配くださったんですかぁ? ありがとうございます。でも、大丈夫。あんな奴らにどうこうされるほど、やわじゃありませんよぉ」
シルヴィア「……」
マノン「……どうも様子が変ですね、シルヴィアさま。顔も赤いし。まさか、お熱があるとか」
シルヴィア「……熱なんかないよ」
マノン「……そうですね。おでこは熱くない。でも目が潤んでるし、表情がバカっぽいですよ」
シルヴィア「何よ、それ。気分台無しなんですけど」
マノン「気分…?」
サンドラ「そういえば、フランベルジュの上でリオネルさまと二人きりでしたよね」
マノン「……! まさか、リオネルさまに何かされたんですか!?」
シルヴィア「な、な、何にもないよ! なんで? どうして? 旦那さまに抱きしめられたからって、それが何だっていうの!? 別に何とも思ってないしぃ!」
マノン・サンドラ「……」
シルヴィア「あたしたちはさっ、政略結婚なんだからさっ、好きとか、そんな話じゃないんだから!」
マノン「……おお、よしよし、可愛い可愛いお姫さま。一回落ち着きましょうねぇ〜。ゆっくりお話をお聞きしますからぁ」