第27話 ニャンズとニアキス
ジルベールはその後、何もシルヴィアに仕掛けてこなかった。
皇宮でも、スパイ容疑について言い立てるものは誰一人いなかった。その事実一つとっても、あの逮捕はジルベールが独断で行ったものであることが明白であった。正式な手続きを踏んでいないから、公にすることができないのだろう。
結局、事件は『何もなかった』ことになって、シルヴィアたちの日常は、見かけだけでも平和に戻った。
「―やっぱり、こちらにいらしたのね」
シルヴィアは、マノンとサンドラを従え、アニェスの部屋を訪れていた。
「お探ししましたよ、旦那さま」
「何か、用か?」
リオネルは、アニェスと話し込んでいるところだった。
「ええ。大事なご用です。でも、よくよく考えてみれば私、旦那さまのお部屋を知らないから、お話ししたいときどこに行けばいいのか、わからないわ。今日は、当て推量でアニェスさまのお部屋を訪れたけれど」
「あら? お義姉さま、あのお兄さまのお部屋に、まだ連れていってもらってらっしゃらないの?」
アニェスが、含み笑いをしながらリオネルを見た。リオネルは、嫌そうにそっぼを向いた。
「……どういうことですの? アニェスさま」
「そうね。―見てのお楽しみということにしておきましょう」
「そういう言い方されると、かえって気になるわ。意地悪しないで、教えてくださいな」
「まあまあ。百聞は一見にしかず、と言うでしょう」
「……旦那さま。お部屋に連れていってください。今すぐ」
「ち、ちょっと待て」
リオネルは、慌てたように押しとどめる仕草をした。
「大事な用件があるんだろ。そっちを先に言え」
「ご用をお話ししたら、必ず連れていってください」
「考えておく」
「それではお話しできません。―帰りますよ、マノン、サンドラ」
「……ふふふっ。楽しい!」
アニェスは、鈴の音を転がすように笑い転げた。
「お兄さま、すっかりお義姉さまの尻に敷かれているのね」
「バ、バカ言え。なんで俺があんな常識外れの女の尻に敷かれなきゃならん」
「何ですって? 聞こえましたよ、旦那さま。どちらが常識外れなの。旦那さまにだけは言われたくないわ」
「ふふふっ! 二人とも、本当にやめて。苦しいわっ。笑い死にしそう」
アニェスはお腹を抱えて笑い出した。顔色はすっかり良くなった。以前からよく笑う少女だったが、何の懸念もなく思い切り笑えるようになったようだ。
(良かった。アニェスさまの体調、すっかり元に戻って)
元気そうな姿に、こちらも幸せな気持ちになる。皇宮の広い庭園を普通に散歩できるようになったという。今は、体力を戻すべく筋トレを始めたらしい。しかも、先生は、あのエマなのだ。
「……わかった、わかった」
リオネルは観念したように両手を上げた。
「大事な用とやらを聞いたら、連れていってやる」
「約束ですよ」
「約束する」
輝く笑顔が花開いた。
「では、報告いたします。例の件、カトゥスから連絡が来ました」
「来たか!」
「はい。なんとか定期的に納めることができるそうです」
「よしっ! よくやった、シルヴィア」
例の件とは、魔法の粉、『ピパリ』のことである。カトゥスの森にしか自生しないピパリという蔓性植物の実を潰して粉にしたものである。香辛料として特に肉料理に合う。
熊爪族に持ち込めば、熊の掌二十枚と交換できる。熊の掌はブランシャールでは薬として一枚金貨三枚で売れるのだ。単純計算でピパリ小袋一つで金貨60枚の価値があることになる。うまく扱えば、莫大な利益を生む可能性があるのだ。
「カトゥスからは、具体的な取引方法を教えてほしいと要請されていますが」
「それは、既に専門家に話を通してある」
「専門家?」
「ちょうどいい機会だ。シルヴィアにも紹介しておこう」
リオネルは立ち上がった。
「にゃっ? どちらへ行かれるのですか」
「町へ行くぞ。お前に会わせたい人物がいる」
「……旦那さま。や・く・そ・く!」
「ちっ…。覚えてたか」
「当たり前でしょう! そんなことで誤魔化されませんよ」
「くっくっくっ…」
アニェスが必死に笑いを堪えている。
「しょうがない。ついてこい」
リオネルは、うつむき加減で歩き出した。なぜかその顔は、真っ赤だった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
一歩、部屋の中へ入ると、シルヴィアはその場に立ちすくんでしまった。
「ニャア!」
目の前に猫が、いた。
「ニャッ」
その横にも。
「ニャニャッ」
そして、ベッドにも。キャットウォークにも。テーブルの上にも。ソファにも。
つまり、ここは―
「ニャンズ部屋!?」
「……違う! 俺の部屋だ!」
リオネルは、真っ赤になった顔をあらぬ方向に背けた。
「ネコを飼ってらしたの!? ……しかも、こんなにたくさん?」
「そうだよ。悪いか」
「……」
驚いた。まさか、リオネルが猫マニアだったとは。
「かっわいい!」
動物好きのマノンが、早速一匹の猫を抱き上げた。頬ずりまでしている。
「マノン! あなた、知ってたわね?」
「そりゃ、そうですよぉ。リオネルさまとは長い付き合いですからぁ」
「どうして教えてくれなかったのよ!」
「特に聞かれなかったしぃ、リオネルさまから口止めもされてましたからぁ。……きゃあっ、この子もかわいいっ」
「……」
「なるほど。そういうわけか」
サンドラが、形のいい顎に指を添えながら、訳知り顔で言う。
「―何がそういうわけなのよ?」
「……ネコ」
いきなりシルヴィアを指差す。
「な、何よ、突然?」
「……ネコ好き」
そしてリオネルを指差す。
「そりゃ、お似合いのご夫婦なはずです」
「ち、ちょっと、サンドラ! あたしはネコじゃないっ」
真っ赤になりながら、シルヴィアはチラッとリオネルを盗み見た。リオネルは、これ以上ないというくらい真っ赤っ赤になっている。
(ウソでしょ!? まさか、そんなこと、あるわけない)
リオネルに抱きしめられた温もりが突然蘇った。心臓がバクバクし始める。
(落ち着いてよ、あたしの心臓っ。―落ち着け〜っ!)
胸が苦しくなって思わず押さえた。その視界にリオネルの様子が映った。
「おお〜っ、リギル〜、お前は甘えん坊だなあ」
一匹の猫が体をリオネルにすりつけている。それを嬉しそうに背中を撫でるリオネルの顔といったら…。
「……デレデレじゃないの」
「デネブ〜、アステローペ〜、マタル〜。みんな、かわええのう」
猫たちに囲まれてご満悦である。見ているだけでホッコリする。
(……リオネルったら、可愛いっ)
これが、4年後悪魔に変貌する男の姿だろうか。―いや、アニェスが快復し、既に歴史は変わりつつある。だとしても、今は整った顔が溶けて崩れている。
変に意識した自分がバカらしくなった。リオネルは、ただの猫好きの男なのだ。そのことと自分は何の関係もない。
「……ネコちゃん、可愛いですね」
リオネルの横にしゃがんで、猫の背中を撫でる。
「全部で何匹いるのですか?」
「……15匹」
「じゅ、15!? それはまた、集めましたねえ」
「本当は、アニェスのほうがネコ好きなんだ」
「アニェスさま…?」
「最初に飼い出したのは、アニェスなんだよ。でも猫アレルギーでな、泣く泣く俺に預けたんだ。それ以来、人に譲ってもらったり、ノラを拾ってきたり、ペットショップで買ったりしてるうちに、いつの間にか増えちまった」
(そういえば、アニェスさまが毒を盛られているのがわかったきっかけは、飼っていたネコちゃんだったな…)
「……どうして教えてくださらなかったんです? 隠すことじゃ、ないでしょう」
「―カッコ悪いだろが」
「そうかしら? ネコちゃんと遊んでる旦那さま、とっても可愛かったですよ。普段見られない表情が見られて、私は嬉しかった」
「……」
「それに、ネコちゃん好きに悪い人はいないって、言うでしょう」
「俺は、元々いい人間だ」
「そうですね。お優しくてお強くて、頼りになる旦那さまですわ」
「急に人のこと、褒めるなよ。気持ち悪い」
「気持ち悪いとは何ですか、失礼な! 私は素直に思ったことを言ったのに」
ぷくうと膨れる。
「……ありがとう、シルヴィア」
「にゃっ!?」
リオネルは、照れたように顔を背けながら言った。
「お前のおかげで、どれだけ救われたことか。妻になってくれて、本当に感謝してる」
「私のほうこそ、感謝しています。旦那さまと出会えて、良かった」
「シルヴィア…」
リオネルがじっと見つめてきた。顔が近い。なんとなく、黒い瞳が潤んでいるような…。
「……!?」
(こ、これって、もしかして…そういう雰囲気!?)
夫婦になったと言っても、形式上だけで、今まで夜を共にしたことがない。それどころか、ろくに手をつないだことがないし、キスさえ一度もない。
(ま、まさか、リオネルは、あたしと…キ、キスしたいの?)
(す、好きって言われたこともないのに? いきなりキスって…そんなのアリ?)
リオネルの唇が、ぐっと近付いてきた。鼻の先が触れ合いそうだ。思わず生唾を飲み込んだ。
(ど、どうしたらいいの? 拒否…したら悪いよね? 目を瞑ったほうがいいのかな? どうしよ、どうしよ!)
この間、0.3秒。思考がぐるぐる高速回転し、わけがわからなくなる。目も回り出した。
「―だ、旦那さまっ!」
とっさに一匹の猫をリオネルの目の前に突き出した。
「この子を私にくださいっ!」
「―あ?」
(あ〜、あたし、何わけのわからんこと、言ってんだ)
恥ずかしさで、リオネルの目をまともに見られない。思わず猫の後ろに隠れた。
「……シャウラ」
リオネルは、猫の頭を撫でた。猫はダランと脱力して、シルヴィアに身を任せている。
「シャ、シャウラ…?」
「そいつの、名前だよ」
「あ…! ああ、シャウラちゃん、ね」
「いいよ。お前にくれてやる。マイペースな奴だけど、性格はおっとりしてるから、迷惑はかけないと思う」
「あ、ありがとう…ございます」
モヤモヤした気持ちのまま、シャウラを抱きしめた。
(……別に、こんなこと、したかったわけじゃないんだけどな)
ふと、視線を感じた。マノンとサンドラが並んでしゃがんでいた。
「……何見てんのよっ!」
「結局、やらんのかいっ!」
「うるさいっ! あっち行ってろ!」
手近にあったおもちゃのボールを投げつけた。黄色い声を上げながら二人は逃げ出した。
「……あ〜あ。あたし、何やってんだろ」
シルヴィアは、シャウラの眠そうな顔を見つめながら、深〜いため息をついた。
【裏ショートストーリー】
フランベルジュ「どうしたの、そのネコ!?」
シルヴィア「……まあ、いろいろありまして」
サンドラ「リオネルさまから、いただいてきたのです」
フランベルジュ「は? 話が見えないんだけど」
サンドラ「リオネルさまは、大のネコ好きで、15匹飼っていらっしゃっるのです」
フランベルジュ「……もしかして、押し付けられたの?」
シルヴィア「違うわ。あたしがおねだりしたの」
フランベルジュ「おねだり、って…そのネコ、どうするのさ? まさか、食べるとか…」
シルヴィア「何てこと言うのっ!? 飼うに決まってるでしょ!」
フランベルジュ「ネコがネコを、飼うの!?」
シルヴィア「……殴るよ」
フランベルジュ「だってシルヴィア、動物飼ったことないじゃない」
シルヴィア「それは、幸いというか、憎らしいというか、マノンが動物好きだから、世話してくれるよ」
マノン「かっわいい! シャウラ〜」
シルヴィア「ほら、本人もこう言ってるし」
フランベルジュ「ふ〜ん。ネコ好きねえ。そういうわけか」
シルヴィア「……サンドラみたいなこと言わないでよ」
サンドラ「やっぱりそう思いますよね、フランベルジュさま。実際、私たちの目の前でキスしようとしてたし」
フランベルジュ「ええ〜っ!? マジか。詳しく教えて、サンドラ」
シルヴィア「教えるな〜っ」




