第14話 認識遮断
――どれほどの時間が経っただろうか。先を進めば進むほど、辺りの景色はさらに黒く塗りつぶされ、ついには完全な真っ暗闇となった。
それでも不思議と、今の二人は先程までよりも恐怖心が薄まっていた。
わずかに残った魔力痕は、確かに暗闇の先へと続いているのがシャルエッテにはわかり、彼女を担ぎながら歩く白鐘にも、彼女への信頼が共に進む足を勇気付けてくれていた。
「……あっ! 光が見えましたよ、シロガネさん!」
やがて、無限に続くと思われた闇の終わりが、光という形で出口を示してくれた。その光を目にした二人の心に、ようやく安堵が訪れる。
しかし――出口が見えたからといって、そこが終わりではないということも、二人にはわかっていた。
「……魔力痕は、この先に続いているんだよね?」
「そうです。……私が訊くのもおかしいとは思っていますが、この先を行く覚悟は大丈夫ですか?」
「もちろん……!」
二人の少女は頷き合い、ゆっくりと路地裏の出口へと向かって行った。
◯
「…………ここは?」
――路地裏の出口を抜けて、二人の視界に広がってゆく景色は、とても同じ町のものとは思えないほどに殺風景であった。
「空き地……なのかな? こんな場所が、城山市にあったなんて……」
ーーそこは見渡す限り、本当に何もない場所だった。
面積はそこそこに広いが、せいぜいが学校の校庭よりも一回り狭い程度であろうか。辺りは雑草が点々として生えただけの黄土色の地面が見えるばかりで、あとは建物もない大地だけが広がっている。遠くを見渡せば、見慣れたビルなどが点在しているのが視界に入った事で、ようやくここが自分たちが住む町と同じ場所にあるのだと認識できた。
「……周りに建物のようなものはないし、空振りだったのかな――って、シャルちゃん?」
「…………っ」
空き地の奥側、やはり何もないその空間の一点を、シャルエッテは睨むように凝視していた。
「……どうしたの、シャルちゃん? ……あそこに、何かあるの?」
「…………やはり、シロガネさんには見えていないのですね……。私はもう大丈夫なので、手を離して、私の前に立っていただけますか?」
「……っ?」
白鐘はシャルエッテが何を言っているのかがわからずに首を傾げながらも、肩にかけた彼女の腕をゆっくりと降ろし、言う通りに彼女の前に立った。
「少し失礼しますね……えいっ!」
「きゃっ!?」
突然、シャルエッテが杖を振りかざしたため、白鐘は驚いて咄嗟に手で顔を防いでしまう。次の瞬間、彼女の頭を緑色の光が覆う。
「……あつ!」
光はすぐに消えるが、頭の周りがじんわりと熱が篭ったように熱くなる。
「すみません、ちょっとした魔法をかけさせてもらいました。……後ろを振り向いていただけますか?」
白鐘は突然の事に驚きながらも、シャルエッテの言う通り、恐る恐る後ろを振り返った。
「っ――!? あれは……工場?」
彼女の視界に、先程までそこにはなかったはずの建物が映った。
工場と思しき建物は、遠目から見ても所々が崩れており、かなり古めの廃墟であろうことは一目で想像しえた。おそらく、この町にいくつも点在している打ち捨てられた工場の内の一棟であろうソレは、まるで幽霊屋敷のように、おどろおどろとしたその様相をもって聳え立っていた。
「……認識遮断の結界が張られていますね。あの結界内にあるものは、魔力を持たない、またはあの建物がここにあると観測した事がない人間では認識できず、視界に映らないようになっています。そこで、私の認識をシロガネさんと一時的に共有させたことで、シロガネさんの脳があの建物を認識して、視界に映るようにしました」
シャルエッテの説明だけではわかりにくかったが、あの建物が普通の人間には見えないようにされていた事だけは、白鐘にも十分理解できた。
「……あ、ありがとう。でも……わざわざあの工場に結界を張ったってことは――」
「……ええ。間違いなく、あそこが魔法使いの潜伏場所という事になりますね。先程の路地裏に残っていた魔力痕も、あの工場まで伸びています。それに――」
シャルエッテは続きを口にする前に、一旦喉に唾を流し込んだ。
「――とても小さいですが、人間と思わしき魔力をいくつか、あの建物の中から感じ取れます。この魔力の小ささはおそらく……子供のものと思われます」
「――っ!? それじゃあ、さらわれた子供たちはあの工場の中に……」
「間違いないでしょう……それに子供たちの中から、ユキちゃんさんの魔力も感じられます……!」
「……魔力を感じるって事は、夕紀ちゃんはまだ生きてるって事だよね⁉︎」
「その通りです……! ですが、この魔力量だとかなり弱まっているのもわかります。急いで回復させなければ、最悪衰弱死してしまう可能性も……」
「そんな……」
白鐘は絶望し、廃工場を呆然とした瞳で見つめてしまう。夕紀ちゃんを含め、路地裏の魔女によって連れ去られてしまった子供たちがすぐ近くにいるのに、身体は緊張で石のように動けなくなってしまっていた。
「…………行ってみますか、シロガネさん?」
同じく、目の前の状況に緊張していたシャルエッテがようやく振り絞れた言葉に、しかし白鐘はすぐには頷けないでいた。
「でも……あの中に路地裏の魔女がいるんだよね?」
「……いえ、魔法使いと思わしき大きな魔力は現在、あの建物からは感じ取れません。おそらくは留守にしている可能性があります……ユキちゃんさんたちを助けるなら、今がチャンスかもしれません……!」
「…………」
白鐘はしばらく考え――拳を握り締める。
ーー恐怖はあった。シャルエッテの言葉通り、今は路地裏の魔女が工場内にいないのかもしれないが、いつ戻ってくるかなんてわからない。万全を期すなら、先に境界警察にこの場所を伝えるべきなのだろう。
――それでも、見知った少女がいつ死んでしまうかもわからないこの状況を放っておけるほど、白鐘は冷徹にはなれなかった。
「……ひとまず、どういう状況になっているかを確認しに行こう。可能なら、子供たちもなるべく助けたい。……協力してもらえる、シャルちゃん?」
その言葉を聞き、シャルエッテは力強く頷いた。
「任せてください……。路地裏の魔女が戻ってくる前に、必ず助け出しましょう……!」
覚悟を決めた二人は音を立てないように、小走りで工場の入り口へと近づく。
廃墟となった工場は、入り口にあたるシャッターも老朽化で壊れていて、侵入は容易であった。屋根には大きめの穴が開いており、そこから射し込まれる日の光のおかげで多少薄暗いながらも、工場内の全貌は見られた。
ある程度片付いてはいるためか、所々に錆びたコンテナが配置されているものの、それ以外に目立った機具などは置かれていない。工場内は二階建てとなっており、中心の奥側には上へ昇るための梯子がかけられていた。
人の気配は特に感じない。二人は警戒しながら周りを見回しつつ、工場内を奥へと進んで行く。
「……子供たちの魔力は、二階の方から感じられ――シロガネさん、あそこ⁉︎」
声を抑えつつ、シャルエッテは二階の左端の方へと指を差した。
「……っ!?」
ーーその光景を目にし、白鐘は絶句して立ち止まってしまう。
二階の左端の角。日の光が当たらず、薄暗いその一角に、複数の人影が見られた。
子供だった――。複数人の少女が一ヶ所に集まって、一列に壁を背にして床に座っていたのだ。
少女たちは、いずれも瞳が虚ろげになっており、とても生気があるとは思えないほどに衰弱している。頬も手足も痩せこけ、その様はまるで、ゴミ捨て場に置かれたボロボロの人形のようにも見えた。
「……あの子たち、路地裏の魔女にさらわれた子供たちだよね? みんな……生きてるんだよね?」
「……子供たち全員から魔力は感じられるので、生きてはいるはずですが……いずれもかなり生命力を消耗しています」
工場に入る前のシャルエッテの状況説明から、子供たちが弱っているであろう事は理解していた。しかし、これほどまでに悲惨な光景になっていようとは予想できず、ただただ言葉を失うばかりだった。
二人が言葉を失いながら立っていると、彼女たちの耳に、小さく囁くような音が聞こえてくる。
「たす…………け…………て」
「ママ…………パパ…………」
「こわいよ…………おうち…………かえり…………たいよ…………」
それはーー少女たちの救いを求める声だった。誰に語りかけるものでもなく、おそらくは白鐘たちの存在にも気がついていない。それでもーー誰かが助けにきてくれる事だけを願い、少女たちはうわ言のように「助けて」と呟き続けていたのだ。
「こんなの…………いくらなんでもひどすぎる……」
白鐘は、視線の先の地獄のような光景に思わず目眩がしそうになり、せり上がる吐き気を、胸元を抑えることでかろうじて堰き止める。
「……っ⁉︎ シロガネさん! 一番奥に⁉︎」
「……夕紀ちゃん!! それに、香苗ちゃんも!」
子供たちが座っている一番左側の奥に、見知った二人の少女の姿を確認した。彼女たちもまた、見るからに衰弱した状態となっており、他の少女たちと同じように床に座り込んでいた。
ーー気づけば、白鐘の足は二階へと通じる梯子に向かって駆け出していた。
「シロガネさんーー⁉︎」
「待ってて!! 今助けに行くからーー」
「ーー可愛らしい仔猫ちゃんが二匹。こんな所で迷子かしら?」
ーーその女性は、まるで最初からそこにいたかのように、何の前触れもなく現れた。
「ーーっ⁉︎」
梯子の先、二階の手すりに寄りかかる女性の突然の出現に、白鐘は梯子の手前で驚いて足を止めてしまった。
「でも残念ね……愛でるには、ちょっと成長きすぎるかしらね」
全体に黒い羽根がビッシリと付いたローブを纏う金髪の美女は、妖しげな笑みを浮かべながら、二人の少女を値踏みするように見下ろしていた。




