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エンドレス・マジカルライフ  作者: 沖田一文
【第三章】学園長編
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第三章17話『ドイツロシア装甲連合軍vs.中国軍』

 2575年9月27日、神聖ドイツ=ローマ帝国となったドイツは日独露三国同盟を改めて日本とロシアと同盟を結びなおした。さらには、10月3日にイスラム帝国と同盟を結んだ。これは、イスラム帝国が日本やロシア、ドイツローマ帝国に資金や燃料などの支援物資を送ったことにより、アメリカの標的となったことが起因している。その翌日、アメリカは正式にイスラム帝国に対しても宣戦布告をし、空爆を開始した。これにドイツとロシアは戦車部隊を送り、連合軍としてアメリカ軍基地と飛来する戦闘機や爆撃機を駆逐した。10月12日のはイスラム帝国の安全を確保し、連合軍は東の中国へ進軍を開始した。10月26日、連合軍はインドに侵入し、戦闘となった。インドは、その後、日本艦隊やASEAN連合艦隊との戦闘もあったことから錯乱し、数日で戦車部隊の侵攻を許した。

 そして、11月4日に装甲連合軍は目的地である中国へと到着した。


 ドイツロシア装甲連合軍は、その名のとおりドイツとロシアの戦車を中心とした編成となっている。ドイツの場合、既にドイツ陸軍で編成されていたものからの編入であり、今のところ必要のなくなったA軍集団のアメリカ方面軍とC軍集団のイタリア方面軍から、東方軍と改称し、装甲師団のみをロシアとの共同編成とした。その際に、戦車の性能によって編成をし直し、主力戦車群と重・駆逐戦車群が5装甲師団ずつ、中・軽戦車群が10装甲師団からなる東方アジア遠征のための軍編成がなされた。各装甲師団は5戦車連隊100輌で指揮命令を確保するために国別になっている。また、速度を意識し、一つの装甲師団に一種類の戦車のみとなっていることがある。そのため、隊長車が敵だけでなく味方すらも分からなくなることがあった。そして、この装甲連合軍には補給部隊が存在しない。その理由は魔法というものがあるからだった。これによって侵攻に特化した部隊を作り上げることができたのである。


 連合軍はインドで二手に分かれて、高原草原地帯を通るシルクロードを行く部隊と東南アジアから中国の南側を突く部隊とに分かれた。そして、本日に至る。本作戦は共同作戦であり、ドイツとロシアだけの作戦ではなかった。同時に日本、韓国、台湾軍からなる極東連合軍も一度は中国の上海から撤退したが、本作戦で再び中国に上陸する機会を得た。上陸する場所は上海ではなく、香港である。上海は先の戦闘において防衛が鉄壁となり、突破は難しいということと、南寄りの方がドイツロシア装甲連合軍と合流する可能性が上がるということだった。そして、正午より侵攻が各方面で開始された。


 装甲連合軍を統べるドイツ側の指揮官はあの有名なロンメル将軍の血を引く『ナーハコメ・ロンメル(ロンメル将軍の末裔)』と称されるエドゼル・ロンメル中将であった。彼は東南アジア寄りの部隊を指揮する。彼はミャンマーとラオスの国境辺りから中国への侵入を開始した。中・軽・主力戦車や快速戦車BT-7を駆使して素早く周囲を偵察、その後ろをティガーⅡやT-10、IS-7などの重戦車群を続けた。国境ということだけあり、一応の戦力配備はされていたが、申し訳程度であった。草原地帯側の部隊を指揮するロシア陸軍のドミトリー・ポポフ中将とは西安付近で落ち合うことになっているが、ポポフ部隊は重戦車の比重が多く、到達するまでにはしばらくかかるとロンメルは見込んでいた。そのため、部隊の速力を信じて一度東側へ抜けて日本軍と合流することにした。そのためにまずは昆明市へ北上する。ロンメルはその付近に敵軍がいるのではと疑っていたのだ。しかしながら、実際はロンメルの予想をはるかに超えることになる。


 一方、シルクロードを通り、中国へやっとの思いで着いたポポフ部隊は、長期遠征で疲労が溜まっていた。しかしながら、作戦予定時刻があるため、ポポフ中将は兵たちをろくに休ませもせずに侵攻を開始した。しかしながら、そこに中国の主力部隊は揃って待ち構えていた。疲労で能力が低下しているポポフ部隊に対して中国の主力戦車部隊はようやく訪れた狩りの時間にやる気満々であった。さらに、地形についてあちらが圧倒的に知識を有していて、絶好の狙撃ポイントをおさえ、ポポフ部隊を蹂躙していった。ポポフは、装甲の弱い戦車を下がらせ、重戦車であるマウスや、T-15やT-14、IS-4などを前に出し、タンク役と強力な砲撃を担わせた。対する中国軍は大量生産された99式戦車による対戦車ミサイルを斉射した。ポポフ部隊は、砲撃によって数十輌の99式戦車を大破に至らせたが、残る戦車ミサイルで重戦車は走行不能に陥り、足止めを食らった。ポポフは早急に履帯修理を行わせ、中・軽戦車に、あまり意味はないが煙幕を展開させた。対して中国軍は通常の弾薬で砲撃する。ポポフ中将は、これ以上の戦闘は不可能とみて修理が終わり次第、後退を命じた。こうして、ポポフ部隊は、中国侵攻に失敗し、国境より後方に撤退した。


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