高村まごめ 後編
「まごめ、俺は」
「ストップ。わかってるから言わなくていい。みなとくん、こんなことになるなんて全然思ってなくて頭の中ぐちゃぐちゃになってるんでしょ? あたしもそんなにすぐ返事がほしいわけじゃない。ただ、知っておいてもらいたかった。あたしがどう思ってるかってことを」
完全に見抜かれていた。まごめの言うとおりだ。頭の中がぐちゃぐちゃになって、自分が何をすべきか、どうしたいのか、考えが上手くまとまらない。
「みなとくん、こっち向いて」
言われるがまま、横を向く。
そこには、今まで見たことのない、憂いや切なさのようなものに満ちたまごめの瞳があった。髪をおろしているため波のように広がっているつややかな黒髪。なめらかな肌をすべりおちる汗。
金縛りにあったかのように動けなくなる。目をそらせなくなる。俺は今、どんな表情をしているのだろう。
まごめのうるんだ瞳が、静かに閉じられる。桜色の小さなくちびるが徐々に近づいてくる。
ダメだ。流されてはいけない。こんな中途半端な気持ちのまま。
動け、動いてくれ俺の身体。後悔しないために!
「まごめ」
全身の力を振り絞っても、その一言しか発することができなかった。
でも、それで十分だった。まごめはハッと目を見開き、密着しそうになっていた身体を元の位置に戻す。
「ごめんね、つい、キスしたくなっちゃった。このチャンスを逃したら、もう二度と今みたいな瞬間はこないんじゃないかって思って。でも、こんな不意打ちみたいのじゃだめだよね」
まごめはそう言って、勢いよく立ち上がった。
スタスタと体育館の扉の方へ歩いていき、こちらに背を向けたまま、髪を結ぶ。
見慣れた後ろ姿が、なぜかまぶしい。
「にいちゃん、あたし、待ってるから。いつまでだって、待ってるから。心の整理ができたときに、お返事ちょうだいね。それまでは今まで通り家族でいよう」
そう言い残し、振り返ることなくまごめは体育館から去っていった。
あいつの義兄だというのに情けない。言葉1つ出てきやしない。いや、さっきのまごめは義妹としてではなく1人の女の子として真っ直ぐにぶつかってきたから、義兄だとかは関係ない、か。
俺はしばらくの間、無意識に額に手をあてながら、まごめの残り香を意識しないようにしつつ気持ちの整理に努めた。
今まで、まごめとそういう風になることなんてまったく想像してこなかった。
「どうすりゃ、いいんだ」
夕日が窓から差し込む時間まで俺は同じ体勢のまま、照明のついてない天井を見つめ続けた。返事はまだ、できそうにない。
その日の夜は、あまりに普通だった。拍子抜けするぐらい、普通だった。俺だけが1人別の世界にいる気分になる。
カナが夜ご飯を作り、俺とまごめと3人で食べる。まごめの方を盗み見るが平然としている。普段の様子と何も変わらない。
『それまでは今まで通り家族でいよう』という言葉は本気だったようだ。
「にいちゃんのからあげ1コもーらいっ!」
「あ、こらまごめ! 俺の好物と知ってなんて仕打ちを!」
それなのに俺が引きずって妙な雰囲気にするわけにはいかない。こいつらと一緒にいるときは考えないようにしないと。
「やっぱりカナちゃんの作るご飯は最高だなぁ」
「でしょでしょ~」
「……ねえカナちゃん、いきなりでごめんなんだけど、今日うちに泊まってくれない? ちょっと話したいことがあって」
「いいよ~。洗い物終わらせたら一旦家に帰って泊まりの準備してくるね。高村おじさん、おばさんにもメールしとく」
迷う様子など一切見せず、泊まりの手はずをととのえていく。
カナも俺たちのわずかな変化に気づいているのかもしれない。
まごめの話というのは十中八九俺のことだろう。
いつもは食後にまったりテレビを見るのだが、カナとまごめはまごめの部屋にこもってしまった。
1人でバラエティ番組を見ていてもどこか味気なく、借りてきたアニメDVDを見ても頭に入ってこない。
仕方なく風呂に入り、自室のベッドに寝転がる。時計の短針は9の数字を指していた。寝るにはあまりに早すぎる。
となりの部屋で行われているであろう会話の方へは極力意識を割かないようにしつつ、今日のまごめとの出来事を思い出す。
まごめは俺のことを異性として好きだと言った。なら、俺の方はどうか。
自分の気持ちも把握できないまま自問自答を繰り返し、気づけば俺は眠りへと落ちていった。




