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「黒縄」





 家の中はさらに音が無かった。完全に閉ざされた監獄の中、静かすぎて感じられる耳鳴りがより一層強くなる。何とも形容しがたい空気が漂っていた。淀んだ空気の流れまで目に見えるかのような、そんな不気味さに背筋が凍る。住む人がすぐに次々と変わってしまうのも納得だ。


 各所にある窓から入るほのかな月明かりだけが頼りの中、嫌な感じのする方向へと進む。

 耳をそばだて、肌から感じるその雰囲気をたどるとそれは二階から来ているようだった。すでに相手の腹の中なのだからそんなことは無駄だと分かってはいるのだが、極力足音を立てないように階段を慎重に上がってしまう。


 階段を上り終わると扉が二つある。より首筋がひやりとする感じを受けるのは奥の部屋だった。


 きぃっと小さく軋む音に冷や冷やしながらドアを開け、そーっと覗き込む。正面に見える窓の下あたりにぼんやりと白く光るものがある。驚きはしたが、さっきまで散々あんな化け物を目にしているのでまだ平気だ。よくよく見ると、子供だ。男の子のようにみえる。ぶるぶると震え、膝を抱えて座っている。


「この子が……」


 YOUに問いかける。いや、問いかけなくても分かっている。きっとこの子がYOUの言う本体。もう少し伸ばせば男の子の肩に手が届く。こんなに近付いたけれども何事もない。はじめは見下ろしていたが、いつしか僕は片膝をついて迷っていた。

 本当にこれがあの化け物なのか? 怯え、震え、泣いている。この手に持つ大きな凶器がしたことを思えばこの子を追い詰めているのは間違いなく僕だ。




「そうだ。さあ、貫け」

「できない……」

「何を言う…… お前も見ただろう。あの化け物の本体がこれだ。害以外何者でもないだろう……? 早くしろ…… 目覚めるぞ」


 わかっている。だが、僕はそんな簡単に動くことはできなかった。こんな子を害と断じて斬り裁く度胸が僕には無い。良心と言うか、常識と言うか、普通に暮らしていたらできるわけがない。


「…… ……」


 何かぶつぶつと言っているのが聞こえる。じっとして耳を澄ましてみる。


「怖い…… 怖い…… 知らない人が…… 熱い…… 熱い…… 怖い…… 熱い……」



 まさか四年前の事件の時の……?

 多分そうだ。僕に恐怖しているんじゃない。ずっとその時の悪意に怯え震えているんだ。


 そう感じた僕はなおのことレクイエムを振り上げることなんて出来なくなっていた。



「怖い…… 怖い…… お母さん、怖いよ…… 入ってこないで…… 入ってこないで…… 来ないで…… 


 来るな…… 来るな…… 来るな、来るな、来るな来るな来るな来るくるくるクルクルゥウウウぅ」




 最後のほうは何を言っているのかわからなくなり、突然身の毛もよだつほどの悲鳴のような声をあげ立ち上がった。最後のチャンスだったかもしれないのに、それに驚いた僕は思わず後方に飛び退き、間合いを取ってしまった。


「……まったく。来るぞ、さっきとは別次元だ。集中しろ」


 YOUが僕に警鐘を鳴らす。わかってるってさっきから何度も言ってるじゃないか。舌打ちをしてレクイエムを握りなおして正面に向き直る。その時、その子の顔をみた。


 焼けただれた顔の右半分は皮がはがれてしまっている。同じ側の腕も黒こげて、だらんとしてしまっている。反射的に嘔吐しそうになったのを必死に堪えた。あまりに痛ましい。



 そして、目が……

 白目の部分は真っ黒で、黒目の部分が白かった。


 決して出られぬ深い、深い闇の中に吸い込まれ、その底から見上げる月のよう……



 その様はあまりに恐ろしかった。


 起立し全身を硬直させた男の子は、突然脱力したかのように立ったままうなだれた。だらんと垂れていたその子の腕が突然伸びた。さっきの触手のように。本体だけあってやっぱり同じような攻撃方法なんだ。その腕は床に溶け込み、その先端はどこにも見えなくなった。


 突然左後方から現れ、僕の身体を引っ叩いた。かなり鋭い痛みがする。思わず苦痛の声がもれる。歯を食いしばって、叩かれた方向へ反射的にレクイエムを振るが空振り。今度は反対側から打たれた。移動速度がものすごく速い。上から、下から、自在に出入りする細くて黒い触手。月明かりも弱い暗い室内だから余計に判別しにくい。攻撃も速いからレクイエムで受けるのも上手くできない。たったの一本なのに、さっきまでの太くて白いものとはまったく違って相手にし辛い。打たれっ放しだ。このままでは危ない。


 体制を立て直すためにも開きっぱなしのドアから慌てて部屋の外に出る。だけど部屋の外にも黒い鞭が追ってくる。下の階に逃がさないつもりか、階段の最上段から現れ三、四発床を叩きつけた。

 もう一つある部屋に飛び込んだが、その部屋の壁から現れて打ち付けた。すぐさま引っ込んでは床から現れ打ち付ける。少しずつ目が慣れてきた僕は何とか叩かれっぱなしになることを防ぐことができるようになってきたが、素早過ぎる黒い腕を捉えることは全くできない。


 よく考えれば始めっからこの家の中はすべてあの男の子の体内同然。どこに居ようと関係なく僕を察知し、攻撃できるに決まっている。きっと腕の出現場所も任意だ。ここと思えば寸分違わぬところから現れる。はなっから無理ゲーを強いられている状態。庭の白い触手と別次元なんてもんじゃない。


 くそっ こんなことなら言われた通りにやっておけば良かった。


 息を整える暇も、作戦を練る暇もなく、僕はまたその部屋を飛び出し奥の部屋に戻る。しかし相変わらず防戦一方で一向に反撃の糸口をつかめないまま、疲弊していく。何とかならないかと本体の男の子をちらちらと観察し続けた。


 捉えきれない速さで右腕が動き回る一方、本体である男の子はその場から立ち上がりはしたが、壁を背にした状態でうなだれたまま一歩も動かない。黒い触手を牽制するためにレクイエムを振り回しながら移動し、その子をさらによく観た。



 背中から白い触手が何本も何本も生え、壁に縫い付けられている。



「動かないんじゃない……。動けないんだ!」


 気が付いた僕は一気に男の子に走りよる。腕を相手にするんじゃない。狙うのは本体ただ一点。僕の狙いを察知した黒い触手がものすごい速さで移動し僕の目の前に現れた。

 それぐらい読めている。打たれてからでは僕の腕の速さで追いつけないが、先読みして動いていれば制することくらい! レクイエムの柄で触手を払い、本体の背中と壁の隙間にレクイエムの刃を滑り込ませ、そして彼から生える根を下から一気に刈り取った。


 うなだれていたその子は目を見開いて反り返るようになり、同時に断末魔の叫び声が上がる。黒い触手も痙攣を起こしたかのように伸びきって動かなくなった。僕は続けて体をひねり、刃も柄も天井を素通りした大鎌を持ち直して男の子の胸を貫いた。




……


 ものすごい光が放たれた。部屋の隅々、床目の隙間に潜む影すら許さないほどの光。

 そして周囲に響く、どこか物悲しくも、心の中に溶けこむ旋律。



 その光と音の中、男の子がびくびくと身体を震わせているのがわかった。目から黒い涙が溢れている。


「……怖くない。怖くないから……。怖く……ないよ、もう…」


 左手はレクイエムを握ったまま、右手と身体で男の子を包んだ。


 光が弱くなっていく。それに伴い、だんだんと男の子の爛れた姿がきれいで健康そうな姿に戻っていく。恐怖に満ちていた表情はだんだん穏やかになっていく。

 光が完全に消え、静かになると、男の子はにこっと笑顔を見せた。その次の瞬間光の玉になって、レクイエムに吸い込まれた。




 レクイエムの刃は、今までに見たことがないほど、美しい黄金色になっていた。











……



「……まぁ、上出来だ。初めてのわりに、そして本体を相手にしても仕事を終えられたのだからな」


 作業を最後まで終えたところでYOUが話しかけてきた。はっきり言って、ものすごくしんどい。体力もそうだけど、精神的にも。そんな状態なのにYOUのお説教がはじまる。さっきの誉め言葉はなんだったんだ、まったく。やめてほしい。


「同じことがあったら、今度こそためらうな……。今言ったことを信じてな……」


 そしてまたしても回線を切ってしまったかのように一言も言わなくなってしまった。

 立ち上がって男の子が背にして座っていた壁の窓から外を見下ろす。ここから庭がよく見える。




……だからか。


 知らない人が入ってきたのが怖かったんだ……。自分を守りたかっただけ……。

 ただその思いが強すぎて……


……ありがとう。本当はとてもやさしいものだったんだ。

 あんな凶器の姿だったから今まで実感はなかったけれど。



 入ってきたところに戻る。驚いたことに切り裂いたはずのガラス戸は何ともなかったように閉まっていた。ひびも入っていないし、欠けもない。


……どうやって出たらいいんだ? あー、鍵開けて出たらいいのか。鍵は閉められないから開けっ放しになるけど。

 

 外に出て庭から建物の外観を眺めた。どこにも欠損はない。まわりの音も聞こえる。それにあんな叫び声が上がったと言うのに近辺には騒ぎもないし、どこの住宅も電気がついてもいない。ここに来た時のままだった。今晩のことが本当に幻だったみたいに思える。


 腕時計を見ると、時間がちょっとも経っていない。到着した時から10分と経っていない。あの子の魂を導いてから、あそこで休んで外に出てくるまでの時間とほぼ一致しているんじゃないだろうか。戦っていた間は時間が流れていないようだった。ますますさっきまでのことが無かったことのように思える。





……だけど黒い触手に強打されたところが触ると痛い。


 この世界には幻だったかもしれないが、僕自身にとってはまぎれもなく、現実だった。






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