殺戮ごっこ
「ええ構いませんよ、東風さん。でも、そっちの足跡は古いので、こっちのを追いましょう」
俺は東風が追おうとしていたイノシシの足跡とは、別のものを指さした。
「なんでそっちが新しいってわかるんだよ?」
「上に新しい葉が積もってないからさ」
その足跡の続く方向へと、俺は歩き始める。
「葉っぱが?」
「なるほど足跡が付いた後に葉が落ちたから、上に積もってたんですね。それに比べてこちらの足跡の上には、葉がまだ積もっていない」
段とは違い、脇で聞いていた東風は完璧に理解してくれていた。
「そうです。慣れた人なら足跡の深さから獲物の体重も測れるし、健康状態まである程度わかるんですが、俺にはとても無理ですね」
「そこまでわかるものなのですか!? ドラゴン・ザ・ドゥームには足跡追跡システムなんてなかったから、新鮮ですよこういうのは」
その時、段が杖で俺達の行く手を遮り、遠くの木を顎で指した。注意深く森を観察すると、木の陰からイノシシの足が僅かに覗いているのがわかる。東風さんは黙って頷いて覆面を被ると、胸の前で手を数回組んでから静かに地面に沈んでいく。
「むぐっ!」
驚いて声を上げそうになった俺の口を、段が塞ぐ。よく見ると東風さんは、地面ではなく自分の影に吸い込まれていた。完全に影だけになってしまった東風さんは、音もなく、そして高速でイノシシの方に向かって行く。
『プギィッ!』
イノシシの悲鳴とともに木の陰から覗いていた足から力が抜けて持ち上がり、イノシシを肩に担いだ東風さんが姿を現した。
「肝心なとこで声を出そうとしやがって、世話のやける奴だな」
俺の口を大きな手で塞いでいた段が、ようやく開放してくれた。
「おい、さっきのあれなんだったんだ?」
「忍術だよ。お前、初めて見たのか?」
段の声は、それがさも当然というふうに、落ち着き払っていた。
「ああ、初めて見たよあんなの。そもそも忍術って何? 魔法の一種?」
「魔法とはちょっと違いますね。
先ほどの技は臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前の九つの印を決まった順に組み合わせ、チャクラを利用して行う術の一種ですよ」
東風が、こちらに向かってノシノシと歩きながら教えてくれる。もっとも俺は、チャクラがなんなのかさえ知らないのだが……。
近くでイノシシをよく見ると、首があらぬ方向を向いていた。恐らく影の中から近づいて組み付き、首をへし折ったのだろう。
「気配に敏感ですぐに逃げてしまうのならば、気配を完全に殺して近づけばよいと考えたのですが、大正解でしたよ」
確かにイノシシの勘がいくら優れていようとも、影の中から大男が出て来てはどうしようもなかったろう。もし自分が同じことをされたらと考えて、俺は少しぞっとしていた。
※ ※ ※
ギャラリーの手すり越しに、一階の訓練場を眺める白いスーツの中年紳士と、ローブ姿の老魔術師。それはこの館の主ボイルドと、召喚士グラウムであった。眼下の訓練場には、次々とまるで生き物の様に動く銅の人形達が手に剣や槍を持ってなだれ込み、それを沢田達五人が鈍い金属音と共に破壊している。彼等が人形を残骸に変える度、周囲の召使達が黄色い声で歓声を上げていた。緑の法衣に身を包んだ桜井だけが、相変わらず訓練所の端で、導師と共に魔法の教習を受けている。訓練所の床は、胴の人形から漏れ出た、油とも泥ともつかぬ液体で赤茶色に染められていた。
グラウムはまず、リーダーの沢田浩二を指さした。午前同様、赤いジャケットに白い鎧。だが、その顔はすっかり爽やかな少年へと変貌を遂げていた。沢田は炎を纏った剣を振るい、次々と銅の人形を溶かしていく。
「沢田のスキルは、武器に様々な属性の魔法を纏わせる能力。炎、氷、雷、光、そして闇の魔法をも剣に付与できます。スキルを使いこなせるようになれば、付与した魔法を更に巨大化させる事もできましょう」
グラウムは次に、新山高志を指さす。彼もまた午前中同様、紫の鎧に黒いコート姿だが、顔はやはり別人ようで、目つきはまだ少々キツいもののニヒルな少年といった風だ。眼鏡も付けておらず、視力の回復もできたようである。彼がその手に握った片刃の剣は、その刃を魔法で無数に分身させ、銅の人形達を粉々に切り刻んでいく。
「新山の能力は、無数の魔法の刃を作り出し操る事。今はまだ、手にした剣を模して作るのがせいぜいですが、そのうち手に何も持たずとも、魔法の刃を自在に操れるようになるのではないかと思われます」
「見事なものだ……」
「新山がですか?」
グラウムは怪訝な顔で、ボイルドの顔色を伺った。
「いや、あの銅のゴーレムの事だ。もう肌の色以外は、人間と遜色ないではないか」
「前回のバージョンと比べ、動きも人間にかなり近くなっておりますからな。これから想定しうる事態に向けた訓練としては最適です」
続いて高木を指さしたグラウムの顔は、いつになく渋い。
「高木は、身体能力の強化にも秀で、魔法の光弾を作り出す能力も優秀なのですが……」
「天砕拳!」
突如、大声が訓練所に響き、銅のゴーレムが、高木のジャンピングアッパーカットで真上に吹き飛ぶ。高木もまた午前中と同様、白のVネックの上着とズボンに赤のアンダーシャツと金の防具だが、その顔は若干幼さを残したワイルドな好青年へと変わっていた。
「おい、台風キックの再現はどうしたんだ?」
「ありゃ駄目だ。目が回るし当たらねぇよ」
意地の悪い顔で新山が尋ね、不真面目に高木が笑い、それを見たグラウムは肩を落とす。
「……あのバカさ加減でして」
「まぁ、大目に見てやるとしよう」
ボイルドは高木を一笑に伏し、小島と三矢の方に目を向けた。小島も午前同様シャツとズボンの上からオレンジのアーマーを付けているが、ズボンがホットパンツに代わり、ももが露わになっている。体型がスリムになり、肌を出す事に抵抗がなくなった故であろう。三矢は白いシャツとスカートの上から水色のアーマーは相変わらず、しかしもう頬もこけておらず、体の肉付きも良くなっていた。彼女達は、炎の鞭と氷の槍を使い、銅のゴーレムを溶かし、凍らせ、破壊してゆく。
「彼女達は炎と氷を操る能力。今は各々特定の武器を模さねば思うように操れぬようですが、いずれその能力に習熟すれば、形は自在となりましょう。そして、桜井ですが……」
グラウムは、訓練所の端で魔法の指導を受ける桜井の方に顔を向ける。彼女も美容系のスキル能力を受けた筈なのに、今までとさして印象が変わらない。元々暗い顔と、それを隠す前髪だけが彼女の美を損ねていたのだから、大して影響がなかったのだろう。
「彼女は魔力が強く、また魔法の才に優れ、すでに回復魔法をいくつも習得しております。特殊スキルは魔法の射程を伸ばす事。接触せねば効果を発揮しない回復魔法も、彼女なら数十メートル先からかける事ができます」
「しかし、それならマジックアーチャーのヒールアローで事足りるのではないか?」
手すりに肘をついたボイルドは、眉をひそめつつ、グラウムに顔を向ける。
「マジックアーチャーの場合、ヒールアローを味方に命中させる必要がありますが、桜井の場合、狙いを定める必要すらありません。
それに、敵の生命力を一目で測る能力も持っておりますので、後衛には最適な人材です」
「時間を掛ければ、攻撃魔法も覚えさせられるかもしれんし、使い方次第というところか」
「左様にございます。ただ、魔力が強い分、肉体の強化は殆どみられませんでしたので、狙われぬよう、気を遣わねばなりませんが」
ふむ、と頷きながら、ボイルドは左手のドアに向かって歩き出す。そこには訓練所が見下ろせる部屋があり、窓も分厚い硝子で外に音が漏れぬようになっていた。ボイルドは部屋に入ると、その分厚い硝子のハマった窓の隣の席に座り、グラウムもそれにならう。
「それにしても、奴等のはしゃぎっぷりときたら、どうだ? これが人殺しの訓練とも知らずに……」
「遊び感覚で人殺しの予行演習を繰り返しておりますからな。このまま明日にはスライム、明後日には獣、そしてその後は亜人種との戦いも経験させる予定でおります。しかしそれでも、万が一ラーグの召喚した四人と戦う事になったとして、躊躇なく殺せるかどうかは賭けになってしまいますな。なにせ今回は、訓練期間が短いですから」
「その分は、こちらでカバーしよう。知ってるかグラウム、日本からの召喚者共は、自分で物事を考えようとしないのだ。常に常識に従い、自分より権威・見識のある者の考えに従い、周囲の者達の顔色を伺って逆らわないようにしている。いつも自分より目上の者を頼り、自分達独自の考えを持って逆らう事を悪とさえ思い込んでいるのだ。
そして、この屋敷の常識はフレイガーデンの常識であり、ここで最も権威があり彼等が頼っているのはこの私だ。彼等の周囲を固めているのも、私の部下である召使達。期間は短くとも、殺しに必要な価値観は刷り込めよう。おまえは訓練に集中してくれればいい」
「恐れ入ります。それにしても……」
グラウムは変貌した六人の顔を見渡した。
「いつもの事ながら呆れてしまいます、みな、まるで別人のようになっているではありませんか。美容系スキル恐るべしでございますな」
「ほう、その歳で色気づいたかグラウム?」
ボイルドが微笑み、頬を赤らめたグラウムは、言葉も忘れてただ勢いよく首を振る。
「ふふ、グラウムよ、我々がどんな人物を見て美人と判断するか、その根本的な基準を知っているか? それは健康である事だ。体が病んでいれば、それが何らかの形で顔に出る。我々はそれを見て、その異性が子孫を残すパートナーとして相応しいか判断しているのだ。だから、小作りの適齢期を超えた事を示す老いも、醜いものとして認識する。
異世界からこの世界に来た時、召喚者共はマナによって肉体に変化が現れるが、それと同時に元の世界で溜め込んだ体内の毒素も浄化されておるのだ。ただし、浄化されたとてすぐに健康体になれるものではない。内面の健康が表にあらわれるまでには、それなりの月日が要る。これを短縮させる能力を、美容系特殊スキルと名付けたに過ぎないのだ」
「裏を返せば、元の世界で彼等はそれだけの毒を貯め込んでいた、ということですかな?」
「健康を保つに必要なものの第一は、まず精神面の安定。これはもう言うまでもないだろう。奴等は元の世界で晴らせぬ鬱憤を貯め込み続けていたのだ。精神に引きずられ、肉体にも多大な悪影響が奴等には出ていた。『病は気から』とは良く言ったものだ。特殊スキルを自慢して憂さを晴らせる手段を得た今、もうその心配もないだろうがな。
そして、健康の秘訣の第二は、何と言っても食事だ。ソムルス教では『与えられし糧を我らの光とする事を許し給え』と、食物を通して神の光が自身に届く過程の重要性を……つまりは自身に届く途中で食物を汚すものがあってはならぬと説いているのだが、奴等の世界にその教えはないとみえる。奴等の世界の食事を再現した結果、その中にトンデモない物が山ほど混ざっていたのだからな。
一つ例を挙げると、甘すぎてまともに飲めぬほど濃い砂糖水に、果物の果汁から抽出した酸味を加えた飲み物だ。たしかに爽やかな酸味によって、味だけは舌の肥えた貴族達でも唸らせるほどに良い。だが、そんな物を日常的に摂取していて無事では済むまい。若い内ならば、その悪影響は目立たぬであろうが、年齢を重ねると共に深刻な事態を引き起こすだろう。私が日本の支配者なら、薬屋と手を組んで大儲けを企むところだ。当然、こんな物を召喚者共に与えるつもりはない。
最後に適度な運動……、つまりあれだ」
楽しそうにゴーレムを破壊する沢田達をボイルドは見下ろし、鼻で笑う。
「奴等の世界には、スマフォやテレビなど怠惰を促す道具が数多く存在したが、この世界にそれはないし、魔道具で再現する事もできなかった。幸いにも、な。
まぁ、昨日はそのスマフォがない事については不満を漏らされてしまったが、『異世界転生』などと、奴等は美人に生まれ変わる事に執着しておるのだし、それと引き換えなら些細な問題であろう」
「これも、召喚者達の忠誠を、絶対のものとするためでありましょうか?」
「それもあるが、影に潜む我々の代わりに、奴等は表立って活動の代行をするのだ、サーシャと同じ様にな。だからその表看板は、立派であるに越したことはないという訳だ。見る者への心理的効果もある」
「しかし、各国への広告塔として宣伝に使う召喚勇者は、特に能力に優れたごく一部の者、あの六人の中にその候補がおりましょうや?」
「劣等感の強い者、とりわけ自身の特技を劣等感から逃れる手段としている者達は、より優れた能力を持つ者に異常なほど嫉妬する。だから沢田達も、自分より優れた特殊スキルの使い手に会えば焦り、更なる劣等感に再び苛まれ、彼等を超えるべく必死にあがく。そうなった場合、あの高木という男などは、少しは見どころがあるやもしれぬ」
「あの高木がですか? 奴は武術の指導者を付けても『我流がかっこいいのだ』と一顧だにせず、派手に見える技の追及ばかりをしておるのですぞ」
「その何も考えていないところがいいのだ。『下手の考え休むに似たり』というが、始める前からあれこれ考えて不安に駆られ、結局挑戦すらせずに終わってしまう。これは愚民共に、よくある事なのだ。
だが奴は、根拠がない自信によってそれを最初からクリアしている。いや、そもそも自信を持つのに根拠などいらんのだ。自分を、そして自分の可能性をどこまでも信用しきる信仰心こそ肝要だ。そして、それがまだまだ不足しておるからこそ、残念ながらあの高木もまた、すぐに挫けてしまう事だろうがな」
無邪気に胴の人形と遊ぶ高木を、ボイルドは嘲笑の笑みを浮かべ窓から見下ろしていた。




