蒲生へ。五人の貴公子らの機転
ヘイアンは今や、戦の真っただ中である。
麒麟が発令した鷲尾院討伐の詔により、都を中心に麒麟帝を守る勢力と、鷲尾院の息が掛かった烏丸衆率いる北面の武士団が、各地で争いを繰り返している。
摂津のとある港町、旅館の一室——。
麒麟らと共に、摂津に逃げていたカーヤとフォルダンと合流したレイベスは、月へ帰るための術を伝えた。
「——満月の夜までに、ヘイアンは南方、蒲生の大楠に辿り着かねばなりません。次の満月を逃すと、あと三十日は帰れなくなるとのことです」
「かものおくすり?」
フォルダンが首をかしげる。その脳裏には、“鴨のお薬”が浮かんでいる。
「蒲生の大楠じゃ。筑紫島が南方に位置する、蒲生神社に生えるとされる、樹齢数千年の大楠。されど其処は、今や鷲尾院が支配する隼人族が治めておる地じゃ。摂津から船で蒲生に入るにしても、危険極まりないのう。さて、如何するか……」
実泰が、じっと考えを巡らせる。その隣では、浄照が今回の戦について考察していた。
「鷲尾院の背後に烏丸衆がおるとは言え、元より武家ではあらぬ烏丸衆が、帝不在の最中に戦を仕掛けるとは、此度の戦は、何とも不穏じゃのう。戦力など、天と地ほどあると言うに、何故再起を計ろうとしたか」
実質軍議のような雰囲気の中、「——して、宮様は何故此方側におられますかな?」と、浄照が不意に石切皇子に話を振った。
「わ、わしはっ……」
石切皇子の後ろには、しれっと四人の貴公子らの姿もあった。
「宮様は鷲尾帝の時世より、東宮であられた御方。当然、彼方側に御味方すると思うておりましたが」
「烏丸衆とも、根深い仲なのでは?」
実泰も嫌味宜しく言う。あれだけしつこく求婚してきた五人の貴公子らに、カーヤも嫌気がさしている。麒麟の子を身ごもっているカーヤの大きな腹を見て、石切皇子は、ぽつりぽつりと言った。
「……わしは、此の世の美しいものが、何よりも愛おしく思える。ゆえに、かあや姫がことも、何としても我が手に入れたいと思うておった。されど鷲尾院は、かあや姫らを狩ろうとしておられる。此の世のすべての美を壊さんとする鷲尾院に、反旗を翻しただけじゃ」
「我らはただ、愛する女人を守りたい——。ただそれだけにございまする!」
回りくどい石切皇子にじれったさを感じ、四人の貴公子を代表して、右大臣・矢部御主人がその真意を伝えた。
「っふ。右大臣の方が宮様より、熱い想いを抱いておりまするな」
浄照が幼い頃から見てきた石切皇子——鷹宮に、ちくりと嫌味を言った。バツが悪そうにそっぽを向く石切皇子。その視線の先に、身重のカーヤを労わる麒麟の姿があった。
「兎にも角にも、今は急いで蒲生へと渡らねばなりますまい。院に知られる前に、何としても御三方を、蒲生の大楠へとお連れ致しましょうぞ」
貴族でありながらも、武人の佇まいを見せる実泰が弓を持ち、ぎゅっと弓籠手を引いた。
筑紫島は最南端に位置する蒲生神社を目指して、麒麟帝一行が、商船にて隼人族が治める港町に入港した。港町を警備する役人らは、鷲尾院の息が掛かった者らであり、商人に扮して上陸した一行を、怪しむ視線が見て取れた。
「——そこの者ら、合印を見せろ」
「合印?」
はて、と深く笠を被る実泰が、声を掛けてきた役人に振り返る。先頭に立つ浄照が、じっと二人のやり取りに耳を澄ませる。商人に扮する麒麟やレイベス、フォルダンも、運んでいた手押し車をぐっと掴み、息を呑んだ。その中に、月と地球の武器一式と共に、カーヤが隠れ潜んでいる。
「そうだ。筑紫島に入る者らは、如何なる身分の者であっても、鷲尾院の合印が必須となっておる。商人ならば、通告があったであろう?」
「ああ、合印。忘れておりました」
そう言って、実泰が懐を探る。
「あれ? おかしいな。確かに此処に入れておったのだが」と、子芝居が始まった。
「おい、如何した? 早く合印を見せろ。合印がなければ、此の先に通すことは出来ぬ」
「おかしいな? 確かに先程まで此処に……」
とぼける実泰に、疑いの眼を向ける役人が訝しがる。
「怪しいな。それに、その荷は何だ? 貴様ら、何を運んでおる?」
役人の視線が、布に覆われた手押し車の荷物に移った。その中に隠れるカーヤにも緊張が走る。
「……殺るか、ベス」
「今ここで騒ぎを起こすわけにはいきません。ここは耐えるんです」
フォルダンとレイベスが、ひそりと話す。
「合印がなければ、貴様らの身分を明かせ!」
「身分? はて、どう己の身分を明かせば良いのやら? うーん、困りましたなぁ」
「とぼけるでない! さては貴様ら、帝の手の者らだな! この荷は武具かっ……」
そういきり立ち、役人が緊急を知らせる笛を鳴らした。
「——おおおお、如何したのじゃ、そなたら」
そこに、後ろからやって来た五人の貴公子らが姿を現した。彼らもまた、笠を被っているが、さっと顔を露わにした高貴な公達らが、
「……此の者らは、わしらの鷹狩の道具を運んでおるだけじゃが、如何した?」と、役人相手に凄む。
「なっ……、鷹狩?」
「そうじゃ。のう、車無皇子」
「ええ、左様にございまする、石切皇子様」
「皇子様……方?」
「ああ。わしらは、鷲尾院の甥に当たる者。此度の戦勝祈願がため武運を高めんと、此の地にて鷹狩を命じられたのじゃが?」
「なっ、鷲尾院御自らが命じられたのですか?」
「そうじゃ。ゆえに、此処は通させてもらうぞ?」
すんとした表情で、皇子ら公達が通っていく。救援に訪れた他の役人らに向け、「どかぬか、皇子様の御通りぞ!」と先頭を行く浄照が声を張って、大手を振って歩いていく。
「公達の御渡りじゃ。頭が高いぞ?」
先程まで子芝居を打っていた実泰が、にっと笑って挑発した。
「……っ」
役人らが頭を垂れ、平伏した。
「——ふふ。少しだけ気分が良いわ。貴方達も、やる時はやるのね」
脅威が去り、手押し車から顔を出したカーヤが、五人の貴公子らの機転を称えた。
「わわわっ……! 初めて、かあや姫が我らに微笑んでくださったぞ!」
大納言・小判御行が、嬉しそうに中納言・石下麻呂の肩を揺らす。
「か、かれんじゃあっ……」
石下麻呂も天にも昇るような思いで、カーヤの微笑みを目の奥に刻んだ。
「おおげさね。まあ、今は貴方達の身分が頼もしく思えるわ。最後まで、しっかりと私達を守ってちょうだい」
その上から目線のお願いにも、ズキュンと、五人の貴公子らの心は射貫かれた。
「……かあや、あまりこの方々を調子づかせない方が良いよ」
「あら麒麟、それは嫉妬かしら?」
「あれだけ嫌がっていたくせに、調子が良いんだから」
うふふ、と笑うカーヤに、麒麟が大きく溜息を漏らす。
「そうじゃのう、あまり調子に乗らぬ方が良いじゃろう」
先頭を行く浄照は、背後から追いかけてくる異変に気が付いていた。
「……やはり、すぐにバレたか」
事態をおかしく思った役人らが、アルテノにより火の国の技術を持つ鷲尾院に、すぐさま状況を伝えていた。追っ手が差し迫る中、「走りますよ!」と手押し車を引くレイベスが、号令をかける。一行が一斉に走り出すも、十数人もの追手がすぐに追いかけてきた。
「わしが残るっ、先に行け……!」
カーヤらを追っ手から遠ざけるため、石切皇子が、さっと背後に振り返った。
「義兄上様っ……」
「行け、車よ。手筈通りにな」
「……っ、必ず生きてまた逢いましょうぞ!」
走りゆく一行に目を向け、石切皇子が、そっと笑みを浮かべた。
「さて、此処からが戦の始まりじゃ。叔父上に御会いするのは、久方ぶりじゃのう」
緊張した面持ちで、石切皇子が追っ手に向かい、投降する。立ち止まった追っ手らに向かい、言った。
「わしは石切皇子じゃ。叔父上に取り急ぎ報告せねばならぬことがある。彼の者らを追う必要などない。わしから、かあや姫ら月の者らの目的地を、御伝えしようぞ」
思惑宜しく笑う、石切皇子。
「……誰がかあや姫を月に帰すか。かあや姫は、わしのものじゃ」
独占欲を見せる石切皇子が、追っ手らの前で、ひっそりと笑った。