父の愛
『美麗狩り』の詔が宣言され、禁中では、鷲尾帝を担ぎ上げる烏丸衆一派の勢力が強まり始めた。元々、桐緒の上が契った相手が、烏丸衆の誰かであるという噂がまことしやかに囁かれていたが、母后を失っても鷲尾帝の権勢が衰えなかった理由は、そこにあると考えられていた。諸国全般にて、日々、烏丸衆による『美麗狩り』が行われた。何の謂れもない、美男美女とされた民らが処刑されていく。その脅威は容赦なく禁中にも伸び、見目麗しい女官や、勇猛果敢な武人らが命を落としていく。しまいには、『美麗狩り』の魔の手から逃れようと、自らの顔を焼き、醜くなることを選んだものも少なくない。親が我が子の顔に傷をつけることもあった。そんな地獄のような現世に、水影と安孫の二人が、それぞれの父の前で、直訴した。
「——斯様な勅命など、すぐに取り下げられよ」
静かに怒りを向ける水影に、晴政が向き合う。
「幼子による、一時の戯れじゃ。もう暫しすれば、飽きるじゃろう」
「戯れ……? 斯様な残酷な戯れを、禁中は良しとされるのか!」
「落ち着かれよ、水影殿。我らも心苦しゅうあるのじゃ」
鼻息を漏らす道久に、「いくら何でも、やりすぎにございまする、父上」と安孫も怒りを抑えきれていない。
「我らも幾度となく諫めたのじゃ。されど、主上を御止めすることは叶わんかった。何故か分かるか、水影」
晴政に訊ねられるも、「左様な胸糞など、分かりとうございませぬ!」と、断固回答を拒絶する。
「……そなたには、分からぬであろうのう、水影」
「如何いう意味にございましょう?」
「そなたには、純然たる親の愛が分からぬのだ」
「愛……? 私が禁中に何をさせられてきたか御分かりのくせに、一体どの口が親の愛などと仰せになるのかっ……」
「水影殿、落ち着きくだされ……!」
三条親子を仲裁する安孫に、「……我らとて、これ以上主上の我儘を容認などせぬ。時機を見て、動くつもりぞ」と覚悟を決めた道久が言う。
「禁中の闇に掬う烏丸衆諸共、主上には政から身を引いていただく。新たなる帝を奉り、その帝の勅命をもってして、遠い地へと御移りいただく算段でおるのじゃ」
「新たなる帝……? よもや東宮、鷹宮様にあらぬでしょうな?」
東宮とされた鷹宮は、すっかり女人との戯れに興じ、政になど、一切の興味を示していない。鷹宮が嫌いな水影が、断固拒否する。
「我らとて阿呆ではない。次期帝は、時宮様じゃ。癪じゃが、あの悪戯こぞ……御方しかおらぬであろう。ゆえに苛立つでない、水影。もうちと、安孫殿を見習うのじゃ」
父に諫められ、不服そうに水影がそっぽを向く。
「まったく、親の心も知らないで……」
我が子を守りたい一心の晴政が、どっと疲れて吐息を漏らす。
「時宮様が帝に即位された暁には、そなたら同年代の者らが、あの御方をお守りするのじゃぞ。良いな、安孫。水影殿も。我ら先達からの助言として聞いてほしい。……良いか、いくら帝が相手であろうとも、間違うておることには、しっかりと間違うておると進言せよ。帝が危険なことをしようものならば、危ないからやめろと諫めるのじゃ。左様な者こそが、帝の側近に相応しい。我らは、あの幼子の闇を甘く見ておった。生まれつき左目に難を持たれておる帝が、何故斯様に美しいものを憎むのか、その心に掬う闇を、気付けずにおったのだ。ゆえに、我らの罪は大きい。時宮様が即位された暁には、我らともに、鳥かごの中で鷲を見張る覚悟ぞ。ゆえに、後の世を築くは、そなたらじゃ。そなたらであらば、時の世に安穏をもたらす瑞獣となろう」
「ずいじゅう……?」
初めて聞く言葉に、安孫が首をかしげる。
「鳳凰や九尾の狐など、帝を守護する獣のことにございますよ」
隣から説明され、はっと安孫が無知を恥じた。
「……そなたは水影殿を見習うのじゃぞ、安孫」
ちくりと道久から諫められ、「うむむ……」と安孫が頬を掻く。
「我らが必ず玉座から鷲を引きずりおろそう。ゆえに、そなたらは静観せよ。決して鷲の目に触れることなきようにな」
その言葉に、ようやく水影と安孫は、父らによって、我が命が保たれていることに気が付いた。
「……御意」
親の心を知ったことで、どうにか帝の横暴にも、ぐっと耐えることが出来た。