日輪に差す闇
蝦夷討伐から帰還した春日安孫を、父、道久が宮中にて迎え入れる。戦にて大勝利を収めた安孫の堂々とした凱旋に、「あれがそなたの幼馴染か」と時宮が水影に聞く。
「……はあ。無事帰還されましたな。名誉の討ち死にを望んでおったのに……」
ぼそりと呟いた水影に、「まあ、あれは何があっても生きて帰ってこよう」と時宮が、父の前で嬉し泣きを見せる安孫を見て、そっと言った。
「——これが、主上が勅命か?」
別室にて二人きり、晴政から詔を見せられた道久が、ごくりと固唾を呑む。
「そうじゃ。胸糞じゃろう?」
「胸糞どころの話ではなかろう! 何じゃ『美麗狩り』とは! 左様に美しいもの、麗しいものがお嫌いならば、ご覧にならなければ良いことだけぞ! それをこの国がすべての美男美女を捕らえ、処刑せよとは、この世を生き地獄にされるおつもりかっ!」
憤りが治まらない道久に、「然もあろうよ」と晴政が疲れた表情で頭を抱える。
「何じゃ、晴政。眠れておらぬのか?」
「……斯様な馬鹿げた詔などあってはならぬと進言したのじゃが、聞く耳すら持たれぬ。我が命を懸けて、夜通し撤回の意向を示されるよう諫めたが、無理じゃった……」
「晴政……。御前一人でどうこうなる話ではあらぬじゃろう。何故わしを呼ばなんだか」
「御前は既に、戦場におる嫡男殿の無事を夜通し祈願しておったであろう? これ以上、摂政殿に無理をさせるわけにはいかぬでな」
茶化すように笑うも、「……すまぬ、晴政」と道久が頭を垂れる。穏やかに晴政が笑う。
「無事嫡男殿が帰って来られて良かったのう、道久」
「ああ。蝦夷討伐にて討ち取った首級は、安孫が一等じゃった。座学からは逃げまどうておったくせに、戦となると、人が変わったようになるでな。まったく、もうちと三条家の水影殿を見習うてほしいのじゃがな」
「なあに。あれもあれで強情よ。わしのことを大いに憎んでおるでな。あの年で既に達観してお……ごほっ……」
俄かに咳き込んだ晴政に、「無理をするでない、晴政」と道久がその背を摩る。掌についた血反吐を握り、晴政が、じっと前を見据える。
「……っ、大事ないっ……。されど、斯様な胸糞を、罷り通すわけには、いかぬな……」
「ああ。安孫も無事に帰って来たところじゃ。次なる帝を、我らがおる内に決めなくてはのう」
道久もまた、鷲尾帝をその地位から引きずり下ろすため、腹の中に覚悟を決めた。そこに、突如として姿を現した鷲尾帝。二人に緊張が走る。平伏し、その言葉を待った。
「……我が詔を、我が手にて、発動させよう」
恐れていた事態に、正義を貫きたい晴政が口を開く。
「帝が『美麗狩り』など許されませぬ。今一度、御考えを改められませ」
「三条」
「……は」
「そなたの子は、綺麗な顔立ちと聞く。真か?」
「なっ……にを、仰せにっ……」
「春日」
「……は」
「そなたの子も、武人として麗しかろう」
帝の言わんとしていることを理解しているからこそ、「我が子は、粗暴にて」と否定する。
「……嘯くでない、春日。三条も良う聞くのじゃ。我が勅命『美麗狩り』を遂行せよ。帝直々の命じゃ。背けば、そなたらの子から、見せしめに処刑しようぞ」
幼子からの脅しに屈するしかない、道久と晴政。断腸の思いで、「……御意」と呟いた。
「——そなたが春日安孫、道久が嫡男か」
突然目の前に現れた公達に、思わず安孫は目を丸めた。
「さように、ございまするが……。貴殿は……?」
「俺か? 俺は時——」
「亡き夕鶴帝が御継子——時宮様にございますよ、安孫殿」
二人の間に割り込んだ水影に、「何処に居られたのか、水影殿! もしや時宮様の背に御隠れになられておいでだったか。いやぁ、気付きませなんだ」
悪気なく明るく笑う安孫に、水影がイラっとする。
「ほう? それは私が小さいと、そう仰せか?」
「いやいや、ははは。この感じ、懐かしゅうございますな」
「俺を差し置いて、二人で話すでない!」
置いてけぼりの時宮が、不意に不機嫌オーラを放った。
「も、もうしわけございませぬ! 改めて、春日道久が嫡男、春日安孫にございまする。時宮様におかれましては、ご機嫌麗しく、……? 時宮様? あれ、夕鶴帝崩御の知らせは届いておったのですが、今は時宮様の御時世ではあらぬのですかな?」
「何を仰せか。今は鷲の時世ですぞ」
「鷲……? ああ、鷲宮様のことですかな。成程、夕鶴帝の跡を、弟君が継がれたのですな。いやぁ、面目次第もありませぬ。戦場におっては、世間にとんと疎くなるものにございまして、すっかり時宮様が世と勘違いしておりました」
はははと笑う安孫に悪気がないと分かっているからこそ、時宮も怒れない。ただ水影は、すべての想いを代弁するかのように、安孫の足を踏んづけた。
「いっ……水影殿、何をっ……」
「煩うございます。貴殿はもう何も喋られますな」
顔に真っ黒な影を差して、水影が言う。
「よい、水影。それよりも、そなたも色男よのう、安孫。惚れ惚れするほどの美丈夫よ」
鍛え上げられた筋骨隆々の体に触れながら、時宮が褒める。
「い、いやぁ! 某など、時宮様と比べるも恐れ多くございまするが、宮様こそ、都一、いやこの国一等の美丈夫にございまする」
眩しいくらいの笑顔に、時宮も、すっかり安孫を気に入った。
「水影も綺麗な顔立ちをしておるし、我ら三人で、宮中耽美衆でも立ちあげるかのう」
「耽美とは、些か気恥ずかしゅうございまする。それよりも——」
水影の言葉を遮るように、「主上の御前じゃ! 皆の者、平伏せよ!」と禁中から言葉が上がった。さっとその場に平伏した時宮らの前に、颯爽と鷲尾帝が姿を現した。その背後に、道久と晴政が深刻な面持ちで立っている。
「父上……?」
只ならぬ空気を感じ取った安孫と水影が、互いに視線を交差させる。その後、『美麗狩り』の詔を宣言した道久と晴政によって、人々は恐怖のどん底に突き落とされたのである。