エピローグ 新たな門出
緑豊かな町、ピッツァ。
冒険者ギルドに併設された食事処“バリスの都”は、今日も例に漏れず大盛況だった。
「ワンッ! 3番テーブル!」
厨房から響くのは、まるで狂暴なトロールのような声と迫力をもつ、膨よかな女性の叫び。
「分かってる! 今、出来上がるところだっ!」
それに応えるのは黒髪の青年。
一人でキッチンを切り盛りしながら、包丁を操る手さばきも、フライパンの扱いも、まるで熟練の職人。
「ワン~早く持ってこいよ~」
「ピノン、失礼だよ? ワンじゃなくて、“シェフ”だってば」
「あっ! そいつはすまねぇ事したな……シェフ、俺達のとこに早く~は~や~く~!」
そんなふざけ合いも、この店では日常茶飯事。
毎度のことながら、厨房の青年――いや、ワンは忙しさと軽口の応酬に翻弄されながらも、真面目に調理を続けていた。
だが――
「だあぁぁぁぁっ! 俺はシェフじゃねぇ! ワンで合ってるのに、わざわざ変えなくていいつーのっ!!」
全力でツッコミを入れつつ、彼は鍋を煽る。
その叫びには、どこか軽さがあった。かつて悩んでいたような気配は、もう感じられない。
「ナレーション的な奴も、いちいちうるせえぇぇぇ!!」
――ギィ。
と、その時。入口の扉がゆっくりと開いた。
混雑極まる店内に、またひとりの客が現れる。
だが、なぜか客たちは一斉に動きを止め、その視線をその人物へと向けた。
さっきまでの賑わいが、まるで幻だったかのように、店全体が静まり返る。
それは、荒れていたワンでさえも同様だった。
「こんにちはっ!」
その空気を打ち破るように、明るく声を響かせて店内に入ってきたのは、一人の女性。
旅人風の軽装を身にまとい、その肩には、ちょこんと小さな獣――ふわふわした猫のような存在が乗っていた。
「「うおおぉぉぉぉぉ……!!!」」
次の瞬間、さっきまでの静寂が嘘のように、店内は歓声で満ちた。
「スズじゃねぇか!」
「元気してたか?」
「王都はどうだったよ?」
「スーフィングスも元気そうで安心したぜっ!」
スズと呼ばれたその女性は、旅の途中といった様子の服装ながら、どこか冒険者のような気配も感じさせる。
「どうもどうも~」と笑みを浮かべながら手を振り、ひとりひとりの言葉に親しげに応えると、奥のカウンター席へと進んだ。
「久しぶりだね。王都はどうだった?」
カウンターの奥から現れたのは、さきほど厨房で怒鳴っていた膨よかな女性――バリスの都のマスター、マーマレード。
彼女は水の入ったコップをスズの前に置くと、肩に乗る小さな獣にも、小皿に水を注いでそっと差し出した。
「ん~……すっごく緊張しました」
「だろうねぇ。ベールドの紹介があったとはいえ、一筋縄じゃいかない連中ばっかりでしょ」
「ははは……でも、ミュルクさんが、えっと……アークナイト?の人を紹介して――」
「アークライトだよ」
「あ、そうそう。アークライト。確か、マーマレードさんがいた冒険者チームですよね?」
その言葉に、マーマレードの動きがふと止まった。
視線は少しだけ遠くを見つめて――ゆっくりと、問いかける。
「……アイツは元気にしてたかい?」
「レックスさんのこと、ですよね?すごく元気でしたし……レックスさんも、マーマレードさんに会いたがってましたよ」
スズの言葉に、マーマレードは大きく、分かりやすいため息を吐く。
「そうかい……あの馬鹿は、まだ現役でやってるのかい」
「はい。アークライトのNO.1として、まだ若いのには負けられん!って意気込んでましたよ」
「ったく……そんなんだから若い芽が育たないんだよ」
「はははっ。でも、本当に会いたがってましたよ、レックスさん」
スズは首を傾げ、苦笑いを浮かべる。
「私はね、この町を離れる気はないんだよ。今の暮らしで、十分幸せだからね」
「そうですよね。マーマレードさんはご結婚されてますし」
――ドンッ!
乱暴な音がカウンターに響く。
運ばれてきたのは、湯気立つ野菜炒め。
「マスター……話してないで、少しは手伝ってくださいよ!」
「それ、何番テーブル?」
「3番テーブルって言ったの、マスターでしょ!?」
「はいはい、人使いが荒いんだから」
「どっちがだよっ!」
勢いよくツッコむワン。その視線とスズの視線が、ふと交わる。
「ワンさん、お久しぶりです」
「お、おう……元気そうで何よりだ」
「ニャーオ」
肩のスーフィングスが鳴いた。
「……スーフィングスもな。これ、食うか?」
ワンは、小さなスープ皿を差し出す。
中身はトマト色の野菜スープ。ミネストローネのようだ。
地球の猫には絶対にNGな品だが、スーフィングスには問題ない。
ーーー
――あの日。
私は、この世界の理を、変えた。
私の願い、祈り、想い――それらは白き光となって放たれた。
焼け野原と化した草原地帯を包み込み、地が裂けたオルロック街道を照らし、あの場所にいたすべての者の心を、優しく満たしていった。
負の感情は、生の感情に包まれ、穢れは、光の浄化により洗われていった。
それが、スーフィングスさんの心を晴らし、オルフェルさんの想いを救った。
――いや、それだけじゃない。
あの光は、「未来」だった。
果てしない希望の象徴。
そして、奇跡は平等に、すべての命に舞い降りる。
魔石に囚われていた負の感情たちもまた、生の想いに触れ、解放された。
命とは、どんな存在であれ、美しく、可能性に満ちている――その想いが、未来へと続く扉を開いたのだ。
戦で倒れた者の体は癒され、命を落とした者は蘇り、荒れ果てた自然も、より一層美しい姿を取り戻していく。
そのとき、オルフェルさんは最後の言葉を残した。
それは、資格ある私を通して、この世界に伝えられた深い謝罪と祈り。
彼の声は、白き光の中にいるすべての者の“心”へと、静かに、確かに届いた。
別れを惜しむスーフィングスさんに寄り添いながら、私はクリスタルに取り込まれた想いたちと共に、オルフェルさんの旅立ちを見送った。
彼は、幾つもの悲劇を起こした。
だが、それでも――どんな者にも、救いはある。
奇跡は、誰にでも平等だ。
絶望を絶望と捉えず、笑い飛ばし、明日を、希望を、未来を信じて歩む者に、神は微笑んでくれる。
それこそが、無念を抱えて逝った多くの想いたちが願ったこと。
いまを生きる私たちが、未来を作ること。
同じ悲劇を繰り返さず、因果の鎖を断ち切ること――それが、彼らの救いであり、真の解放だったのだ。
『オルフェル……僕は、君を忘れない。 たとえ、何年、何百年、何万年経とうとも……君を忘れたりはしない! 君の想い、君たちの願いを無下にはしない。僕は……僕はっ!』
スーフィングスは叫んだ。
その胸のうちを、涙と共に。
何度も、何度も、空へ向かって。
その叫びが意味を持たなくとも――その想いは、白き光の中で木霊し、言葉を超えて、すべての者へと届いた。
それは、獣だけでなく、人にも伝わる“祈り”だった。
オルフェルは還った。
大切な人と、静かに微笑む魂たちと共に。
そして、ネコヴァンニャにあったクリスタルは、完全に消失した。
私は、ただ頑丈なだけの……普通の人間に戻った。
一面の草原となったその場所に、グレイグの一団がいた。
ワンの兄、ザナクスの姿もそこにあった。
命を落としたはずの王国兵、ベールド、マーマレード、ミュルク。
そして、大鬼猫、ムルカたちの姿もあった。
相対するは、人とモンスター。
けれど、再び争うことはなく、互いが心の剣を捨て、手を取り合う未来が――ついに実現したのだった。
ーーー
「さてと」
ワンさんの料理をすっかり堪能した私は、ゆっくりと席を立った。
「もう行くのかい?」
声をかけてきたのは、バリスの都のマスター・マーマレード。
「はい。一度ネコヴァンニャに戻って……ムルカさんたちにも、改めて挨拶をしに行こうと思います」
「そうかい。それで、その後は……向かうんだね?」
「ええ。オルフェルさんの想いは、まだ……残ってますから」
白き光に還ったオルフェルさんの負の感情、けれど、それで終わりじゃない。
まだ“完全な終焉”には届いていない。
「気をつけて行けよ。西も東も、厄介な連中の領地だ」
ワンさんの言葉には、元・貴族らしい慎重さと、確かな優しさが込められていた。
白き光がもたらした和解により、王都では国王陛下との謁見を果たし、そこで私は……オルフェルさんの亡骸を、スーフィングスさんと共に弔った。
それを見届けたベールドさん、アーレス家は私を推挙してくれたけれど、グレイグ家、そして……スピネル家はいまだに私を警戒している。
それでも、私は胸を張って言える。
「大丈夫です。私は一人じゃありませんから」
そう言って視線を送ったのは、ミネストローネ風のスープを飲み干し、気持ちよさそうに伸びをしているスーフィングスさん……いや、スーちゃん。
「そうだったな……スーフィングス、スズを頼むぞ」
ミャーオ。
スーちゃんは、ワンさんの気持ちを理解したのか、小さく頷くと私の肩へとひょいっと飛び乗った。
「また帰って来たら、ワンさんのご飯、食べに来ますね!」
「おうっ! もっと腕を磨いて、美味しいのをご馳走してやるよ!」
その優しい声に、間髪入れず、茶々が入る。
「さっすがシェフ~。でも、俺たちにも美味しいご飯、これからも頼むぜ?」
「お、おい……今は悪ふざけする雰囲気じゃ――」
「うるさいゴリラ。強調するのは顔だけにしなっ!」
あらあら……なかなか辛辣ですね、ミルフィさん。
案の定、ガリスさんはしゅんっと肩を落としてしまった。
「おい、ミルフィ~言いすぎだって」
「ごめんごめん! 言いすぎた、言いすぎたよ。だから、そんな顔すんなって……私は、ガリスのことが好きだぞ?」
「俺も、俺もっ!」
思わず笑ってしまう。
三人の仲の良さが、言葉の端々から自然と伝わってくる。
「……そうか。俺も、お前らが大好きだ」
そう呟くガリスさんの顔が、とても嬉しそうで、見ているこちらまで温かくなる。
やっぱり、人は、命は、楽しくて、明るくて、幸せであるべきなんだ。
そんな想いに包まれながら、私は扉へと歩き出す。
「それじゃ、また来ますねっ!」
笑顔で振り返り、皆に手を振る。
「気をつけてな!」
「また、おいでよっ!」
ワンさんも、マーマレードさんも。
そして店にいた皆が、惜しみなく声援を送ってくれる……ああ、温かい。
こういう日常って、本当に素敵だ。
ーーー
緑豊かな町、ピッツァをあとにして。
私はまず、ネコヴァンニャへと戻る。
ムルカさんやモッチちゃんたちに再会して、改めて挨拶をして――そしてその後、私は新たな旅に出る。
その旅の目的は、かつてスーちゃんがそうだったように、“闇猫”だった時のように……未だ負の感情に縛られているかもしれない二人を、救いに行くこと。
ヴァルゼア大海道にいるリヴァンさんと、ケルベロス大渓谷のケベリオさんだ。
彼らを、解放するための旅。
ピッツァからも、ネコヴァンニャからも遥かに離れた場所だけれど――スーちゃんが一緒にいてくれるなら、きっと寂しくなんてない。
……え?
地球に帰らないのか、って?
帰りますよ。
二人を解放したら、私も、ちゃんと帰る。
でも――今のままじゃ、帰れない。
帰りたくない。
中途半端なまま戻ってしまったら、きっと一生、後悔する。
彼氏や店長には、申し訳ないけど。
今戻ったって、うまく笑える自信がないから。
もしかしたら、彼にはもう新しい恋人がいるかもしれない。
保護猫喫茶の店長だって、私に失望してるかもしれない。
それでも――大丈夫。私は、絶望しない。
希望を見てる。前だけを見てる。
そうすればきっと、私にも――奇跡は、起きる。
だから、大丈夫。
……うん、大丈夫!
緑に包まれたピッツァの町をあとに、私は元・オルロック街道――鬱蒼とした草原地帯を踏みしめて歩く。
「さて……お腹も満たされたし、ゆっくり向かいますか」
『そうだね……しかし、あのスープ、美味しかったな』
「ふふ、お気に入りに追加された? また食べに行こうね!」
現在を生きる私は、歩く。
明るい未来へと、まっすぐに。
──終──




