油断大敵
オルロック街道の南――草原地帯を抜けた先に広がる、ネコヴァンニャの大森林。
王国軍と冒険者たちは、そこから逆算し、敵の進行ルートを徹底的に洗い出していた。
魔獣使いが街道を通るか、それとも草原を横断してくるか、すべての可能性を想定する。
ピッツァ支部の冒険者たちと綿密に打ち合わせた後、ミュルクは罠の設置に取り掛かった。
魔力を込めた巻物を地中に埋め、踏み込んだ瞬間に爆発させる単純な構造。
だが、それに込められた魔術は炎属性上位に位置する、爆発。
直撃すれば、Aランクの魔物すら一撃で屠る、まさに必殺の一撃である。
地を進む敵には、地を罠とするのが最も有効。
さらに伏兵の隠匿には、土の魔術大地偽装を使用。
地形そのものを歪ませ、百単位の兵士を潜ませるための狩場を整えていく。
先制の爆発。
倒しきれなければ伏兵が包囲。
そしてその合図をもって、ピッツァ近郊に待機する王国本隊が突撃。
すべてが、計画された作戦通り。
ミュルクは口角を上げ、ほくそ笑む。
「……私の実力、世界に見せてあげるわ」
魔獣使いには事前に伝達巻物を渡し、対話の段取りも整えていた。
だが、その対話を有利に運ぶためには、もう一手が必要だった。
その役目を託されたのは、ピッツァ責任者の橙のマーマレード。
調査団との面識が深く、何より魔獣使いとも接点を持つ彼女が適任だった。
マーマレードは策略をもって言葉を織り、友好的な話し合いを持ちかけながらも、単身での来訪を求める。
もちろん拒まれるのは計算済み、無理を通してから譲歩させる、それが狙いだった。
結果、同行者を連れて来るという条件で話は成立。
無論、約束を反故にされる可能性もあった。
だが、それでも構わなかった。
なぜなら、魔獣使いは――こちらとの対話を望んでいる。
アウィルやガリス、調査団の命が無傷で戻ってきたことが、その何よりの証だ。
もし敵意があるなら、彼らはとっくに消えていただろう。
だからこそ、来る。
魔獣使いは、必ず現れる。
例え強力なモンスターを従えていたとしても……問題はない。
こちらは、既に準備を終えている。
王国は本気だ。
三大魔境・ネコヴァンニャの攻略という前人未到の偉業を、現実のものとすべく。
マーマレードは静かに笑う。
どこか、昔の自分を取り戻したように、若かりし頃……アークライトのNo.2と呼ばれ、太陽道と名を馳せたあの頃のように。
冒険者を辞め、家庭を築き、第二の人生を歩み始めたが、それでもなお心の奥底に灯るものがある。
「……私も、まだまだ未熟だねぇ」
満たされたはずの日々の中に、消せぬ熱が蘇る。
過去への未練を笑いながら、胸の高鳴りは止まらない。
ミュルクの罠。
マーマレードの伝達。
そして、迎撃態勢は万全に整った。
その日、魔獣使い達は草原地帯を抜け、こちらへ向かってきていた。
進行は順調。
ミュルクは再びほくそ笑む。
そして罠が発動――爆発。
激しい炎と衝撃が大地を焼き裂き、獣たちの悲鳴が響き渡る。
全滅は叶わなかったが、構わない。
伏兵がすかさず動き、逃げ道を塞ぐ。
煙と砂塵に覆われた中、敵は動かない。
これはチャンスだ。
王国軍本隊が突撃してくるまで、包囲を完成させればいい。
……だが。
「イヤァァァァ!!」
悲鳴――人間のものだ。
魔獣使いの……女の声?
それを合図に、砂塵が一気に吹き飛ばされる。
「なっ……!?」
ミュルクは、読み違えた。
否、この場にいる全員が読み違えていたのだ。
マーマレードも、ベールドも、ザナクスも。
貴族も、冒険者も、皆、魔人を知らない。
それは伝承でしかなく、現実味のない昔話にすぎなかった。
だからこそ――予想できなかった。
「っ……あれは……なんだ……?」
誰かが呟く。
空を裂くように現れた、それは光の柱。
それが、動き始める。
否、それが動いている。
圧倒的な、存在そのものが、迫りくる。
ーーー
一方、ネコヴァンニャ大森林。
クリスタルが輝きを放つ洞窟の中。
一匹の黒猫が、静かに囁いた。
『さぁ、始めようか……オルフェル』
その言葉に呼応するように、周囲のクリスタルが様々な色で煌めき始める。
そして、運命の歯車が静かに、音を立てて回り出した。
ーーー
舞台は、再びオルロック街道南部。
冒険者の呟きに視線が集まる。
その先にあったのは、天を衝くように伸びる巨大な光の柱。
「な、なんだ……あれは……」
「魔力の塊……いや、あんなの見たこともねぇぞ……」
「っていうか、空に……浮いてる!?」
柱の中心――そこには、一人の人影が。
ゆっくりと、光に抱かれるように上昇していく。
騒然とする一団に、マーマレードが声を張り上げる。
「浮き足立つんじゃないよ! 相手は魔獣使い……これくらい、想定済みでしょ!」
嘘だ。
こんな現象、見たことも聞いたこともない。
けれど今は、戦場。怯む暇などない。
これは命のやり取りなのだ。
――その時。
「はははっ!」
高らかに笑ったのは、ミュルクだった。
「面白い、面白いっ☆ 私の巻物が魔術ごと吹き飛ばされるなんて……さすが、伝説級! スゴい魔力量だことっ!」
その様子は、恐れるどころか楽しんでいるかのようだった。
だがマーマレードが口を開く前に、事態は動いた。
光柱の中、浮かぶ魔獣使いに異変が起きる。
光は急速に萎み、柱の輪郭が崩れていく。
代わりに、その魔力を吸い上げるようにそれが変化を始めた。
背中から、漆黒の翼。
それはまるで、堕ちた天使のようだった。
「お、おねがい……誰か……誰か……」
震える声、涙を流しながら、苦悶の中で譫言のように誰かを呼び続ける。
「意識が……おねが……たすけ、ああぁ……っ!」
空中から、地へと墜ちる。
もがき、踠き、苦痛にうねるその姿は、あまりに人間的で、それでいて異質だった。
やがて、力尽きたように地面に倒れ込む。
静止。
討伐対象が、無防備に倒れている。
「……これ、チャンスじゃないのか?」
そう思った者は少なくなかった。
だがマーマレードは、即座に判断する。
「……駄目だね。今は動かない方がいい」
目的は、あくまで包囲。
ここで下手に攻め込んで、包囲網が崩れれば本末転倒。
好機に見える時こそ、戦場ではそのような油断が命取りになるのだ。
それに、敵は一人ではなかった。
「グルゥァァァッ!!」
咆哮が轟く。
包囲陣に襲いかかる影、大鬼猫だ。
数体が突如、消えかける砂塵より飛び出してきたのだ。
虚を突かれたマーマレード。
だが、即座に反応。
長く戦場を離れていたとはいえ、その実力は鈍っていない。
「久しぶりに唸りな――焔!」
抜いたのは、何の変哲もないロングソード。
だが掛け声と共に、剣身が炎に包まれる。
火焔の刃が、迫り来る大鬼猫の側面を切り裂く!
轟く咆哮。
一体が倒れ、マーマレードが止めを刺そうとしたその瞬間――別の個体が接近。
「時空を統べる神クロウズよ、我はただの塵芥にして、時を戯れる愚者なり。だが、故にこそ願う。壊れやすきこの身に、抗う力を……我に刻め、万象縛鎖!」
地を揺らすような詠唱と共に、別の大鬼猫が地面へ沈む。
ズシン、と地にめり込む音――マーマレードが振り返ると、そこにはミュルクの姿。
「巻物を作るだけじゃなくて、魔法も使えるのかい?」
「そっちこそ、さすがの剣技じゃん☆」
二人は一瞬だけ見つめ合い、認め合うように笑った。
「……まだ、モンスターは残ってる。 私と太陽道がいれば大丈夫だねっ♪」
「油断は禁物だよ」
マーマレードの視線が、再び魔獣使いに向かう。
未だ、動かず。
だが――その側に、一際大きな大鬼猫がいる。
爆発で傷ついているはずなのに、僅かずつ……近づいている。
「あんたは暴れてる奴、頼むね」
「そっちは……?」
「私は、あのデカブツを狩る。逃げられると面倒だからね。 何より、この中で一番強そうだし」
マーマレードは再び焔を纏った剣を構えた。
狙うは……巨躯の魔獣。
Aランク級の大鬼猫――その中でも、ムルカの強さは群を抜いていた。
彼はネコヴァンニャ大森林に棲まう、大猫たちの長。
その存在感、威圧は他の大鬼猫を遥かに凌駕する。
ムルカは地面を蹴り上げ、威圧の咆哮と共に衝撃波を発する。
だが、元黄金級の冒険者には通じなかった。
一歩、また一歩とムルカに歩み寄るマーマレード、それでも地を蹴り続けるムルカ。
その行動に訝しむマーマレードだったが――
「きゃあぁぁっ……!」
その悲鳴に、ムルカの真意を悟ったマーマレード。
自分には通じなくとも、並の冒険者には威圧が通用する――ムルカは、初めからマーマレードなど見ていなかった。
彼の狙いはただ一つ。仲間を助けること。
その助力を得て、もう一体の大鬼猫が――悲鳴の主、ミュルクへと襲いかかっていた。
鋭い爪が閃き、蒼の魔術師が地に伏した。
巻物は魔術式を描いた道具ゆえ、適切な魔力を流せば即座に発動できる。
だが、魔法は違う。
詠唱が必要だ。
詠唱中に攻撃を受ければ、術は途絶え、その隙を付けば簡単に命を落とす。
そんな魔術師や魔法士は、本来ならば前衛に守られ後方から術を放つ存在。
だがミュルクは、その当然を破った。
己の才と力に慢心し、前線に立ちすぎたのだ。
その結果が、この有様。
「ミュルク……!」
仲間たちの表情が凍る。
たじろぎ、動けない。
マーマレードだけが、すぐさま駆け寄ろうとする――だが、その隙をムルカは見逃さない。
咆哮一閃。
血に染まった炎のような体毛をなびかせ、マーマレードへ跳躍!
「……ッ!?」
完全に虚を突かれた。




