金獅子の巨躯と開戦
三大名公――王国の誕生と共にその名を知られた、初代国王に仕えた三人の忠臣。
武勇のアーレス。
知略のグレイグ。
政略のスピネル。
この国の礎を築いた偉大なる貴族たちの名は、いまなお語り継がれている。
そして今、王国軍総勢三万の総指揮官として選ばれたのが、その名門・ソニアス・アーレス家の男だった。
金の髪、金の瞳、そして大熊すら小さく見える巨躯。
その名はベールド・ソニアス・アーレス。
現当主ベリル・ソニアス・アーレスの長子にして、名実共に次代の棟梁と目される男である。
本来ならば、この大任には父ベリルこそ相応しいはずだった。だが彼はいま、病に伏し、戦場を離れている。
経験不足を不安視する声もあったが、それを補って余りある武勇の持ち主であることは、国内に広く知れ渡っている。
いずれは父をも凌ぐと謳われるその器量に、民も兵も疑いを抱かなかった。
既に三十を越えた彼は人望にも厚く、冒険者たちとも強い信頼関係を築いている。
今回の任務は、ネコヴァンニャ大森林の攻略および“魔獣使い”の討伐。
この任を受けたとき、彼は冒険者ギルドのギルドマスターからの進言だと聞くと、嬉々として頷いたという。
貴族とは、国の柱。
とりわけ三大名公ともなれば、格式と体面を重んじるのが常である。
本来ならば、冒険者のような身分の定まらぬ者との関係など、もってのほか――そうされてきた。
だがベールドは違った。
「冒険者と付き合うのはおかしい? そんな考えはもう時代遅れだよ」
そう、口癖のように笑うのだ。
彼のような振る舞いは、貴族としては異端。
ましてや三大名公の名を継ぐ身であれば尚更だった。
当然、彼を快く思わぬ者もいた。
影では彼を“俗物”と嘲る者すらいたが、ベールド自身はそれを知りつつ、あえて無視していた。
貴族など、頭の固い連中の集まりだ。
格式だの、身分だのと、くだらない正しさに縛られ、何も変えられぬ者たち。
――すごいものをすごいと言えぬ人生に、何の意味がある?
それが彼の信条だった。
今や冒険者を知らぬ者はいない。
世界を見渡せば、貴族制度すら存在しない国だってある。
そんな広い世界を知る彼にとって、冒険者とは憧れであり、尊敬に値する存在だったのだ。
あるいは、王とギルドマスターが彼を総指揮官に選んだのも、その柔軟な視野ゆえだったのかもしれない。
王国軍がピッツァの町へ到着すると、ベールドはまず命じた。
「オルロック街道北部に拠点を築け」と。
そして何より、「住民の家に勝手に上がるな」と。
「住民たちは、今も不安と混乱の中にいる。その中で、知らぬ者に勝手に家へ踏み込まれては、過去の記憶までも穢されてしまうだろう」
その言葉は、まさに貴族らしからぬものだった。
だが、軍が町を占領することは避けられ、ピッツァに残った住民たちの心にも不安が広がらずに済んだ。
軍議の場は冒険者ギルド。
軍はふだんオルロック街道に駐屯し、軍議の際のみギルド周辺に集まる形が取られた。
その采配に、マーマレードは感心しきりだった。
ただ、一人。その在り方に難色を示した者がいた。
同じ三大名公、グレイグ家の男、ザナクス・グル・グレイグである。
「私はここが気に入っている……それを動けというのか?」
その言葉は短く、しかし明確な異議申し立てだった。
ベールドは、笑って頭を下げた。
「すまない。我らよりも先に着き、迅速に行動してくれた貴方に……不快な真似をしてしまった。どうか、私の謝罪を受け取っていただきたい」
それは、戦を前にした総指揮官の行動としては異例だった。
配下の者たちも驚き、マーマレードは一瞬、士気への影響を案じたほどだ。
だが、ザナクスはくすりと笑った。
「……いいでしょう。貴方ほどの人物に頭を下げられるなど、滅多にない体験ですからね」
「感謝する!」
その姿に、誰もが思った。
この男の器は、まさにその巨躯に見合うほどに……いや、それ以上に大きいのだと。
ーーー
後日。
冒険者ギルド・ピッツァ支部にて、王国軍による軍議が開かれた。
議題はもちろん、魔獣使いの討伐と、ネコヴァンニャ大森林の攻略である。
だがその場には、冒険者よりも騎士や兵士の姿が目立っていた。
田舎町の小さなギルドには不釣り合いな光景。
加えて、ザナクス・グル・グレイグをはじめとする貴族たちは、冒険者を見下すような態度を隠しもしない。
その空気は重く、どこか居心地の悪さを感じさせるものだった。
しかし、そんな空気をものともせず、バリスの都のマスター・マーマレードは静かに告げた。
「アウィル、ガリス。調査報告を、頼むよ」
冒険者である二人に、ネコヴァンニャでの出来事を改めて語らせる。
作戦前には、正確な情報の共有が何より重要なのだ。
アウィルはそれに頷き、ギルドのカウンター前へと進み、丁寧に語り始めた。
大森林で遭遇した大鬼猫たちの襲撃。
殺されることなく、岩のダンジョンに幽閉されたこと。
そして、調査対象である魔獣使いと直接対話の機会を得たこと。
アウィルは、魔獣使いが調査団を殺さなかった理由として、「話し合いの余地がある」と語ったことを伝える。
そして――「モンスターにこれ以上、無用な危害を加えないでほしい」と言われたことも。
その一言が、場の空気を一変させた。
「何を馬鹿な……!」
「本当にそんな戯言を?」
「魔人の口車に乗せられてどうする!」
出撃前から情報として知っていたはずの貴族たちも、憤りをあらわにする。
中でも、ザナクス・グル・グレイグが立ち上がり、つまらなそうに酒をあおってから言い放つ。
「皆様、騒ぎ立てる必要などありませぬ。魔人風情の言葉など、取るに足らぬ。我らはただ、王より命じられた通り、魔獣使いを討ち、ネコヴァンニャを制圧すればよいのです。このような妄言に貴重な軍議の時間を浪費する冒険者共も、所詮は下賎の者にすぎぬ!」
ザナクスの言葉に、多くの貴族たちが呼応し始める。
「そうだ。我らこそが王国の剣!」
「冒険者など不要。我らだけで十分だ」
「ザナクス殿は聡明であられる!」
冒険者たちも、黙って聞いているわけにはいかなかった。
「王は冒険者を重んじているというのに……グレイグの人間は真逆みたい」
その言葉に場が一瞬、凍りつく。
言ったのは、王都から来た一人の少女。
銀髪のロングボブ、鮮やかな青のローブを羽織り、杖を携えた魔法士――否、魔術師、彼女の名はミュルク。
その舌鋒は、相手が貴族であろうと容赦がない。
「グレイグ家が偉いのは分かるけど、あんた自身がすごいとは限らないよね? すごいのは、あ・ん・た・の・血・統♪」
その挑発に、ザナクスの表情が険しくなる。
「……貴様の遺言として、心に刻んでおこう」
ザナクスは剣に手をかけた。
が、その動きを巨腕が止めた。
「……何のつもりです?」
止めたのは、ベールド・ソニアス・アーレス。
その大きな手が、ザナクスの腕を掴んでいた。
「申し訳ないが、彼女の無礼……どうか、見逃していただけませんか」
「貴方ほどの人物が、冒険者風情を庇うのですか?」
「ええ。彼女は、ただの冒険者ではありません。魔術師であり、貴重な《巻物》の製作者でもある。王国にとっても重要な存在です……そんな逸材を、斬るわけにはいきませんよ」
「フフンっ♪」
得意げに鼻を鳴らすミュルク。
そこへマーマレードが笑って口を挟む。
「へぇ……あんたが噂のミュルクってやつか」
「そっちこそ知ってるよ。太陽道、橙のマーマレードさんでしょ?」
「昔の名さね。今は田舎町で働く、ただの飯屋のオバサンさ」
「えへへっ♪ じゃあ、あの野菜サラダも?」
「いや、あれは旦那が作った。旨かったろ?」
「うんっ、最高だったっ☆」
ザナクスは冷めたように席へ戻り、踵をかえすベールドの背に向かいミュルクが手を振る。
「ベールドー! 野菜サラダ、あとで一緒に食べようね~っ!」
「はは……楽しみにしていますよ」
そんなベールドの背を、マーマレードは目を細めて見送った。
「……ベールド・ソニアス・アーレスか。面白い貴族もいたもんだねぇ」
「なに、マーマレード。もしかして浮気?」
「ばっか言いな。私の心はひとつさ……ただ、礼儀と誇りを併せ持った本物の貴族ってのは、やっぱり違うね」
「でしょ? ああいうのが“本物”なんだよ~」
そのやり取りをよそに、貴族たちはベールドと対等に語り合うミュルクの存在に驚愕していた。
年端もいかぬ少女が、三十路を越える三大名公の直系と並んで語る……それは、彼女の“価値”を如実に示していた。
「すみません。報告、再開してもらえますか?」
ベールドはミュルクとの会話を終えると、アウィルに向かって頭を下げた。
総大将が、一介の冒険者に頭を下げる。
その光景に、アウィルは一瞬、言葉を失い――それでも気を取り直し、報告を続けた。
魔獣使いが語った、忌まわしき魔人の名。
そして、失われたその“遺骸”を探しているという情報。
それを告げたとき――再び、場が揺れ始めた。
「……以上です」
報告を終えると、ベールドは静かに眉間に皺を寄せた。
「魔人の遺骸で……何をするつもりなのでしょうね。ですが、対話を求めている……というのも、何か裏があるような気がします」
静かに、アウィルが言葉を締めくくる。
その場にいた誰もが思いは同じだった。だが、その空気を破るように。
バンッ!
机が激しく鳴る音に、全員の視線が向く。
頬杖を突いていたミュルクが、勢いよく立ち上がったのだ。
「そんなの簡単でしょ!」
「……何か、良い案でも?」
ベールドが静かに問いかける。
ミュルクはにやりと笑う。
「話し合いをしたいって言ってるんでしょ? 呼んじゃいなよ……こっちに」
あまりに軽々しい口ぶりに、場が一斉にざわめく。
「無茶を言うな!」
「そんな危険人物を呼び寄せるなど、正気の沙汰ではない!」
「やはり、冒険者というのは……!」
貴族たちの非難が一斉にミュルクに向けられる。
だが彼女は、まったく動じなかった。
むしろ、不敵な笑みを浮かべたまま、堂々と言い放つ。
「ネコヴァンニャと魔獣使い、両方同時に攻略しようとするからややこしいんだよ。一つずつ、確実に潰していけばいいじゃない」
「……つまり?」
「南側、大森林側にも道はあるんでしょ?」
ミュルクはアウィルに視線を投げる。
彼が静かに頷くのを確認すると、説明を続けた。
「じゃあ、そこに罠を張ればいい。あたしの巻物を使って、うまくいけば先制撃破。もし無理でも、牽制になる。怯んだところを一気に叩けば、魔獣使いといえど楽勝でしょ?」
そして、ニヤリと笑いながらーー
「……貴族様の軍が、本物であればの話だけどねぇ?」
ーーザナクスを見据え、明らかな挑発を放つ。
「ふん……あなたの巻物になど頼らずとも、我らグレイグ家の兵だけで事足りましょう。王国軍全軍も不要。我らが全てを証明してみせましょう」
「きゃ~☆ 怖~い。期待してるわよ、大・貴・族・さ・ま♡」
軽やかに肩をすくめたミュルクは、ベールドを見上げる。
そして、その目の端でマーマレードにも視線を送った。
「で、どうかな……ベールド?ピッツァとしては、どうする? ついてきてくれる?」
マーマレードは一瞬だけ目を細め、そして笑った。
「私たちピッツァは、王国軍に従うさ」
「ありがと~っ! 太陽道♪」
その言葉に、ベールドも静かに頷いた。
作戦が、決まった。
魔獣使いをオルロック街道に誘い出し、これを撃破。
その勢いのまま、ネコヴァンニャ大森林を攻略する。
誘導の手段など簡単だ。
「話し合い」を持ちかける――それだけで、相手は応じてくるのだから。
さあ――戦いの幕が、上がる。
ベールドは軍議の場に決定を告げると同時に、兵たちへ準備を命じた。
それは、王国と異端との全面衝突。
静かに、だが確実に、血の匂いが広がり始めていた。




