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そして、事件は起こった

 


 カインが帰ろうとした時間は、もう夕飯時の真っ只中だった。客は集まり、銘々その日の仕事ぶりについての愚痴や、明日の展望などを語り合っていた。

 酒が入っている者も多い。大声で歌を歌い、時には争う声も聞こえる。

 そうして今日一日の気分を晴らし、また明日、それぞれの生活に戻るのだ。夕飯時は、皆の小さなハレの日だった。


 カインが見たとき、青年はミレニアと隻腕だった奴隷の少女、それに「聖女様」らしき女性と連れだって歩いていた。

 青年も、夕食を取りに露店に来たのだ。

 そういえば、とカインは思い出す。アベルが言っていた。「宿屋暮らしの英雄様」と。きっとこの近くに、その宿屋があるのだろう。


 嫌な顔だ。とカインは思った。

 先程の気分は霧消し、気分が悪くなる。

 あの少年冒険者達のことを言えないな、とカインは自省する。あの青年が現れただけで、気分が変わるのだ。コインを手に入れ気分を変えるのと何も変わらない。


 気を取り直して、ミレニアを見つめた。

 思った通り、肌の壊死は消え、白く綺麗な肌になっていた。見ている限り、足取りもしっかりしている。あの青年の、「治した」という言葉は本当だったのだ。

 隣の奴隷少女も、手足が綺麗に再生している。凄腕の術士でなければ不可能なことをやってのけていた。


 カインは、初めて心から青年に感謝する。

 自分は背中をさするだけしか出来なかった。咳を繰り返し、皮膚の痛みに苦しむ彼女に、何もしてあげることが出来なかった。

 しかし、あの青年はそれを癒やした。不治の病を、やがて死に至る病を、跡形も無く。

 ならば、それを讃えるべきだろう。自分には、決して出来なかったことだ。

 首輪が無いのに、胸が痛んだ気がした。



 帰らなければいけないのに、目が離せない。

 追われている身で無ければ、ミレニアに駆け寄り、話しかけていただろう。そして、病が癒えたことを喜び、青年に礼を言い、そして…………そしてどうしたのだろう?

 カインの思考が止まる。自分は仮にそうしたとして、その後どうするのだろう。

 かぶりを振って考えを打ち切る。


 どうしたか、考えても無駄だろう。現実に、今自分は姿を見せられないのだ。もしもの話をしたところで、何が変わるわけでも無い。ミレニアは、元気になった。それで良いではないか。


 聖女様と話す青年を見る。治療院の聖女様と英雄様の側にいるのだ。これから、何があっても大丈夫だ。ミレニアが困ることはない。


 困ることは。そう考えて、違和感に気付いた。ミレニアの表情が暗い。隣の少女がしきりに話しかけているものの、返答は素っ気ないように見える。

 声は聞こえないが、決して楽しそうではなかった。

 カインは拳を握り締める。拳が白くなるほど、力強く。

 自分の心に向かって、何回も言い聞かせる。きっと、何か事情があるのだ。ミレニアが、困ることはない。今は楽しそうでなくとも、これからきっと幸せになれる。今、自分に出来ることはない。

 自分に何の我慢を強いているのか、カインにはわからない。

 それはきっと、もしもの話の続きのことで、ミレニアに話しかけることが出来たら、の続きの物語だ。カインには、決して辿り着くことが出来ない物語だった。



 青年は、持ちきれない程の串焼きを買った。遠目に見ているカインから見ても、それはその4人で食べきれるものではない。

 獣人であるミレニアは、純粋な人族より多く食べる。しかし、それでも食べきれない量だ。あの青年が、そんな多く食べるのだろうか。それとも、他にも仲間がいて、そこまで持って行くのだろうか。だとしても、冷めてしまえば美味しくない。串焼きは、熱いうちに食べなければ美味しくないのだ。どうするのだろうと、カインは純粋に疑問に思った。


 しかし、カインが見ていると、串焼きの山は一瞬にして無くなってしまった。正確に言うと、青年が一言呪文を唱えただけで、青年の手から消え去ったのだ。

 何の魔法だろうか。魔法に詳しくないカインにはわからなかった。しかし、街の門での荷物がやけに少なかったのはそのためか、ということは推察できた。


 手に残った何本かの串を、分けて食べる。まず青年が肉に口をつけると、他の三人もそれに習った。

 美味しそうに食べる青年達。楽しそうに三人は会話を弾ませる。何故かわからないが、カインは、自分が先程まで食べていた食事が酷く寂しい物に思えた。

 そんなことはないはずだ、と頭を振る。青年達から、目が離せなかった。




 そうして、青年達の食事は終わった。あとは、明日の準備にでも行くのだろうか。それとも、宿屋へ戻るのだろうか? それを見届けたら帰ろう。そう思ったカインは、見てしまった。


 見なければ、それで終わったことだった。カインは何事もなく、少し沈んだ気分で帰ることが出来た。あの青年への感謝も変わらなかった。ミレニアの未来も、カインの未来も明るいと信じて疑わないようにしていられた。しかし、見てしまった。



 露店から歩き出した青年達は談笑を続ける。そして、何かを話したのだろう。連れだって歩いていた青年が、ミレニアの方へ向き直った。

 青年は笑顔で、満面の笑みを浮かべてミレニアの頭を撫でる。

 カインは、目の前が赤く染まったように感じた。頭の血管が切れたかのように――もしかしたら、実際に切れていたのかもしれない――感じた。

 ミレニアを励ますような表情、諭すような口の動き。そこに悪意はないのだろう。しかし、カインには許せなかった。


 狼の獣人に対して付き合う際、してはいけないことが二つある。それはマナーやエチケットというよりも、もっと重いもので、奴隷商人すら触れることはない。どんな状況下でも、例え人族の奴隷になった後でも、それは変わらない。カインも奴隷商館で教わった事だが、もうそれは衆知のもので、それは一般常識の類いだった。


 まず一つが、父祖をけなすこと。

 彼らは、一族の誇りを大事にする。脈々と受け継がれてきた一族の血、その誇りを汚されることを嫌悪している。彼らは、名乗る際に親の名前も名乗る。父か母かは個人によるが、ミレニアであれば、「偉大なる父ジョセフの子、ミレニア」となる。奴隷となり、姓が無くなった後もそれは変わらない。


 そしてもう一つが、一族の年長者もしくは配偶者以外の者が頭を撫でること。今、まさにミレニアがされたことだった。

 彼らは、家族以外の者の下につく事を嫌がる。もちろん奴隷になった時点で立場は下であるが、それでもそれは財力や権力、または純粋な力で負けた結果だ。彼らは、無理矢理自分を納得させて下につく。

 しかしそれでも、誇りは失われない。一人の個人であろうとするし、最後の一線を越えるまでは、耐えようとする。


 一族以外に頭を撫でられる行為は、彼らにとって、「お前の一族は全て自分の下にいる」「お前の一族は、自分にとって子供のような幼くか弱い者たちだ」という意味となる。

 汚されるのが自分だけならまだ良い。しかし一族の誇りを汚す行為に、彼らは我慢できない。どれほどの痛みを与えられようが、どんな状況下であろうが、それは変わらない。

 誇りを汚された怒りで、憤死する者もいる。容易く主人を殺した奴隷もいる。誇りを汚す者に対して、彼らは躊躇しない。



 カインは、食い入るようにミレニアと青年を見つめる。彼女は、今汚されている。彼女は、屈辱に塗れている。

 彼女がそれを許容しているのなら、カインもまだ我慢できた。それでミレニアが良いというのならば、それはそれで良いのだろう。

 しかし、カインは見た。

 ミレニアの、自らの服の裾を握る手が、震えているのを。



 我慢出来なかった。

 思わず、腰の辺りを探る。そこには、追っ手から投げつけられた短剣が差してあった。何の気なしに持ち歩いていたものだったが、それは今、とてもよく手に馴染んだ。

 元は服だった、刃に巻いてある麻の布を乱暴に外す。

 首輪がなくても、自らの感情がわからないカインでも、今はハッキリとわかった。

 自分は、今激怒している。

 柄を持つ手が震える。その震えは怒りからくるものか、それともそれを使う事への忌避感からだろうか。きっと、その両方だったのだろう。



「お前えぇぇぇぇぇぇ!!!!」

 青年に走り、詰め寄る。躊躇は無かった。


 街にとっては有益な青年だ。彼のおかげで景気は良くなった。失業者も出たが、街は元気になった。強大な魔物から、街は救われた。

 そしてきっと、彼が現れてからカインの周囲も良い方向へ向かっている。ミレニアも助かった。手足の無かった少女も、元気になった。カインの脱走のきっかけにもなった。


 しかし、どれも今はどうでもよかった。


 彼女を侮辱するのは許せなかった。ミリィを悲しませるのは許せなかった。

 自分の好きな女の子を、辱めるのが許せなかった。



 ナイフを腰だめに構えて突進する。

 青年はカインに気がついて、身構える。ミレニアは驚愕の表情で、カインを見ていた。




 彼の行動を、人は理解できないと言うだろう。

 動機を理解したところで、悲しい蟷螂の斧と人は言うだろう。

 

 笑う者など放っておけばいい。

 カインは、人の誇りのために動いたのだ。自らの、心のままに行動したのだ。




 そして、事件は起こった。

 それは、不幸な者を生み出しこそすれ、誰も幸せになどしない、悲劇だった。





最後まで見て下さった方々、ありがとうございました。

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