風とナイフは踊り
ユウラはアガミに斬りかかる。鋭利な剣は愛した者の心臓を狙う。
大きく振り上げられる剣に女の気迫、アガミはウルワを鉄扉の前に置き、前に出た。
剣を抜く、射抜くような視線と共に銀の剣閃。
「っつ、重い」
男女の力の差が歴然として伝わる。ならば、その分を速さと精度をもって補うのだ。ユウラは再び斬りかかる。
執拗に足払いを仕掛け体のバランスを崩す、そこに刃をねじ込み、浅い傷を負わせだんだんと消耗させる。力勝負で敵わないなら小技で攻めるしかない。
足元を狙うのは卑怯と言われているが関係ない、卑怯すら技術の一端と下段を攻め続ける。
アガミはユウラの足払いの狙いを読み、下段を攻められる度後ろに飛び退いた。躱せないものは自らも得意な足技を使い相殺する。両者の足に痛みが走る。
力がぶつかり合いぐらつく体、その中に一瞬でも隙が出来ればユウラはアガミを逃さない。黒い髪が動く、アガミの見せた一瞬の隙、ユウラは黒の一族がそうするように殺人の一撃を繰り出す。早すぎて刃の軌道は完全に見えない、闇から死神の刃が死すら気が付く間もなく命を奪う。
だが、アガミの目は闇を開き刃を捉えていた、何事もなく横に躱しユウラの腹に手加減した蹴りを入れる。戦闘センスは殺人技術を凌ぎ、呻くユウラに反撃を、更にそこへ追い打ちの一撃を放っていく。
重い刃がユウラに響く、これが、これが彼の本気。
一撃必殺の攻撃を躱された時からユウラは動揺していた、自らの力量には自信があった、あの状況から反撃出来るはずがない。
それはユウラの自意識過剰で判断ミスだった。ユウラはこれ以上踏み込めないと慌てて飛び退く、砂利を巻き上げ後退し、やがて止まる。停止してから彼女の頬を冷や汗と切れた髪が数本舞った。
(心臓が、煩いよマナコ)
彼女はごくりと唾を呑む、同時に、彼女の唇が歪んだ。
愉しい――。
ユウラは笑みを浮かべた。
殺したいのに愉しいと感じる笑み。矛盾した憎しみと喜悦の見せる笑み。
「マナコ、これは感謝だよ」
そう言ってユウラは持っていた剣を地面に投げた。ガラン! と音を立てて剣は横たわった。
新たに持ち出したのは刀、そして上着の中から短刀を取り出しそれぞれ左右に握る。
アガミも初めて見る、共にこちらの国で共闘を張ってきたが両手に武器を構えるユウラは初めて見た。
「どちらかが死ぬんだよ」
「いや、オレはお前を殺す気はない」
「殺す気がないのにあんなに強いの? ははっ、凄いよ」
「オレが……悪いのか、全部」
「違うよ。僕は貴方を殺したい、殺さなきゃどこにも行けない。もう救いはないんだ、それだけだよ、だから貴方が本気で戦わないなら僕はどんな手段でも使う」
ユウラが鉄扉に視線をやる。白い天使は無力だから、
――殺させない。アガミは自らが選べる道を知り悲しくなった。
「なんで、こうなっちゃったんだろう」
「どちらかが死ねば終わる、それだけだよ」
再び熾烈な攻防が始まる。
黒の殺人集団、赤の戦闘民族。どちらも一般人が相手にすれば数分と保たず首を落とされる。それだけ二人は強い、恐らく二夜の誰よりも強い。その二人が戦い合う、どちらかは確実に死ぬ。
出会ったのは偶然だった。トキワという人間を通じ二人は繋がっていた、その繋がりこそが愛であり憎しみであり苦しみであった。
死こそが片方の望みであり、片方の救済。
これは救いだ、苦しみから解き放たれる、死とは誰かにとっての救いなのだ。
「復讐心は満たされ、負い目は消える、か」
オウサマは呟く。こんなやり方でしか清算出来ない、哀れな二人。
出会わなければ普通でいられたのに、ユウラがトキワを愛さず、アガミが親の言うことを跳ね除ければ、こんな事にはならなかった。
何が悪かった? 答えなんて永遠に出ないけれど。
「っ……」
鈍い呻きが聞こえオウサマの視線が動く。そこにはユウラに押し倒され、馬乗りにされるアガミの姿があった。
ユウラは刀を垂直に構えアガミの体に振り下ろそうとしていた。
決着は、ついたか――。
刀が突き刺さる音がする、血が溢れ、呼吸が止まる。
女は涙を流していた、それは悲しみでもなく満たされた喜びでもない。
この虚無はなに? こんなに胸が苦しいのはなんでなの。眼下には愛した人の顔、愛して、憎んで、殺した相手の顔。その顔があまりにも悲しくて、何もわからなくなる。
刀は、アガミの体の脇に刺さっていた。殺そうと思えば殺せた、だけどそれはしなかった。例え殺せたとしても殺さなかったとしても、この胸の苦しみは消えないだろう。
「簡単に死のうとするなよ、わざと殺されて楽になろうっての!?」
「オレが死ねば君は満足なんだろ? 君は知ってしまった、オレが……」
「それでも、僕はキミが好きだったよ、好きだから容易く殺されてほしくない、本気で戦ってよ、それで僕が死ぬなら構わない、貴方が死ぬなら構わない! 戦え!」
「……」
闘争でしか心を洗えない。これが不器用なユウラの決着の付け方だ。
「うあっ」
その時ユウラが目を抑えた。
砂利がユウラの目に入り、ユウラはアガミの胸の上に体を倒した。
「っ、こんな事するのは」
「早まるな!」
ナギ、彼はようやくこの場に辿り着いた。二夜の終わりが始まる場所、最後の戦場へ。
二人の静止を確認してから、ナギはいきなりオウサマに飛び掛かる。後先は考えない、確実に、躊躇いなくオウサマを殺す。そうすれば月は大人しくなり水も引く。
「終わりだ! お前が死ねば世界は救われる」
いつかにしておけばよかった事。自己犠牲等微塵も思考にない、ただウルワやミズガレを少しでも生きながらえさせたいだけ。目先の愛する家族の未来を願う事に、不自然な点等何もない。
ナギは冷淡な性格の部類だ、ただ此処で出会った第二の家族が愛しいだけ。その為なら王を殺す、そして自分は消える。自己犠牲ではない、二夜が救われるのは副産物なのだ。
ナギは走り抜ける。当然ルナは疾走するナギを止めるべく邪魔に入る。指を引く、見えない糸が周囲一帯をたゆたう。
『そうだ、みなさんの異能教えてもらえませんですか?』
『いつか戦う為にか?』
『へへっ、そうならない事を願いますがねぇ〜』
『冗談じゃなさそうなとこが怖いわ、はは』
そう言っていたのはつい昨日の事、ナギもルナも冷笑する。
ルナの指が振りかぶられる。ナギは補足しにかかる糸を風で切る、ワイヤーのような硬質を無理矢理風が通り切断する。いくら糸をけしかけようと風が切断してしまう。
細い糸では広範囲の風に対抗出来ない。ルナは失敗を教訓に糸を太く強く強化する、第二の見えない糸がナギの体を締め付けに掛かる。ナギは走りながらそれを避ける、見えないものを避けきるのは不可能なので、体に風の層を纏い糸を弾く。
口の悪い少年と快活な少女、喋る隙もなく戦う二人は真剣だった。
ナギはルナに向かってナイフを投げる、ルナは糸でナイフを絡め取り速度を吸収する。ナイフが落ちる。
ナギの意図はルナを傷つける事ではない、一気に四本、ルナに目標を付けナイフを投擲する。そして追い打ちにまた四本。全て種類の違うナイフ、形も大きさもばらばら。刃物の王は風に乗せナイフを踊らせる。踊り狂う刃物は銀に輝き美しくルナに降り注ぐ。
ナギは信じていた、ルナならば防ぎ切ると。案の定ルナはナイフを迎撃仕切った、ルナを傷付けず気を逸らしたナギは既にオウサマの懐に飛び込んでいた。
端からルナ等狙っていない、目の前に見えていたのはずっと月だけだ。
ナイフの先、オウサマは笑っていた、いつもの不愉快な笑み。
ナギはその笑みを潰すように胸にナイフを突き刺した。
終わった――。
――だが、オウサマは倒れなかった、それどころかナイフは刺さっていなかった。
ナギは止まっていた、時を止められたように切迫した表情と今にも躍動しそうな姿勢で。
彼は体の動かし方が解らなくなっていた、あと一歩というところでナギの進撃は止まった。
「オウサマの異能はいつもよくわからないですねぇ」
ルナが言うと同時にナギは倒れる。ルナはひょこひょことオウサマの隣に並んだ。
ナギは足の進め方、物の握り方、思考方法までも消し去られ呼吸だけを繰り返している。
これが月の支配を受けた奴隷の姿なのだろう。まるで赤ん坊だ。
「月の元では私は無敵に近いのですよ」
笑う、全てが無力に近い。王は驕り高ぶった、その時――何かが王の体を突き抜けた。
「ッ! な」
支配が解ける。一瞬の出来事、ナギは起き上がり、そして終わりの一撃をその胸に突き刺した――。
「殺した……」
ナギはナイフを引き抜き地面に落とす、カラン――と音を鳴らす。オウサマは血を吹き出し崩れ落ちる、ルナは慌てて体を支える。
「なっ、どうやってこんな」
ルナは地面に転がるナイフを"二本"見つめる。
初撃がオウサマの隙を作る役目になり、二本目は直接オウサマの胸に突き刺されたもの。だとしても、初撃のナイフは一体何処から……。
「風の異能つったろ」
不得要領ならばとナギは見せてやる。命令すれば転がっていたナイフすら宙に浮く。
「風でナイフを浮かせていたのですか? それが貴方を支配した事により解け、オウサマの肩に落ちた。貴方はそれからまんまとオウサマを刺した」
「仕掛けたのはお前にナイフを投げた時だ」
「知りませんでした」
ルナは抵抗も見せず降参する。オウサマの傷は胸深くに達しており出血は止まらない。オウサマは死に、ナギも消える、あと数分もすれば。
治癒の能力でもない限り助かりはしない、周りを見てみる、水が屋上にまで達し、この場に居るのは医療の知識もない人間だけ。
大人しく諦めるしかどうせない。
「いやいや、予測出来ない事をされると対応が追いつきませんねぇ。これが権能の弱点でしょうか」
オウサマは胸を押さえ顔を上げる。不愉快な笑みはこんなになっても顔に張り付いている。
「何回刺されたら私は許されるのでしょうか、あははは」
「まだ喋れるのかよ、あんたはもう終わりだ、俺も、あんたを殺したから消える」
ウルワが声を頼りにナギの傍までやってくる、腕に縋り付く。
「消えないで……置いていかないでっ」
腕に纏わりつき、何処にも行かせないようにぎゅっと捕まえる。可愛い妹の健気な行為に、だけど気休めなんて思い付きもしない。
兄はそっと頭を撫でた。
水は少しずつ引いていく。
「ミズガレによろしく、最後まで仲良くな」
「ううっ」
「あのお兄さんがまだ生きているとでも? 水は全てを飲み込んだのですよ」
「あんた、死ぬまでくらい静かにできねぇのかよ」
「いやいや、だってまだ生きてますし。その後の話をするのは早いのでは?」
突然だった。ナギとウルワの体が地面に倒された。