それでも生きていて欲しかった
ナギとウルワがアガミに誘われ中央へ向かった日、一人の男は生を嘆いた――。
三人がいなくなった家は広い。空間的に感じるスペースではなく、存在していたものが心の中から居なくなる孤独感。気晴らしに掃除をしてみたが悲しさは拭えなかった。人が恋しいというのなら彼女がいるではないか、思い立ったらすぐにミズガレは隣の家に向かった。
「ユキノさん」
いつもならユキノが直ぐに玄関に顔を見せてくれるのだが、今日は無言の空間だけがミズガレを迎える。嫌な予感がした。ぞわりと這う胸騒ぎと戦いながらミズガレは靴を乱暴に脱ぎ廊下を駆けた。
一番初めに居間に入るとそこには信じられないものが存在していた。ミズガレは冷えていく、動揺して躓きそうになりながらも駆け出す。ユキノが倒れていた、息はあったが意識がない。
(どうするッ、どうしたらいいっ)
医学の知識等ない、医者でもない、そんなミズガレはユキノの体を抱き起こし名前を呼ぶしかない。
「ユキノさんっユキノさんっ」
60を過ぎたユキノにとって二夜という世界は過酷だった。特にこの二夜の端では満足な食事もとれず、健康を診断してくれる施設も医者もいない。年老いたユキノは二夜に落ちた時点で残り少ない命を義務付けられていたようなもの。
老いたユキノがいつか病に倒れる事は心の何処かで覚悟していた、共に住もうと持ち掛けた時、ユキノは遠慮がちに微笑んだ。
「ひとりで生きていけるわ」夫を殺し、ひとりになった彼女がこれからの生涯は自分だけで歩むのだと、そう言った。
何を我慢している、何を遠慮している。
何故頼ってくれなかった。
ミズガレは悔しい気持ちを腹の底で堪えながらユキノを自分の家の自分の布団に運んだ。
「ユキノさん、これからは一緒に暮らしましょう。もう我慢する事はないんです、目が覚めたら温かいお茶を淹れますね。それから暫くしたら煩い奴らが帰ってくるんで、そこのとこはすみません」
目覚めぬユキノにただミズガレは言葉を掛け続けた。
半日ほと経ち、日は暮れていく。
夕焼けに室内がオレンジ色に染まる。伏せたミズガレの顔にも色は落ちる。ユキノは辛うじてミズガレの握る手を握り返したが、それ以来何の変化もなく眠っている。
この美しい夕暮れの日を、ユキノはまた見る事が出来るのだろうか。彼女の人生は、後どれだけ生を許すというのだろう。
ミズガレは室内の日の当たる場所で育てている水を欲しがらない植物を引き抜き、ユキノの様子を見てから外に出た。
この二夜の最も端の町には瓦礫同然の建物がいくつかある。昔、ミズガレがまだ二夜に居ない頃からあったらしく、古い歴史を持つそれらを今ミズガレ達は利用させてもらっている。
錆びて欠けた建物の中から住めそうな家を探し、修復すれば使えそうな建物は新参者が手を加え一巡の住宅さながらの住まいに変えた。
この辺一帯は瓦礫の家。ミズガレの住宅付近は昔も人が住んでいたのか民家の残骸がいくつか残っていた。
「こんばんは、おじさん」
瓦礫の家の一つにミズガレは入る。主人お手製の扉に吊るされたベルが鳴り、客人の入店を告げる。
「……おじ、さん?」
返事がない。
ユキノの例もあり、いつもより敏感になってしまっている。まさか……
ミズガレは恐る恐る店の裏手へ回る。普段は客に対して感謝を忘れず、入店時には大声でらッしゃーいと挨拶をしてくれたおじさん。ミズガレの、ナギのウルワの服を作ってくれているのは彼。
「おじさん! ミズガレだよ、返事をして」
これ以上静寂が続いたら狂ってしまいそう。返事のないイコール死んでいる。嫌な方程式が頭から離れない。
「おじさんッ!」
「ああ……」
姿を確認出来た時、心からほっとした。服屋の店主は店の裏手の作業場の隅で箱の中身を覗いていた。ただその顔は何年もの過労が積み重なり痩せこけたように沈んでいた。
「なんだ、無事だったんですね」
「ああ、どうしたよそんなに慌てて」
「ユキノさんが……倒れて、だからおじさんもそうなってるんじゃないかと」
「ばーさんがな……、もう年だわな……」
しんみりした空気を店主は醸し出す。それがミズガレにはどうしようもなく不安で、何か喋っていないと絡みつく重みに押しつぶされてしまいそう。
「何を見ていたんですか?」
「これな、残りの生地さ」
店主が自分の体を退け箱の中身を見やすくする。箱の底には僅かな白い生地が見える、これは……
「もう生地がねえ、おれぁ服を作れねぇんだ。おしまいさ」
「そんな……」
「洋服作りはおれの生き甲斐だったんだがなぁ、何が狂わせちまったか、おれは人を殺しちまったよ。些細な事だったさ、おれの服に文句つけた野郎と言い争って殴り合って、気が付いたらあいつは死んでて。なんで死んじまったかなぁ、洋服を作るこの手が人を殺したんだよ……」
店主は自らの過去を振り返るように語る。内容とは似つかわしくない優しい顔をして。その穏やかな表情はまるで今際の――。
「止めましょうよそういうのは、なんだかおじさん変ですよ」
「ああ、へんだな……、仕事がなくなっちまって胸に穴が空いたんかな」
「じゃあおじさん、俺の服を直してくださいよ。ほら、この上着」
ミズガレは必死に思考を働かせ店主の気を引こうとする。いつも着ていた黒いロングコートを脱ぎ店主に差し出すが、それを店主は受け取ろうとしてくれない。
――どうして受け取ってくれない。
静止した店主がミズガレの焦りを、不安を更に大きくする。
やっと、店主がロングコートを受け取った時ミズガレの手は震えていた。
「んなにびびんなさんな、大丈夫さ」
『大丈夫』その言葉に、誰も救われはしなかった。
ユキノは目覚めぬまま、ミズガレだけがユキノの隣で目を覚ます。
朝だ。ミズガレは動く、食事の支度をしなければ。習慣性は規則正しく体を巡っていて、ナギもウルワも出掛けている、ユキノも眠っているというのに何人分もの野菜と水をテーブルに並べ……まではしなかったが多めに食材を取り出したのは否定出来ない。
一人で目覚め、一人で身だしなみを整え、一人で食事を済ませ、一人で生きていく。昔から何でもこなした、一人で、一人きりで。同じ子供に混じって遊ぶことはなかった、そんな事許されなかった。
暖かな家庭はここでやっと手に入れたもの。ウルワがいてくれたから、だからミズガレは正常でいられる。人の温もりを欲し、人に優しくあれるミズガレでいられる。ウルワが幸せでいられるなら、ウルワをこの手で殺す覚悟がミズガレにはある。歪んでいるのかもしれない、ウルワを悲しませ怖がらせる死があるのなら、最後は自分の手で眠らせてあげようなんて。
ミズガレは来るべき終わりの時を思い、手のひらを見た。この手がウルワを眠らせる、そしたら自分も死のう。水がなくなり、体が乾いて苦しむ前に。お腹が空いて、飢えに苦しみ涙を流す前に。
死は幸せ。苦しみから解放してくれる。
「ウルワもナギも元気かな」
死を思い生を願う。矛盾したミズガレは窓辺に沢山ある植物の世話をする。昨日抜き取ったものは服屋の店主に渡した。善意であり駄賃でもある。
昼までは家事やユキノに付き添い、昼過ぎには服屋の店主が気になっていたのでロングコートを受け取る名目で服屋に足を運んだ。
「――なんで、なんで……」
人は死ぬのだろう。
服屋の店主は首を吊って死んでいた。悔し涙が瞳に滲む、拳を握りしめてそれでも生きていて欲しかったと絞り出す。
ミズガレは暫くしてからようやく店主から離れる。綺麗に解れが直されたロングコートを見付け、隣には、最後の生地から作られた手作りのハンカチがミズガレに向けて贈られていた。




