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トルーマン ~蚊帳の外の男が大統領になったら、原爆もソ連も全部回ってきた~  作者: 人知るミシル


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幕間 ジョセフ・グルー

一九四五年五月二十九日 ワシントンD.C.


ジョセフ・グルー


午前十一時。


ジョセフ・グルーは、昨日ホワイトハウスで広げた書類を、今度は陸軍長官ヘンリー・スティムソンの机の上に置いた。


昨日は、大統領が聞いた。


今日は、軍人たちが聞く。


スティムソンのほかに、海軍長官ジェームズ・フォレスタル、陸軍参謀総長ジョージ・マーシャルが席についていた。


戦時情報局長エルマー・デイヴィス。


大統領特別顧問サミュエル・ローゼンマン。


国務省のユージン・ドゥーマン。


海軍作戦部長アーネスト・キングの席だけが空いている。


グルーは書類を開いた。


「では、始めましょう」


話すことは、昨日と同じだった。


日本の戦争遂行能力を破壊する。


軍国主義を終わらせる。


二度と世界の平和を脅かす国にはさせない。


その目的を変えるつもりはない。


「問題は、無条件降伏という言葉を、日本側がどう受け取っているかです」


グルーは三人を見渡した。


「日本の指導者たちは、それを天皇と皇室制度の完全な破壊まで意味するものと受け取っている可能性があります」


マーシャルは黙って聞いている。


スティムソンも口を挟まない。


「もし、それが降伏を妨げているのであれば――」


グルーは机上の紙を一枚めくった。


さらり、と乾いた音がした。


「我々が求めてもいないものまで、相手に要求していると思わせる必要はありません」


グルーは、日本の将来の政治制度について、日本人自身の意思を認める余地を声明に示す案を説明した。


デイヴィスが書類から目を上げた。


「それは、日本側に交渉の余地があると思わせませんか」


グルーが顔を向ける。


「軍の降伏を求めることは変わりません」


「だが、無条件降伏と言いながら、その直後に条件を説明する」


デイヴィスは紙を指先で叩いた。


「日本がどう読むかだけではない。アメリカ国民がどう読むかもあります」


「分かっています」


「勝っている側が、条件を緩めたように見える」


「言葉を守ることが目的ではありません」


グルーの声は変わらなかった。


「戦争を終わらせることが目的です」


部屋が少し静かになった。


スティムソンが口を開いた。


「私は、この案そのものには反対していません」


グルーがスティムソンを見る。


フォレスタルも頷いた。


「私もです」


マーシャルは黙ったまま書類を見ていた。


グルーは待った。


やがてマーシャルが顔を上げた。


「私も、内容に反対しているわけではありません」


「では?」


マーシャルは書類の上に手を置いた。


「まだ早い」


グルーの眉がわずかに動いた。


「早い?」


「発表するには、です」


スティムソンも異を唱えない。


グルーは二人を見比べた。


「何を待つのですか」


答えは、すぐには返ってこなかった。


グルーは待った。


「沖縄ですか」


マーシャルの表情は動かない。


「戦いが終わるまで待つのですか」


返事はない。


「空襲ですか。海上封鎖ですか」


グルーは続けた。


日本の都市は焼かれている。海から入る物資も細くなっている。


それでも、日本はまだ戦っている。


「それがもっと効くまで待つというのなら、そう言ってください」


スティムソンは黙っている。


「それとも――」


グルーはマーシャルを見た。


「最後には、日本本土へ兵を送るところまで行くのですか」


今度は、わずかに間があった。


グルーは続けた。


「ソ連もある」


誰も答えない。


いま挙げたのは、どれも表に見えている理由だった。


おかしい。


反対なら、反対の理由を言えばいい。


空襲を続けるべきだというなら、それを言えばいい。


封鎖が効くのを待つなら、それを言えばいい。


ソ連を待つなら、それを言えばいい。


「私は、軍事作戦をやめろと言っているのではありません」


「分かっています」


マーシャルが答えた。


「なら、この声明と軍事作戦は両立できるはずです」


グルーは机の上の書類を指した。


「日本が降伏できる出口を、一つ増やす。それが、どの軍事作戦を邪魔するのです?」


マーシャルが答えた。


「影響しないとは限りません」


「どう影響するのです?」


そこで、また止まった。


今度の沈黙は長かった。


グルーはマーシャルを見る。


次にスティムソン。


二人とも、答えを探しているようには見えなかった。


答えを持っている。


だが、言わない。


グルーはもう一度聞いた。


「何を待っているのです」


スティムソンが、ゆっくり部屋を見渡した。


デイヴィス。


ローゼンマン。


ドゥーマン。


フォレスタル。


そして、グルー。


それから口を開いた。


「軍事上の事情があります」


「それは分かりました」


グルーは引かなかった。


「その事情とは何です」


「ここでは、それ以上申し上げられません」


グルーは黙った。


反論できないからではなかった。


反論するための材料そのものを、渡してもらえない。


昨日、大統領は答えを求めた。


だから今日、ここへ来た。


その答えの核心だけが、答えとして出てこない。


「それでは、大統領に何と報告すればいいのです」


スティムソンが言った。


「考え方には賛成している、と」


マーシャルが続けた。


「だが、今は早い」


「時期の問題だと?」


「そうです」


グルーはマーシャルを見た。


「いつなら早くないのです?」


マーシャルは答えなかった。


「何が変われば、出せるのです?」


また答えはない。


グルーはスティムソンへ視線を戻した。


「それも、ここでは言えない?」


スティムソンは否定しなかった。


グルーはしばらく二人を見ていた。


これで納得したわけではない。


だが、この部屋で同じ質問を繰り返しても、出てこない答えがあることは分かった。


会議はなお続いた。


言葉の選び方。


日本側がどう受け取るか。


米国側がどう受け取るか。


降伏を容易にすることと、弱腰に見せること。


戦争を終わらせるための文言が、戦争そのものへどう作用するのか。


それでも最後に残る線は変わらなかった。


原則には賛成。


だが、今ではない。


およそ一時間後、グルーは書類を閉じた。


大統領へ持って帰れるのは、それだけだった。


*


ヘンリー・スティムソン


人が出ていった。


扉が閉まった。


さっきまでの人数は、もういない。


スティムソンの前に残ったのは、マーシャルとジョン・マクロイだった。


今度は、話せる。


マクロイが記録を取る。


スティムソンは、さきほどの会議に話を戻した。


日本への声明を、今は出さない。


その判断自体は間違っていない。


「だが、これで終わりではない」


マーシャルがスティムソンを見る。


「この問題は、もう一度考えなければならん」


「いつです」


スティムソンは答えた。


「S-1を使う前だ」


マクロイの手が動いた。


S-1。


それが、さきほどの部屋では口にできなかった名前だった。


原子爆弾。


話はそのまま、新しい兵器へ移った。


スティムソンは東京が焼けたことに触れた。


そして、さらに大きな爆弾をどう使うのかという問題を出した。


マーシャルはすぐには答えなかった。


まだ、使い方そのものが決まっているわけではない。


「最初に使うなら」


マーシャルが言った。


「明確な軍事目標がいいでしょう」


「たとえば?」


「大きな海軍施設です」


スティムソンは黙って聞いた。


「それで終わらないなら、次を考える。工業地域を攻撃するなら、住民に退避を警告することもできます」


マクロイが書き留めていく。


兵器は、現実の使用を考える段階まで来ていた。


だが、どう使うかはまだ決まっていない。


どこへ落とすのか。


警告するのか。


何を軍事目標と呼ぶのか。


その使い方が、戦後のアメリカをどう見せるのか。


マーシャルは、使い方を誤れば、この力そのものがアメリカへの非難となって返ってくることを気にしていた。


スティムソンも同じだった。


戦争を終わらせたい。


できるだけ少ない犠牲で。


そのために日本へ降伏の出口を見せることも考える。


その一方で、これまで存在しなかった兵器が、まもなく現実の選択肢になる。


どちらを先に置くのか。


どう組み合わせるのか。


まだ答えは出ていなかった。


だから、さっきの答えは――


今ではない。


スティムソンは机の上の紙へ目を落とした。


一時間の会議で、「軍事上の理由」としか呼べなかったものがある。


扉が閉まり、三人になると、その奥に、スティムソンが口にできなかった名前があった。


S-1。

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