2 - 定期巡回①
その日、私は現場に駆り出されていた。といっても今回は国境沿いの村々の定期巡回だ。戦闘の可能性はあるものの、危険性は然程高くない任務だった。
馬車の荷台で揺られながら閉じていた瞼を開いた。国境近くの砦に到着したら任務開始だ。そうなればゆっくりうたた寝をする暇などない。今のうちに休息を取っておかなければと昼寝をしていたところだった。現地までは砦までの物資と一緒に荷馬車で向かう。どっちが本体でどっちがついでなのかは分からない。
「もう18になるっていうのに、寝顔は変わらないな。」
そう笑われて恥ずかしくなる。
「お前……寝顔なんてどこで見るんだ。」
「真白は授業中たまに居眠りする子でしたから。」
「意外だなぁ……!」
「もう、進先生も由楽隊長も止めてください……。」
今回のメンバーは進先生と第一隊隊長の由楽隊長、ここに現地でもう一人合流した四人体制だ。
訓練所の先生は第一隊所属の人から選ばれるという決まりがあるらしい。それで進先生は十年近く先生として勤め、先日隊に戻って来たのだ。
「それにしても、まさか戻って早々教え子と任務に行くことになるとは思わなかったな。」
進先生は嬉しそうに笑った。そうは言っても、ここ十年で守護隊に入隊した子たちは全員漏れなく進先生の教え子なのだ。これは偶然ではない、ほぼ必然だ。
「真白は特に優秀だからなぁ! 八雲が目をかけていただけある。」
由楽隊長は大きく笑った。四十代の由楽隊長は私たち第一隊の父のような存在だ。その肉体は鍛え上げられて逞しく、豪快な笑い声はいつも私たちに元気を与えてくれる。私はこの人が大好きだった。
「それも相変わらずだそうだな。」
進先生が笑って言った。
「そーうなんだよ、見てるこっちが焦れってぇったらありゃしない!」
「はは、どうにも変わらないもんですね。」
話題が全部辛い。まさか年長者からもそんな風に見られていたとは。私は照れていいやら冷や汗をかいていいやら分からず、ただ項垂れた。親戚がいたらこんな感じなんだろうか。
「八雲の奴、縁談断りまくってるだろ。」
「こ、断りまくってるんですか!?」
これにはさすがに驚いて身を乗り出した。やはり私が知らなかっただけで、縁談は来ていたのか。
「なんだお前、知らなかったのか。」
「し、知りません……!」
「このままじゃ嫁をもらえなくなるんじゃねぇかと危惧してたんだが……こんなところにもう目をかけてるのがいるんだもんなぁ。」
「もう七年は前からですね。」
「そりゃあ断るよなぁ!」
由楽隊長は再びガハハと豪快に笑った。進先生も和やかに笑った。私は諦めて外の景色に目を向けた。
近頃どこに行ってもこの調子だ。私が適齢期になってしまったからだろうか。意図しないところで勝手に外野が外堀を埋めていく。そんな感覚だ。いや、私の方は嬉し恥ずかしなのだが、八雲の方が同じとは限らない。八雲にとっては、迷惑かもしれない。そう思うと気持ちが沈む。今はまだそっとしておいてほしい、そんな時期だ。
「……まぁ、八雲さんの場合、踏ん切りがつかないっていうのもあるんでしょうけどね。」
ふと進先生が寂しげにポツリと言った。
「それこそもう何年も前だろう! 死者に操を立てたってどうにもならん!」
由楽隊長は少し怒った風に言った。何の話をしているんだろう。初めて聞く話だった。本能的に、聞いてはいけない話のような気がした。けれど進先生は続けた。
「それだけ、彼女を想っていたってことなんでしょうね……。」
思わず後退りをした私は、振動の影響もあって馬車の壁に思い切り頭を打ちつけてしまった。思わず両手でそこを押さえる。痛かったが、涙が滲むほどではなかった。なのに私の視界は微かに霞んでいた。
「大丈夫か真白!」
二人が慌てている。
「ほら、冷やせ。」
「ありがとうございます……。」
由楽隊長が魔法で作ってくれた水袋で患部を冷やす。が、正直そんなことはどうでもいい。
「あの、彼女……って……。」
由楽隊長と進先生は一瞬キョトンとした後、顔を見合わせて気まずそうに顔を顰めた。
「お前、何も知らないのか。」
「はい……。」
「だー、そうだよなぁ。好き好んでそんな話しねぇよなぁ。」
「軽率でしたね……。」
二人は自分たちの失態に気がついたらしく、罰が悪そうだった。由楽隊長は大きく溜め息を吐くと腕組みをしてこちらに向き直った。どうやら決心を固めたようだ。
「八雲には、幼馴染がいたんだ。」
「幼馴染……?」
「八雲が守護隊見習いをやってたのは聞いてるか?」
「はい。」
「その頃からの付き合いだ。まぁ、戦争孤児仲間って言や早いな。聞こえは悪いが……。」
戦争孤児は首都に集まる。首都の方が物資が多く、また守護見習いという道もある。地方で孤独でいるより利口なのを、皆知っているのだ。八雲だけでなく、一周目では私もそのうちの一人だった。
「八雲と少し歳の離れた女の子だ。太陽の国の手にかかってな……。だが──」
そこまで言って由楽隊長は言葉に詰まった。それを進先生が引き継ぐ。
「遺体が見つかっていないんだ。今から……十年近く前だな。その後の痕跡が掴めない。生きているのかさえ分からないんだ。」
「死んでると考える方が自然ではあるがなぁ……。」
「そう、なんですか……。」
そんな話は初めて聞いた。八雲はあまり自分の話をしない。私も語れるほどのものは持ち合わせていない。必然的に、そういった話題には触れずにきてしまったのだ。
いや、豪さん辺りからもそう言った話題が出なかったところをみるに、触れてはいけない部分についに触れてしまったようだ。ふと、昔飛鳥の村に行った際に豪さんが言っていたことを思い出した。
──『あともうふた……あー……一人、年が近いのがいてね。』
あのとき言いかけていたのはこのことだったのか。豪さんか八雲、どちらかにとって禁句なんだと思ったが……八雲の方だったのか。
「まぁ、全部十年近く昔の話だ! 側にいたのはお前だろう、真白!」
「はい……。」
「元気出せ!」
由楽隊長が大きな笑顔で笑った。しかし、まだ疑問は解決していない。
「あの、八雲さんはその女の子と……恋仲だったんですか……?」
これまた由楽隊長と進先生は顔を見合わせた。明らかに困っている。少しして進先生は観念したように言った。
「恋仲だったよ。誰がどう見ても一目瞭然。今で言う、お前と八雲さんみたいな感じでな。……いつくっつくんだって、よくからかったっけな。」
「そうなんですか……。」
「それを守れなかった。八雲の奴は、大切なものを作るのにびびっちまってるのさ。」
何も知らなかった。私たちは互いのことを、こんなにも知らなかったのか。私はもう何にショックを受けていいか分からなかった。
砦に到着すると荷台の荷物下ろしを手伝い、会議用に貸し与えられた部屋に移動した。
そういえばと、こんな流れであの訓練が地獄と呼ばれるようになったことを思い出した。あの年の実地演習は『地獄の演習』として後世に語り継がれている。油断大敵の教訓として扱われているのだ。もちろん……そんな簡単に言い表せるようなものではなかった。失った物は多く、その傷は未だに腹の中に鎮座している。そう、いつ何時何が起きるか分からない。気を抜きすぎてはいけないのだ。
「やっほ〜真白!」
「えっ……、睡蓮さん!」
「今回はよろしくね。」
「わぁ……! お久しぶりです! 嬉しい!」
なんと、砦で合流するもう一人とは睡蓮さんのことだったらしい。彼女は変わらず第四隊に所属している。
「病人がいるってんで派遣されて来たんだけど、落ち着いたからね。首都に戻れるかと思いきや、一仕事して帰って来いって。人使い荒いわよね〜。」
「ふふ、そうなんですね。」
「……なんか、元気ない?」
「えっ……。」
先程聞いた恋敵のことを引きずっているのは明白だ。……睡蓮さんなら、もっと詳しく知っているだろうか。
「さっき、八雲さんの昔の話を聞いて……。」
「昔の話?」
「恋仲の人がいた……って……。」
睡蓮さんは「あー……」と頭を抱えた後、盛大に溜め息を吐いて悪態をついた。
「あのオジサンたち……余計なことばっかり言うんだから!」
顔が怖い。美人はいちいち迫力がある。
「そりゃ気になるわよね。……正直、私たちの間でも禁句扱いだったのよ。だから真白の耳に入らなかったんだと思うわ。」
「……なんで……禁句だったんですか……?」
「その時期、人が立て続けに亡くなったのよ。で、トドメがその子だったの。その子に至っては遺体も見つからなくて生死不明だから、皆上手いこと踏ん切りがつけられなくてね……。」
「そう……だったんですね……。」
どんな人だったんだろう。可愛い人だったのかな。……今、生きてない……のかな。
「……後でゆっくり話しましょ! 今更禁句もないし、八雲もいないしね!」
睡蓮さんはチャーミングにウィンクしながら笑った。この任務は帰りの日程も含めれば一週間はかかる。時間はたっぷりある。焦ることはない。私は気を取り直して頷いた。
*
「実は、今回の任務はいつもの定期巡回とは少し異なる。」
会議室で、由楽隊長は眉間に皺を寄せて言った。
「異なるというと?」
「最近、太陽の国からの頻繁な接触が起こっていてなぁ。こちらとしてはやることは変わらんが、危険度が数段上がってると思ってくれ。」
「そんなにですか?」
「あぁ……。『地獄の演習』以降、何だかんだ大人しかったが……いよいよかもな。」
六年前のあの日、恐らく皆が平和の終わりを覚悟した。しかしあれ以降、太陽の国が表立って攻めてくることはなかった。こちらに侵入した超精鋭が返り討ちに遭ったものだから大人しくしている……というのが、私たちの冗談混じりの希望的観測だ。
進先生と睡蓮さんは表情を引き締めた。私はただ怖かった。所在なく手を握り締めた。
「とにかく目撃情報が多いんだ。実害はないところを見るに、向こうも様子見段階ってところだろうな。とにかく、気を引き締めていくぞ!」
「はい。」
由楽隊長は私たちを見渡して笑顔で頷いた。力強い笑顔だ。総隊長には劣るが、由楽隊長も十分な猛者だ。その笑顔を見るだけで安心する。
もう日暮れも近い。巡回には明日から出ることになり、私たちは荷物の準備などをして過ごした。
*
その晩、寝る準備を終えた私と睡蓮さんはベッドに腰掛けて向かい合っていた。狭い部屋にベッドが二つとチェストといった簡素な部屋だ。泊まりがけの任務に来た隊員用なので、野宿じゃないだけで十二分だ。
「何から話そうかしら。」
睡蓮さんはチェストの上に置かれた蝋燭の灯りに目を向けた。その目はひどく悲しそうだった。
「だいたい十年前かしら。病気や事故なんかも含まれるんだけど、本当に立て続けだったの。八雲が守護隊見習いやってたのは聞いた?」
「はい……。」
「そう。……いっつも三人で連んでた。一人は金兎っていう、八雲と同い年の男の子。もう一人が恋仲だった雛菊っていう、八雲より四つ年下の女の子よ。」
金兎……雛菊……。どちらも初めて聞く名前だ。……それだけ禁句として皆が口にしなかった名前ということか。
「私、雛菊と同期なの。で、金兎は恋人だった。」
「!」
私は思わず息を飲んだ。話を聞く相手を間違えた。咄嗟に口を覆った私を見て、睡蓮さんは優しく微笑んで首を横に振った。
「昔の話よ。今は違う恋人がいるし。」
「そう……ですか……。」
「八雲だけ、取り残されてるのよ。……先に死んだのは金兎。任務中に太陽の国の侵入者と交戦して、そのまま行方不明になったの。」
結末が分かっているだけに、相槌すら上手く打てそうにない。私はただ手を握り締めて頷いた。睡蓮さんは瞼を伏せて続けた。
「……しばらくして、国境付近の森の中で、遺体で見つかったわ。……明らかな拷問の痕があった。」
睡蓮さんの唇と声が震えた。私はどうしていいか分からず唇を噛み締めた。睡蓮さんの目は仄暗く、無言でも十分に感じ取れるほどの憎しみに溢れていた。睡蓮さんは大きく深呼吸をした。顔を上げたときには、憎しみは息を潜めていた。
「その半年後くらいに、今度は雛菊が任務中に太陽の国の侵入者と遭遇。……消息を絶ったわ。それがもう、十年も昔。雛菊に関しては遺体が見つかっていなくて、生死不明のまま。……恐らく、生きてはいないでしょうけどね……。」
生きていてほしい。けれどもう十年も昔となると、恐らくもう……。睡蓮さんはふっと息を吐き出すと同時に、その顔に微笑を浮かべた。
「よく揶揄ったわ。いつくっつくんだ〜って。……結局付き合わなかったのよね、確か。」
「由楽隊長たちも……そう言ってました。」
「馬鹿ね……。いつまでも隣にいるとは限らないのに。」
「……。」
私は何も言えずに手元に視線を落とした。そう、この平和だっていつ終わるのか分からないのだ。脳裏に一周目の記憶が一瞬過ぎって、私は瞼をキツく閉じた。もう時間がない。
「ねぇ、真白から告白する気はないの?」
顔を上げると睡蓮さんは優しく笑っていた。揶揄っているわけではない。純粋に気にかけてくれているんだ。
「……あまり、考えたことがありませんでした……。」
「どうして?」
「どうして……。」
恋愛より、死を回避する方を優先しなければいけないと思って生きてきた。そのためにはとにかく情報を得る必要があった。そのためには高みを目指さなければならなかった。
「真白って……、少し生き急いでるように見えるのよね。一度立ち止まって、向き合ってみてもいいんじゃない?」
「……。」
立ち止まる暇なんてない。すべては死を回避できたら。それからでいいと思ってきた。
でも、平和の終わりが見え始めてきた。もし二周目でも失敗したら? 私はまたあの後悔を重ねるんだろうか。それは……嫌だ。
「なんてね。ごめんね、そんな顔させて。本当言うと、見てられないのは八雲の方なのよ。」
「え……?」
「……雛菊がいなくなってから、すごく……闇の中にいる、そんな感じだったのよ。でも──」
睡蓮さんは少し遠くを見つめた後、やはり優しく笑った。
「八雲が真白を抱えて帰って来たあの時。久しぶりに、光を見た気がしたの。真白といるときの八雲は、何だか生き生きして見えるのよね……。」
そんな風に思われていたなんて。なんだかこそばゆい。
「……友人として、今後も八雲の側に居てほしいって思ってるわ。」
「ありがとうございます……。」
私はどう返していいか分からなくて、そう返すのが精一杯だった。「そろそろ寝ましょうか。」と睡蓮さんに促されて、私たちはそれぞれのベッドに潜り込んだ。
天井を見つめているとどっと不安が押し寄せた。リミットまで一年を切ってしまったこと。八雲と総隊長にその話をしなければならないこと。八雲との関係。そして、知ってしまった雛菊さんという存在。いろいろなことが頭の中をぐるぐると回った。私は必死に目を瞑った。




