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永遠のパラレルライン  作者: 瀧川蓮
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51.滲んでいく世界

冷たいコンクリートがじくじくと肌を刺す。殴られた胃のあたりに残る、鈍い痛み。


「ん……んんーっ……!」


手足を拘束されたまま、桐絵はコンクリートの上で何度も体をくねらせた。


何とか拘束を解こうと、後ろ手に縛られた手首の粘着テープをコンクリートの床に擦りつける。が、何重にも巻かれた粘着テープはなかなか切れる様子がない。


募る苛立ちと焦り。薄暗い倉庫の中、桐絵は必死で腕を小刻みに動かした。


お願い、切れて……! 早く……早くしないと……!


地面に横たわったまま、もがき続ける。この無駄な時間が永遠に続くのではないかと、かすかな恐怖と不安が首をもたげた。


そのとき──


勝手口のドアが乱暴に開け放たれる音が倉庫内に響いた。桐絵が反射的に目を向ける。


「桐絵ちゃん!」


倉庫に飛び込んできたのは、明日香と若い男。マコトの側近であるヒロトだ。


慌てた様子で桐絵に駆け寄った明日香が、手早く手足の拘束を解き、口元のテープも剥がした。


「桐絵ちゃん、大丈夫!?」


「は、はい……」


明日香に手を取られ、桐絵はゆっくりと立ち上がった。


「もしかして、井ノ原君が……?」


桐絵が静かに頷く。そして、ハッとしたように明日香へ向き直った。


「明日香さん! スマホ貸してください!」


「え? 桐絵ちゃんのスマホは?」


「実は……」


桐絵はここでの出来事を簡潔に説明した。井ノ原に体当たりを喰らわせ、樹里に覆い被さるような形になったとき。桐絵は自分のスマホを樹里の上着のポケットへ素早くねじ込んでいた。


「ど、どうしてそんなことを?」


怪訝そうにする明日香の前で、桐絵は借りたスマホでどこかへ電話をかけ始めた。


「私のスマホ、位置情報アプリを入れてあるんです。うちには小さな妹と、高齢のおばあちゃんがいるから、何かあったとき家族がお互いの居場所を把握できるように」


「なるほど……ということは……!」


「ええ……私の家族なら、スマホの位置情報を取得できます。つまり、ジュリちゃんたちを追跡できる……あっ、瑠衣!?」


十数回ほどコールした頃、妹の瑠衣が電話に出た。


『え、お姉ちゃん? 電話番号変わったの? 誰か分かんなかったから、出るかどうか迷ってたよー」


「ごめん、人のスマホからかけてるの。それより瑠衣、位置情報アプリで私のスマホがどこにあるのか、すぐに調べてくれる!?」


『何、お姉ちゃんスマホなくしたの?』


「まあそんなとこ。それより、早くお願い!」


『分かったよー、ちょっと待ってね……ええと……」


瑠衣の声が遠くなり、スマホの画面をペタペタと触る音が桐絵の耳に届く。


「どう?」


『んー……? 移動してるみたいだよ? 誰かに拾われちゃったんじゃない? 私、電話してみようか?」


「それは絶対ダメ!」


桐絵の声が思わず大きくなる。


『わっ……びっくりした。大声出さないでよね』


「ご、ごめん。それより瑠衣、スマホの現在地と、進行方向を教えてくれる?」


『ええとね……白鷺神宮の少し手前あたりだね。神宮通りを北に向かってるよ。位置情報が道路の上だから、多分車で移動してる』


桐絵はスマホの通話口を指で塞ぐと、弾けるようにヒロトへ顔を向けた。


「ヒロトさん、LIMEのグループに情報共有お願いします!」


「分かりました」


瑠衣から聞き取った情報を素早くヒロトに伝える。


「瑠衣、ありがとう! このまま電話繋いだままで、こまめに位置情報を教えてくれる?」


『うん、分かったー』



──黒いワンボックスカーの車内では、マコトを除く全員がスマホの画面に目を落としていた。


桐絵が井ノ原に拘束、監禁されたという事実に一同は肝を冷やしたが、有益な情報を得たことで希望を見出すこともできた。


「神宮通りを北に、か」


アクセルを踏み込みながらマコトが言う。助手席の陽奈がLIMEに素早くメッセージを打ち込んだ。


陽奈『@明日香 最新の位置情報を教えてもらえますか?』


明日香『@陽奈 ええと、杉坂屋ビルの近く!』


杉坂屋は老舗の百貨店だ。陽奈がかすかに首を捻る。


「変、ですね。白鷺神宮と杉坂屋ビルはそれほど離れていないのに……」


「ああ。もしかしたら、渋滞にでも──」


マコトが言いかけたところ、全員のスマホが一斉にピロリンと鳴いた。


沙羅『@陽奈 神木、杉坂屋ビルの近くにある瀬名公園でクリスマスイベントやってる! ちょっと道路が混雑するかも!』


メッセージを読んだ陽奈がすかさずマコトに伝える。


「やっぱり渋滞か。なら……先回りできる可能性もあるな」


マコトは勢いよくステアリングを切りルートを変えた。黒いワンボックスカーが、タイヤを鳴かせながら一方通行の路地へ進入する。


「そもそも、井ノ原の野郎はどこへ行こうとしてんだ?」


スマホを睨みながら咲良が呟いた。そして、LIMEでメッセージを送る。


咲良『@明日香 桐絵さんに、井ノ原がどこへ向かっているのか心当たりがないか、聞いてもらえませんか?』


明日香『@咲良 分かった!』


咲良は小さく息を吐くと、窓の外へ目を向けた。どんどん後ろへ流れていく景色。


何だろう、よく分からないけど……とてつもなく、嫌な予感がする。


かすかに、でもたしかに。心臓が鼓動を速めるのを咲良は感じた。



──主人がいなくなった機材倉庫の中で、桐絵は眉根を寄せたまま井ノ原とのやり取りを思い返していた。


あのとき、井ノ原さんはたしかに「行かなきゃ」と言っていた。つまり、どこか明確な目的地があるはず。


いったい、どこ? どこに行こうとしてる?


険しい顔で考え込む桐絵の様子を、隣で明日香が心配そうに見つめる。ヒロトはというと、倉庫内の棚へ置きっぱなしになっているカメラや機材なんかをまじまじと眺めていた。


「あーあ……もったいないな」


ぼそりと呟いたヒロトへ、明日香が目を向けた。


「どうしたんですか、ヒロトさん?」


「あ、いや。自分もカメラが好きなもので」


「へえ……そうなんですね。それで、もったいないって?」


「や、だってこんないいカメラなのに、全然メンテしてないというか……。ケースにも入れずこんな埃っぽいとこに置きっぱなしだし」


手に取ったカメラを眺めるヒロトへ、桐絵もちらりと視線を向ける。


「なんていうか……もう、使うつもりがない感じですね」


ヒロトの言葉を聞き、桐絵は目を大きく見開いた。


ちょっと待って……井ノ原さんはたしか、こうも言っていた。


『今日は祝うべき終幕……フィナーレの日なのだから』


終幕……フィナーレ……。


『最後の最後に、僕が持つ者から奪ってやるんだ』


最後に……奪う。使うつもりがないカメラ……。


突如、桐絵の全身を電流が駆け巡った。たどり着いた一つの、恐ろしい推測。


「もしかして……死ぬつもりなんじゃ……!」


明日香とヒロトが弾けるように桐絵へ向き直る。


「そ、そんな、まさか……!」


震える明日香の声。


「……井ノ原さんは、ジュリちゃんにかなり執着していました。それに、「最後の最後に持つ者から奪ってやる」と」


ヒロトの目がスッと細くなる。


「なるほど……あの子を道連れに心中するつもり、か」


桐絵が小さく頷く。


でも、どこで? ただ心中するだけなら、わざわざ車で出かける必要はないはず。


彼のシナリオに、どうしても車が必要だった……? だとすると、考えられるのは──


「車で海へ飛び込む……もしくは、わざと事故を起こす……?」


明日香とヒロトが息を呑む。


「たしかに……どっちも確実に死ねそうな方法ではありますね」


「そ、そんなこと……!」



──桐絵が導き出した井ノ原のシナリオは、すぐさま陽奈たちに共有された。


「くそっ! ざけやがって……! そんなことさせるかよ……!」


荒ぶる咲良の隣で、葉月と晶も唇を噛み拳を握る。


「なるほど……だからか」


呟いたマコトへ、全員が視線を向けた。


「どういうことですか、マコトさん?」


「神宮通りを北上していった先には、首都高速の入り口がある」


陽奈がかすかにハッとする。


「ハイスピードで事故りゃ、自爆でも高確率で死ぬだろうな」


「の、呑気に言ってる場合か! 早く井ノ原の野郎を止めねぇと……!」


「落ち着け咲良、もちろんそのつもりで走ってる」


定期的に送られてくる井ノ原の位置情報を頼りに、マコトは常に最適なルートを選択しながら車を走らせていた。


「先回りはできそうにないが……おかげでかなり差は縮まった。このまま本線に合流すりゃ……!」


「い、急ぎましょう」


「ああ」


マコトがアクセルをこれでもかと踏み込む。


「首都高に入られちゃ、もう打つ手はねぇ……それまでに捕まえないとな」


渋滞を避けて幹線道路へ出たマコトのワンボックスカーが、車線変更を繰り返しながら次々と他の車を追い抜いていく。


「嬢ちゃん、位置情報は?」


陽奈がLIMEにメッセージを投下すると、一分も経たずに返信が来た。


「篠崎三丁目交差点の手前あたりです!」


「近いな……ん?」


マコトが視線を向けた先。三車線の一番右側を走行する一台の車を視界に捉え、マコトが目を見開いた。


「いたぞ! アレだ!」


咲良たちが後部座席から身を乗り出す。助手席に座る陽奈も、思わず腰が浮きかけた。


二台の距離はおよそ五十メートル。マコトはやや強引に追い越し車線へ移動すると、荒々しくアクセルを踏み抜いた。が──


「お、おいおい……! 全然追いつかねぇじゃねぇか! もっと飛ばせねぇのかよ!?」


「無茶言うな! こっちは五人も乗ったワンボックス、向こうは三百馬力オーバーのアウディだぞ!」


悲鳴のようにエンジンを唸らせるワンボックスカーを嘲笑うかのように、アウディはスムーズに加速を続ける。


「マズいな……! 次の交差点を右折したら、首都高の入り口は目と鼻の先だ!」


マコトが奥歯を強く噛み締める。


「……!」


逃げるように加速するアウディを睨んでいた陽奈が、バッグからノートパソコンを取り出した。


「咲良さん、スマホの回線使わせてください。テザリングでネットに繋ぎます」


「え? あ、うん! でも、どうするの?」


咲良が手早くテザリング設定を済ませる。


「さっき警察のシステムに侵入したとき、バックドアを仕込んでおきました。それを使ってETCシステムに侵入します」


「ETCに?」


「はい。ハッキングしてすべてのゲートを開かないようにします」


「そ、そんなことできるの? てゆーか、警察のシステムとETCシステムって連携してるんだ?」


「いえ。直接的には連携していません。が、警察のネットワークは捜査用にさまざまなインフラと接続されています。今回は交通照会ネットワーク、そこにバックドアを仕込みました。そこを踏み台にしてETCシステムへ侵入します」


「な、なるほど」


陽奈が凄まじい速さでキーボードを叩く。唸るエンジン音と乾いたタイピング音が車内で混ざり合った。


陽奈の頬を、冷たい汗が流れ落ちる。


焦るな……でも、急ぐんだ……! 何としても、ここで……!


「陽奈ちゃん、どう!?」


「今、集中してるので……!」


焦りからか、頻発してしまうタイプミス。陽奈が唇を噛む。


「嬢ちゃん、まだか!? このままだと、首都高に入っちま──」


「分かってます!!」


ちらりと視線を向けると、アウディが交差点を右折する様子が目に映った。首都高の入り口まで、大した距離はない。


まだ、侵入はできない……! 早く、早く、早く……! 


「陽奈ちゃん……!」


咲良の祈るような声。陽奈は一心不乱にキーボードを叩き続ける。


よし……これで……!


人差し指でEnterキーをパチンと叩いた。が──


「え……!?」


モニターに表示されたのは『Error』の文字。


なん……で……! どうして……!?


唇を強く噛んだままモニターを睨みつける。じわりと世界が滲んだ。


もう……間に、合わない……。そもそも、死を覚悟している人間が、ETCのゲートが開かないといって、おとなしく停まる可能性は、低い。


陽奈の瞳から、大粒の涙がポタポタとこぼれ落ちた。


嫌だ……嫌だよ……やめてよ、ねえ……やめてよ……!


陽奈の小さな肩が震える。


お願い……やめてよ……! 樹里に、樹里に酷いこと、しないでよ……!


自然と嗚咽が漏れた。


初めて……初めてできた友達なんだよ。私にとって、世界で一番大切な……体の一部のような、誰よりも大事な友達なんだよ……!


首都高、ETCレーンまであと百メートルもない。


「樹里……!」


悲痛な声。誰もが諦めかけた、そのとき──


場の空気を読まないような、ピロリンというポップな音が車内に響いた。


陽奈がスマホの画面に目を落とす。ぼやける視界に映り込んだ、LIMEのメッセージ。


堕天使『私が、止める』


「……え?」


陽奈が指で目元の涙を拭った刹那。


世界から音が消えた気がした。そして次の瞬間──


獣の咆哮にも似た猛々しいエキゾーストノートが、凄まじい勢いで背後から迫るのを感じた。


地を這うように迫り来る黒い何かが一瞬でワンボックスカーを抜き去り、狂ったように加速していく。


それは、車高を低くした黒いスポーツカー。テールに輝く『R』のエンブレム。


「な……! R-32、GT-Rだとっ!?」


GT-Rは瞬く間にアウディの前へ出ると、激しいスキール音を響かせながら車体を横に向けた。サイドターンだ。


進路を塞がれたアウディが急ブレーキをかけて停車する。一度バックし、再びETCレーンへの進入を試みるも、GT-Rがそれを許さなかった。


さらに、追いついたマコトがアウディのすぐ隣へワンボックスカーを横づけする。


運転席のドアを乱暴に開けて飛び出していくマコト。陽奈や咲良もそれに続いた。


「な、何だよ、お前ら……!」


運転席の窓から顔を覗かせた井ノ原の胸ぐらを、マコトが荒々しく掴む。


「手間かけさせやがって……!」


マコトの強烈なパンチが井ノ原の顔面にめり込んだ。


「ぎゃっ……!」


車から引きずり降ろされる井ノ原。陽奈と咲良は助手席のドアを開け、樹里の肩を揺さぶった。


「樹里! 樹里!」


陽奈と咲良が樹里の口元に耳を寄せる。スースーと寝息が聞こえ、二人は胸を撫で下ろした。


そのとき。GT-Rの運転席から、ドライバーが降りてくるのを陽奈の視界が捉えた。


降りてきたドライバーを見た、陽奈の目が驚きに見開かれる。


「あ、あなたは……!」


息を呑む陽奈の視線の先。

そこに立っていたのは──


樹里が通う高校で、かつて教壇に立っていたあの数学教師。


伊達晴美だった。

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