47.私たちだけで何とかします
防音設備が不十分なのだろうか――
ノートパソコンのモニターを凝視しながら、陽菜はかすかに眉をひそめた。隣室から壁伝いに聞こえてくる、人気アイドルグループのヒット曲。お世辞にも上手とは言えない歌を半強制的に聞かされるのは苦痛でしかない。
「……次のリストへ移動します」
陽菜と並ぶようにしてソファへ腰かけ、ノートパソコンのモニターを見つめていた咲良たちが小さく頷く。
彼女たちが見つめているのは、警察が管理している性犯罪者のデータベース。あっさりと警察のデータベースへ侵入した陽菜は、旧新宿エリア周辺に在住しており、過去に性犯罪を犯した人物のデータをチェックしていた。
が、とにかく数が多い。旧新宿エリアはそれほど広くはないものの、日本屈指の歓楽街や繁華街があるためか、性犯罪の発生率も高いようだ。
樹里との接点が少なそうな六十代以上の高齢者はリストから除外し、なおかつ普通自動車免許を取得している人物で絞り込んではいるものの、それでも相当な数だ。
普段、感情が表に現れにくい陽菜も、焦りを感じているのか先ほどからずっと険しい表情を浮かべている。
すでに、ここへ訪れて二十分近く経っていた。焦りを覚えているのは陽菜だけではない。咲良に葉月、昌は下唇を噛んだままノートパソコンのモニターを睨みつけ、マコトも鋭い眼光を瞳に携えてデータをチェックしている。
モニターに表示されているデータをチェックした陽菜は、小さく息を吐くと次のリストへ移動しようとタッチパッドへ指をのせた。と、そのとき――
「……ん? 陽菜ちゃん、ちょっと待って!」
突然、大きな声をあげたのは咲良。
「も、もしかして、知ってる名前がありましたか!?」
陽菜の心臓が大きくドクンと跳ねた。咲良が眉をひそめたまま、そっとモニターの一点を指さす。
「や……知ってるわけじゃないけど……この名前、どこかで聞いたことがあるような……」
咲良が指さしたデータに全員が注目する。そこに記載されていたのは――
「井ノ原……陽介……?」
その名前を見た瞬間、陽菜の全身に電流が走った。膨大な記憶の引き出しのなかから、一人の男の姿が浮かびあがる。
樹里に誘われ、初めて読モの撮影を見学させてもらったとき。見るからに高価そうなカメラを構え、次々と読者モデルの被写体を写真に収めていたカメラマンの男性。
「ガルガルの……カメラマン……?」
「そうだ! そうだよ、陽菜ちゃん! ガルガルで見たんだ! 樹里の写真を撮ったカメラマンとして、名前が載ってたんだ!」
陽菜の言葉に、咲良が興奮したような声をあげる。ハッとした陽菜は、井ノ原陽介の詳細なデータへ目を向けた。
「……過去に女子中学生や女子高生への痴漢で罰金刑、盗撮でも検挙されているようですね」
「なんてこった……筋金入りのロリコン変質者じゃねぇか!」
憤る咲良を無視し、陽菜は再びキーボードを凄まじい速さで叩き始めた。井ノ原陽介に関するさらなる情報を集めるためである。
「所有する車の車種と色、ナンバー……現住所……」
ブツブツと呟きながら、鬼気迫る様子でキーボードを操作し続ける陽菜。
「咲良さん、これ一応メモしておいてください」
「う、うん!」
「あ、スマホで撮ったほうが早いよっ!」
すかさず、葉月がスマホを取りだしモニターに表示された情報をカメラで撮影した。
「樹里を救うために必要な最低限の情報は得られましたが、まだ不十分ですね」
「ね、ねえ、陽菜ちゃん。ここまでわかったんだから、警察に通報するのはどうかな?」
顔色を窺うように口を開いた昌へ、陽菜はじろりと視線を向けた。
「犯人は井ノ原陽介である可能性は高いです。でも、確定ではありませんし証拠もない」
「そ、それはそうだけど……」
「……それに、できることなら警察には通報したくありません」
そっと顔を伏せた陽菜に、咲良たちが訝しがるような目を向ける。
「そ、それはどうして?」
「騒ぎが大きくなるからです。人気の読者モデルをカメラマンが拉致したとなれば、マスコミは絶対に放ってはおかないでしょう」
咲良と葉月、昌が顔を見合わせる。
「樹里は……冬休み明けにガルガルとRady annの表紙を飾る仕事が入っています。大きな騒ぎになれば、それが流れてしまうかもしれない。それに、多くの人々から樹里が好奇の目で見られてしまうでしょう」
「で、でも……」
「くだらない犯罪者のせいで、樹里の華々しい未来を壊されるなんて絶対にイヤなんです。だから、樹里は私たちだけで絶対に何とかしなくちゃならないんです」
強い意思を宿した瞳を向けられ、咲良たちはそれ以上何も言えなくなってしまった。
「で、でも、どうやって? 犯人の目星はついたけど、ここから先どうやって樹里を助けるの?」
いつも気丈な葉月が、かすかに唇を震わせながら口を開く。
「……もし、わいせつや監禁目的で樹里を攫ったのなら、自宅など邪魔が入らないところへ連れていくはずです。ただ、井ノ原陽介はフリーのカメラマンなので、個人事務所や機材倉庫などを保有している可能性もあります」
「な、なるほど」
「だから、とりあえずそのあたりの情報が必要です」
そう言うなり、陽菜はスマホを取りだしどこかへ電話をかけ始めた。
――ガルガルこと『Girl &Girl』の出版元である冬島出版のオフィスでは、副編集長の明日香と綾辻桐絵が来年の撮影に向けて打ち合わせを進めていた。
「うーん、ひとまずこんなところかな。桐絵ちゃん、何か質問はある?」
「いえ、大丈夫です」
「オッケー。じゃあそんな感じで──」
テーブルの上に置いてあった、明日香のスマホからポップな着信メロディが流れる。手に取ったスマホの画面を見た明日香が「あら?」っと驚いたような表情を見せた。
「神木陽奈ちゃんからだ……! 珍しい……ってゆーか、まさかあっちから電話かけてきてくれるなんて」
陽奈の名前を聞いた瞬間、桐絵の心臓がドクンと跳ねた。「はーい!」と嬉しそうに電話へ出る明日香を興味深そうに見つめる。
『お疲れ様です。あの、以前連絡先を教えていただいた神木陽奈です。覚えて、ますか?』
「もちろんよっ! 陽奈ちゃん、私に連絡くれたということは、もしかしてガルガルで読者モデルしてくれる気になったとかっ!?」
『いえ、違います。ちょっと今、樹里が大変なことになっています。それで、明日香さんにいくつかお聞きしたいことがあるんです』
「えっ……!?」
先ほどまで、あれほど嬉々としていた明日香の表情がどんどん曇ってゆく。明日香のただならぬ様子を目の当たりにした桐絵もまた、何とも言えない不安が湧きあがり、自然と心臓の鼓動が速まった。




