14.あんなことになるなんて
教室へ足を踏み入れた途端、明らかにクラスメイトたちの様子がいつもと異なることに気づいた。
普段なら、ちらっと目を向け形式的な挨拶しかしないクラスメイトたちが何やらそわそわとしている。
陽奈はいつもと変わらぬ無表情のまま自分の席に着くと、ランドセルから本を取り出し読み始めた。と、そこへ──
「ち、ちょっと神木! あれはいったいどういうこと!?」
後方の入り口から教室へ駆け込んできた一人の女生徒が、顔を真っ赤にしながら陽奈のもとへ詰め寄った。能力を運動神経に極振りした女、クラスの女王様気取りと男子から揶揄されている白鳥沙羅だ。
「あれ、とは何でしょう?」
取り巻きの女子二人と一緒に目の前で仁王立ちしている沙羅を見上げた陽奈が、わずかに首を傾げる。
「Cuteeeenのことに決まってるでしょ!? どうしてあんたがCuteeeenに掲載されてんのよ!? しかも二ページにもわたって!」
憎らしいと言わんばかりに声を荒げながら睨みつけてくる沙羅に対し、陽奈は「はぁ」と小さくため息をついた。まるでバカにするような態度に沙羅の怒りがさらにヒートアップする。
「何なのよため息なんかついて! それより答えなさいよ! どうしてあんたが──」
「Cuteeeenの編集さんから写真を撮らせてほしいと直接お願いされたからですけど? それが何か?」
怒りに燃える沙羅の視線を真正面から受け止めながら、陽奈は何でもないことのように答えた。
その言葉に取り巻きの女子二人が驚きに目を見開き、教室のあちこちから「おお……!」と感嘆するような声が上がった。
「……は? Cuteeeenの編集者が、あんたに直接……? そ、そんなバカなこと……」
「本当ですよ。嘘つく必要なんてないでしょう?」
「ぐ……!!」
「そう言えば、あなたも近々ファッション誌に写真が掲載されるって言っていませんでしたか?」
その言葉に、取り巻き女子二人の体が硬直する。沙羅はというと、悔しそうに下唇を噛んだまま全身をワナワナと震えさせていた。
そして、もう一度陽奈をキッと睨みつけると踵を返し、足早に教室を出て行ってしまった。慌てて取り巻き女子たちが白鳥のあとを追いかけてゆく。
「??」
いったい何がしたかったのだろうか。教室を飛び出してゆく沙羅の背中を見送った陽奈は、何ごともなかったかのように再び読みかけの本へと目を落とした。
「うわー……神木さんなかなかキツいよね。沙羅ちゃんも昨日発売されたCuteeeenに載ってたのに」
「ねー。まあ、載ってたっていってもめちゃくちゃ小さかったけど」
「あそこまであからさまに扱いが違いすぎるとショックだろうね。しかも、まさかの神木さんだし……」
「てゆーか、神木さんの写真めちゃくちゃかっこよくなかった?」
「わかるー? 一瞬誰!? ってなったけど、何か凄くクールな感じ!」
「それに編集の人から直々にってことは、スカウト? されたってこと?」
「だとしたらすごーい!」
ざわつくクラスメイトたちの会話が耳に届き、陽奈はなるほどと納得した。そうか、彼女が言ってたのCuteeeenのことだったのか。
まさかクラスメイトも掲載されていたとは知らず、ナチュラルに沙羅を煽ってしまう形になった陽奈。
そんな彼女に対し、多くのクラスメイトが羨望の眼差しを向ける。普段誰とも口をきかない天才児の陽奈をクラスメイトたちは敬遠していたが、いきなり人気ファッション誌の誌面を飾った彼女への印象が大きく変化したようだ。
一方で大きな謎も残された。あれほどオシャレなコーデでファッション誌の誌面を飾った陽奈が、なぜ先日あのような超がつくほどダサい服装で登校してきたのか。
もしかすると、あのコーデは一周まわってめちゃくちゃ最先端のオシャレだったのでは──
と、クラスメイトたちは思わざるをえなかった。
休み時間やお昼休みになると、陽奈は日ごろ目もあわせたことがないクラスメイトの女子から話しかけられ、放課後にも複数の女子から質問攻めにあった。
これを機に何とか陽奈と距離を縮めたいと考えるクラスメイトもいたようだが、そもそも陽奈にその気がないため、放課後もそそくさと荷物をまとめ下校してしまった。
一人で駅へと向かう道すがら、陽奈は昨夜樹里とLIMEでやり取りした内容を思い出していた。
ああ、そう言えば昨夜樹里さんが「明日学校行ったらヒーローかもよ?」って言ってたような。
歩道脇の道路前方から猛スピードで走行してきた大型トラックが、不快な排ガス混じりの砂ぼこりを巻きあげる。
じっとりと汗をかいている肌に微細な砂ぼこりが貼りついたような気がして、陽奈は思わず顔を顰めた。と、そのとき。ポケットのなかでスマホがブルブルと震えた。
「ん?」
スマホの画面にはLIMEの通知を知らせるメッセージが。樹里さんかな? 陽奈はロックを解除してLIMEを起動する。
樹里『陽奈おつー。学校どうだった? ヒーローになった?』
陽奈『まあ、いつもよりは話しかけられました』
樹里『やっぱりー♪ ほら、私の言った通りだったっしょ?』
陽奈『そう、なんでしょうかね。放課後にもあれこれ質問されそうだったので、振り切って下校しました』
樹里『ありゃー。クラスメイトととももっと仲良くしたらいいのにー』
陽奈『あまり興味ないですね。基本的に話も合いませんし。それより樹里さん、明日からいよいよ期末テストですよね?』
樹里『う……そうなんだよねー( ;∀;)』
陽奈『準備は万端ですか?』
樹里『ま、まあまあかな? でも、陽奈のおかげで今回はそこそこ自信あるよ!』
陽奈『……ならいいですけど』
樹里『うん! 今夜最後の追い込みするから、またわからないとこあったら質問するね。てか、夜電話していい? 学校でのことも聞きたいし!』
陽奈『かまいませんよ。あまり遅い時間じゃなければ』
樹里『わかった! じゃあまた夜にね。気をつけて帰りなよ?』
陽奈『はい』
陽奈はスマホをポケットに仕舞うと、やや軽やかな足取りで駅を目指した。少し顔をあげて遙か遠くの空を見やる。
日が長くなり空も晴れているにもかかわらず、遠くの空では黒々とした雲が支配領域を広げようとしていた。
雨が来るのだろうか。そんなことを考えつつ、陽奈は駅舎のなかへと歩を進めた。
樹里から電話がかかってきたのは二十時をすぎたころだった。
学校での出来事などをひとしきり話し終えたあと、明日からのテストに向けて最終確認を始める。
『あーあ、初日から英語と数学とかマジやだわー。せめて初日と最終日とかにしてほしかった』
電話口からも聞こえる樹里の深いため息。
『苦手な二科目を初日にやっつけたら、あとは楽じゃないですか』
『んー、まあそういう考え方もあるけどさー』
『それに、うちへ泊まり込んでまで勉強したんですから、今回はいい点数とれなきゃおかしいですよ』
『ちょっとー! 今からプレッシャーかけないでよ〜』
『せめて両科目とも八十点以上は狙いたいですね』
『は!? いや、むりむり! 数学なんて中間テストで赤点だよ!?』
『もうその頃とは違うでしょう? まあ……それじゃ七十点ですかね』
『ぐ……頑張る!』
『ええ、頑張ってください。七十点以下だったら……』
『い、以下だったら……?』
『……とりあえずがっかりします』
『うう……がっかりさせたくない! わかった! 絶対に七十点はとる!』
『約束ですよ?』
『うん! 陽奈の期待にも絶対応えてみせるからね!』
そんなこんなでダラダラと一時間半ほど通話したころ、樹里が「もう少し勉強しとく!」と口にしたのでお開きとなった。
電話を終えた陽奈はベッドの上で「んー」と伸びをしながら、樹里が勉強している姿を脳裏に浮かべた。
あれほど勉強は嫌いと言ってたのに、頑張ってたなと素直に感じる。それに、樹里さんは理解力がないわけではない。
噛み砕いて教えればきちんと理解できる人だ。それに、ギャルっぽい見た目にそぐわず真面目で努力もできる。お母さんが厳しい人とも言っていたし、以前はきちんと勉強もしていたんだろう。
きっと今回のテストでは、これまでの頑張りが報われるはずだ。キャビネットから着替えの下着とパジャマを取り出した陽奈は、良い点数をとって大はしゃぎする樹里を思い浮かべながらバスルームへと向かった。
──翌日から、滞りなく期末テストが始まった。陽奈が予想したとおり、樹里はテストの出来栄えにかなり手応えを感じているようだった。
苦手な二科目が終わり、しかもたしかな手応えを感じたからか、電話で聞く声もいつもより弾んでいるように感じる。
基本的に、樹里が苦手な英語と数学をメインに教えていたため、ほかの科目は大丈夫なのかと一抹の不安を覚えたものの、それもどうやら杞憂のようだ。
陽奈が見ていないところで、他科目の勉強もしていたらしい。ずいぶんと真面目なギャルだ。
そしてあっという間にテスト期間が終了した。
──テスト期間が終わり、いつもの日常へ戻った教室のなか、唯一樹里だけが緊張した面持ちで席に座っていた。
「どしたん樹里? そんなこえー顔して」
樹里のそばへやってきた咲良が、訝しげに顔を覗き込む。
「ん……次の授業数字じゃん? テスト返ってくるなーって」
そう、次の授業はテスト期間明け初めての数字の授業。つまり期末テストの答案が返却されるのだ。
「ああ。でも今回は自信あんだろ? 陽奈ちゃんにも勉強教えてもらってんだし」
「まあね。自己採点では七十五は堅いはず……!」
「すげーじゃん」
「頑張ったしね」
樹里の頬がかすかに緩む。と、授業開始のチャイムが鳴り、数学教師の伊達晴美が教室へと入ってきた。
「皆さん、期末テストお疲れ様でした。今から答案を返却します。名前を呼ばれたら取りに来てください」
名前を呼ばれた生徒が次々と立ち上がり、答案用紙を受け取って席へと戻ってゆく。ガッツポーズをとる者、小さく悲鳴をあげる者、大きなため息をつく者、反応はさまざまだ。
「佐々本樹里さん」
「は、はい」
名前を呼ばれた樹里が教師の前へと進み答案用紙を受け取る。そして、席へと戻りながら恐る恐る答案用紙へと目を落とした。
「……え?」
思わず足を止めた樹里は、答案用紙に穴があくほど食い入るように見つめた。
氏名記入欄の横へ乱暴に書き殴られた点数は、六十一点。自己採点より十点以上低い数字である。
え、何で? どうして?
訝しがるクラスメイトたちの視線に気づいた樹里は、ハッとした様子で席に戻ると、再度答案用紙へ視線を這わせ始めた。
そして、自信をもって解いたはずの問題三つにペケがつけられていることに気づく。樹里は隣に座る緑川誠司にそっと体を寄せた。
「ねえ、緑川君。ちょい答案見せてもらっていい?」
「え、ああ。どうぞ」
手渡された答案を見て、樹里の目が大きく見開かれる。間違いとされている三つの問題すべて、緑川と同じ解答であり、しかも彼は正解となっていたのだ。
は? いったいどういうこと?
悶々とした気持ちのまま授業を終えた樹里は、休み時間に入るや否やすぐさま教室から出て職員室へ戻ろうとする伊達を追いかけた。
「伊達先生! ちょっといいですか?」
背後から呼びかけられた伊達が何事かと振り返り、樹里へ怪訝そうな目を向ける。
「……佐々本さん、いったい何ですか?」
「この三つの問題、採点ミスじゃないですか? 緑川君は同じ解答で正解してますけど」
何か言いたげに顔を歪めた伊達が、差し出された答案用紙を受け取り目を通し始める。
「……ああ、この三つね。これ、答えは合ってるけど解き方が間違ってるわ」
「……え?」
こともなげに言い放たれ、樹里は呆然とした表情を浮かべた。
「い、いや、でも最終的に答えは合ってるんですよね?」
「だから、答えは合ってるけど解き方が違うって言ってるじゃない。私はこんな解き方教えたこともないし、教科書にも載ってないでしょ?」
「や、でも……」
「とにかく、そんな解き方では点数はあげられません。話はそれだけ? ならもう行くわね」
面倒臭そうにやや早口でまくしたてた伊達は、樹里へ押しつけるように答案を返し、サッと踵を返して立ち去っていった。
呆然としたまま廊下に立ち尽くす樹里。ツンと鼻の奥に痛みが走ったような気がした。何かが全身へ覆いかぶさってきたかのように体が重い。
マズい、目頭が燃えるように熱い。ダメだ、ダメダメ。こんなところで。奥歯をぎゅっと噛み締めた樹里は、目を伏せたまま足早に女子トイレへと駆け込んだ。
──グラウンドでドッジボールに興じる男子たちを横目で見ながら、陽奈は校門へと足を向けた。
暑いのによくやるものだ。正直、視界に入るだけでこちらまで暑苦しくなる。
そんなことを思いつつ校門を出たタイミングでスマホが震えた。足を止めてスマホを取り出し画面に目をやる。LIMEの通知だ。
メッセージは樹里からだった。が──
樹里『満身創痍』
見覚えのある四字熟語に陽奈が思わずイラッとする。
陽奈『真似するのやめてもらえます?』
素早くメッセージを打ち返し返信を待つ。いつもなら、既読になったあとすぐ返信があるのだが、なぜか今日に限って返事が来ない。既読にはなっている。
どうしたんだろう。何かあったのだろうか。スマホの画面を凝視したまま駅へと向かうが、やはりいっこうに返事は来ない。
立ち止まった陽奈は、少し躊躇いつつも樹里へ電話をかけた。何となく、いつもと違う気がしたからだ。数回コール音が鳴ったあと、樹里が電話に出た。
『もしもし』
『陽奈です』
『あ、陽奈……どうしたの?』
スマホから聞こえる樹里の声は、明らかにいつもと違っていた。
『どうしたの、はこっちのセリフです。何ですかあの四字熟語。何かあったんですか?』
『あー……うん、まあ……』
普段の樹里からは考えられない歯切れの悪さと低い声のトーン。間違いなく何かあったのだと陽奈は直感した。
『実はね……』
樹里の口から語られる学校での出来事。話を聞いているうちに、陽奈は全身の血が沸騰しそうな感覚に陥った。
『……樹里さん。答案を写真に撮ってLIMEで送ってください』
『え? うん……』
送られてきた答案の写真データに目を通した陽奈の顔が歪む。そばを低学年の子どもたち数人が大きな声をあげながらバタバタと追い越してゆく。普段はまったく気にならないその騒々しさが、今はやたらと腹立たしかった。
『……この三問が、間違いだと言われたんですか?』
『うん……そんな解き方じゃ点数はあげられないって……』
樹里の声は次第に小さくなり、最後は少し涙声になっていた。全身が燃えるように熱い。陽奈は衝動的に腕を掻きむしった。
『ごめんね、陽奈……本当に、ごめん……。約束したのに、七十点とれなかったよ……』
悔しさを滲ませながら言葉を絞り出す樹里の様子に、スマホをもつ陽奈の手がかすかに震える。
『何で……樹里さんが謝るんですか……』
『え……だって──』
『あなたが謝ることなんて何一つないじゃないですか!!』
ピロリン、と音が鳴り電話は切れた。陽奈が切ったのだ。
樹里はそっと息を吐くと天を見上げた。陽奈があんなに声を荒げるなんて。
完全に怒らせちゃったかな。あんなに勉強つきあってもらったのに、このていたらくだもん。愛想を尽かされたのかもしれない。
友達の期待に応えられなかった己の無力さに樹里は打ちひしがれた。家に帰ったら、もう一度きちんと陽奈に謝ろう。
帰宅して食事をとったあと、樹里は陽奈へ電話をかけた。が、陽奈がそれに応じることはなかった。やっぱり許してはくれないのだろうか。
だが、樹里は大きな勘違いをしていた。そして、神木陽奈という人間の根本的な本質も正しく理解できていなかった。
このときの樹里は、まさか陽奈があのような行動に出るとは夢にも思っていなかった。




